和翠塾ブログ

目黒都立大にある書道教室「和翠塾」のブログです。

グループで行うパフォーマンス書道について

2014-09-08 06:45:34 | 日記
前回のブログでも触れましたが、バンドの感覚が必要ではないでしょうか?

それをわかっている指導者はいるのでしょうか?

ただショーとして取り上げているだけだとしたらもったいないことです。

音楽流しながら書く必要あるのでしょうか?
本当に聞かせたいのは、髪の上を走る筆の音。
書家やパフォーマーの息遣いだとおもいます。

なぜその曲の歌詞を書くのでしょうか?
世界が限定されているのもが多すぎて、多くの人の心をうちません。

書道のリズムは四分の四だけではありません。
白玉の世界、全音符の世界です。

なんか文句ばっかり言っている感じになりましたが、グループで行う書家パフォーマンスに大きな可能性を感じるだけにイライラしているのです。

自称『ロック書道家』としてはとてもイラつくのです。

もちろん、自分自身にもイラついています。


ドラムを叩く時に意識すること

2014-09-08 06:04:55 | 日記
幾つかあるのですが、今回はそのうちの一つのお話しです。

歌ありのギター、ベースの入ったバンド編成のドラムの場合、それらとドラムの関係はそれぞれ、恋人であったり友人であったり夫婦や家族であったりと、良好な関係を維持しながら発展させようとする力がお互いに働き合うものです。

一言で言えば、尊重し合う関係です。

ところが演奏中にどうしてもその関係をぶち壊したくなる時があります。

自然にそうなるのが一番なのですが、そうならなそうな場合は意図的に自分自身に仕掛けて、その気持ちをつくることがあります。

つまり、アドリブやインプロビゼーションのきっかけを、演奏しているミュージシャンや音からではなく自ら作る行為です。

それに触発されてくれれば、そこからまたインプロビゼーションやアドリブも生まれてくるというものです。

ところが自分自身に対する触発のつもりでやっているうちにそのフレーズや持って行き方か気に入って、毎回同じことをやるようになると、それはもう完全に自分自身に対する予定調和な行為なわけです。

それを無くすためには、バンドメンバーの出すどんなに細かい音にでも、毎回違った演奏で反応する感性が必要です。

相手が出さなきゃこちらから仕掛ける。
仕掛けても出てこなければ、自身に向ける。

このループ状態をぶち壊したくなって出した音やプレイが気に入って、同じことをやってしまうと、それは予定調和の無間地獄にはまったことになるのです。

こんなつまらない演奏はありません。


書でも同じことが言えます。

気に入った線、とめ、はね、払い、形などにとらわれすぎてはいけないのです。

書はパフォーマンス書道でもない限り、一人の作業です。
バンドのように仲間の書を受けて、触発されることはありません。

全て自分の中にいる別な何かの認識から始まり、関係性の成長過程で変化することは、時として殺伐とすることも含めて受け入れなければなりません。

形式を大切にしながらも、その上に載っけているもので形式をもひっくり返すアバンギャルドさが必要なのです。

ま、それも結果論であり、第三者から見れば、と言うことです。

ギターを燃やす事を毎回求められ、それに応じ続ける行為が、いかに見せる事のプロとは言え、アーティストジミーヘンドリックスの精神を蝕んでいったことは想像に難くないところです。

良い悪いは書いた本人にしかわからない。
叩いたドラマーにしかわからない。
錦織圭にしかわからないものなのです。

そのわからなさこそが、目指す高みにある醍醐味の一つなのです。

レッツ!醍醐味!

さあ、月曜日の今日も元気に張り切って参りましょう!