田舎暮らしの日々是好日

山羊とともにのんびりと農家生活をしながら日頃の憂さ晴らしをつぶやきます。

風葬墓

2017-12-26 04:36:21 | 日記
静かな夜 深夜便を消して
与論島の風葬墓」 竹内 浩著(2017年12月)を読み終えた。
あとがきに、
なお、これいがいにも、フルバやヤバヤなどに該当する風葬墓が、
島内各地に数多く存在することが分かっていても、確認に至らなかったことが残念でならない。
としめて、別添として、位置図や写真が載せてある。
 風葬墓地調査報告書(財団法人観光資源保護財団・昭和47年)を元にして書かれたものである。
この報告書があることは知っていたが、手に入れることが出来なくて、
お酒の力を借りながら風葬跡を探し回って歩いていた。




呉屋先生が遺物調査(土器や磁器等)の資料として私に渡してくれたこの資料が、町立図書館にあったのを知っていたら
、もっと時間を有効に使えただろうにと思う反面、
知らないで探したのが良かったとも思えてくる。
 この報告書には、私が自分の先祖の墓にこだわった、クムンジョーの風葬墓の記録がない。
フルバやヤバヤに類する原始的な墓は疱瘡墓に利用されてもいるかもしれない。
となると、その手の墓も数か所確認しているので、記録しておく必要がある。



 近藤功行先生の「与論島における洗骨習俗の現状」と題した報告書から10年が過ぎた。

この聞き取り調査には感銘した。汗をふきふき足で稼いで回っていたのを思い出している。
私もやるなら、あんなにしたいと思って、怖いところはビールの泡の力も借りて分け入った。
クムンジョーにたどり着いたとき、お墓の一升瓶の残りを頂いたこともあった。
飲み残しておいたので、まだ残っているかを確認しに行ったが、空っぽだったので同じような人がいたのだろうか。
お墓の周りには青磁器など、時代考証になる土器もあるとのことで、R依存しての御嶽探しも無駄ではなくなっている。



 郷土研究会の発起人の一人として、与論郷土研究会会報 第二号「はじぴき」が発行できた喜は大きい。
研究発表したものを載せることになっていたが、私の発表は与論島の浜名(ハマナー)と遺跡」について、
Pポイントで写真主体に喋り散らしたので原稿にできなかった。 代わりに、ブログに乗せた「ショウロー祭り」を使ってもらった。
与論島に残っているショウローを調べた報告書を見たことがなかったので関心を持ってもらいたい。
シニグ祭りに繋がっていく先祖とのかかわりが重要になると思われる。
呉屋先生に教わりながら調査に加わっている遺跡の分布との関連性も出てきた。



 いよいよやってきた。
私の先祖のサークラは何処からやってきたのか、何時頃からなのか・・・、
ナイルの宝石の主人公は 案外  僕かもしれない。