フィールドワーク通信

広島を拠点にフィールドワーク。カンボジア、インドネシア、市民まちづくり

マニラの夜1220

2006-03-05 16:27:08 | フィリピン通信
 今日は、土曜日。土日をマニラに残したのは、ミスであった。図書館や公共施設が休みになるからである。本来図書館は土曜日には開いているはずなのだが、クリスマスだかなんだかで今日は休みだそうだ。疲れもたまってきたことだし、今日は基本的に休みにした。私は一人でインターネットカフェにいって、様々な人に様々なメールを送ってきた。なぜかものすごい達成感である。充実感に満ち溢れている。こうやって色々なかたちで色々な人々とコミュニケートすることを、この身体は求めていたんだなあと実感した。

 今日のPCは添付ファイルを開くことができなかった。JAVAか何かがうまく対応していないんだと思う。日本語の読み取りには対応しているので、このPCでつくった日本語文書を開いて、カットアンドペーストでメールの本文に移して送付した。このアジア通信は、研究室のHPのBBSに貼り付けた。これでやっとこの文章をオープンにすることができた。一安心である。

 それよりもなによりも、山陰中央新報の原稿を送れたことがうれしい。来年早々の連載2回分の文章を送ることができた。こちらから携帯にメールできるというのが、なかなかふしぎな感覚だ。マニラと広島がダイレクトにつながっているということだ。1時間ほどカフェにいたが、その間に携帯メールとのやりとりは実現しなかった。瞬時に送られるというわけではないのかもしれない。

 学生達は、イントラムロスに行くとかいって外出していった。今日は午後から本屋に行って資料をあさろう。それにしても民族芸能が見たいとかヨットハーバーに行きたいとか、さわがしい。マニラのまちの現実のほうがよっぽど楽しいと思うが、私だけだろうか。民族芸能といってもレストランとかでやっているアレである。素人が物見遊山で楽しむ分にはそれはそれでいいが、我々は調査に来ているわけで、遊びに来ているわけではない。まあ、その程度の意識ということか。それにしても、観光客用に用意された踊りに何を見出すのだろうか。所詮ニセモノである。例えば、ゲルニカのコピーが500円で売られたとして、それを買うのだろうか。ニセモノはニセモノ。似ていれば似ているほど、それは全く違うものなのである。それに、レストランで展示される民族芸能が、実際に集落や地域で生活と密着した中で演じられる芸能を衰退させることに一役買っているとは言えないだろうか。その踊りなら踊りだけを取り出して保存したとしても、それはかたちだけの保存であり、そういうものがあるということは伝わっても、それを取り巻く生活文化は伝わらない。

 今日はいくぶん時間があるので、これまでたまっているメモを見ながら、感じたことを整理してみよう。

 ドライバーの一件でもわかるように、基本的にこちらの人々はルーズである。言うことがその都度変わったり、あるといったものがなかったり、行くといったところに行かなかったりというのはしばしばである。日本の現状から見ると考えられないことである。とはいえ、日本の近年のストリクトさもなかなか異常である。どうでもいいことをぎゃーぎゃーわめきたてたり、商品の説明書きにはもしもの場合の対応を先回りした言葉が列挙されている。なんやかんやで落ち度をあげつらわれるのを嫌って、厳格な契約社会へと進みつつあるように思える。人と人との関係は杓子定規になりがちになる。それに比べ、ここはいい加減なので、関係もいい加減で、状況によって対応は様々に変わる。大切なのは、我々の社会の厳格さを押し付けるのではなく、このいい加減さの波の中を漂う術を身につけることだと思っている。

 そう。結局ドライバーとはバギオで出会えなかった。というより、寺本をビガンで下ろしたあと彼は消え、迎えにはいけないという連絡が入ったという。結局、彼の拘束日数は、2日間。ラ・ユニオンからボントック、ボントックからビガンである。2日間で、15000ペソである。かなりぼられてしまった。

 サガダでは、日暮れの後、食事の場所まで行くのに、手にした火をもとに歩いた。外灯のない世界である。みちを照らすのは、家々の明かりである。しかし我々にとってその明かりは十分でない。頼りにする明かりが必要である。我々のためにバナナの木の皮を利用してタイマツを用意してくれた。なんと暖かいことか。明るさで満ち足りた世界よりも、暗い中に暖かい明かりがともされる世界に落ち着きをおぼえる。光はすべてを明るくするよりも、暗い中にともる明かりのほうがいい。

 インドネシアのバドゥイ地方では、電気もガスもないため、夜になると、油に火をともし明かりをとった。ゆれる炎の光は、中心を明確にする。人々は炎の周りに集まり、語らう。

 我々の日本の家を思う。家はいくつもの部屋に別れ、各部屋ごとに明かりがある。家のすみずみまですべて夜でも明るくすることが可能である。我々は別々の部屋に分かれて別々の明かりのもとで、めいめいが思い思いのことをする。確かにそのエネルギー消費のシステムは、我々が望み、そして勝ち得たものであるが、そこで失ったものを大きいといわざるとえない。

 夜、10時半から飲みに出た。マニラの夜の繁華街、若者のにぎわう街マラテである。先日行ったバア、サイドバア・カフェに行った。相変わらずの混雑、相変わらずの活気であった。今夜は特に大音量で相手の声がまともに聞こえる状態ではなかった。2杯飲んで店を変えた。次の店はカフェ・ハバナ、値が少しはったので、ストリチナヤをちびちび3杯飲んだ。結局3時まで飲んだ。6時までと意気込んだが、空いている適当な店を見つけ出すことができず、あきらめて帰った。

 来年からはアジアを対象に卒業研究・卒業設計をするゼミとして売り出そうか、という提案をしてみた。いろいろ問題は想定されるが、一考に値する提案だと思っている。卒業設計の敷地が、フィリピンやインドネシアだったら結構ステキ!だと思う。日本で、卒業設計をアジアのフィールドでしている大学なんてないから、すこぶる画期的だ。毎年12名、12の成果が出るというのもなかなか魅力的だ。学生の人格形成にとっては、アジアとの出会いは貴重な経験になるはずだ。期待したいのは、共通にアジアを対象にすることによって、学生間で活発な議論が生じることである。いまやうちの研究室は、なんでもありの状態で、設計もすれば、再開発もやるし、子どももやれば、市民参加もあって、おまけにアジアまで行っていて、それぞれがてんでばらばらに活動している感がある。地域の課題を、計画・設計、ハードだけでなくソフトも含め、総体的に解決していく技術を開発するというのが、うちの研究室の基本であり、現在進行中のそれぞれのプロジェクトの中で、検討・試行されている技術が総合されることによって、目的が少しずつ達成されていくというイメージである。つまりすべての人間がすべてに関わることによって、それぞれがその統合を模索するというのが望ましいかたちだが、そうはなっていない。それが、アジアを対象とすれば、今までよりは求心力が出てくるのではないかと思うのである。課題はいくつか考えられるが、大きいのは、アジアに対象を絞ることによって、研究室全体の魅力が減じてしまうのではないかということである。日本もアジアであるが、アジアといったときにどうも日本はイメージされない。アジアは一つではなく、多様である。日本の文脈とフィリピンの文脈とでは異なるし、インドネシアとも異なる。異なる文化を対象にすることで、地面から立ち上がる、強度のある計画技術を思考したいと私は考えている。それはフィリピンだけに適用されるものでもなければ、インドネシアだけでもない、もっと普遍的なものである。しかし、一般には、異なる文化を対象にすることで、ある特定の文化にだけにしか適用されない技術を思考しているように受け取られがちである。いかにわかりやすく説明するかにかかっているとも言える。

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