●清水由貴子さんの自殺のニュースは、やっぱりショックでした。
人ごとではないぞ....と、思いました。
●みんな、「がんばり過ぎるな」と言うけれど、“ただのがんばり”と“がんばり過ぎ”の間に、印がついてる訳じゃない。
やらなくちゃいけないから、やる。........毎日、やる。........やり続ける。......当たり前だけど、疲れる。
疲れた時というのは、まま、思考回路の末端が、奈落の底に向かう瞬間がある。
悲しいけれど、はたから見ている限り、そこに見えるのは、ただの日常。.....気づかないし、気にもとめない。....嗚呼。
お疲れさまでした、由貴子さん。ご冥福をお祈り致します。
●さて、うちのおっ母さん、やっと先月あたりから、接骨院へ腰の治療に通い始めました。
それまでは、「どうせ治らないから、行かない!」と、ダダをこねておりました。
腰が痛いから歩けない。歩かないから、どんどん筋肉が落ちる。筋肉がなくなるから、患部はますます痛くなる。......今さら、気休めにしかならないかもしれませんが、気休めだろうと何だろうと、やらないでグダグダ言うよりは、まだまし。週3回は、デイサービス。間に3回、腰の治療。おっ母さん、大忙しです。(笑)
●同じく気休めの、「電動自転車こぎ」。これだって何にもしないよりかは、まし。『やりな!』(鬼娘)写真上↑
●接骨院の待合室に、小さな鯉のぼり、め~っけ!写真横→
清水由紀子さんのニュースはびっくりしました。
横にいたお母さんと言うのも更に悲しいです。
介護関係のクライアントが多いので、そういった単語なんかを入力する機会があるんですが、このあいだ
「こうれい・かいご」と打ったら
「恒例介護」と出ました。
恒例だし、やるべやるべ。と介護をするっていう感覚はいいかも。なんて思った…
....うん。なんか力が抜けて、良い.....ネ!
だいたい、介護っていう言葉の響き、チト重いし。
とにかく、家族だなんだってこだわらずに、近所の人が、よったたかってお年寄りを見てあげるような習慣があれば、一番良いと思うんだけどなあ。
キャラが明るくて、愚痴もこぼせなかったのかも?
小出しに発散できればよかったね。
自分もこの先、どうなるかわからないし、
介護される場合だってあるし。
ちょっとした一言で気分が変わる事もありますよね。
介護っていうと、やらなくちゃ!って力入りますよね。井戸端会議って必要かも?
これは本当に大変なことなんだと思います
介護に対する気持ちのありようは自分の体調にもよるし・・・
いつまでという期限もないし・・
先日母のところに行きたまには外にと眺めのいいところに行って食事をしましたがこのところかなりうつとぼけの症状が出てきています
ちょっとしたことで泣き顔になる母をみると切なくてやはりもう少し一緒にいてやりたいなと
思いました
だって、私は、まだ介護というほど大変な思いをしていないんですよ。母は、肉体的には、自立しておりますし。
とは言え、先行きのことを考えると、自分自身のことも含め、安穏とした気持ちではいられないのも事実....なんですよねえ。
★ナナママさん。
>>井戸端会議って必要かも?
それそれ。ちょっとしたムダ話。絶対必要ですよ。ちょっとみっともない話でも、恥ずかしい話でも、『みんなで暴露しちゃえば怖くない』的なノリで、普段からガス抜きをする訓練をしておかないと...。自分で言い出せないことを、さりげなく気遣って声をかけてくれる廻りの目を持っているかどうか、それも、大きいと思いますよ~。
井戸端会議、賛成!
★こきりこさん。
当たり前のことと思って、母と暮らしておりま~す。それに、まださほど大変な思いもしておりませんのでね。
うつと認知症は、リンクしてますねえ。
うちの母も、すぐに泣きますよ。電話をしながら、すぐに涙声になってる。あれ、困る。(笑)普段私がいじめてるみたいですもん。
大家族で、子供もいればボケはじめた年寄りもいて、とにかく側にいる者が、その時その時、面倒を見る。ほんとは、それが一番なのかもしれないなあ...と思います。家族がいなければ、しょっちゅう行き来してる、隣のおばちゃんが見る、..みたいなさ。
普通のことなんだもの。そこに年寄りがいるということは。