フィールドワーク通信

広島を拠点にフィールドワーク。カンボジア、インドネシア、市民まちづくり

バリのヌガラ0827

2006-01-22 21:43:27 | インドネシア通信
 9時からクタで、PT BALI IDEのスンハジ氏と面会。入国審査の際にパスポートに挟み込まれる「じゃらんじゃらん」という情報誌を発行している会社である。不動産や家の購入に関する記述が掲載されていたので、電話して面会を申し込んだ。電話をした白石によると、相手は日本人ということだったので、目の前にインドネシア人が現れたときは多少戸惑った。昨年度アピアピに泊まったときに、夜酔っ払いながら話した話を思い出しながら、しゃべった。バリに建つ別荘の設計をしたいということが最終的な目的であるが、そのために現状を把握し、情報を流通させたいと思っているということを語った。数年前に土地の購入にかかわる法律が変わったため、安全に土地を入手できることになったことと、55歳以上であれば永住ビザが取得可能なので、日本人の別荘建設はありえない話ではないことを確認した。
現在は日本の企業と組んでバリで真珠の養殖をする会社を立ち上げたらしく、私たちが話をしている時も2階で日本から来た人たちと打ち合わせをしていたという。

 30日の朝9時から1日かけて、できるかぎりたくさんの別荘を見せてもらう約束をして別れた。

 早めの昼食を近くのスーパーマーケットでとり、午後はムンウィとタバナンに向かうことを決めた。この2つの都市はいずれも17世紀のバリの小王国で、都市構成について調査を行うのであれば、これらの小王国の中から選定すべきだし、その中でいろいろ考え、この2つを候補として挙げた。クルンクンは法政の陣内研がやっているし、ギャニャールは立命の山本直彦がやっているし、ヌガラは遠いし、デンパサールは規模が大きすぎるし、カランガセムは変形している。で、これまでに行ったことがなかったこともあり、ムンウィとタバナンに行くことにした。

 タバナンは、ギアツの「ヌガラ」でも取り上げられている都市であり、歴史的背景等に関する記述もあつく、研究対象としてはやりやすいのであるが、この都市は、県都でもあり、さまざまな公共施設が中心部に集中しており、かつての宅地割りあるいはかつての住居を広い範囲でみることは難しい。一方、オランダ統治期のものと思われるコロニアル建築が残っており、そういう意味では興味深い都市である。市場周辺には、店舗兼住宅が軒を連ねて並ぶいわゆるショップハウスが建ち並んでおり、これらもコロニアルの様式を感じさせる。

 「ヌガラ」でも取り上げられている王宮を訪れた。数日前に19代目の王が亡くなったばかりで、1ヶ月後に葬式を控え、準備が進められていた。バレのひとつには、遺体が安置されていた。まちの中心部からは少し外れたところにあり、またアプローチが一般のバリの王宮とは異なっていた。北東の一画から入り、南あるいは東へ向かう構成になっていた。

 ムンウィは、小さなまちで、中心に位置するマーケットが特徴的である。マーケットに車を停めてもらって、まちの中心部を一周した。路地の存在が興味深かった。都市を構成する街路とは別に、街区の中に分け入るための路地が一街区に数本存在する。この路地を調べてみると何か面白いことがわかるんじゃないかという感触を得た。

 今日の調査はこれで終わりだったが、帰りに再びタナロット寺院を訪れた。昨年と同じように高台に席を取り海を眺めながらビールを飲んだ。昨年は日が沈んでからの空の赤さが強烈な印象を与えてくれた。今年もそれを期待した。しかしなぜか今年は普通の夕日だった。雲が多かったせいかもしれない。初めてみる小林や瀬古に、これからこれからと言っていたが、これからはいっこうにやってくる気配はなく、実際やってこなかった。

最新の画像もっと見る