田舎暮らしの日々是好日

山羊とともにのんびりと農家生活をしながら日頃の憂さ晴らしをつぶやきます。

マイホーム暮らしは山小屋みたい

2016-01-18 02:40:12 | 日記



 子供頃から広々とした屋敷で育った。
 江戸時代の末、
 曽祖父(盛窪)が足戸集落から移住してきて屋敷を構えたようである。
 与論島の移住経路とシニグ祭祀」について調べていたことが
 「与論島」~琉球の原風景が残る島~で紹介された。
 もともとは歴史や民俗学に興味を持っていたわけではなく、
 先祖のルーツを探していたことからアジンチェー神社の祭祀に関わる調査をしていた。



  そのことは
 さておいて・・。

 先祖は屋敷を構える(選ぶ)にあたって、
 風水の思想を活かしていると思える。
 最初に移住してきたのであるから
 いいところを選べたのは当たり前ではあるけれども
 海にも遠からず、田や畑も肥沃な土地を耕してひろげていけるところに位地している。
 そして、旧道(赤線)にも囲まれている。


 
 それで どうした・・・。
 その恩恵を授けた先祖に感謝し、
 家と屋敷を存続させて栄えさせていかなければならない責務を背負っている。
 家訓として
 先祖の名を汚さない
 酒色に溺れない
 子孫を繁栄させる

  祖父の箇条書きは20項目余りあるので止める。



 ところで、
 祖父の随筆によると
 「盛窪は人生は楽しむためにあると言って、本やレコードを山ほど持っている。
 家を潰す気でいるのでは・・・、と杞憂する云々」と書いてある。
 そういう本人は漢和辞典や辞書を愛読していた。
 テレビをみるより辞典をみたほうが楽しいと言っていた。
 堅物な人格であったので、
 あまり交際する人はいなかったようで
 区長を長らく務めたこと、
 若いときは戸籍や農会書記、
 今で言えば農業委員会だろうかの務めもしていたようである。



 曽祖父の盛窪(二代目)は
 集落の世話役、今で言えば議員だろうかそれとも区長みたいな役職か?
 師弟もいたようである。
 共同の黒糖工場もあったので
 もともと屋敷は広かった。
 ガジュマルが鬱蒼と茂っていて、
 島蜜柑の木がいっぱいあったと聞いた。
 森だったおかげで戦争中に火事で焼かれることもなかった。



 中学生の頃、
 茅葺の屋根をトタン屋根に葺き替えて
 幼稚園の頃に建て替えられたトーグラ(台所兼居間)と渡り廊下なしに
 繋がれた。
 渡り廊下だったスペースを利用して、
 叔母と子供部屋が出来た。
 昔は10名家族だったので
 食台も大きかった。



 小学生の低学年までは
 井戸端で水浴びをしていた。
 隣の家でドラム缶のお風呂が珍しくて入れてもらった想い出がある。
 低学年の頃はあかぎれの子供たちが多かったが
 母が洗濯ダライにお湯をいれて
 洗ってくれたのでおかげであかぎれはなくてすんだ。



 五右衛門風呂が普及し、
 台所の西側の竹藪のなかに今で言う露天風呂が作られた。
 叔母は農協に務めていたが年頃なので
 覗かれはしないかと祖母を見張りさせたと
 後々の笑い話になった。

 もーあしび(夜這い)の慣習が盛んな時代でした。

 隣の叔母さんはのぞきに来る青年をからかってた」と
 愛嬌があると もてたようだ。
 小学生の低年齢のころは叔母さんたちに一緒に遊んでもらい
 抱っこして昼寝してもらったりも・・・・。
 
 牛小屋は堆肥盤と呼ばれるコンクリートの壁囲いに
 トタン屋根が張られた当時は新しい牛小屋だった。

 黒糖小屋は石垣積みで、赤レンガの煙突のあとが残っていた。
 小さい頃妹を背負って牛追いをした記憶がある。
 車道(くるまどー)という
 サトウキビを搾るための鉄で出来た三連の車輪を牛に引かせるのである。
 手伝いと言うよりは、牛に引かれて遊んだのだろう。
 砂糖汁やガンザタという、
 出来たてのねばっこい黒砂糖がもらえるからだった。
 自分のところに黒糖工場(さたやー)がある役得だった。

 黒糖は中型の製糖工場に変わっていって、
 私の家は那間小学校の南側にある工場に運んだ。
 工場の近くの水溜りに白鳥を飼っていた。
 アヒルだったのだろう。
 今でもリアルに思い出せる。

   いやいや・・・、
 記憶と言うものは チェーンハート 
 鎖のようにに繋がって次々と思い出される不思議・・・。
 止めよう。

 小学校への通学路の高台から
 家の砂糖小屋の茅葺屋根が見えるところがある。
 北の方角にはおきのえらぶの島がみえる高台だが、
 そこには首の切れた山羊(馬とも・・・)の幽霊が
 昼間から出てくると言われ
 一人では怖い真夏の昼さがり・・・。

 またまた・・・、
 記憶よ静まれ。

  と言うことで、
 長くなったので続きは またあとで。

 風がひゅるひゅると泣いている。
 犬吠の太郎
 好きな本がここの部屋には持って来てない。
 長年手にしてきた詩集や趣味の本は身近においておきたいものだ。

 山小屋の雰囲気に浸りながら
 子供頃を思い出してみた。
 リダーズダイジェストというのを小学生の頃読んだ記憶がある。
 四こま漫画に女の裸が載っていた。
 黒砂糖小屋は稲わらの貯蔵場所になっていた。
 かくれんぼをして遊ぶ場所になった。

 それが高校生の頃カボチャの集出荷場に建て替えられた。
 その一室が私の勉強部屋になって、
 Uターンしたころの五年を経て、
 ウーフの部屋に改造、
 それをまたもや改築して
 息子の住処となっている。