明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

ランダムな居酒屋談義、どうせ雑談なのよ(その4)瀬戸大也が、見つかっちゃったね

2020-10-14 11:28:08 | 今日の話題
1、シューベルトの死因と水銀
若くしてこの世を去った楽聖シューベルトが、実はあの忌まわしい「梅毒」に罹っていたというのは、確認されたわけではないが広く知られた話だ。しかし当時のヨーロッパの医学は発達途上で、神の恩寵やら怪しげな民間療法やら、現代の我々からすれば「ええーっ?」というものも数多くあったらしい。その最たるものが「水銀療法」である。水銀は持統天皇の時代から日本で流行りだし、室町時代頃から伊勢で「軽粉」として作られて、大々的に日本中に広まった。これは後に中国から入ってきた「鉛白粉」に駆逐されるようになて下火になるが、その後は「梅毒や感染症の薬」として息を吹き返し、爆発的に広まったという。今は水銀と言えば、体に悪い「劇薬」という認識だから薬に使われるなどとは思わないが、シューベルトの生きた1800年初頭は、梅毒の薬として日常的に「塗ったり飲んだり」してたらしい。水銀信奉派(メルクレアリスト)という一派が存在していて、水銀塗布治療や甘味をつけた水銀希釈溶液を飲む治療法が大流行した、と記録にある。水銀を飲むなんて「まんま自殺行為」だが、それにも関わらず人々が水銀の解毒作用を信じ切っていたので、治療に使う例が減らなかったようだ。そのために水銀中毒の副作用によって、当時多くの人が命を失ったとされている。シューベルトの生み出した「美しく高貴な音楽の世界」と比べると、何だか「魔女の調合する悪魔の秘薬」みたいな雰囲気が漂っていて、どうにもイメージが合わない気がするが、本人は希望を捨てず真剣だったようだ。昔見たシューベルトを主人公にした映画、「未完成交響楽」の美しくも哀しい恋の結末と、どこまでも心に染み入るアヴェ・マリアの気高いメロディが懐かしく蘇るが、彼もあの時「水銀を飲んでいた」のかと思うと、何だか恋愛も「色褪せ」て見える。

2、コロナと医療費無料の年齢制限
スウェーデンは、コロナ対策として集団免疫作戦を取っていたことで一躍名前を売った国である。当然、東アジアの日本などと比べれば、死亡者数は驚くほど多い数字である。しかし全体としてみれば、国民がごく普通に生活して特に対策を取らなかったスウェーデンと、都市封鎖を行ってウィルスを封じ込める方法を取ったイギリス・イタリア・フランスなどの国とでは、むしろ何もしなかったスウェーデンの方が「死亡者が少ない」という結果が出ている。これを見ると、スウェーデンの対策は正しかったと言えるかも知れない。日本も実質的にはスウェーデン方式だったわけだが(政府ははっきりと言わないが)、実はスウェーデンでは80歳以上の患者は「医療の対象外」だそうである。これはラジオで辛坊治郎が言っていた。ホントかどうかはまだ確かめてないが、社会保障が完備している夢の国と思っていたスウェーデンが「実は人生80年でハイさようなら」だったなんて、ビックリ仰天したのである。いくらコロナは治療法が無い新種の病気と言ったって、人工呼吸器すらつけないってのは「あんまり」だと思うけど、国民は納得してるんだろうか。「無料治療」対象外だということのようだが、やっぱり家族は助けたいと思う筈だけどねぇ。まあスウェーデン人の気持ちは、私には分からないから何とも言えないが、高額の税金と引き換えに「いたれりつくせりの保障」が受けられるという社会保障先進国のイメージも、ちょっと陰りが見えた気がし始めた。やっぱりどこかで切り捨てないと、社会保障って難しいのかな。80歳というと、私なんか「すぐそこ」なんだけど・・・。

3、口内炎がようやく治った
歯周病菌が認知症の主たる原因だ、と歯磨き粉メーカーがテレビで宣伝している今日このごろ、なんと左下唇内側に「大きな口内炎」が出来ちゃったのだ。鏡で見ると「白っぽく丸く輪っかになった膿」がベロっと映っている。それが大きく尖った犬歯に当たって「超痛いーっ!」のである。この口内炎、何とかのビタミンが不足しているかららしいのだが、とにかく私は栄養が偏っているせいか何なのか、かれこれ1週間程経っても一向に治ってくれない。寝ても起きても「口を開け締めする」度に痛くて痛くて、「あーっもう、ウザい!。何とかしてくれーっ!」という状態だった。それが2日ほど前に「ウソのように」治ってしまったのである。「ざまーみろ!、俺は不死身だ!」などと、分けのわからない雄叫びを上げながら部屋中を踊り狂っている時に、ふと年を考えた。私ももう70過ぎの老人である。口内炎ごときことでイラついている年齢ではもうないが、それでも「認知症だけにはなりたくない」と、深々と我が身を振り返ってみる。認知症は遺伝的要素が大きいらしいと聞くのでチェックしてみた。幸い父も母も認知症にはならなかったから、一応大丈夫だと思うが、こればっかりは分からないぞと気を引き締める。認知症になった日には、周囲の人に迷惑かけ通しになるんだろうなぁ。まあ、口内炎で済んだのは不幸中の幸いとしておこう。ちなみに私は、毎晩寝る前に「口内炎の輪に、直接歯磨き粉を刷り込んで」回復させようとしたことを報告しておく。・・・全然役立たずだったけど。

4、バス停の無駄走り
今日、久々にダンロップゴルフスクールのレッスンを受け、チンタラ歩いて呼塚の交差点に向かっていたら、向こうから一人の男性が手提げ鞄を「おばさん風に肘にかけて」持ったまま、激しく走って駆け抜けていった。その男性はやや背が低く、少々小太りで足が短かったが、勢いよく「足をバタバタ」させて行ったので「何かなぁ?」と振り返ると、10mくらい後ろを歩いていた人も「何があったのか?」と同じ様に振り返っていた。インパクトあるねぇ。で、必死で走る先に「お客を降ろしているバス」が目に入ったので、「なるほど」と合点がいった。彼はバスに乗ろうとして「激走していた」のである。だが、まだちょっと距離がある。「乗れるかなぁ」としばらく見ていたら、バスのウィンカーが点滅し始めた。「ああ、もう動き出すぞ」と思ったら男性がようやく走り寄って、バスの昇降口の扉を叩いている。何とか間に合ったか、と歩き出そうとした瞬間に「あー無情、バスはするーっと発車」していったのだ!。「ありゃーっ、発車しちゃったんだぁ!?」。男性は置いてきぼりである。私はてっきり扉を開けて乗せるものと思っていたから、何とも可哀想にと眺めていた。男性も去っていくバスの後ろ姿を見て、呆然と立ち尽くしたままだ。何故乗せなかったんだろう?。

1つは、安全のためにルールを厳しくし、発車ウィンカーを出した時点で「客を乗せない」と決めていた場合。これは決め事で会社によって違うだろうが、発車しようとしているのに「それをわざわざ止めてまで乗せる」とすると、しまいには客の方が図に乗って「走り出しているバスの扉を叩く」などの安全義務違反を引き起こしかねない、という考えである。それで「ウィンカーを出す」タイミングで乗せない、と線を引いているのだろう。

2つは、発車時間を過ぎていたので「客は乗れない」と判断した場合。このバスが定時から遅れていたかどうか定かではないが、既に遅れていた場合は「遠くから走ってくる客」を見送って発車したのも頷ける。既に乗車している客にしてみれば、次から次に駆け込む客を拾っていては、どんどん予定時間をオーバーしてしまって、例えば目的駅の電車に乗り遅れることも考えられるからだ。バスが運行ダイヤに従って走っている以上、出来るだけ時間を守るべきだという考えである。

何れの場合にしても、こういう「会社の指示に忠実な運転手」に出会ったのが男性の「不運」である。精一杯の激走が無駄になったこの男性が「バカやろーとか、ふざけんなとか、汚い言葉で悪態をついてた」かどうかは不明である。私だったらサッサと諦めて次のバスに乗るのだが。この何事にもチャレンジする気持ちの「若さ」には、ちょっぴり羨ましさを感じた、というのも事実である。くだんの短足男性は、哀愁を漂わせながらもまだバス停でうろうろしていたが、私は何だか気持ちが高揚し、明日に向かって頑張ろうって気持ちがフツフツを湧いてきた。こういう「ついてない人」を見ると、私はついつい嬉しくなってしまう。

5、瀬戸大也の罪と罰
ニュースをちょっと見ただけなので詳しいことは全然分からないが、これも時代感覚の一つの現われだろうと考えることがあった。近頃頻発する不倫がらみの炎上・バッシング騒ぎ。それも殆どの場合は「生活の場」を失うほどの「厳しい社会的制裁」が課せられている。何故これほどまでに不倫が、人間として「最も忌み嫌われる罪」になってしまったのか。いろいろ考えても、どうにも腑に落ちる答えが見つからないのである。「何故なんだろう?」と考えていたら、突然閃いた。これは「女性時代の到来」に違いない、と。「不倫」などというものがメディアで大々的に取り上げられ、そもそも個人の問題であるべき「不倫」が、社会的大事件かのように犯罪扱いされている事自体が「女性目線」なのである。何故なら「不倫」は、女性にとって現在唯一の社会的地位である「妻の立場を脅かす、由々しき事態」だと認識されるからなのだ。勿論、女性の社会的進出は加速度的に増加しており、妻という立場が「唯一の社会的立場」では無くなって来ているのも事実である。では、「妻の立場を守る」という目的で不倫を捉えることが「減ってきたのか」というと、実は女性の地位向上とリンクするように「逆に増えてきている」のが実態だと言う。男性の代わりに権力と地位を得た女性達は、もう「忍耐する」必要もないと言えるのだろう。今は単純に「不愉快だ」と言う「評価のレベル」と認識されているようだ。この方が「罪を犯した」人よりもむしろ「人格的に最低」だとも言えるから耐え難い。昔は不倫された妻は「魅力がない」からだとか、主人が家に早く帰ってきたくなるような「優しさ」が無いからだ、とか言われて泣き寝入りしていた時代もあった。思えば、不倫された女性の怒りや失意・恨みは「男性の想像を超えて、甚大」だったということか。これは理屈ではない、単に事実である。勿論、男性には「逆恨みでストーカー」という例があるから、一概に女性がそうだとは言えないが。そう言えば「女性はウソをつく」と発言して大炎上している杉田水脈議員のような、絵に描いたような「女性の敵」もいるから、はっきりした事は言いづらい。だが一つ言える事は、女性の意見が徐々に「男性の意見を圧倒する」ようになってきたという事実である。私は生物学的に言っても、女性の方が男性より「頭が良い」のではないかと疑い始めた。私のように70才を超えた「昭和世代の老人」は、幸いにして瀬戸大也のように、女性優位の時代に生きる「辛さ」を感じなくても生きていけそうである。まあ、エネルギーの有り余っている若い男性は、我慢するのが大変だろうけど。今にロボット時代が来たら、逆に男は「子供を産む道具」なんて言われかねないよねぇ、ホント。「少子化」というのは案外と、女性側の「支配権奪取の戦略」なんじゃないだろうか、と思ったりしてしまう。オーこわ!

最新の画像もっと見る

コメントを投稿