みんなの僧

24で僧侶になり54で住職になるまで夢や悩みを聞き続けて30年。

凱旋パレード

2012-08-20 18:38:15 | 日記
おめでとう!ありかとう!

Japan athlete

でも

知らなかった

~反対運動が功を奏して「原子力発電所」の国策計画が頓挫したことが一度だけあったこと~

数日前、夏場の避暑が取り柄の里でも寝苦しくて、夜中三時まで寝れなかった。

連日の不快な日々が続くなか、疲労が重なりアタマもココロもカラダもクタクタなんだが、湿気が多くて 不快で寝れなかった。


温度は27℃が境目で、湿度は60%代だと寝苦しいが、寝れないことはない。しかし、気温27℃を超えて、湿度70%以上だと寝れない。

その夜は室温28℃ 湿度75%

寝れなかった。不快不愉快の極み。


ので、NHKの深夜番組をボーっと観ていた


だが、ボーっと出来ない内容だった。


国策として、三重県にも原子力発電所に作る話し。その中身に釘付けになった。目が覚めた。


場所とコトは三重県・芦浜地区


大紀町、南伊勢町あたりだから「伊勢神宮」からほどないところだ。ここはポイント。


漁業を主に生計が成り立っているが、高度成長期のさなかでも人口減少が始まり 見計らったように、通産省(現・経済産業省)→国と電力会社→県→町→漁業組合と「巨額の補助金」による懐柔と、てなづけが始まった。


いわゆる「補助金漬け」攻勢。約束される補助金総額は数十億を下らない。


この魅力に勝てた地域や住民は 無い。


全国に林立した原子力発電所は言うまでもなく こうして成立した。


今をさること50年前から

そんななか唯一 国策・原子力発電所が成立しなかったのが三重県・芦浜地区原子力発電所計画だった。


頓挫したのは西暦2000年 、計画がスタートしたのは1963年だから 実に37年もの間 ずぅ~っとスッタモンダしていた訳だ。


官僚や国、電力会社は悪賢く、小狡いので、漁業関係者同士、地域住民同士の対立に持ち込み、仕上げていく。

その対立は次第にエスカレートして、対立軸は「国対地方」「電力会社対地域住民」から始まって、争いの半ばから「賛成住民対反対住民」の憎悪にすり替えられていく。


反対側の主婦による反対運動は苛烈で情熱的で、未来は女性が創るのだ!と言う情念どパワーが古びた映像からもビンビン伝わってくる。

同じ村人、漁民同士が だんだんと心底 憎み合うようになってくる。


どっちもが、「悪いのはあいつラだ!」と罵りあい、怒鳴りあい、殴り合う。


権力と金は


人の正気をどんどん奪って行った。

地域のコミュニティーは崩壊し、互いの冠婚葬祭さえも途絶した。


あるのは住民同士の対立だが、それは「欲望と希望」「憎悪と平穏」の対立でもある。

それは ある時沸騰点に達した。

警察を含めて2000人が入り乱れての大暴乱となった。

武器があれば、ソマリア状態にまでなっていたし、内戦にも発展したかも知れない。

如何せん、多勢に無勢の反対派住民は次々と病院に担ぎ込まれた。

前歯や顎を砕かれた患者も次々に歯医者に向かった。

暴力に訴えた戦いは頂点を超えて賛成派住民に流れは傾いた。

しかし、担ぎ込まれ、前歯を折られた反対派住民を治療した歯医者の「決意」が 根底の流れを変え始めた。

その歯医者は何があろうとその時までは「中立」を保っていた。

地方で、小さな集落や町で対立のどちらかにつけば 仕事は極端にやりづらくなる。

だが、

前歯を折られた反対派住民を見て

歯医者の中に何かが沸いてきた

「黙っちゃおれん!中立ではいられない!」

歯医者は決意した。

座り込みやデモや暴力に訴えるのではなく、地域住民の対立ではなく、地域問題としてではなく

国家中枢大神の「伊勢神宮」を戴く三重県全体の問題としてとらえ直して

「伊勢神宮は日本を代表する大神さまである。その大神さまを預かる三重県に 原子力発電所を作って良いのか?」

と、三重県住民全員のリーゾンデートルに訴えた

座り込みや暴力に注いでいた情念やパワーを「反対署名活動」に切り替え、歯医者は戦略参謀として反対派住民を指揮した。

大暴乱に負けて、座り込みしか無いと茫然自失となっていた反対派住民の女性有志は 署名活動の闘志に変身した。

「勇気」と「知恵」と「行動」は三重県住民の良識に訴え、県民の半数を遥かに超える81万もの反対署名を集めた。
法的には拘束力は無いが、県も電力会社も無視も反故にも出来ず、遂には北川三重県知事も中部電力社長も
芦浜地区原子力発電所建設を

「断念した」

ここに、国策・原子力行政初めての敗北が決まった。
2000年であった。

拙僧が、伊勢神宮大神から天啓を受けた年でもある

天啓とは「日本は緯度・経度ともに奇跡の位置にある。そこにある気候風土こそ日本の原点なり。原点を大事にするように導け」

その後の拙僧は闇雲一途に国政選挙に携わった。詳しくは今後のブログで書く。

反対派が勝利した2000年を機に計画は凍結された。

しかし、凍結は中止や廃止では無かった。

通商産業省は経済産業省と名前を変えたが、原子力行政のプランは変わることなく 熾火(おきび)のように強欲の炎を絶やさずにいた。

そして、やっと芦浜地区の賛成派住民と反対派住民の会話が戻ってきた頃を見計らって、2010年、経済産業省と中部電力は再び計画遂行に向けて動きだした。

37年間の間に疲弊仕切った人間関係。その後10年過疎は進み 地元住民には抵抗する気力は消え失せていた。
「もぅ、どうしょうもねぇ」
狡猾で悪賢く小狡い経済産業省と電力会社

再開調査が2011年2月15日に始まった。

「お伊勢さんがある三重県に原発は作らせない!」住民や県民の良識と良心で食い止めた芦浜地区原子力発電所が また動きだした。
もう、人間のチカラや気力では どうにも成らなかった。

神さまが本気で怒る時が来てしまった。

伊勢皇大神宮近くの原子力発電所再開は怒り、猛り狂うに充分な要件である。

そして、2011年3月11日


神さまは容赦しなかった
もう、書くまでもない。

実のところ、神さまの怒りは未だに続いている。知らないのは強欲に目が眩んだ者たちだ。
散々に神さまの怒りにあっても、やはり反省をしない、机上ばかりで繁栄を追う強欲たち。
ならば、神さまの鉄槌は

まだまだ 終わらない

日本国民の総意として「決断」をしないと取り返しのつかないコトがまっている。
果たして、国政選挙は国民の総意だろうか?

中国では反日デモが23都市で起こっている

日本では銀座で50万人がメダリストを祝った。

この祝賀ムードに紛れて虎視眈々と再開を狙っている原子力発電行政。


先ずはお祝い。それはそれでよし。

次は「原子力発電」に対する「決断」だ

拙僧を始めとして

「知らなかった!」では済まないコト

済まないコトをいろいろ勉強しよ


それにしても、凱旋パレード凄かったね