フィールドワーク通信

広島を拠点にフィールドワーク。カンボジア、インドネシア、市民まちづくり

アジア都市建築入門1227

2006-03-07 18:43:55 | インドネシア通信
 アジア都市建築入門という本があったらいいのにと思う。アジアを歩くときに、最低限これだけは身につけておけといえるような、知識やセンスが盛り込まれた本である。今回3週間の調査を組むに当たって、厚さ8cm程度の資料集を作成した。A4判で厚さが8cmとなるとかなりの重量で、持ち歩くだけで大変なのであるが、この内容がコンパクトにまとまっていればと思う。今回の資料集は、結局1冊でまとめきれずに、2冊になった。目次は、1.ヴァナキュラーな住居・集落、2.都市形成、3.土地区画整理、3.都市計画法、4.住宅都市政策、5.国際協力、6.インドネシア・フィリピンの文化等である。我々の関心を一通り集めたものである。

 今朝、今後の飛行機のチケットを取りに旅行代理店に行った。これがなかなか楽しい体験だった。なにも決まらないのである。最初にイエスと言ったことが、次にはノーになっていたり、最初に言った金額が、あとでは変わっていたり、確かなものが何もない。電話をかけるたびに飛行機運賃の値段が変わるさまを、冗談で、変動相場制だなあと形容した。

 ガルーダ航空でデンパサール・ジャカルタ間が65万ルピアといわれ、もっと安いのはないかと聞けば、スターエアが25万であるという。それで行こうと決断して、再度電話すると、値段が28万だか29万だかに跳ね上がっていて、夜の便でないとその値段にはならず、朝の便だと65万ルピアだという。再度アクセスすると38万ルピアに値段が跳ね上がったあげく、空席なしという。行きに40万ルピアで買ったバダビアエアを取りたいといえば、ジャカルタ・デンパサール間はあるが、デンパサール・ジャカルタ間はないという。そんなことがあるわけないと思いながら、そういわれたらどうすることもできなかった。

 本当と嘘とが入り混じりながら、交渉がつづけられる。そんなこと当たり前というふうに、ころころと言うことが変わっていく。その時その時の状況に合わせながら対応しないと、ついていけないような文化がインドネシアにはあるのである。我々の文化からいうと、なんといい加減な、という評価になるが、それが彼らにとっては笑ってすまされるような話なのである。おおらかといえばおおらかなのであり、状況に柔軟に対応するさまは、学ぶべき行動様式だと思った。

 昼からは葬式を見る予定である。王宮広場横の道路から、様々のかたちをした山車が練りだす。遺体自体はすでに焼かれており、焼かれるのは、牛や塔のかたちをした山車である。山車はものすごいスピードで王宮前の通りを東へ駆け抜けていった。墓地で、山車は燃やされたという。

 山車は、ウブドゥ中心の十字路で2回転して、プラ・ダレムへと向かった。十字路は重要なポイントであり、交差点・曲がり角のもつ重要な意味が認識されている。祇園祭の際に四条河原町の交差点で鉾が回転するさまを思い起こした。祇園祭の際は、ただ方向転換が儀式化しているだけであるが、もともとは十字路や曲がり角の場所のもつ重要性を強調するためのしかけと考えられる。今回の葬式は、ただ見ただけであるが、きちんと表記すれば、それは十分なモングラフィーになりえる。バリの研究はこれまで日本人によっても様々なかたちでやられているわけであるが、まだまだ調査の余地があることを実感した。同時にバリの奥深さを感じたわけであるが、わかったつもりにならず、一度バリを徹底的に調査する意味はあると思う。

 夕方には、ウブドゥのまちを歩きたおした。多くの日本人に出会った。今日であった日本人は、100人はくだらないと思う。チケットをとりにHISに行ったが、流暢な日本語をしゃべるスタッフが対応してくれた。すでにここは日本である。

 ウブドゥのまちは観光地として洗練されたと思う。今回時をみつけて、初めてインドネシアに訪れた1991年と今との比較を頭の中に描いていた。22歳の時の認識と34歳の認識との違いは確実にある。それぞれに現状を冷静に分析したものではないが、確実な変化を感じた。王宮から南へ向かう通り沿いには観光客相手の多くの店がならんでいた。かつてはこんな賑わいはなく、落ち着いたまちだったように記憶している。とはいえウブドゥは不便だという認識があって、今回がはじめてのウブドゥ在住であったのだが。

 客の相手の仕方も変わったように思う。商品をみていてもほとんど声をかけられることがない。かつては、店に入ると様々な商品を提示してきて、いくらで買うかいくらで買うかとしつこく聞いてきた。値段を少しでも言おうものならば、その値段を巡って金額の提示が始まって、それでもどうにもならないとわかると、最初にこちらが提示した値段で買い取れと迫られた記憶がある。この記憶はおそらくクタのものであり、クタではいまでもそんなことをやっているところがあるのかもしれない。

 バリ最後の夜である。マデ家のごちそうを食べた。アラックを飲んだ。日本人向けのバリ住宅の設計事務所をやったら儲かるという話で盛り上がった。このアピアピもそうであるが、バリに別荘をもつ日本人の話をしばしば聞く。いま建設中のマデさんのギャラリーが1億1700万ルピアという。日本円になおすと150万円程度である。日本に家を建てることを考えると驚くほどの安さである。手軽にバリに別荘がもてることを知れば、希望者は多いと思う。ただどうやって、だれに頼めば実現するかの情報が欠乏している。そこらへんの情報を提供しながら、マネジメント・設計をやってしまおうという話である。いつかマデさんと組んで大金持ちになろう。

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