色んなメダリストが誕生しているが、拙僧的にジーンとくるメダリストを表彰したい。
・純金メダル 背泳-入江陵介選手と重量あげ-
三宅宏実選手・プラチナメダル 松本薫選手・クリスタルメダル アーチェリー三人娘
もぅ、入江くんは可愛くて可愛くて。顔も可愛いぃが、魂が素晴らしい。スピーチも本心からのもので、涙を誘う。三宅選手の苦労と努力は誰しもが知っていて、それに応える感動メダルだった。二人ともアヒル口で可愛いぃ。
松本薫ちゃんは なりふり構わずの姿勢と顔つきが チャーミングでセクシー、素敵だ。
アーチェリー三人娘は 普通ではない技術レベルを普通に 楽しみ 戦っているので オリンピックの原点を思い起こさせてくれた。感謝。
さて、オリンピックでの体操の内村選手の活躍とサッカー女男の活躍を見ながら「仏教」のあり方と伝搬について 思うところがあり、ブログする。
仏教には「小乗仏教」と「大乗」がある。
日本の仏教は基本「大乗仏教的」だが、真言密教は「小乗仏教的」である。
修験道を極めたり、禅を高めたりするのも「小乗仏教的」である。
「小乗仏教」とは みんなの僧的解釈と新釈では、極度の精進と戒律を厳守する超忍耐、そしてそれらを完遂出来る超資質がなければ 到達出来ない宗教である。
オリンピックで言えば超人・内村航平選手以外は 認められない 仏教のあり方。誰しもが到達出来ないので、いきおい超人僧侶の功徳にあずかるという形になる。
拙僧含め、ほとんどの人たちが「体操」はしないし、出来ない。が、超人の技術ど美技には誰しもが感動し 力を与えられる。
くらべて、サッカーは誰しもが出きるスポーツであり、メッシやロナウドや香川選手ほどの超人的才能がなくても努力すれば代表にさえなれる。
そしてなにより「みんなでやる」 「みんなで勝つ」「みんなで楽しむ」のがポイント。
内村航平選手の感動は崇高なものに対する感動であり、サッカーでの勝利はみんなの感動になる。
小乗仏教は本人も含めて完遂出来る人が少ないので「小乗」(乗れる人が少ない船)
大乗仏教は本人たちを含めて、より多くの人たちが悟りに至るので「大乗」(乗って行く人たちが多い船)
サッカーは一人ではサッカー自体が出来ない。翻って体操は一人で出来る究極を追求する。
しかし、楽しむ人の数、楽しめる人の数は比較にならない。
どちらが素晴らしいかではない、どちらも凄くて素晴らしいが 楽しめる広さが違うだけだ。
しかしながら、仏教では大乗仏教が主流で、競技人口ではサッカーがダントツで世界一である。
ちなみに日本での競技人口は118万人でダントツ一位。第二位野球の59万人の倍にあたる。
アメリカンフットボールやBase Ballは世界ではマイナースポーツである。
野球は大好きだが、アメリカの洗脳的スポーツ利用は好きくない。
大乗仏教の中でも「浄土教」はよりサッカー的である。
サッカーがサッカーボール一つで始まり、楽しめるように、浄土教では「念仏」一つで「浄土に生まれる」ことが出来る
誰しもが出来て楽しめる
。
誰しもが念仏して 極楽浄土に行ける。
U2の「約束の地」ではないが、極楽浄土はみんなで行ってこその地である。
「倶会一処」 くえいっしょ
必ず 死に別れた人々と出逢える永遠の約束の次元、それが「極楽浄土」
必要なのは「念仏」ひとつ
あまりに簡単が故に だれもが信じがたいステップワープ「ナムアミダブツ」
拙僧が大好きな芥川龍之介も言っている「南無阿弥陀佛はズルい。ハコウマのように人を上げる」
次元ワープに必要で、たったひとつの「南無阿弥陀佛」
サッカーボールを見る度に思い起こし、日本女男代表が頑張る度に「みんなのスポーツ」やなーと感動する。
サッカー的仏教、「大乗仏教・浄土教」
拙僧は「念仏」をリフティングしてドリブルして、信者さんたちとパスしあって タイムアップまでプレイし続ける。ゴールは極楽往生。
ポゼッション率何パーセントかな?