absolute Ego dance for HDR

美しくて禍々しい世界、を
HDR写真で表現したいと目論んでいるのです。

「宇宙戦争」にして「戦争」にあらず。

2005年07月28日 05時56分32秒 | film

人類が月にすら到達していない1953年公開・・・ともなれば、今作のオリジナル版になる
「宇宙戦争」では、明確に“火星人襲来”と銘打っている点は微笑ましくすらあるにしても、
さらに遡って、映画史に残る金字塔たる「市民ケーン」主演にして、
1938年当時23歳の新人俳優だったオーソン・ウェルズによる、
火星人襲来のラジオドラマで全米がパニックに陥った史実においては、当時の時代背景・・・
大恐慌の記憶はまだ生々しく、迫り来るナチズムへの恐怖感を思えば、
「人ごとではない」感すら漂わせている。

そして時代背景を現代に設定した”今回の”「宇宙戦争」ではダコタ・ファニング演じる
レイチェルはやはり「テロなの?!」と泣き叫ぶわけだ。

「宇宙戦争」・・・いや、これね、“戦争”じゃないし。全く。単なる「地球侵略」。
もぉね、どーしようもない。圧倒的に人間がやられまくるだけ。
あらゆる文明が破壊されまくるだけ。

週末のささやかな楽しみも息子とのキャッチボールの時間も娘とのお喋りも、
薄っぺらな博識も家族への愛情も侵略者へ立ち向かう勇気と誇りも残さず全てを奪って行く。

思うにね、個人的に思うに「スピルバーグ、よくぞここまでコアで極端な映画を撮ったな!」と。
良くも悪くも僕的にはこの無茶苦茶な行為に拍手を送りたいくらいで。

よく言われるのが、「シンドラーのリスト」辺りから、それまで自分の作品では、
わざと排除していた“ユダヤ人出身”を表に出し始めたって事。

80年代のスピルバーグ作品は、それこそ老若男女向けの超エンターテインメントそのものだった。
それが序々に「観客を選ぶ」作品に移行し、今回まさにそれを極めてしまった感がある。

はっきり言って「宇宙戦争」は極端に観客を選ぶ。糞でしかないとすら感じる人もいるだろう。
が、幸い?僕はスピルバーグがきっと狙った(妄想だけど)に違いない“一部の観客向け”の中に
含まれていたようで、その圧倒的過ぎる映像世界に涙さえ流してしまった。
とは言え、勿論感動の涙などでは無い。

えっと、何年か前に見た「エクソシスト」で発露したのだけど、どうも僕の中に
“人智を超越した存在”が描かれたもの・・・
(勿論それは人間の想像が作り出した物だと分かっているにしても)そしてその“何か”に
触れた時にどうしようも無く泣けてしまう感情がある事に気づいた。

「エクソシスト」然り、さらに「新世紀エヴァンゲリオン」 / 第拾六話「死に至る病、そして」での
アスカ・ラングレーのおののき・・・
「私たち、こんなのに乗ってるの!?」に至っては人ってこんなにも涙が出せるものなんだ・・・と
ある意味人体の驚異すら感じる程に、滝のように溢れる涙はまさに漫画の世界だった。

何だろ。喜怒哀楽のどれとも違う感情がもたらす涙。思うにあれは例えば
“マリアの石像が目から血を流した(ように見える)”のを見て涙する人達の感情に
近いのかもしれない・・・感情の種別としては。
ってだいぶ程度の差はあるけど。。。

「宇宙戦争」の“地球外の生命体”による完膚なき容赦なき圧倒的な壊滅行為。
しかも奴らは何の前触れもなしに突然やって来て突然に行為する。
当たり前だけど、何の説明もない。と言うか仕様がない。と言うかするまでもない。
見れば分かる。破壊と侵略である。それだけである。徹底している。

この時僕が感じた呆然自失振り・・・きっと大災害に遭遇した人達の感情って
こんな風なのかもしれない。終わりなき焦燥感。果てしない喪失感。

で、ここまでこの作品に入り込めたのって・・・いや、原因は分かっていて。
元々SF好きだったり、“X-ファイル”辺りが好きだったり、
自然災害に尋常じゃない恐れを持っていたりと。
きっとそんなのが重なった結果なんじゃないかと思う。

CMでは「今試される、愛と勇気」なんつって煽ってたけど、最早トム・クルーズでさえ脇役。
強引過ぎるエンディングも、あらゆる兵器すら歯が立たないなら寧ろ「あれしかないじゃん」と
有無を言わさず納得させる力技。

圧倒的に偏った、極端過ぎる作品を莫大な金をかけて監督の趣味丸出しで
やりたいように作ったら、これが僕の嗜好に面白いほどにハマったって言う、ある意味
(僕の中では)奇跡的な作品。

スピルバーグは「もう制作費が回収出来ないから大作は作らねーよ」って発言してたけど、
もういいよ。OK。これが最後だとしても大満足だから(笑)

BGM:交響曲第二番ハ短調「復活」 / マーラー

P.S もの凄い久しぶりにUPしました。実はこのところ某mixiばかりやっていて
怠惰を極めていました(つってもmixiの方には色々書いていたのですが)

久々にアクセスして、「アクセス数なぞ絶対に連日ゼロだろう」と思いきや、これが意外にも
そうでもなくて。ありがたい事です。感謝です。

で、ちょっとここいらで心機一転goo BLOGから引っ越しを考えています。
色々模索中ですが、その内ここに記載します。

基本的には今と変わらずアート系ネタ中心に、日記ぽく無い形で続けていくつもりです。
まぁ、そんなところです。


今日のニヤケ捲りスタイリッシュ・ホラー&アクション⇒CONSTANTINE。

2005年06月03日 22時46分51秒 | film
まぁ都合付かなかったりで、ようやく観た「Constantine」
以下ネタバレ満載故、ご注意を。。。

総体的には非常に大好物な世界観にして、この溢れる アイテム類の数々・・・
聖なるショットガンから 純金のメリケンサックから 地獄の聖書まで・・・に個人的には
ニヤケ捲りの、スタイリッシュ・ホラー&アクション。

信仰としてのキリスト教への思いはほぼ皆無に近い僕だけど、
学問、雑学としての対象となると一転興味深いものへと 変貌する。
言い換えればそれだけ魅力的な世界観、教義、歴史、思想・・・ それら「知りたくなる欲求」を
満たしてくれる要素に 満ち溢れているとも言える。

ストーリーはもう何回か観ないときっと全体を理解するのは 困難かと・・・だって
用語やら背景やらを(観ながら)その都度 詮索してたら、それこそ
楽しむ余裕すらないくらいに 次々と情報が溢れて来るし。
細かい所はDVDを買って観直してくれって?ってな
穿った発想すら抱いてしまったくらいで。
とか言いながら既に購入欲が沸々と沸いてはいるんだけど(笑)

良く言われるけど、キアヌ・リーブスが カッコ悪いのがイイ(笑)
いや、今までがカッコ良過ぎただけなんだけど。
15歳から一日30本の喫煙で実は末期の肺ガンにして一度は
(カソリックの教義では最も重罪である)自殺を試みた男・・・ なもんだから地獄への流刑の危機を
逃れるため、徘徊する 悪魔のハーフ・ブリードを地獄へ送り返す・・・せっせと(笑)
ん~この設定だけで既に堪らん☆

さらに堪らんのが鬼才デレク・ジャーマンの映画を 80年代から彩って来たそう!あの方、
ティルダ・スウィントン
この人から発せられる高潔にして同時に悲壮を感じるオーラが、僕は大好きで。
きっと世界一好きな40代(笑)。
スーツ姿のガブリエル・・・その発想と具現に萌えた。

ラスト、天国へ召されるジョン(コンスタンティン)の 腫瘍を取り除き、
人間界へ引き止めたサタンの執念などは確かに面白かったし、エンドクレジット後のシーンなど
明らかに「次」を匂わせているのも興味深いけど、惜しむらくは
あくまでスタイリッシュ&クールにこだわり過ぎたせいか「アツさ」や「盛り上がり」が
少々物足りなかった点かと。

まぁ派手にやれば良いってもんでもないけど、全体を通すと「盛り上がるエピソード」の
連結形になってしまっていた気が・・・する。いや、その手法が「向いている作品か否か?」って言う
話しではあるし、逆に、その手法だったからこそ印象深い作品になっていたとも言える。
まぁこの監督、フランシス・ローレンス。
何とこれが映画デヴュー作らしいんで、作風もどんどん 変化して行くかもしれない。

大満足には今一歩かもしれないけど、好きor嫌いで言えば
大好きな作品だった。

Now Listening :Vespertine / Bj?rk

今日のリヴァイヴァル⇒La Pianiste。

2005年05月29日 23時59分34秒 | film
さて。
今日はちょっと方向を変えて、以前mixiの日記に書いた感想を転載してみよう。
以下、ネタバレに溢れているのでご注意を。。。

・La Pianiste (2001) / ピアニスト オフィシャル・サイト

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
いやまぁ別にこんなところでカミング・アウトして明日から mixiでなり職場なりで
奇異なものを観る眼差しを浴びるリスクを 背負うこともないんだけど、まぁそれでも、
明らかに僕の意識は ワルターよりエリカに近い。
便宜上この言葉を使うけど「ノーマル」な彼よりは 「アブノーマル」な彼女に近い。

「望みのシチュエーション」を手紙に託し彼に読ませるも、 何のことはない。
「病気だ」と蔑まされる・・・そうか。 やっぱりあの内容は病気なのか・・・と
変に冷静に納得してみた(笑)

いや、具体的に「そう言う願望がある」ってことを 言いたいんではなくて
(別にあっても良いんだけど) この世で一番下らないことだと信じているのは
「何を持って普通と非普通(ヘンな言葉だ)の線引きを 設けるか?であり
何を持って美と醜を冠するのか?であり」 だと。
まぁ僕の中では。

でもエリカの「普通」はワルターにはそうではなかった。 単にそれだけのことなのだ。
が、逆に「それだけである」からこそ二人の意識の相違は 何の解決も生まなかった。
だってそれが二人の『普通』だったから。

自分を愛していると言うワルターに 「抑圧と制御」を浴びせるエリカ。
何て分かりやすい構図。
自分が母親にされて来たことを相手を変えて実践しているだけなのだ。

で、イキナリその構図を自分に当てはめてみよう。
まぁあまりにプライベートなネタでもあるし晒す勇気もないチキンなのは認めるけど、確かに
「それ」は存在していた。 程度は大したことないかも知れないけど、
手を換え品を換え、「それ」はあったのだ。

幸い「それ」から解放してくれる
音楽と言う名の手段に出会えたおかげで大事(?)に至らずに 今日まで生きて来たと言う訳・・・だ。

閑話休題。

相違する意識が歩み寄りを見せ始めるも、結局拒まれた彼女は (歪みきった形ではあるにしろ)
自分を溺愛してくれる母親に 殆ど襲いかかるように「ママ、愛してるわ」とキスを迫るのだ。
何なんだこれは。どんな愛情の形だ?。どんな屈折振りだ?。
でも、それでもエリカにとってはそれが、ママとその愛情が
「一番確かなもの」だったのか・・・。

あんなにも自分を愛していると言いながら、 受け入れなかった男には
消えてもらうしかなかった。 悔しいからナイフを用意した。

でも無理だった。そんな自分をまた傷つけた。
情けなくて涙が出た。

P.S イザベル・ユペールって「バルスーズ」に出てたのか・・・って
さっき思い出したけど、その監督って ベルトラン・ブリエじゃないか。
んで、ブリエと言えば「Merci la vie」じゃないか?!
ヤバい。忘れてた。これこそ僕の中でも屈指の傑作たる逸品。。。なのだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

監督のミヒャエル・ハネケは1942年生まれのドイツ人。哲学、心理学、演劇を学んだ経歴を持ち、
他には1997年に『ファニーゲーム』を監督。

ちなみに本作は 2001年のカンヌ映画祭にて、主演女優賞、主演男優賞、さらには
グランプリを獲得。三冠を達成している。

「これ」がグランプリを獲得する「カンヌ」ってやっぱカッコイイと思う☆
それに比べて「アカデミー」と来たら・・・(笑)

Now Listening : Vision Recreation Newsound / Boredoms

今日の映画コラボ⇒ジェイク・ギレンホール x D.フィンチャー。

2005年05月09日 02時26分38秒 | film

たまに「リバース・ムービー」とかってあるじゃないすか?
「Memento」は一回観ただけなんだけど、うーん途中でどっちが記憶なのか現実なのか
分からなく・・・それが狙いかもしれないんだけど、後味良いか?って言われたらNOで。
まぁ好きか嫌いか?にはYesなんですが。

これが「Donnie Darko」だとメチャメチャ面白くて。
まぁそちらの感想なりはまた機会を観てUpしたいんですが、その主人公、
ジェイク・ギレンホール。
何かね、(少なくとも映画の中では)憂鬱をダルさをやる気無さを絵に描いた様な、
嗚呼青春!から取り残された、ってか興味すらない、でも葛藤だけは伝わってきた、
スゴい雰囲気のある役者だなぁなんて思ってたんですが、「Day After Tomorrow」では
最初こそ先のドニーをそのまま引きずって「まだ病んでまーす」ってな勢いだったんですが、
後半に向けて何か一気に「脱ドニー」すべく「おっ!男だね!」ってな頼もしいヤツに変貌⇒まぁ
完全に僕の中の妄想でストーリー進んでますがね⇒と、一皮向けた印象なんですが。

ってことで彼の新作はデヴュー作⇒「ALIEN 3」こそ「あああっ、やっちゃったよ」ってな
ALIENファンに「シリーズ中一番つまらないのは?」にまぁ9割方賛同の大絶賛で迎えられる
悲しき結末だったにしろ、その後「SEVEN」「Fight Club」「The Game」と、今や
スタイリッシュ・サスペンス(勝手に命名)ムービーの代表監督に収まった感のある
デヴィッド・フィンチャーの作品へ出演ですよ。

タイトルは「ZODIAC/ゾディアック」⇒66年から78年にかけてサンフランシスコを恐怖に陥れた
実在の連続殺人犯。少なくとも37人を殺害し、「ダーティ・ハリー」(71)のサイコキラー
“スコルピオ”のモデルとしても知られている⇒とのこと。
んで、ギレンホールは「ZODIAC」の原作者であり、その本にも登場する
元サンフランシスコ・クロニクル紙の漫画家でもあるロバート・グレイスミス自身を
演じるんだとか。

本の原作者が映画に登場する・・・何か一筋縄では行かない予感も。これは期待です・・・
つってもまだ撮影すら8月からなんですがね(笑)


◇今日の予告編:STAR WARS ep.3

とにもかくにも、http://www.starwars.com/ へGO!です。
まぁ既にイヤと言う程観てる人もいるんでしょうが、ひとまず全米では19日に公開が迫った
「STAR WARS episode3/Revenge of The Sith」⇒その予告編が観れます。
アナキンと剣を交えるオビ・ワン。さらにダースベーダー誕生?の瞬間、
チューバッカも登場・・・と既にね、堪りません。

戦闘シーンだけ観てもやっぱりこれまで最高のカッコ良さと派手さの印象、さらにルーカス曰く
「善人達が次々死んで行く。非常に暗い内容だ」なんて言ってたのも読んだんですが。ふぅ。。。

7月公開が長いような短いような・・・嬉しいような悲しいような。
だってこれで遂に最後なワケなんで。うん。

Now Listening : milano / 竹村延和

今日の映画小ネタ⇒ガンダルフが現世でダ・ヴィンチ・コードに降臨。

2005年05月01日 23時56分10秒 | film

いまやそのキャストが新たに決まっただけで映画サイトではニュースになる
「ダ・ヴィンチ・コード」ですが、狙ったのか定かではないにしろ、思わずニヤリだったのが
小説版で登場のサー・リー・ティービング⇒まぁ所謂「Sir(サーの称号)を持つknightの爵位」
でもある宗教学者なんですが、演じるのは実生活の俳優として同じく「サーの称号」を持つ
ナイスなお爺ちゃん(笑)イアン・マッケランに決まったと。

やっぱこの人の最近の「あーぁ、あの人ね」は「The Lord of the Rings」でのガンダルフ…
とは言えあの中国の山奥からやって来た様な仙人(イメージ)の容姿格好雰囲気では伝わらない…
かもと、現世での彼と中つ国(Middle-earth)での姿を並べてみました⇒今日の写真。

ふむ…流石knight。66歳にしてこの肌ツヤと何やら色気も感じるこのニヤケ顔。さらにはこんな
「悲しいかなガキんちょにとっては“ガンダルフ”でしかない事実に直面したサー・マッケランの悲劇」
エピソードも。
対してガンダルフ…ってかまぁ比べるのもアホらしいか。仙人だし(笑)

何かイメージではサー・リー・ティービングはもっと恰幅の良いオヤジをイメージしてたんですが
…あぁ!今思い出したけど、杖を持つガンダルフと、同じく杖をついて歩いていたティービング。
まさか狙ったワケじゃあ…(笑)

続いてオプス・デイのアリンガローサ司教には「SPIDER-MAN 2」でドック・オクを演じた
アルフレッド・モリーナ…と。ほほう。何かね、ドック・オクって常に哀愁漂ってたんですよ。
僕の中では。イメージは。言うなれば泣いてないのに泣き顔…みたいな(笑)。
そう言う意味では「悲劇の科学者」にピッタリで何気に適役か?だったんですが、司教ですか…
観てみるまでこれはピンと来ないなぁ。うん。


☆と言うことで現在までの決定配役☆

ロバート・ラングドン:トム・ハンクス
ソフィー・ヌヴー:オドレイ・トトゥ
ベズ・ファーシュ:ジャン・レノ
サー・リー・ティービング:イアン・マッケラン
アリンガローサ司教:アルフレッド・モリーナ

監督はロン・ハワード:「アポロ13」他
2006年 6月公開予定。

やっぱ映画でも英語とフランス語が飛び交うのかなぁ…字幕をどうにかして
日本語だけにして欲しかったりするのねー。だって画面に2種類の字幕って…ウザいし(笑)

Now Listening : Union / YES

今日の“もう一つの宝探し”⇒「ナショナル・トレジャー」。

2005年04月15日 23時55分13秒 | film

まぁテンプル騎士団の財宝…なんて言えば否が応でも連鎖反応で
「ダ・ヴィンチ・コード」だけど、コチラは高尚なる崇高なる人類の叡智たる聖杯ならぬ
もっと分かりやすい“俗なる宝物”(笑)探しのストーリー。とは言え、
そこはディズニーもジェリー・ブラッカイマーも絡んだらまぁ少なくとも
「退屈極まりない結果」にはならないだろうとの
アクション・トレジャー・ハンティング・エンタテインメント。

インディアナ・ジョーンズよろしく鞭と帽子がハイテクとコンピュータにその様相を変えても
やっぱり単純に宝探しは面白くて。未知への好奇心たるもの、やっぱ僕的にも
生きて行く糧と動機の一つであって。まぁその宝探しの種類は違うけど。

テンプル騎士団が崩落の際に残した莫大な秘宝が1700年にアメリカに渡り、
今作ではシオン修道会から数百年を経て、やはりこちも“公然の秘密結社”たる
フリーメイソンが絡んでのお膳立て。秘宝の在処を示すヒントが
「アメリカ合衆国独立宣言書」の裏側に「見えない方法」で記されていたとの
大胆不敵でステキな発想からスタート。

ニコラス・ケイジ演じる歴史学者にして冒険家:ベンは北極圏で第一の手がかりたる
「シャーロット(号)」を発見するも、そのカギは独立宣言書に託されている事実を解読。
手を組んでいたイアン(ショーン・ビーン)達は「あん?だったら盗めば?」と
神をも恐れぬ発言でベンと対立…ってか邪魔者扱い…ってかやっぱり「殺っちまえ!」の勢い。
船内に閉じ込められたベン達は、積み荷の火薬が大爆発するも船底の宝隠し部屋へ逃げ込み
嗚呼助かった…と。

国に戻ったベンは
「まぁフツーに考えたらあの悪党達に独立宣言書が渡ったらロクなことないわな。あー!だったら
その前に俺が盗んじまえ!」と天をも恐れぬ犯罪者宣言。
まさかの「国立公文書館70周年パーティ」の同じ日に盗み合いが勃発。
学者にアタマでは勝てないから力ずくで奪取の企て
イアン率いる窃盗団vsベン&超ハッカーakaライリー。

数日前にベンが「宣言書が狙われているんだ!」と訴えるも
「(宝探しのカギの一つである)パイプは雪男に取られたの?」と鼻でせせら笑った
公文書館管理責任者の美貌の博士アビゲイル(ダイアン・クルーガー)が持っていたグラスから
指紋Get、認証して保管室へ向かうも時間切れで宣言書をケースごとパクってGo!。
が、途中イアン達とバッタリ鉢合わせで狙撃されるもケースの防弾ガラスでこれを防ぐと言う
なんたる運の良さ?。

この辺の奪取劇…まぁ俗に言うハイテク・ツールを使っての下準備やらアイデアやら
攻防やら実践やらはホントにニヤリの連続で陳腐な例えだけどやっぱ007チック
(ってかチャーリーズ・エンジェルズ?M: I?)で。
テンポよいスピード感と緊張感と披露される“高度な悪戯”が非常に心地よく
前半のハイライトに勝手に決定。

せっかく宣言書奪取に成功するもアビゲイルに警備員を呼ばれちゃったもんで
そのまま彼女に宣言書を手渡すものの、バツ悪く登場のイアン達にああぁ無謀にも彼女は
宣言書共々車に誘拐拉致。んが実は彼女の持っていたのはお土産のレプリカ品(35ドル♪)。
当然逆鱗に触れたイアンに殺られかけるもやっぱり「正義は強い」のハリウッド・スタイルに
忠実な展開でベンに救われる。その後三人は・・・。

と、まぁ僕にしては珍しく激しくネタバレな方向で書いてきたけど、こんなコトが可能なのも
良い意味で分かりやすいストーリーであるからこそで。多分ここまでで全編の1/3くらいかなぁ。
その後もなるほど納得の、いやまぁ“ドンデン返し”こそないものの老若男女が楽しめる
健全ストーリー。

現在撮影中の「ダ・ヴィンチ・コード」よりは何が何でも先に公開しなきゃ!との裏もありそう
(考え過ぎ?)…とまぁ憎まれ口の一つも残しつつ、万人が楽しめるエンタテインメントとしては
GOODですよ。うん。

Now Listening : First Circle / Pat Metheny Group

今日の未だ見えぬ何か⇒「カナリア」。

2005年04月12日 03時22分16秒 | film

何だろ。観終わった今でも全く考えがまとまらない。
結局僕は「カナリア」に何を求めてたんだろうか。何を期待していたのか?
この国を震撼させたあの事件の犠牲者たる子供達の行き場のない激烈な感情の発露に
同情と哀れみの涙を流す事が望みだったのか?事件を風化させてはいけないと言う
ありきたりの道徳観を再認識するために劇場に向かったのか?
その両方だったのかもしれない。
でも「カナリア」はそんな陳腐な発想とはかけ離れた所にあった。
高尚だとか言ってるんではなくて、ただ、単純に別のところに存在していた。
こんなにも考えさせられた、むしろまだ考えている作品は初めてかもしれない。

今後これから公開される地域もあるし、そのとき色んな意見や考えがきっとまた生まれるだろうから
しばらくはblogでも注目して行きたい。

このテーマに向かい合うことは、
「社会人として映画監督として試されているという緊張感があった。
事件に向かい合うやりかたとして、ふたつの道があった。ひとつは事件を総括する方法。
もうひとつは、こうもありえたかもしれない、というひとつの可能性を探り、
そこから見えてくることをフィクションとして構築することで現実と向かいあう方法。
『カナリア』は後者の映画だ」。

監督のこの発言を事前に読んでいたら、この映画への接し方はまた変わっていたかもしれない。
カルトとその周辺を中心に描かれるんだろうと言う勝手な先入観に
少女が大阪弁で土足で踏み込んで来た。しかもどうしようもない悲しみと一緒に。
「カナリア」はカルトが生んだ悲劇の子供(達)のみならず、
そこに加害者として対峙する大人達の立場をさらに際立たせるべく、
もう一人の悲劇のヒロインを描いていた。
(“ヒロイン”というのは他に表現が浮かばない自分への自嘲として使ってるけど)

少女が問う。痛々しいほどに。
「万引きが悪いって言うんなら、何の罪もない何十人の人を殺したあんたたちはどうなんや!?」
それはそのまま映画を観ている傍観者としての僕らへの問いかけでもあった。
あの事件の「加害者と被害者の違い」なんてもしかしたら本当に紙一重で。
ほんのふとした事で加害者側の立場にいたかもしれなくて。

単純に年齢から考えれば既に僕はあの事件に遭遇した者として「答えを出す側」にいる。
身勝手な大人の犠牲者になった子供達の、「昔あった事」として事件を知った子供達の、
さらにはこれから事件を知る子供達の「あれは何だったの?何故起きたの?」に
本来なら答えるべき側であるのに、未だに、もしかしたらこれからもずっと答えは
出せないままなのかもしれない。
でも、きっと「カナリア」はきっと答えを捜し続ける切っ掛けを
一つ与えてくれたのかも知れない。

少女が問う。
「あんた、これからどこ行くつもりや?」「東京に行って爺ちゃんから妹を取り返す」
似合わない言葉だけど、ロード・ムーヴィーの様相を持って
救いようの悲しみを背負ったまま二人の旅が続く。

少女が話す。
「おまえ(少女)のことは本当は生みたくなかったけど、もう手遅れで仕方なく生んだんや」
少年が話す。
「爺ちゃんは妹だけを引き取って自分と母親を見捨てた」
ここにも身勝手な大人の犠牲者が。

「ローレライ」の時にも少し書いたけど、
「観る上で自分の視点となるべく感情移入の対象がいないと映画に入り込めない」…
この二人は12歳にしては大人びた、醒めた視点も持っていてその意味では自分に近いかも
しれなかったんだけど、「数年をカルトで過ごした事実を持つ少年」には自分とはどう頑張っても
合わせられない意識と境遇と経験があるはずで。
その意味ではこの少女の境遇の方がむしろ自分に近かった気がする。
まぁ個人的なことも含めて。

後半、オムライスを食べながら笑顔をかわした二人をあまりにも無情に襲う悪夢。
ここからの展開はちょと言葉を失った。絶句だった。激烈だった。

最後に再び少女が問う。
「うちら、これからどうしてくの?」「生きてく」。
あまりにも普通だったかもしれないけど・・・結局、それしかないんだと思う。

まだ答えが見つからない。事件にもこの作品にも。
けど後者にはまた触れたい。味わいたい。

P.S 互いに引っぱたいた後にキスする咲樹と梢。
小突き合って突き飛ばして、でも手を握り合って逃げる光一と由希。
この演出がスゴく良かった。もはやエロティックだったのだ。うん。

Now Listening : Music For Mallet Instruments, Voices And Organ / Steve Reich

今日のアツい男達⇒「ローレライ」。

2005年04月07日 23時57分48秒 | film
取りあえず先月は忙し過ぎてあーぁ公開1ヶ月にしてようやく観た「ローレライ」。

いやまぁね、先に言っちゃうと今一番気になる香椎由宇
彼女が出ているからこそ観に行こうとなったもので、「パウラに始まりパウラに終わった…」で
ホントにそのまま終わったらどうしよう…と自分の中で危惧してたんですがあーぁ!
良い意味で裏切られました。マジで。いやこれね、アツいわ。うん。

「クリムゾン・タイド」あたりも未見なもんで「潜水艦映画」って正直ピンと来ないうえに
なーんか迸る「地味感」が否めなかったんですが、これは確かに舞台こそ潜水艦でありつつも
その背景はとんでもなく巨大な。
「三発目の原爆を、しかも東京へ投下」は史実の上でも言われてるけど、そんな現実と
「ローレライ・システム」って言う下手したらアニメ
(あっ、断っておくけど僕はアニメ好きですよ)になりかねない代物をギリギリのバランスで、
だけど最大限有効活用で表現していたのが個人的には感服もので。

原作者:福井晴敏氏曰く「第二次大戦のファンタジー化」をやりたかったと。うんうん。
そう言う括りで発想すればこそのディティールであり。
ナチスの人体改造計画の犠牲者パウラ⇒知覚能力を動物(イルカ辺り)並みまで増幅させたり、
実際の第二次大戦下では潜水艦同士が魚雷で攻撃&爆破なんてことはほぼ無く⇒まぁ映画の
「お約束」でそんな場面も登場だったり、はたまた東京への原爆投下を企てる(日本人の)大佐が
登場したり。その辺りの発想は個人的にかなりツボだった。

監督:樋口真嗣氏曰く「クリムゾン・タイド」を女性と観に行ったら、
自分は「男達のドラマ」にアツくなっているのに、女の人は
「話しが例え面白くても感情移入する上で誰の視点で見ていいのか分からなくなる」と
こぼしていたと。それが潜水艦に女性を乗せる必要性を感じた切っ掛けらしく。
なるほど確かにね、僕の周りでもSFやその周辺の映画好きな女性はあんま聞いた事なくて。

ところがblog読んでて面白い意見を見つけたんですが
「絹見艦長のような人が上司だったら嬉しいな☆」あーぁなるほど。そんな視点もありましたか。
この時点できっと監督の命題の一つだったと思われる「女性の心を掴む」は達成…ただし
「女性の役者によって」ではなかったんですが(笑)思うにね、やっぱり言葉の壁はデカくて、
絹見艦長が(当然だけど)日本語で祖国への思い、人としての道義、部下への思いやりを
アツく説いていたからこそ「上司にしたい像」が生まれたんだろうと。
分かりやすいアツさに感動出来たんだと。
あっ、別にこれは皮肉でも何でもなくて、単なる分析です(笑)

にしても、役所広司ってスクリーンで観たのは初めてだったけど、あーぁ確かに魅力的な人です。
命令がね、押し付けがましくないんですよ。毅然としていて厳しいことも言うんだけど、
どこか優しさがある。きっと役所さん本人の人柄と艦長のキャラがいい具合にマッチして、
理想の上司たる結果になったんじゃないかな。

…さて、実は他にもパウラの潜水服姿に超萌えたとか、あの包帯姿は綾波レイのパロディ…は
考え過ぎかな?とか、ローレライ・システムの造形がカッコ良過ぎたとか、
歌が一つのキーワードになってるみたいだけど「超時空要塞マクロス」よろしく歌で敵艦が
次々大破(爆)とかしないで良かったとか、映画プログラムの反乱兵役に富野由悠季(!)って
あるけどご本人かな?とか(劇場で観た限りでは気づかず)、小説と映画が同時進行で進むのって
何か日本の(マスな)文化芸術表現も熟してきた一つの結果かな(エラそうに)とか、
言いたい事がまだまだ溢れてて。

ん~そうやって今考えてみると細かいネタ、ディテール、発想なんかの一つ一つが
こだわりを持って丁寧に作られているからこそ、全体像を成した時に結果として
「面白い!」となる良い見本だったんだなと。

個人的にはずっと「日本映画なんてハナからダメ」だったのがここ2、3年くらいで何かようやく
「日本の映画が持つ日本なりのテイスト」を理解出来るようになったんですが、
ある意味それの対極の発想(スケールやエンタテインメント性の意味で)である、福井氏の言う
「なぜガンダム色を入れたかと言うと、日本映画がハリウッドに対抗出来る手段って
それしかなかったから」
「ついに日本でもこういう映画が作れるようになりました。ぜひご堪能ください」の思いは
十分に果たされていたのでは?。
また観たい…と十分に思わせるエンタテインメントだったし、単純に感動出来ます。うん。

さて、これから小説版の方も楽しみますよーぉ長いけど。


P.S では最後に憎まれ口をひとつ。個人的に柳○敏○がダメなんですよ。
もうね、生理的にダメ(笑)
何故彼は平成の湾岸署でも60年前の太平洋上でもやっぱり口をすぼめるのか?(笑)
あーっヤダヤダ。
で、同じくダメな、顔が笑ってるのに泣いてる織○裕○とタッグを組んだ「踊る~」シリーズは
悪い意味で最強なのでTV、映画含めて一度も観てないのです。ははっ。

もひとつ。ローレライ、世界公開が決定だそうで。
これだけ世界でジャパニメーションが受け入れられている事実を考えれば
「ある意味アニメ的発想」の今作もかなり受け入れられるのでは?期待です。

Now Listening : ブランデンブルグ協奏曲第6番 / Johann Sebastian Bach

今日のこれ観たい⇒「サマリア」。

2005年04月05日 06時22分08秒 | film

公開中。

新約聖書ヨハネ第四章に登場する、名もなきサマリア人の女性のこと。
罪の意識のために隠れるように生きてきたが、
イエスと出会い罪を意識することで
生まれ変わったように信心深く生きた人物。
聖書にはイエスの深遠な教えの受け取り手が、
世間的に蔑まれる女性であるという逆説がしばしば登場する。
オフィシャル・サイト "about samaria"より。


告白すると、最初に劇場で観た予告編…感じたのは白々しさと作為的なイメージと話題作りの為か?
のような…悪寒すら抱いたキーワード達。援交、少女の友情、罪の償い。
その時はまず観ることはないだろうな…などと思いつつ、思いつつも忘れてはいなかったようで、
ある日ふと観た雑誌の映画の広告ページ。
無垢を絵に描いた様な二人の少女の眼差しに釘付けになってしまった。
「サマリア…?。どっかで観たなぁ…この痛みを抱いて生きる?…あっ!思い出した」

オフィシャル・サイトを見て驚いた。表層だけのイメージで捉えていたこの映画が実は
非常な奥深さを秘めていた。三つの章を内包しそれぞれに印象的なタイトルが付けられる。
娼婦でありながら仏教を広めて回ったと言うインドの伝説的女性「パスミルダ」
聖書に登場するサマリアの女をモチーフにしたその名も「サマリア」
第三章(最終章)「ソナタ」

…何だろ。
ホントに分からないけど、そんな背景を知って興味を持ってサマリア女性のエピソードを読んで
改めてこの予告編を観たら涙が溢れた。

きっと何かが生まれて何かが発露して何かが融合したんだと思う。僕の中で。
突として逆転勝利。もの凄く観たい。今。

Now Listening : Six Unaccompanied Cello Suites (Plays by Yo-Yo Ma) / Johann Sebastian Bach

今日のヒロインかくあるべき⇒あずみ2。

2005年03月09日 23時57分17秒 | film
まぁ何だかんだ言っても強い美少女が好きなのです。僕は。いや、世の男達は。きっと。
「全部の男がそうじゃないだろ!」ってなツッ込みはひとまず無視して進めますが、えっと、
宣言しちゃうと普段の上戸彩には殆ど興味がないんですが。
放つオーラこそやはり天性のものを感じさせても、僕の波長とは合わないようで。

ところが時代が戦国へトリップし、刀を構え、豹変した表情で二百人を斬りまくった
「あずみ」で何故か僕の脳はスパークしたんですが。何なんでしょ。思うに、
上戸彩は「その世界」に融合してたんでしょうね。覚醒してたんでしょうね。
その世界で「生きて」いたんでしょうね。

「少女にして刺客」って言う、初っ端から抜群の発想の世界観で既に無言の勝利なんですが、
男達からしたら、やっぱこれは堪らないと思うんですよ。だってそれは「日常」ではないから。
刀を振るって鬼の形相で斬り、斬り、斬りまくるのが、しかも美少女だったらそれはやはり
日常ではなくて、きっと各々の「ヒロイン像かくあるべき姿」を
これほどまでに分かりやすくカッコ良く鮮烈に提示されたことに驚喜乱舞した輩が
ゴマンと発生したことは想像に難くないんですが。

「アクション物以外はウ○コ」との、逆に言えば「アクション物はグレイト」の評価を
有り難いんだか有り難くないんだか良く分からないまま頂戴している監督:北村龍平ですが、
今思うに「あずみ」は上戸&北村両者の意識が見事に結実してた結果だと思うんですよ。
有り得ないアングルでの被写体、馬鹿馬鹿しいほどの「二百人斬り」の発想とそれを
実現しちゃった事実、そして全てのアクションは笑っちゃうくらいにカッコ良く、
はたまたアニメのような如何わしさ満点の毒づきキャラ満載。
漫画の原作はそれこそ立ち読みくらいでしか触れていない僕ですが、
それでもきっと、漫画の世界観とはまるで違うんだろうなーと容易に想像がつく
「映画版なりの世界」ではあるんでしょうが。

2年を経て登場の「あずみ2」。
前作の「残るは真田昌幸」からイヤでも想像出来た続編ですが、
やはり「同じ感覚」は避けるべく、監督を「ガメラシリーズ」でお馴染み
金子修介にしたのは正解かと。

キャスト面では
「栗山千明の栗山千明ワールドにして全てをねじ伏せる栗山千明」⇒こずえ役…に既に個人的には
大絶賛で。それが観に行きたい理由のひとつでもあり。
今や「世界」に最も近い女優でもある彼女と上戸彩。豪華です。やっぱり。

予告編での「地獄へ堕ちると良いぃ」が極妻まんまの凄みで本当に殺されそうな高島礼子⇒空如役
(空如…名前が良いなぁ。空の如来?で良いの?)人妻から最強の忍びへ華麗なる?転身です。

「オイディプス王」「王女メディア」と言った悲劇の舞台でご活躍の平幹二郎⇒真田昌幸役。
ん~前作からの悪の?三人衆(伊武雅刀:浅野長政、竹中直人:加藤清正)から比べると
濃さがイマイチかとの印象ですが…まぁ勿論観るまでは分かりません。

…とパッと見、前作の方がイッちゃったキャラは多かったかも。オダギリジョーの美女丸なんて
最高だったしなぁ。んが、今回はアクションよりも人間ドラマとしての側面が強い印象もあり。
「Death or Love」ってのも臭わせるし、何よりも前作と同じ…ではあんま意味もない訳だし。

「あずみ」という名前は地名の安曇野から来ているらしいんですが、当初「あづみ」という案も
あったらしく。「死を積んでいくのだからあづみ」だと。しかし原作の小山ゆう氏が考え、
答えたのは、「どれだけ人を斬ったとしても、心は澄んでいるから、あずみ」…
そんな小ネタを知ってさらに作品への興味が沸き、制作者のその世界観への愛着を感じた
「あずみ」。

観て、浸りたいと思います。

☆あずみ2:オフィシャル・サイト

Now Listening : The 13th / The Cure