今夜は地蔵盆
この日あたりを変わり目に夏は去り、秋がやってくる
昼間は真夏と変わらないが、夜は格段に涼しい。
特筆すべき不快指数満点のお盆が終わり、灼熱の東京シティ熱帯から里に戻ると
夜は22℃ 湿度55%は最高に涼しく 心地よい
これでこそ 上忍の里だし、田舎のたのしみだ。
昼間の熱気が山あいから降る秋の冷気が寺の境内に流れこむころ
灯籠に灯りをともし、地蔵盆が始まる。
里に子供がわんさかいたころ地蔵盆は 子供たちのお盆だった
地獄や賽の河原で 幼く亡くなった子供たちを済度するのが「お地蔵さん」だからだ。
お地蔵さんは二重身で、実は あの世では地獄の閻魔大王さんなのだ。
この世では弥勒菩薩さんが、この地球に赴任するまでの代役で、リリーフの地蔵菩薩さんの姿である。
地蔵菩薩さんも閻魔大王も仏教大スターだ。
地蔵さんの良さは 街中にあって子どもからお年寄りまでに愛されている
風貌からか、赤ちゃん扱いで赤い前掛けまでしている。
「親しみ」に尽きる地蔵さん
去年までは子どものお盆らしく 子どもの姿があったが、この地蔵盆には子供がいない
まさに 過疎
秋風が 寂しさを更に感じさせる
仕込んだ花火や「地獄とお地蔵さん」の紙芝居も大人たちに向けてのものとなった
「何十年前には子どもだった皆さん、地蔵盆の今夜だけは子どもに戻って、紙芝居を花火を楽しんでください」とスピーチして、予定した地蔵盆メニューをDo-した。
午前中から仕込んで 花立てして 設えして 童心に返って 地蔵盆をおまつりした。
ぐったり、ぐったり、ぐったり
ただ、窓から吹き込む秋のそよ風は
疲れを
癒やして くれる
里の過疎も 秋の寂寥感も
ある意味 わるくない
しっかり、しみじみと味わって
あの世に持っていこう
お金や名声は持ってけなさそうだが
しみじみは持ってけそうだ
負け惜しみか?
おぉー
そいつも持っていこうか
元伊勢から二神山をのぞむ
「とこしへに
民やすかれと
いのるなる
わが世を まもれ
伊勢のおほかみ」
と 詠まれたのは明治天皇
先日ブログした通り 伊勢神宮近くの芦浜原発計画は人間の葛藤と闘争を経て、人間限を超えた。
伊勢のおほかみとは 伊勢皇大神宮であり、天照大神さまである。
とこしへに わが世をまもれ とは
天皇を象徴とする日本国家システムを見守って下さいとの願いで
民やすかれと とは日本国民と日本国の文化・歴史・気候風土をこよなく愛する住民全てに対しての 願いである
いのるなる と我々一般人は使用しない表現だが、現人神としては 常世の神々に通じる言葉遣い。
人間悪が人間限を超えた時、伊勢のおほかみは和魂(にぎみたま)の顔を捨て、荒魂(あらみたま)として 現世に衝撃を与える
それが昨年の3/11
巨大地震に超巨大津波。
超巨大津波による原子力発電所の破壊、メルトダウン、そして水素爆発による放射能の飛散。
人の都合と、強欲たちの悪徳から 人災が起き、人災を引き金に天罰たる「天災」が発災した。
伊勢のおほかみは
人間の小さな欲得、願望を叶える為に存在する神さまではない
とこしへに 民やすかれと願う天皇の願いをきくために在る「おほかみ・大神」である
とこしへを阻害する原子力発電所は
おほかみさまの意に そわなかったと言うことだ。
水素爆発して間もないころ、超能力者Kくんと被災地巡礼供養をした。
岩手から宮城、福島の原子力発電所事故現場まで
南相馬から事故現場に近づいた時 目に入った文字は
「原釜」
発電所設立の遥か前についた、その辺りの地名だが、まるで、「原子力の釜」=「原子力発電所」の設立と事故を予言したような土地名である。
放射能は無味無臭、何も感じないはウソだ。
原子力発電所にあと数キロとなった時、Kくんも拙僧も粘膜がチクチクと刺激を受けるのを感じた。
もちろんガイガーカウンターは鳴りっぱなし
アホで無謀な行為だが、放射能の怖さを粘膜で感じた。
人間は 五感を研ぎ澄ますと 人間に取って都合の良い感覚だけでなく 真に危険なモノに対する嗅覚や感触が蘇る。
核分裂は制御不可能である
制御できるのは
神さまだけである
かかる不条理を解き明かし、光明を授けれるのは
仏さまだけである
ほんとうに日本は
神仏のおわします
奇跡の国である
いのるなる
とこしへに 民やすかれと
伊勢のおほかみ
妖怪議員の権謀術数によって、永田町は溶解寸前。メルトダウン必至。
そのせいか
東京・永田町の外気温は38℃。路面温度はもっと高い。灼熱地獄。少し外にいたら、汗が噴き出し、滝のように首筋を伝う。クラクラしてきたので、日陰でブログ休憩。
「国家議員を志した時から 目指すのは総理大臣」とは、多くの国会議員の口癖。
経過の産物として、努力と忍耐の賜物として国務大臣就任。
それが、権力志向的 国会議員の成り上がり双六。
再政権交代を控えて、自民党内部が喧(かまびす)しい。
野田さんはサギフェスト!と罵声を浴びせられながら 良く頑張っている。
点数つけるなら70点。俳優的な小泉さんや橋下徹さんは演出が巧みでテレビ見た目は良いが、能力は功罪相半ばで、人気ほどには国家に貢献は出来てない。
橋下徹さんは大阪の改革に関して賛否両論あるが、拙僧的には90点を差し上げたい。しかし、国政はレベルもスケールも違う。
では、再政権交代の可能性が高い自民党においての総理大臣候補は如何な人物か?
総裁選に出そうな議員を評価してみる。
・石原さん→60点。親父さんとは違い、ソフトで柔軟だが、それは哲学や信念が無いのの裏返し。民主党の安住さん的存在で、総理は務まらない。
・安倍さん→70点 ぽんぽんだが、右よりで緊張高まる東アジア情勢では民主党より国民感情に近い
・谷垣さん→60点 良い人で真面目、一生懸命。残念な事に気が小さい。器量不足。
・町村さん→49点。頭が良くて、弁舌爽やか、言語明瞭。しかし、性格がワルい。日本全体がイジワルな国家になりそうでお薦め出来ない。
・(番外)公明党 山口さん→ 90点 公明党でなければ一番のお薦め代議士。ひとこと「賢い」。賢者である。発言もいちいち分かり易くて納得出来る。なんで公明党なんやろう?田舎くさい風貌も好感が持てる(本人はダンディーと思ってるだろうが)
・本命 石破さん→91点。 国会議員に本気と真剣さと清廉、実力を求めるなら この人しかいない。発言、行動共に信頼に足る。また、不穏な東アジア情勢に対応できるのは石破さん。
AKBが席巻するオタク国家の代表とも言える。
難点は「目つきが極端にワルい」。時々、見ていて背中がゾゾゾッとする。真剣になればなるほど目つきがコワく、怪談風になる。
以上が自民党総裁選に出馬しそうな代議士への拙僧的評価である。
付録として麻生さん、河野さんの両、太郎さんもノミネートされれば結構闘えるはずだ。漢字が読めなかったりするのを愛嬌ととるか、馬鹿ととるか?河野さんは傑出した才気があるが、変人にも映る。
どうだろうか?
民主党はサギフェストの責任を取り、下野して再起がはかれるかどうか?
でも、一番気をつけないとイケないのは
原子力行政をどうするのか?国民に対してウソつかずに 考えを真っ直ぐ伝えてくれる人物かどうか?
真っ青な空の下 皇居が見える
その向こうに見える入道雲は暗雲なのか?それとも 大気の吉兆なのか?
眈々とマナコを見開いて 総理鑑定してみたい
おめでとう!ありかとう!
Japan athlete
でも
知らなかった
~反対運動が功を奏して「原子力発電所」の国策計画が頓挫したことが一度だけあったこと~
数日前、夏場の避暑が取り柄の里でも寝苦しくて、夜中三時まで寝れなかった。
連日の不快な日々が続くなか、疲労が重なりアタマもココロもカラダもクタクタなんだが、湿気が多くて 不快で寝れなかった。
温度は27℃が境目で、湿度は60%代だと寝苦しいが、寝れないことはない。しかし、気温27℃を超えて、湿度70%以上だと寝れない。
その夜は室温28℃ 湿度75%
寝れなかった。不快不愉快の極み。
ので、NHKの深夜番組をボーっと観ていた
だが、ボーっと出来ない内容だった。
国策として、三重県にも原子力発電所に作る話し。その中身に釘付けになった。目が覚めた。
場所とコトは三重県・芦浜地区
大紀町、南伊勢町あたりだから「伊勢神宮」からほどないところだ。ここはポイント。
漁業を主に生計が成り立っているが、高度成長期のさなかでも人口減少が始まり 見計らったように、通産省(現・経済産業省)→国と電力会社→県→町→漁業組合と「巨額の補助金」による懐柔と、てなづけが始まった。
いわゆる「補助金漬け」攻勢。約束される補助金総額は数十億を下らない。
この魅力に勝てた地域や住民は 無い。
全国に林立した原子力発電所は言うまでもなく こうして成立した。
今をさること50年前から
そんななか唯一 国策・原子力発電所が成立しなかったのが三重県・芦浜地区原子力発電所計画だった。
頓挫したのは西暦2000年 、計画がスタートしたのは1963年だから 実に37年もの間 ずぅ~っとスッタモンダしていた訳だ。
官僚や国、電力会社は悪賢く、小狡いので、漁業関係者同士、地域住民同士の対立に持ち込み、仕上げていく。
その対立は次第にエスカレートして、対立軸は「国対地方」「電力会社対地域住民」から始まって、争いの半ばから「賛成住民対反対住民」の憎悪にすり替えられていく。
反対側の主婦による反対運動は苛烈で情熱的で、未来は女性が創るのだ!と言う情念どパワーが古びた映像からもビンビン伝わってくる。
同じ村人、漁民同士が だんだんと心底 憎み合うようになってくる。
どっちもが、「悪いのはあいつラだ!」と罵りあい、怒鳴りあい、殴り合う。
権力と金は
人の正気をどんどん奪って行った。
地域のコミュニティーは崩壊し、互いの冠婚葬祭さえも途絶した。
あるのは住民同士の対立だが、それは「欲望と希望」「憎悪と平穏」の対立でもある。
それは ある時沸騰点に達した。
警察を含めて2000人が入り乱れての大暴乱となった。
武器があれば、ソマリア状態にまでなっていたし、内戦にも発展したかも知れない。
如何せん、多勢に無勢の反対派住民は次々と病院に担ぎ込まれた。
前歯や顎を砕かれた患者も次々に歯医者に向かった。
暴力に訴えた戦いは頂点を超えて賛成派住民に流れは傾いた。
しかし、担ぎ込まれ、前歯を折られた反対派住民を治療した歯医者の「決意」が 根底の流れを変え始めた。
その歯医者は何があろうとその時までは「中立」を保っていた。
地方で、小さな集落や町で対立のどちらかにつけば 仕事は極端にやりづらくなる。
だが、
前歯を折られた反対派住民を見て
歯医者の中に何かが沸いてきた
「黙っちゃおれん!中立ではいられない!」
歯医者は決意した。
座り込みやデモや暴力に訴えるのではなく、地域住民の対立ではなく、地域問題としてではなく
国家中枢大神の「伊勢神宮」を戴く三重県全体の問題としてとらえ直して
「伊勢神宮は日本を代表する大神さまである。その大神さまを預かる三重県に 原子力発電所を作って良いのか?」
と、三重県住民全員のリーゾンデートルに訴えた
座り込みや暴力に注いでいた情念やパワーを「反対署名活動」に切り替え、歯医者は戦略参謀として反対派住民を指揮した。
大暴乱に負けて、座り込みしか無いと茫然自失となっていた反対派住民の女性有志は 署名活動の闘志に変身した。
「勇気」と「知恵」と「行動」は三重県住民の良識に訴え、県民の半数を遥かに超える81万もの反対署名を集めた。
法的には拘束力は無いが、県も電力会社も無視も反故にも出来ず、遂には北川三重県知事も中部電力社長も
芦浜地区原子力発電所建設を
「断念した」
ここに、国策・原子力行政初めての敗北が決まった。
2000年であった。
拙僧が、伊勢神宮大神から天啓を受けた年でもある
天啓とは「日本は緯度・経度ともに奇跡の位置にある。そこにある気候風土こそ日本の原点なり。原点を大事にするように導け」
その後の拙僧は闇雲一途に国政選挙に携わった。詳しくは今後のブログで書く。
反対派が勝利した2000年を機に計画は凍結された。
しかし、凍結は中止や廃止では無かった。
通商産業省は経済産業省と名前を変えたが、原子力行政のプランは変わることなく 熾火(おきび)のように強欲の炎を絶やさずにいた。
そして、やっと芦浜地区の賛成派住民と反対派住民の会話が戻ってきた頃を見計らって、2010年、経済産業省と中部電力は再び計画遂行に向けて動きだした。
37年間の間に疲弊仕切った人間関係。その後10年過疎は進み 地元住民には抵抗する気力は消え失せていた。
「もぅ、どうしょうもねぇ」
狡猾で悪賢く小狡い経済産業省と電力会社
再開調査が2011年2月15日に始まった。
「お伊勢さんがある三重県に原発は作らせない!」住民や県民の良識と良心で食い止めた芦浜地区原子力発電所が また動きだした。
もう、人間のチカラや気力では どうにも成らなかった。
神さまが本気で怒る時が来てしまった。
伊勢皇大神宮近くの原子力発電所再開は怒り、猛り狂うに充分な要件である。
そして、2011年3月11日
神さまは容赦しなかった
もう、書くまでもない。
実のところ、神さまの怒りは未だに続いている。知らないのは強欲に目が眩んだ者たちだ。
散々に神さまの怒りにあっても、やはり反省をしない、机上ばかりで繁栄を追う強欲たち。
ならば、神さまの鉄槌は
まだまだ 終わらない
日本国民の総意として「決断」をしないと取り返しのつかないコトがまっている。
果たして、国政選挙は国民の総意だろうか?
中国では反日デモが23都市で起こっている
日本では銀座で50万人がメダリストを祝った。
この祝賀ムードに紛れて虎視眈々と再開を狙っている原子力発電行政。
先ずはお祝い。それはそれでよし。
次は「原子力発電」に対する「決断」だ
拙僧を始めとして
「知らなかった!」では済まないコト
済まないコトをいろいろ勉強しよ
それにしても、凱旋パレード凄かったね
Japan athlete
でも
知らなかった
~反対運動が功を奏して「原子力発電所」の国策計画が頓挫したことが一度だけあったこと~
数日前、夏場の避暑が取り柄の里でも寝苦しくて、夜中三時まで寝れなかった。
連日の不快な日々が続くなか、疲労が重なりアタマもココロもカラダもクタクタなんだが、湿気が多くて 不快で寝れなかった。
温度は27℃が境目で、湿度は60%代だと寝苦しいが、寝れないことはない。しかし、気温27℃を超えて、湿度70%以上だと寝れない。
その夜は室温28℃ 湿度75%
寝れなかった。不快不愉快の極み。
ので、NHKの深夜番組をボーっと観ていた
だが、ボーっと出来ない内容だった。
国策として、三重県にも原子力発電所に作る話し。その中身に釘付けになった。目が覚めた。
場所とコトは三重県・芦浜地区
大紀町、南伊勢町あたりだから「伊勢神宮」からほどないところだ。ここはポイント。
漁業を主に生計が成り立っているが、高度成長期のさなかでも人口減少が始まり 見計らったように、通産省(現・経済産業省)→国と電力会社→県→町→漁業組合と「巨額の補助金」による懐柔と、てなづけが始まった。
いわゆる「補助金漬け」攻勢。約束される補助金総額は数十億を下らない。
この魅力に勝てた地域や住民は 無い。
全国に林立した原子力発電所は言うまでもなく こうして成立した。
今をさること50年前から
そんななか唯一 国策・原子力発電所が成立しなかったのが三重県・芦浜地区原子力発電所計画だった。
頓挫したのは西暦2000年 、計画がスタートしたのは1963年だから 実に37年もの間 ずぅ~っとスッタモンダしていた訳だ。
官僚や国、電力会社は悪賢く、小狡いので、漁業関係者同士、地域住民同士の対立に持ち込み、仕上げていく。
その対立は次第にエスカレートして、対立軸は「国対地方」「電力会社対地域住民」から始まって、争いの半ばから「賛成住民対反対住民」の憎悪にすり替えられていく。
反対側の主婦による反対運動は苛烈で情熱的で、未来は女性が創るのだ!と言う情念どパワーが古びた映像からもビンビン伝わってくる。
同じ村人、漁民同士が だんだんと心底 憎み合うようになってくる。
どっちもが、「悪いのはあいつラだ!」と罵りあい、怒鳴りあい、殴り合う。
権力と金は
人の正気をどんどん奪って行った。
地域のコミュニティーは崩壊し、互いの冠婚葬祭さえも途絶した。
あるのは住民同士の対立だが、それは「欲望と希望」「憎悪と平穏」の対立でもある。
それは ある時沸騰点に達した。
警察を含めて2000人が入り乱れての大暴乱となった。
武器があれば、ソマリア状態にまでなっていたし、内戦にも発展したかも知れない。
如何せん、多勢に無勢の反対派住民は次々と病院に担ぎ込まれた。
前歯や顎を砕かれた患者も次々に歯医者に向かった。
暴力に訴えた戦いは頂点を超えて賛成派住民に流れは傾いた。
しかし、担ぎ込まれ、前歯を折られた反対派住民を治療した歯医者の「決意」が 根底の流れを変え始めた。
その歯医者は何があろうとその時までは「中立」を保っていた。
地方で、小さな集落や町で対立のどちらかにつけば 仕事は極端にやりづらくなる。
だが、
前歯を折られた反対派住民を見て
歯医者の中に何かが沸いてきた
「黙っちゃおれん!中立ではいられない!」
歯医者は決意した。
座り込みやデモや暴力に訴えるのではなく、地域住民の対立ではなく、地域問題としてではなく
国家中枢大神の「伊勢神宮」を戴く三重県全体の問題としてとらえ直して
「伊勢神宮は日本を代表する大神さまである。その大神さまを預かる三重県に 原子力発電所を作って良いのか?」
と、三重県住民全員のリーゾンデートルに訴えた
座り込みや暴力に注いでいた情念やパワーを「反対署名活動」に切り替え、歯医者は戦略参謀として反対派住民を指揮した。
大暴乱に負けて、座り込みしか無いと茫然自失となっていた反対派住民の女性有志は 署名活動の闘志に変身した。
「勇気」と「知恵」と「行動」は三重県住民の良識に訴え、県民の半数を遥かに超える81万もの反対署名を集めた。
法的には拘束力は無いが、県も電力会社も無視も反故にも出来ず、遂には北川三重県知事も中部電力社長も
芦浜地区原子力発電所建設を
「断念した」
ここに、国策・原子力行政初めての敗北が決まった。
2000年であった。
拙僧が、伊勢神宮大神から天啓を受けた年でもある
天啓とは「日本は緯度・経度ともに奇跡の位置にある。そこにある気候風土こそ日本の原点なり。原点を大事にするように導け」
その後の拙僧は闇雲一途に国政選挙に携わった。詳しくは今後のブログで書く。
反対派が勝利した2000年を機に計画は凍結された。
しかし、凍結は中止や廃止では無かった。
通商産業省は経済産業省と名前を変えたが、原子力行政のプランは変わることなく 熾火(おきび)のように強欲の炎を絶やさずにいた。
そして、やっと芦浜地区の賛成派住民と反対派住民の会話が戻ってきた頃を見計らって、2010年、経済産業省と中部電力は再び計画遂行に向けて動きだした。
37年間の間に疲弊仕切った人間関係。その後10年過疎は進み 地元住民には抵抗する気力は消え失せていた。
「もぅ、どうしょうもねぇ」
狡猾で悪賢く小狡い経済産業省と電力会社
再開調査が2011年2月15日に始まった。
「お伊勢さんがある三重県に原発は作らせない!」住民や県民の良識と良心で食い止めた芦浜地区原子力発電所が また動きだした。
もう、人間のチカラや気力では どうにも成らなかった。
神さまが本気で怒る時が来てしまった。
伊勢皇大神宮近くの原子力発電所再開は怒り、猛り狂うに充分な要件である。
そして、2011年3月11日
神さまは容赦しなかった
もう、書くまでもない。
実のところ、神さまの怒りは未だに続いている。知らないのは強欲に目が眩んだ者たちだ。
散々に神さまの怒りにあっても、やはり反省をしない、机上ばかりで繁栄を追う強欲たち。
ならば、神さまの鉄槌は
まだまだ 終わらない
日本国民の総意として「決断」をしないと取り返しのつかないコトがまっている。
果たして、国政選挙は国民の総意だろうか?
中国では反日デモが23都市で起こっている
日本では銀座で50万人がメダリストを祝った。
この祝賀ムードに紛れて虎視眈々と再開を狙っている原子力発電行政。
先ずはお祝い。それはそれでよし。
次は「原子力発電」に対する「決断」だ
拙僧を始めとして
「知らなかった!」では済まないコト
済まないコトをいろいろ勉強しよ
それにしても、凱旋パレード凄かったね