absolute Ego dance for HDR

美しくて禍々しい世界、を
HDR写真で表現したいと目論んでいるのです。

今日の刹那⇒「シルヴィア」。

2005年02月21日 08時47分31秒 | film
あるBANDのヴォーカリストの発言で
強烈なインパクトを与えられた言葉があるんですが。
「言葉とは偉大なる発明だ。全ての人に異なるイメージを与えてくれるから」
…目から鱗どころの騒ぎではなく。完全な発想の逆転。言葉の持つ可能性を思い知らされ、瞬間、
僕の中で「言葉の使い方」の箍は完全に外れて自由の身になりました。つまり、それまでは
「言葉こそ異なる思想、思考、精神、民族をすら超えてその意思疎通の統一を可能にする
最大最高の魔法」であるかのように捉えていたものが一瞬にして崩壊しました。

確かに共通の言語を持たない民族が意思の疎通を図る時、言葉は最大の有効手段かもしれません。
が、「それだけで」言葉の役割を終わらすのはあまりにも惜しい…と言うかあまりにも
言葉の可能性を見くびっているかと。

今日観た映画、「シルヴィア」の中での会話⇒
「最高の詩は武器となる。玩具じゃない。凄まじい破壊力だ」
「だから学校で習わせるのね。勝手にいじると大変。うっかりソネットに引火したら?」

…詩は飛べます。夢を見させ、波に乗り、山を越えて湖に沈み、歓喜させ、絶望の淵を歩かせ、
創造と破壊を奏で、誕生と死を司り、神と悪魔の弦楽奏さえも。
あてにならない明日の幸福より欺瞞に満ちた政府の政策より
確実にリアルに心に響きます。すぐに。即効性です。それもイヤになるほどに。呆れるほどに。

「シルヴィア・プラス」。1932年アメリカ生まれ。
英語圏では知らない人はいないとさえ言われるくらいの詩人…だそうです。
だそうです…そう、この映画を知るまでその存在を知りませんでした。
気づいたら詩を書き始め、様々な雑誌でも取り上げられていた彼女は、ケンブリッジ大学で
「(彼の)詩に惚れ込んだ」テッド・ヒューズと出会い、4ヶ月で結婚。
詩が導き、詩が育み、詩が叶えた二人の結びつき。
始まりはそれこそが二人の全てだったのでしょう。
自分が信じるものが、信じる世界が相手にも存在し、それが互いに認め合える…
まさに至福の瞬間。

しかし…以降ネタバレになるので詳細は控えますが、
「妻」としての箍が外れたときからの、彼女の取り憑かれた様な創作力。
孤独の苦痛から逃避するかのように書き続ける詩と言葉。実際、
後に出版された詩集「エアリアル」の中の26篇の詩はその頃…1ヶ月ほどの間に
書かれているらしく。皮肉なものです。
今となっては知る由もないんですが、もしかしたら彼女は「詩人」である人生よりも
「女、妻」である人生を望んでいたのかも…しれません。

で…言っちゃえばこの映画、主演がグウィネス・パルトロウでなかったら
観に行ったかは微妙です。
「スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー」で見事彼女にやられた僕としては、
まぁグウィネスの新作として観てみようと思ったんですが…にしても良くある
「ファンの盲目的な思い込み」だとしても適役だったかと。
少女のような不安げな表情から、ヒューズとの新婚当初の喜びと自信に満ちた態度から、
後半の煙草を燻らせながら「愛人を持とうかと」の疲れ切った、でも色っぽい台詞まで
ホントに表情豊かで、繊細な,繊細過ぎたシルヴィア・プラスを見事に演じていたかと。

詩人の生涯を描いた映画において、詩そのものは実は脇役に回り、
一人の女性の儚さと力強さを美しく描いています。

「シルヴィア」オフィシャル・サイト

Now Listening : Missa Papae Marcelli; Missa Brevis / Palestrina