明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

憲法記念日に考えた事(2)

2018-05-06 20:01:07 | 今日の話題
これは憲法記念日に考えた事(1)の続きなので、そっちも読んで頂ければ幸いです。

3 改憲派はお仕着せ憲法って不満タラタラらしいけど、日本のもので外国の猿真似じゃないものなんて、殆どないんじゃない?

車はアウディでドイツ製、服はポール・スチュワートでアメリカ製、お気に入りの曲はシャンソンで掃除機はダイソンのスウェーデン製だって、オシャレだね。昼は中華で夜はワインにイタリアン、三権分立はイギリスの真似で人気のサッカーやテニスもイギリス発祥のゲームである。今の日本の大抵のものは、ヨーロッパ製かそれを真似した日本のコピーばっかりと言っても過言ではない。純然たる日本製と言えば、パチンコ・アニメ・温水便座に相撲くらいのものか。「日本人の生活」の大部分は「海外のお仕着せだらけ」である。もっと日本独自のものを使わないと、と言ったって、正月でもないのに着物きて仕事をするわけには行かないではないか。外国のものだからと言って、それに不満をいう人なんて見たことがない。なのに憲法だけは「お仕着せだから」改正する、というのは理屈が通らないのではないかと思う。便利で使い勝手が良いものなら、どこで作ったものだろうと構わない、というのが「昔からの日本人の素晴らしい特質」である。お仕着せ憲法で結構、中身が良けりゃ真似と言われようがパクリと言われようが平気なんである。

そうじゃない、中身がダメだから変えるのだと言うなら、「どこがどうダメだから、どう変える」のか、それを言わなければ話にならないと思う。そして変えるには、それなりの理由(今の実情に合わない)が必要である。と言う事で、ようやく真っ当な議論の準備ができた、と言うものである。

憲法改正というのは、何も決死の覚悟で議題に持ち出す事ではなく、「5年に一回は見直しますよ」ぐらいの気持ちで、実情に合わせるのが当然ではないかと私は思う。人間の基本理念だって時代と共に変化するし、世界の国々の考え方も変わっているのに日本だけ、戦後に作られた憲法をそのまま守り続けなきゃならないというのでは、考え方そのものが硬直していると言わざるを得ない。だから当然「変えていくべき」部分があってしかるべきだと、私は思う。戦後GHQが作って以来70有余年、憲法を守るという事に必死になっている人々には受け入れがたい事かもしれないがあえて言うなら、「何をそんなにしがみついているのか」と問いたい。変えないことに一生懸命の余り、守るべき平和の意味が分からなくなって、「戦争の忌まわしい記憶」なんていう、殆ど誰も知らないことを持ち出して若者を説得しようとしているのは、老人の繰り言にしか見えないのである。もっと新しく若者にもわかる言葉で「個人の幸せを守り、平和に徹する憲法」を作ると言うなら、結果として「今の憲法とは違う形」になるかも知れないが、意味があると言えるのじゃないだろうか。だから改憲派は「お仕着せだから変える」なんて理屈にならない理由を持ち出して国民を馬鹿にする言い方は、金輪際言わないで欲しいものである。

ついでに言っておくと憲法改正派は、戦争終結直後だから「敗戦国日本に二度と反米戦争を起こさせない」ために平和憲法を押し付けた、と考えているようである。戦後にはそれも一理ある考えで、早く日本も自前の軍備を持てるようになりたいと岸総理が悲願としたのは納得する。が、戦後70年も経った現在、安倍総理が「おじいちゃんの願いをなんとか叶えてあげたい」というのはアナクロも甚だしい妄想でしかない。北朝鮮とは仲直りし、世界の大国となった中国と一緒に「もっともっと稼いでいこうぜ」というアメリカの戦略には、武力行使で世界を従わせるという路線は「もはや不向き」なのである。岸総理も生きていれば「これからは武力の時代じゃない」と言ったんじゃないかな、そう私は思うのだ。だから平和憲法で結構、そんな事より「経済」の方がよっぽど大事である。そうでないと早晩「年金崩壊と借金地獄の中に」日本は沈むことになりそうである。

4 憲法に書いてある天皇制は現行の記述を改め、伝統文化継承者として、国と一切関わらない民間団体の長としての地位を憲法に明記・改正する

国民主権なんだから天皇条項は国の政治から外し、あくまで神道の祭主たる地位に戻せばいい。もとより天皇を国の元首にするというのは明治維新の元勲が考え出した国民皆兵・富国強兵思想が祭り上げた国民団結の一方法であるから、あれから170年も経っている現代には「古すぎる」考えである。今は今の状況に合った考えに変えるのが当然なのだ。天皇の国事行為は正確には把握していないが、どの道儀礼的なものだろうし、そもそも決定権もないのだから名目的にも実質的にも「お飾り」(悪い意味では考えてない)である。天皇だって象徴天皇なんてわけわかんない名前に祭り上げられて、もう年だからやめたいって言ってんのに周りが寄ってたかって「譲位は憲法に規定がない」なんて、他人事だと思って平気な顔して言うのだから「コノヤロー、俺を誰だと思ってんだ、天皇だぞ!」って、内心怒ってるんじゃないかって、私は想像するのである。天皇って、自分の進退をも自由にならない、そんなに力がないんだと可哀想になってくる。彼は何のために頑張っているのか。

国民は、天皇は日本人の道徳的理想を体現した存在だと敬っている。天皇を見るにつけ、日本人は礼儀正しく慎ましく他人を気遣い謙虚に己の役割に全力を傾ける質実剛健で華美を戒める立派な民族だ、と誇りに感じるのではなかろうか。だが他人に自分の理想を求めて、その人が辞めたいと言っても辞めさせない民衆って、少し「横暴・傲慢」ではないだろうか。理想の人格って言ったって、それが職業になれば「演技し続けるのもしんどい」ってなる。かりに演技でもなんでも無いとしても、天皇には天皇の人生を「やりたいように生きる権利」があるのではないか。少なくとも「定年くらいは」あったほうが人権という観点からも妥当である。まあ、定年になっても「もっとやれる」というんなら延長できる、というのがフレキシブルな規則というものである。だから天皇の名称はそのままにして伊勢神宮の大祭司にでもなれば、彼としても「我が意を得たり」って感じで最高なんだろうね。

5 憲法の男女平等条項はどうなっているか良く知らないけど、セクハラの事もあり見直した方が良くない?

男と女は平等である、っていうのは昭和の話で、今ではLGBTも市民権を得た「れっきとした性」である。そこで現代に合うように条文を変えて、「個人は年齢・性別・民族・宗教などその他の属性によって差別してはならない」なんていうのはどうだろうか。将来は個人にとっては「国さえも」意識の上では区別がない(物理的にはあるが、EUのように余り意味をなさないところもある)わけであるから、もはや何国人であるかも必要ない時代がやって来る。その時はもう憲法といっても「日本国憲法ではなく地球憲法」かなんかになってるかも知れないし、当然「全世界が平等である」となっていて、自国民を他国民より優遇する政策など、取ろうとしても取ることができない状態になっているわけだ。結局残るのは「名前と身長・体重と年齢」くらい。もしかしたらアンドロイドの生産が始まっていて、人間の100倍くらいの数が世の中に出回ってるだろうから、区別するためにパスポートに「人類」とか書かれる時代になっていたりして。

それはちょっと未来過ぎる話だとしても、考えてみれば今の憲法は「日本国民を対象にした憲法」である。そこでこれから作る憲法は時代の一歩先を行って、「日本国民の字をなくし」てしまい、「人間個人個人のための憲法」にしたらどうだろう。勿論適用範囲は今のところ日本だけであるが、いつでも中国やイランまたはアイルランドやチリなど各国で使用できるように「世界仕様」で作っとくのである。日本の新憲法が「実は世界標準を考えて作られていた!」なんて、日本らしくて「凄いこと」だと思わない?

いろいろ考えてみると、憲法改正って「夢がある」よね。時代は国と国が戦って資源を取り合う時代ではなくなっている。つまり日本が仮に希少な原材料を海底から取って物作りに活かしたとすると、日本はその分潤うと思うだろうが実は、掘り出した企業や製造する企業の利益は「他国の株主がごっそり持っていく」なんてことになるわけである。で、その外国の株主は実はまた「よその国の人」だったりして、もう国なんてのは何処にいても同じなのだ。楽天が本社は税金の安い海外に移転していると聞いて、ちょっとガッカリしたが、amazonだって違いはない。企業は皆税金を節約したがるものなのだ。で、地元の本屋を大事にしようとは思うけど、「本」自体が衰退産業だからどうしようもない。こんな風に、いつの間にか時代の流れには我々は流されるしかないのである。であれば時代を先取りして他人を出し抜く以外には、生き抜く方法はないと言えるのだ。

そんな弱肉強食の世界で生きていく個人を支える憲法というには、70年前の憲法ではいかにも古過ぎる。しかし戦前回帰の天皇万歳・教育勅語万歳の安倍復古主義では「さらに一時代も古く」て、とてもお話にはならないのではなかろうか。いま憲法を新しく作り直すのであれば、それは「新しい人間観・新しい世界観」を作り出さなければ出来ないことである。森友・加計学園問題を嘘と誤魔化しでうやむやにして、選挙さえ勝てば「何やってもいいという国民そっちのけ」の国家主義的思想の政権与党では、憲法改正の資格は全くない。もしやるなら国民主導の具体的な議論があって後に、結論が煮詰まってから投票しても遅くはないのでは、と思う。テレビのニュースで中学生が「中国が軍備を増強しているのに、日本が憲法で遅れをとっては負けてしまう」と真顔で話していた。これは昭和の話ではない、つい昨日の事なのだ。時代は変わっても、人間の頭は古いままである。

6 日米安保と日米地位協定を破棄して主権を回復する

例えばアメリカ軍が日本の基地から戦闘で出撃する時に「NO」と言えるか、というと「言えない」のだという。韓国も同じくNOと言えないのだが、韓国はいま休戦状態であるから日本とは事情がちょっと違う。で、平常時に先程のような事が起こる国は「世界で日本だけ」なんだそうな。これはYAHOOニュースの現代ビジネス対談で「伊勢崎賢治氏」が語っていることである。この対談ではもっと色々なことが書いてあるが、日本の自衛隊という存在の「国際法上の異常さ」が理解されていない、と彼は強く訴えているのである。そして日米地位協定のことにも触れて、これを対等なものにすべきだと明言しておられる。そして対等な地位協定に改定するのに障害となっているのが他ならぬ「憲法9条2項」であると言う。

こういうプロフェッショナルな人の意見に耳を傾けずに、ただ戦争反対と叫ぶだけの護憲派がいるから問題が解決しないまま「危険な状態に自衛隊員を追いやっている」というのだ。国際法では軍事における事故・犯罪を裁くルールが定められており、各国もそれに従って法整備を整えているのだが、日本だけが「海外での軍事行動についての法律がない」と驚きの発言をしている。つまり自衛隊はもともと交戦権がないから、弾を撃つことはない、という論理なのだ。これがジブチという国で駐留している自衛隊における地位協定の中身である。事ほど左様に日本の考える憲法論議は実は海外の人から見れば「奇想天外」でしかない。憲法9条があるから安全保障のことなどは考えなくていい、という国民・護憲派のマインドを改める時が、とうとう来たのである。

例えば武力交戦権だが、アメリカが他国との交戦状態に入った場合、安保のせいで「国際法上は日本も自動的に交戦状態になる」と言うのである。詳しくはYAHOOの記事を読んでもらいたいが、我々の思う平和国家という認識とは「大きくかけ離れている」のが日本と日本憲法なのである。一度リアリスティックな眼で問題点を全部洗い出した上で、それを踏まえた憲法論議・自衛隊論議・日米安保論議を全国民がすべきじゃないだろうか。現実を見ないで平和平和と叫んでいる護憲派の人達は特に、今ある「自衛隊のありのまま」を見直すところから始めるべきである。そして結論として、自衛隊は「警察に統合されるのが良い」と私は提案する。国際紛争に一切関わらないというのではなく、最初から最後まで「外交」で全てを粘り強く交渉していく、これが21世紀の平和国家の在り方ではないだろうか。多少の経済的な損は「後から何とでも取り戻せる」ものである。

以上、憲法を考える上で参考になれば幸いである。

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