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明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

今週の気付き(28)コロナなんてもう、どうにでもなれ!

2020-03-27 21:05:13 | 今日の話題
1、ブロガーの生き甲斐
自分の書いたブログをどれだけの人が読んでくれるか、私のような路傍のブログ書きでも、所謂「承認欲求」が日々高くなって来るのを感じている。このところの自粛要請で皆んな家でネットを見る機会が増えたから、私のブログもPVがアップするかと思いきや、全然なのだ。あ〜、完全に忘れられている!。そもそも書いている記事に人気がないことは重々承知しているのだが、それにしても伸びない。PV稼ぎに連発した「今最も旬なコロナ関連の話題」でさえも、全体的には不発である。中には先を読んだブログも画期的な提案もあったと自分では思っていたが、世間の壁は厚く固い。最初は文字だけで5千字もあるようなものは「最初っから敬遠される」のだと思っていたが、どうもそうでもないらしいのだ。内容が読者層の心に刺さらないのである(あれ〜)。Gooブログは記事ごとのPVが集計に出ないので分からないが、今年になって一番PVが多かったのは「安倍首相の終焉まで云々」を書いた日の367PVだ。初めて全体の順位が10000を割りこんだ記念日である。それでも9900番目より後ろというのは、正直言って才能がない証だろうと泣きが入った。人の心に訴える技術など元から無いに等しい私である。ここは初心に戻って、大好きな古代史やコンピュータや芸術鑑賞などの分野に専心したほうが、まだしも気持ちが晴れやかになるってもんでは無いだろうか。PVのことなど考えずに、書きたいことだけを懸命に書く。これである。結果は後から付いてくる、と言うほど「メジャー」なブロガーじゃないけどね。

2、最近はビールにも飽きてきた
毎晩ちょこっと飲むのが日課だが、最初は日本酒からワインに移り、現在は各種ビールを飲み分けている。当初テレビのコマーシャルで「美味い!」を連発するのに乗せられてキリンの「本麒麟」を飲んでいたが、途中でサッポロの「麦とホップ」のふくよかな味に魅せられてしばらくサッポロ党になった。それからサントリーの「金麦」に乗り換えたが少々苦味が気になって、キリン「のどごし生」などを試しつつ、今はアサヒの「クリアアサヒ」に落ち着いた。クリアアサヒはそれ程味が良いというわけではないが、雑味や苦味が少ないような感じが好きで「現在イチ推し」である。ところがたまにビール以外のハイボールやチューハイを飲むこともあって、トリスのハイボールなどは「甘め」な味が好きなのだが、蒸留酒ってところで「まだ私にはキツイ」かな、と思う。レモンサワーやレモンハイはどうなのかと言うと味はサッパリして飲み易いのだが、脳梗塞の後遺症で嚥下障害のある私には「このレモン果実が、時々気管支に入ってしまう」ことがあって、ちょっと飲みきれない。そんな時にこないだ「何となしに手に取った」のが緑茶ハイである。味はモロ緑茶で「知らんうちに酔う」から面白くも何とも無いが、夜テレビを見ながら飲むには「まあ丁度いいかな」という感じで手頃なんである。今の所は私の「お気に入り」となっている。それで今日、マミーマートに買いに行ってみたら、350ml缶の「おーいお茶」風のしか置いてなかったので超ガッカリした。自分で焼酎に抹茶など混ぜたら上手く出来るんだろうか、今度挑戦してみよう。

3、感染のかたち
ウィルスを伝染す人が悪いのか、それともウィルスに伝染らないように自己防衛するべきなのか、という社会行動学上の問題である。
a) 健康な人が大勢いるところに感染者が一人で入っていけば、「伝染す方が悪い」し
b) 周り中が感染者だらけの所に「ポツンと健康な人が入れば」健康な人の方が自覚が足りないと言われる。
当然だ。ところが日本は若者がコロナ感染を恐れずそこら中に出歩いているから、本当は (b) のパターンになるはずなのに、何故か (a) のパターンの「健康なお年寄りに伝染する危険があるから」と言われて、外出を自粛せよとお達しが出た。何とも不思議な判断である。しかし世間の動向を見ていると案外、高齢者は自宅に待機してひっそり終息宣言を待っているみたいだから、言うほど高齢者が出歩いてるわけでもなさそうだ。そのせいで、欧米に比べてまだ日本は感染者が少ない、っいう観測も出ているみたいである。日本の高齢者は敗戦の悲惨な苦しみを体験しているせいか、英米人に比べて「病気に過剰反応する人」が大勢いるのかも。見た目に元気いっぱいなようでいても、やっぱり「死にたくはない」と思う気持ちは人一倍強いようですねぇ。ちょっと喉が痛かったり身体にいつもと違う症状が出たりすると、「コロナか?」とか「ガンか?」とか、はたまた「心臓、腎臓、肺、脳、」と、傍で聞いていると「うるさい」位に騒ぐのだ。どうやら不安で心臓がキュッとなるらしい。老人になると体温が36.7度になっただけで「大丈夫かな?」とパニクったりするから、始末に負えない。若い時には気にもとめないことの一つ一つで、老境に入った途端に「死への階段」を一歩踏み出したような恐さを覚えるのだ。一度転落したら、二度と生きては帰れないみたいな、そういう「言い知れない恐怖」が襲ってくるのだそうである。ああ嫌だ、年は取りたくないもんだねぇ。若いおなごは箸が転んでもキャッキャッ笑うというが、老人は小石に躓いても「死ぬかと思った!」と大袈裟だ。笑いを取ろうとしているのかと思っていたら、マジ真剣なんである。中にはびっくりして「本当に心臓が止まっちゃう」人がいるらしいから、冗談じゃないみたい・・・。

4、パニック買いの精神構造
トイレットペーパーが店頭から無くなったと思ったら、今度は食料品が棚から消えてしまった。どんだけパニックに弱いんだ!、ってこと。これは日本人の「仲間意識の強さ」が引き起こした結果だと私は思う。地域で団結する度合いが強ければ強いほど、同調圧力や一斉行動の度合いが強くなる。将来首都が封鎖される事態に備えて「皆んなが一斉に備蓄に走る」と、当然売り場は品薄になる。当たり前だ、現代では普段の売れ行きを計算しながら、店頭・ストック・流通・製造・生産業者と、全部が全部「適正な量をコントロールしている」のである。一人が買い占めに走れば、誰かが「買えなくなる」のは理屈上明らかだ。物が不足しているんじゃなくて、想定外の購買行動が「供給の破綻」を招いているのである。それだけの冷静な判断がつかないというのは、如何にも「ノータリン」な愚民と揶揄されてもグーの音もでないだろう。ネットがこれだけ発達しているのにも関わらず、余計にパニックに走るというのは何なんだろうねぇ。まあ主に高齢者が多いらしいという噂の証言が出ているが、戦後の物資難の時代を。。死に物狂いで乗り越えた世代だからしょうがないのかも。だが、本当に物資不足になった場合はどうなるのか。これは政府が乗り出すまでの間、例えば1ヶ月分位は「日用品や食料・その他必要なものの備蓄」をしておく、というのも大事なことだろう。所謂「サバイバーの心構え」である。かく言う私もコロナ騒ぎが収まった暁には、改めて「万一の時の備蓄」を揃えることにしたい。まず最初はトイレットペーパーからだ・・・(って、買い占めに乗り遅れただけだろうが!)

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