フィールドワーク通信

広島を拠点にフィールドワーク。カンボジア、インドネシア、市民まちづくり

ロンボク島バヤン村1230

2006-03-07 18:40:28 | インドネシア通信
 バヤン・ティモールの中心的な住区グブック・テンガの住居の現状を一つ一つ調べた。変化の特徴をいくつか指摘できる。一つは火を外に出すことである。イナン・バレをもつ伝統的住居では、入り口入って左奥にかまどを置くが、既に使われていないものもあった。ブルガや住居の隣、入り口の脇に調理スペースを作るケースがほとんどである。新しい家で、住居内にかまどをもつものは皆無である。就寝分離が進むのも特徴の一つである。ベッドルールが必要な数だけつくられるのである。伝統的住居が一室住居であることから考えると、間仕切壁が持ち込まれ、家が部屋によって構成されるようになるというのが変化の一つである。土から離れる、というのもある。とはいえこれは床レベルが上がることを意味しない。土からタイルへ、あるいは土からコンクリートへの変化である。土にそのまま座ることに対するストレスがあるが、タイルなら問題ないというセンスが醸成されていく。地床生活をベースにしているからであろうか。あとはブルガに関するものである。自らの世帯がブルガを所有することをやめても、家族での所有をやめることは少ない。儀礼の場として必要なブルガは最低1棟は一家族に必要なのである。
 ということを考えながら、火の場所というのは重要な視点なのではないかと思った。火をどのレベル(高さ)で使用するのか、火を中に持ち込むのか、ほかの場所にもっていくのか。火の場所を切り口にして、住居を分析すると面白いかもしれないと思った。

 人々の行動と床との関係について整理してみよう。
・コンクリートの床に座っていると、そんなところに座ってないで、ブルガへ座れと招かれた。
・ブルガでは、腰をかけるだけでなく、足を乗せ、あぐらをかいてご飯を食べる。
・イナン・バレをもつ住居では、地面か床にしゃがんでご飯を食べる。寝るときはベッドで寝る。
・床にタイルが貼られている新しい住居では、そこに直に座るか椅子に座る。寝るのはベッドである。
・室内に入るときには靴を脱ぐが、我々が室内を見せてもらう時には、気にせず靴を脱がず入れといわれるケースが多い。

 もともとやはり地床で生活していたんだと思う。地面に座ってご飯を食べ、地面に寝る。これは東南アジア一帯の住居が基本的に高床式住居であることを考えると、特異である。大陸部の一部と、島嶼部ではジャワ・バリ・マドゥラ・ロンボク一帯、あとブル島が地床式住居である。大陸部は中国の影響と言われるが、ジャワ・バリ一帯が地床式である理由はわかっていない。南インド、中国、イスラームなど様々な影響が言われている。しかし今回の調査でみたように、フィリピンのイフガオ族やサガダ族は地床式の生活様式である。これは穀倉の下に住むということである。インドネシアでこの形式が明快なのは、ロンボクのバヤンであり、ジャワもそう推察することができる。バリやマドゥラでは、穀倉の下に住むという形式を見ることができない。バリはどちらかというと、ヒンドゥー寺院の壁画に見られるような世界が、さらに洗練された形式と位置づけることはできないか。つまり床のレベル差は、ヒンドゥーの様々なカーストに対応したものであり、またレンガや土による重厚な壁もヒンドゥー寺院の構造から来たものではないか。いずれにしても、ここらへんの問題は、近いうちにきちんと整理したいと思う。

 しかし床の問題は、空間認識にもつながる重要な問題である。なぜ室内に入る時に、靴を脱がなくてもいいと言われることがあるのかが理解できない。それに甘えて、入るほうも入るほうなのだが、さらに問題なのは、靴を脱がずに入ることが当たり前だと考えてしまいがちになることである。我々にとって、同様に汚くても、それは我々の偏った価値観でしかない。彼らのとっては明確に内と外との区別はあり、その間に結界は確実に存在する。それを丁寧に見つけ出していくことが我々の仕事であり、我々の平坦な空間認識で、全体をべた塗りしてしまうようなことはあってはならない。

 バヤンではひさしぶりにマンディを体験した。インドネシアの風呂はマンディである。ホテル生活が続いたせいで、シャワーばかりで、土着のスタイルを体験できなかった。我々は、異なる文化を理解するためにやってきているわけであり、その理解のためにはできるだけそこに住んでいる人々と同じ生活を体験する必要がある。これは基本的スタンスである。遠巻きに外から眺めていたのでは、理解には程遠い。

 いま何気なく理解という言葉をつかったが、実は私は理解という言葉を信じていない。かつてあるところにその旨を書いたことがある。我々にできるのは交流でしかない。理解することなど不可能である。それは血縁者や同じ職場で毎日顔をあわしている人間や友人でさえ完全に理解することはできないことからも自明である。異文化ならなおさらへだたりは大きい。ただ我々は理解へ向けて努力することはできる。その意志は、理解できないという絶望感からしか湧いてでない、というのが私の意見である。安易に理解したつもりになったり、交流のみで満たされる感性からは、理解へは一歩も近づかない。

 マンディとは、水浴びのことである。村の生活の中では、お湯を浴びたり、お湯に浸かるという発想はない。川から採取する水をコンクリート製の水槽にためて、その水をバケツですくって浴びる。一日2回~3回浴びるのが一般的である。夕方ブルガでぼーっとしていると「マンディはすんだか?」としばしば聞かれる。お湯で身体を清めるという発想は寒冷地で生まれたものだと思う。熱帯のインドネシアでは、お湯をわざわざ使う必要はない。マンディをすることがかえって身体が冷えて気持ちいい。汗をかきにくくなるのである。環境にもやさしい。わざわざ二酸化炭素を排出してお湯を沸かすよりも、水のまま使うほうが環境にやさしいのは明らかである。

 そういった、生活に適合した知恵は他にも見られる。たとえば、冷たい飲み物を飲まないという習慣である。バヤンでは、なにかあるとお茶がでるが、これが常に熱い。10年前に訪れたときには、木の幹を切ってそこから抽出したお茶もみたが、ほとんどは葉っぱからの抽出である。熱い飲み物を飲む理由は単純にはものを冷却する技術をもたないということであるが、熱することで消毒をするというのが大きい理由であろう。

 ロンボクにはロンボクタイムズというフリーペーパーがある。月に2回の発行である。そこに興味深い記事が載っていた。「変わりつつある教育ツアー」というタイトルである。バリの爆破テロのあと、観光客が激減する中で、ロンボクの教育ツアーだけが参加者を増やしており、それを企画しているのがマタラムにあるPMIコンサルタントだという。地域コミュニティとの交流や地域開発のための調査が特徴としてあげられ、歴史的建造物や人類学、歴史、農業、宗教、芸術などの学習プログラムも含まれている。マタラム大学の様々な学科が専門的見地から協力しているという。驚くべきことに、掲載されている写真には、バヤンのモスクを背景に、スウェーデンの人類学者スベン・セデロス、マタラム大学の歴史学の教員、バヤンの村長たちが写っている写真がある。なんでこんなところにセデロスが、という驚きである。バヤンに関する唯一といっていい英語論文が彼の手によるもので、大学院生のころ読んだのを思い出す。このPMIフィールド・エクスカーションを企画しているのは、ルクレティア・プランLucretia Prangというドイツ生まれの女性で、彼女はインドネシアの様々な教育ツアーのコーディネーターを務めているという。この情報がもっと早くわかっていれば、マタラムで彼女に会うなどして情報を仕入れることができたのにと悔やんだ。まあ、今度の夏の課題にしよう。連絡先は、tel.0370-637580、fax.0370-37540、e-mail penmaju@indo.net.idである。

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