田舎暮らしの日々是好日

山羊とともにのんびりと農家生活をしながら日頃の憂さ晴らしをつぶやきます。

新しい集落の形成とお墓の関係

2016-08-13 04:45:34 | 日記

 私の先祖のお墓を調べていると
 移住経路がわかってきた。



 系図からたどって初代盛窪の子供
 玉江窪が 岸元にある風葬墓であると祖父が記録している。

 現在の船倉に
 黒花から移動したのは昭和43年のことであった。



 船倉にある保安林のなかに区画整理された分譲お墓が造られた。
 そのときに黒花墓地から移動したのが
 私の家と川畑、田畑のうちの数件だったようだ。



 
 黒花の墓地はアジニツェー神社の氏子で占められている。
 移住者が増えてきて新しい墓地が必要になってきたと思われる。
 それで、
 私の祖父らが船倉の保安林内に新しい墓地を作ることを
 提案したのだろう。
 冲、山田、竹が発起人だと思われる。
 区長は杣野さんか?
 調べればわかることだが・・・。



 墓地の構成員は
 シニグ集団で分かれていることは
 これまでの研究であきらかなことなので書かないが、

 私の祖父がこの墓に移動するには
 訳がある。
 妻のシニグ集団に加わったのだ。
 墓地の区画の住居が隣り合わせになっている。



 今朝は
 時間がないので これぐらいにしよう。

 夜が明ける。

 お墓参りをすると心が落ち着く。
 今日も出かけよう。



 先祖崇拝が家訓。