田舎暮らしの日々是好日

山羊とともにのんびりと農家生活をしながら日頃の憂さ晴らしをつぶやきます。

緑のガードレール

2017-12-25 03:53:38 | 日記


 
 ガードレールを木に変えられないだろうかと考えている。
交通の邪魔にならない
まっすぐに上に向かって
枝葉を張らない植物でなければならない。



適したのはフクギの並木だろうが
成長が遅い。

 成長が遅いから今から始めなければなお遅れてしまう。
それを繰り返すて来た。



 成長の早い木と遅い木を交互に植えておいて、
成長の早い木を適宜に剪定して、
成長の遅い木を育てる方法もあうので、
実験することにした。

数種類を試してみる場所を選んでみた。

美土里サークル活動で実施する。



排水路の法面にギンネムの木やカヤなどの雑草が生い茂って、
それを除去する仕事は年々増えてきた。
切れば切るほど密生して生えてくる負の連鎖を止める方法を試してみよう。

 この場所は私が林務を担当していた時にイヌマキを植えて防風林のモデルにしようと試みて
失敗した経験を活かして、再挑戦しようと思ってきた場所でもある。
樹種の選定を間違えたこともあるが、
土壌の条件があまりも悪かったことなど、
植栽後の管理が十分でなかったなどの私の取り組みがまずかったことが大きい。



 失敗を活かしたい。
今なら事業で費用が賄えるから。
海岸植生の復活の経験が生かせると思うと、
チャンスが来たと言える。
美土里サークルの活動の実績を上げたいと着手した。



この排水路は
与論島の唯一の河川であり、
百合が浜の海域に水が流れていく。
この川があった関係で、リーフのでき方が今のようになっていると思われる。
かけがえのない自然、
今のまま、あるいはいまよりましにして、子や孫に引き継いでいきたい。



 古里集落から 始めてみよう。
ガードレールを緑に置き換える仕組み作り。
観葉植物で緑化する沿道修景美化。



 
 

集落環境整備

2017-12-21 03:55:11 | 日記

  午前中は
 景観アドバイザーの観光案内と景観の指導を受けた。



 自分の活動場所も見てもらって
 無事に業務を済ませることができた。

 24日、日曜日の朝
 共同墓地の清掃の通知を依頼してたあと、
 自治公民館長と美土里サークル活動の代表者が別で活動したいと思って
 担当に前例を調べてもらった。




 独自の方法、
 新しいことを考えている。

 たまたま通りかかったら運よく、
 公民館で台風被害のあった倉庫の修理しているところであった。

 工事を依頼してあったのだが、
 キビ刈が始まったので年内にできるか心配していた。




 夕方の慰労会に顔をだしたあと、
 AAの会合に・・・・。




 魚心あれば  水心・・・、
 どんな意味だっただろうか、
 これから調べることにしたい。


 
 


 

 
 

地球環境基金助成の手引き

2017-12-13 02:24:03 | 日記
 NPO法人をを立ち上げてからちょうど、
11年が経過した。



小さなことでも10年続けたら、
何か形になると言われて、
つづけているのが
「ヨロンマラソン完走記念植樹」



植栽の場所を「与論港コースタルリゾート」を選んだ。
潮風と台風の被害で育たなかった樹々を見て、
私の手法で、外来種も使いながら、
海浜地での植栽の実験場にしたいと思っていた。



 保安林を担当していた頃に海浜地の緑化には関心を持っていたので、
自然植生を観察しながら、自分なりに試してきていた。
研修旅行や出張の際には、特に沖縄の先島に行ったときは
護岸工事の場所では工法やデザイン、
植栽の樹種については記憶にとどめることにした。



 県の違いで、
沖縄の真似はできない、補助率が違いすぎるだけでなく、
本土と奄美の格差があることが分かったが、
あまりそのことを口にしてこなかった。



 自分でいうに、はばかられるが、
海浜地における
植栽と工法については私なりに自信を持っている。
造園学を修めているので、
4年間学んだことを実地で試したらどうかと思われるだろうが、
役場勤務時代はなるべくその知識を」隠すことにした。
仕事が増えるだけだから・・・。
どうせ使い捨てられるだけ」 そうなった。
 やけくそで  辞めた。



最後の担当は申し出て環境係長にしてもらったので、
ゴミ処理計画をさくせいさせてもらったので貢献できたと思っている。
役場には未練はない。
沢山の研修をさせてもらったので 今がある。
感謝すべきだと思っている。
その恩返しと言っては
思い上がりだが ここの石垣を積みながら砂上の楼閣とわらわれないように
潮時の遊びを繰り返してきた。




 農業はもともと専門ではないので、
植木代わりに果樹を植えて剪定を楽しみながら、
海岸植生の実験をしてきたのが 今の私の植栽の手法に繋がっている。



 今年度
「地球環境基金助成金」を認めてもらい植栽工事を実施している。
はじめる事業」から「つづける事業」に継続してもらえるように申請中のため、
県の担当者と打ち合わせすることができ、
今日の船で隣の島に渡って、上司への挨拶と事業説目をさせてもらうことになった。



ここでの作業が成功すれば、
奄美大島での海岸植栽は今後、
このような工法が採用されるかもしれない。
樹種については自信がある。
保安林整備の樹種の参考にしてほしい。



 天皇陛下が来島して  奉迎ということば与論島で流行るように
キミガヨランのことを 奉迎ランとなずけて
海岸に植えて 
 君が世は  千代に八千代に さざれ石の 巌となりて
          苔のむすまで

   あー  めでたい  目出度い。



 浜の前線で砂嵐に耐えて 後背地を守る植物に頭を下げよう。

 みのるほどにこうべをたれる 稲穂かな・・・。

  身を低くすることが 最前線である。





笑う、輪、和 わ・はは・・・・。

2017-12-12 04:33:04 | 日記









 瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の
    われても末に  逢わんとぞ 思う


 逢みての のちのこころにくらぶれば  昔はものをおもわざりけり


 人生の甘辛を知ったものでなければ」  本当のパンの味はわからない。





 昨夜は
 郷土研究会の「沖縄研修旅行の報告会」があった。

 通夜のため一時間遅れの開催だったので、
 遅刻してあたふたしていったので、
 私には都合が良かったのだが、
 集落で開催していた園芸部会の勉強会に顔をだせなかったのが惜しまれる。



 この一年を振り返ると、
 多忙な中で、
 人の情けに助けられれ何とか行事をこなしてこれた。



 集落自治公民館の長として曲がりなりにもやってこれたことに
 感謝しつつ、
 それなりに成果もあげているように思っている。

 組織活動を軌道に乗せたら適任者を推薦して引継ぎしたいと考えているが、
 まだ半ばの気がしているので、
 あと一期、
 2年間を目標に来年度の計画を立ててみようと思う。



 リーダーの素質というのを考え考えて、やってきているが、
 引っ張っていくよりも、
 協力してもらって押し上げていく方法が成功するような気がしてきた。



 温和なほうがいい。

 和  輪を そして笑いがなんとなく出てくる集まりが  多数できる事。

 そんな  場の提供者になれたらいいな・・・。




 先日の
 民謡巡りのお客さんのもてなしに呼ばれて
 つくづくとそう思った。



 島づくり 興しは 島お越し  いらっしゃいませ  私の庭へ  家庭へ
 島家族  地球家族 人類皆兄妹仲良く 笑う。






  笑う門には  福来る  夢は叶う 叶えるもの。

 来年の下準備に  船に乗る。
 ぼん  親父!


開拓物語」 川畑谷長氏

2017-12-10 04:06:37 | 日記

  先週 自治公民館長連絡協議会の視察研修に、旧田代町、現錦江湾町にある盤山集落に行ってきた。
 最初に連れて行ってもらった時(17年前)のことが忘れられず、
 もう一度訪ねていきたいとおもっていたことが、
 図らずも、しかも現地に詳しいガイド付きで案内してもらい、
 関係者と交流できたことに感謝と感激ひとしおであった。



 親戚がおられることを知っていたが、
 こんな形で出会えるとは思っていなかった。
 紹介の挨拶で郷土研究会の元会長竹下先生のことが出た方にお話を伺ったら、


 何と、まさしくその方が表題のかたの息子さんだった。

 研修から島に帰った翌日、
 竹下先生から「開拓物語」が届けられてあった。
これを読んで言っていたら、」もっと話が弾んでいたかもしれないと思うとともに、
 いや
読んでなかった方が自然な形で接触できたであろうとも・・・・。



 私の中で「島を起こした苦労人(歴史の民)」
 蘇る人々」が次々と広がっていく。



 「渇しても盗泉の水は飲むな」の教訓の話は 私に中には刻み込まれていた。
こういう生き方は 今の政治の世界、国会でのやりとりを見ていると、笑われるかもしれないが、
 祖父からきつく言われて育った。



 りかにかんむりをたださず、かでんにくつをいれず」 しかし、
 私は 教えを外れた生き方をしてきた。



 祖父の教えに報いるために、これまでの穴埋めをしたいと思う。



 私が役場に入りたての頃、
 祖父は火葬場の必要性を感じていたらしく、
 火葬場建設の陳情書を書いていた。
 若い町長に直接持って行ってくれとのことだったが、
 私が握りつぶしてしまった。
 (たぶんどこかにしまい込んでいると思う。)
 建設場所が問題となって、発起から30年の年月をかけて建設された火葬場に私が係ることになったのも
 不思議な縁である。



  祖父が提案していた火葬場の場所が 私には納得がいかなかったので
 町長に見せることが恥ずかしかった。
 その場所は
 船倉海岸にあるピャンチク離れ島だった。



 大潮の時しか渡れない離れ島に どうして火葬場を選んだのか 気が違っているとしか思えなかった。

 今の私なら
 理解できるし、
 私の墓場にしたいくらいだから・・・・。




 祖父は 昔々に遡れば あの島は個人のものだったことを言いたかったのでは・・・、
 と いらぬことまで考えて調べてみた。
 むいこう」離れ島と名前がついている。
 親孝行の息子」という意味である。

  それで、
 私は火葬場の発想を転換し  御嶽にしたいと思い
 秘密基地を建設中である。



 ヤドカリと蝶の住める環境を育ててみたいと思う。

   課題は  水ありき。

 やっぱし  アミタぼーりと  天からの恵みをこい願うことだ。

  人事を尽くして 天命を待つ  頑張ろう  自分。

   やがて  道ができる。

 すへいりーべ ぼくのふね そーまがるしっぷす くらーくなく

   明るくなってきた。