和翠塾ブログ

目黒都立大にある書道教室「和翠塾」のブログです。

NHKスペシャルを見ました

2012-11-13 09:08:48 | 日記
中国をテーマにしたシリーズものです。
なぜ中国は数千年もの間、異なる文化を持つ部族が、戦い、離散を繰り返しながらも、大きくまとまって来たのか?というのがシリーズのテーマのようです。

第二回の今回は、その核心部分でもある、『漢字』についてでした。

中国で最初の文明は『夏(か)』からはじまりましたが、夏は文字を持たない都市国家(表現が正しくないかも)でした。

夏を滅ぼしたのが『殷(いん)』です。
この殷時代に文字が生まれるのです。
それが『甲骨文字』です。

殷の王は吉凶を占う為に亀の甲羅ら牛の骨に文字を刻み、そこに熱く焼いた棒をあててひびを入れ、そのひびの形で吉凶を占ったのです。

文字は神と人間の交信の道具としてスタートしたのです。

殷の王は、占った甲羅や骨にその結果も記載し、人目につかないようまとめて埋めていたのです。

近年それが見つかった時、一番の驚きは、数千年経った文字なのに、現代の漢字の知識でも読める文字が沢山あることにありました。
つまり数千年の間、色々な民族が中国を統治してきましたが、文字を変えることがなかったということなのです。

それはなぜでしょうか?

アルファベットやひらがなは発音を示す『表音文字』です。
つまり同じ言語を持つ者にしか使えません。
漢字は『表意文字』と言って、その漢字、例えば『北』という漢字なら、『ほく』『ポク』『きた』とどんなように発音してもよいのです。
『北』という文字が北半球にある地域なら、寒い方角を示せば読み方は自由なのです。
文化や言語の異なる日本でも、千年以上漢字が使われてきた理由はそこにあります。


殷は『周』によって滅ぼされました。
しかも一日で滅びたと言われています。

殷を滅ぼしたのは殷に敵対する多くの部族の集団です。
その集団の連絡手段として用いられたのも、甲骨文字でした。殷の中央から殷の王を敬う為の道具として、支配される地方へ伝わった占いは、甲骨文字という通信手段をも伝え、皮肉な事に殷を倒す重要な役割をはたしたのです。

多くの民族が集まった兵力は殷とほぼ互角の四十万人。
しかしその勢いの差は歴然で、殷の兵士は戦わず逃亡し、一日で瓦解したのです。

殷に代わって統治した周は、甲骨文字を利用しました。
青銅器の内側に文字を刻みこみました。
これが『金文』です。

内容は地方の部族に
『その土地の統治を保証するかわりに、税を納めよ』とか
『精鋭部隊を作り出兵せよ』という内容です。
つまり『表意文字』である甲骨文字は、異文化、異なる言語の壁を越えることのできる便利なツールとして、封建国家の成立に使われたのです。

既に一部では通信手段として使われていましたが、それが公の道具として使われたことにより、殷時代には神と人との交信に使われていた文字が、人と人との交信手段として使われる事になったのです。

しかし異なる文化の多種多様な物を表現するには、中央から伝えられた文字だけでは足りず、多くの文字が地方毎に沢山作られていったのです。

後年モンゴル族が中国大陸を支配したときも、モンゴルの文字に統一しようとしたのですが『表音文字』であったため断念し、『表意文字』である漢字を使うことが異なる文化を持つ多くの部族を支配するのに適していると記されています。


地方毎に重さや長さの単位もばらばらになっていき、文字も沢山創作されていきました。その統一は始皇帝の登場を待たねばならないのですが、昨日は周時代まででした。

異なる文化を持つ部族がまとまれる理由は『漢字』というツールがあったから、と言えるわけです。



いや~漢字って面白いですね!

杉山