いろは歌が刻まれていたと報道がありました。
土器といっても縄文や弥生時代のものではなく、平安後期とのことです。
写真ではいくつかの綺麗に均整のとれたひらがなを確認できました。
しかし何の目的で土器に刻まれたのでしょうか?
当時土器を造る場所にひらがなを操る女官が出入りしていたとは考えにくいですし、土器職人がひらがなを刻めたとも考えにくい。
しかもその用途がよくわかりません。
平安時代の土器といえば、表面に装飾なくつるっとしていて、なめらかな曲線の流麗なものを思い浮かびます。
ひらがな手習い用の見本として、板や皿状のものに和歌を刻んでいたのかもしれません。
あるいは点字の役目をはたしていたのかも。
板に好みの和歌を刻み、明かりを落としたあと、目を閉じて指でなぞりながらより深く想いを馳せる。
平安時代のイメージに合いそうですが、空想は広がるばかりです。
杉山
土器といっても縄文や弥生時代のものではなく、平安後期とのことです。
写真ではいくつかの綺麗に均整のとれたひらがなを確認できました。
しかし何の目的で土器に刻まれたのでしょうか?
当時土器を造る場所にひらがなを操る女官が出入りしていたとは考えにくいですし、土器職人がひらがなを刻めたとも考えにくい。
しかもその用途がよくわかりません。
平安時代の土器といえば、表面に装飾なくつるっとしていて、なめらかな曲線の流麗なものを思い浮かびます。
ひらがな手習い用の見本として、板や皿状のものに和歌を刻んでいたのかもしれません。
あるいは点字の役目をはたしていたのかも。
板に好みの和歌を刻み、明かりを落としたあと、目を閉じて指でなぞりながらより深く想いを馳せる。
平安時代のイメージに合いそうですが、空想は広がるばかりです。
杉山