みんなの僧

24で僧侶になり54で住職になるまで夢や悩みを聞き続けて30年。

楽しかったんだけどなー

2012-08-02 21:35:32 | 日記


我々は3次元に生きている。ありとあらゆるものが「時間」と言う一方通行で、普遍かつ時間法則性の中で生きている。


素粒子を最小単位とする「物質」に宿ることによって、素粒子の形生体は「物」と「者」になる。

この世に存在する万物全てが「時間」という法則と魔法によって移り変わらずにはいられない。


拙僧も 必ず近い将来、「チッ素」「燐酸」「カリウム」「その他」の元素に元素還りする。


してまた、それらの元素は再構築されて「アブ」になったり「カメ」になったりする。くすのきやキィウィかも知れない。このサイクルを「輪廻転生」と言う。


人間になる可能性は1/無量(無量分のいち)以下だ。だから、人間は自分も他人も最高に希少で、大切で大事である。数学的に見ても。


よく「私はマリーアントワネットの生まれ変わりですの」と言う人の「輪廻転生」は「輪廻転生」ではなく、ただの「勘違い」である


事実だとしたら、どんだけ落ちぶれてんねん!って突っ込みたくなるわホンマになんで、喧嘩の一回も勝ったことない男が織田信長の生まれ変わりやねん一回、そのまま戦場に送り込んだろか


しかし、問題は三次元がハッキリと三次元だけではなく、3.1次元、3.2次元、3.3次元があり、ややこしいのは2.9次元2.8次元も存在して、2.5次元~3.4次元を許容範囲として実存することである。


2.4次元になると物質で有りながら時間が閉じ込められた状態である。物理学的に天文学的には「暗黒物質」「ブラックホール」と言われている。


仏教的比喩では「地獄」「自極」で 完全に閉じこもって「苦しい」状態が未来永劫に続くことである。


3.5次元以上は四次元に分類されて 自由自在で 時間の法則性も無い。

「観自在菩薩」とは四次元と三次元を自由自在に往き来出来る存在である。


世間で「出世」すると言う評価があるが、小賢しく立ち回って立場を得ることではない。

それは強欲の果ての「成り上がり」

また、上手く立ち回って億万長者になることも出世と取り違えて言われるが それも違う


それは「成金」。自分と自分の欲望にすがりつく強欲の為の存在。


拙僧は成金にも成り上がりにも成れなかった「成れずもの」だが、成れるのに成らなかった人は「ならず者」と呼ばれて、Eaglesの名曲「デスペラード」になったりする。



では、では、「出世」とはなんぞや?


それは この次元、この時代、この時間において、自分と自分以外の為に、「手間(工夫・努力)」「ヒマ(達成するまでの時間)」「カネ(エネルギーの代替)」を惜しまず、結果「感動を循環」させることを 意味示す。


だから、矢沢永吉さんは正確に言うと「成り上がり」ではなく まさしく「出世」、この世に出でて功徳を成された人物なんである。


その出世ぶりを見て、その権威とお金だけが目に付く人たちは羨望と嫉妬を込めて「成り上がり」と呼ぶんである。


ちがう


まさしく「出世」


この三次元でハッキリと成功し功徳を積まれている。

成功の「功」とは他の人たちの為に力と工夫を怠らないことだ。

結果金持ちになることもアルだろうが、付加価値としての成果にしか過ぎない。

お経の中にも「釈迦出世本懐」とある


つまり「お釈迦さまはこの三次元に生まれられて、お釈迦さまが成すべきことを成されて、自他ともに本望である」ことである。


松本薫さんもイチローも内村選手も「出世の本懐」の結果として、記録や金メダルになるんである。


実力や才能が変わらないのに銀メダルや取れなかったりする選手は位相や次元が微妙にズレている。

0.01次元足りなかったり、0.01次元行き過ぎてたりする。


この次元、この時代、この期間、この時間、この循環にアジャストしないと 金メダルは取れない。


不可思議な ことだ


年齢が似通っていても、年が離れていても、おんなじ仕事に携わっていても、違う仕事をしていても


話が合う人と合わない人がいる。


位相や次元がズレていると同じ この世に生きていると言っても噛み合わないのはそのせいだ。



三次元の三次元たるポイントにアジャスト出来たひとは みんな「出世」である

努力してアジャストする人もいるが、プカプカと流れてアジャストする人もいる。

拙僧は努力しきるほど勤勉ではないし、かと言って、プカプカと身を任せるほどの器も馬鹿さにもかける。


悪い意味で 中途半端である。


「見方」の支点を変えれば 中庸とも言えるが、そんな達観や悟りの境地でも無い。


今日は朝から夕方6時まで、孫Tと真夏日を楽しんだ。


炎天下だが、爽やかな日照り、湿気も中国からの塵灰も無い。


9号、10号台風のおかげで、30年ほど前の真夏に近い。

孫Tと散策、神社参り、崖登り、川遊び、格闘ごっこ、黒板遊び、ポリタライで水遊びなどなどの夏休みを満喫した。


この世の 自然を満喫できるのも あと僅かだ、時間のある時には 堪能しておく。


世間からお呼びがかかって、天命を全う出来る その日がくるまで、


自然を出来るだけ見て
自然を出来るだけ味わっておく。


さっき孫Tと風呂に入って 二人とも遊び疲れたのか些細なことで マジケンカとなった


ふぇ


天命とか次元論の前に 孫マジケンカって 論外じゃんけ


「孫と遊びすぎたるは及ばざるが如し」


全然、次元関係ないす




ゲゲゲの鬼太郎列車に乗って

2012-08-02 09:51:21 | 日記

昨夕、今朝と猿組系・ニホン猿会里山支部、総勢30匹弱との抗争があった。緊張するが、野生を解き放てる瞬間である。装備品はパチンコ・スコップ・鉄パイプである。


大声をあげて、サルの威嚇に対して立ち向かう瞬間は まさしく



ワイルドだぜぇい( ̄ー ̄)


過疎の里では、同年代は村外に働きに行ってるので ご老人らの比率が高いから、拙僧が最前線に立つことが多い。



松本薫さんはオリンピックで、拙僧は寺周りで野生を発揮している。ちょっとした憂うつなら、サル軍団との戦いで すっかり何処かに消えてゆく。


会社や街中では、金を払わないと野生に戻れない。フィットネスクラブとか。 「自律神経」とか「自己免疫機能」って言うけど、結局「野生」のことだからね。



金銭や存在関係でしか成り立たない人間関係では 過度のストレスがたまる。

過度のストレスによって、その力が落ちるのは「自律神経」や「自己免疫機能」である。


キライな上司や気にくわない部下にサルを見立てて、大声で戦ったら 結構スッキリしまっせ!


みなさん、サル追い回しに来ませんか?


半端な「癒やし」より、確実に「自己免疫機能」は活性化して「自律神経」は正しく機能すること 間違い無い。


さて、一昨日 大阪からの帰り、名張行き準急は六両編成であるが、ご覧の通りガランガランである

六両編成中 乗客は2人。

もちろん、拙僧の乗る車両は「貸し切り」 状態。


ゲゲゲの鬼太郎に出てくる幽霊列車さながら


このまま異次元や妖怪の世界に連れて行かれては困るので、うつらうつらと仮眠はしない


かの「三本松駅」で下車


貸し切りは 恐ろしいとも言えるが、リッチな気分とも言える



世の中、一時が万事、捉え方と考え方次第である


仏教に似ている。


仏教は願い事を叶える 教えではない。客観的に見た真理から学ぶ「教え」である。

客観的な真理は「味方」でも「敵」でもない。


だから、普遍的真理を味方につけるコツがある。


「味方」を「見方」と読み替えることだ。


物事の見方が単一的だと 、欲求や夢や目的が結実しないと、気分が不幸せになる。


価値観の多様性や物事の見方の変幻性こそ


「しあわせ」の基本である。

では、しあわせとは何か?

脳内で起こる、不思議な物理現象である


よって、トレーニングによって 脳内物理現象さえコントロール出来る。


我々は朝から寝る瞬間まで、脳内物理現象を他人によって コントロールされている。


先ずは、この「洗脳」から
解き放たれないと 自分の脳内物理現象はコントロール出来ない。


「洗脳」からの具体的行動を「出家」と呼ぶ。


「出家者」が 自分の脳内物理現象をコントロールするプロセスの体得することを「修行」と言う。



そして、修行の完結形として「究極のしあわせの境地」を体得する。


それを「涅槃」=ニルバーナと表す。


あれ?話しが坊さんぽいな?


まっ、いいか!



あっ!列車が駅に着いたぞ


降りてみると拙僧ひとり、見渡すと そこは墓場だった……

つづく