その瞬間 ( トキ )
「 ヤバッ 」
・・・と発し、突然倒れたる倅
それは、其の日の仕事を終え、会社の同僚と共に、食事中での出来事であった。
愉しい時間に居たであらうに ( ・・・その瞬間までは )
救急車の中での呼びかけに対し、一度は頷いたそうな。
而し、それっきり意識が無くなったという。
倅にとっては、此が最後の 晩餐
薄暗いホールに倅の同僚三人が佇んでいた。
誰も皆、初対面ばかり
私等が駆け付けるまでの間、倅に付き添っていて呉れたのだ。
誰も皆、かんねんした表情をしていた。
彼等にとっても、真に青天の霹靂であったらう
辛い時間を過ごさせてしまった。
而し、奈落の底に落ちたは倅、
そして今 生死を彷徨っている。
倅は今、淀川の淵に佇んでいるのである。
三、主治医の説明
救急の処置室からMRI室へ
私等は案内され高層棟の無人の 2階ホールで待つことに為った。
まんじりともせず
『 今、一体何を如何しているというのか
何時になったら、手術にかかるのであらうか 』
・・そんな想いが、頭の中を駆け巡っている
窓外の景色が白けて来た
「 滔々夜が明けた 」
午前4時過ぎ
検査の結果を説明すると謂う。
主治医の説明は
肺炎をおこしている
此は、発生時の食物が気管に入ったことが直接の原因であるけれど、
肺が相当くもっているのは、喫煙の所為である
心臓も弱い、血液もドロドロの状態で、動脈硬化、年齢 ( 26才 ) のものではない
腎臓機能が弱っている
過去に大病の経験があるか、よっぽど生活習慣が悪いからのものであらう ・・と
病名は、
くも膜下出血、椎骨動脈解離、破裂性後下小脳動脈解離
症状は頭痛、意識障害、呼吸障害 ・・と
原因は、
特定する原因は判らない・・と
手術は、
脳動脈瘤コイル塞栓術を施す・・と
専門用語での説明を理解するは難解であった
要は
脳内の血管にできた大小二ケ所の動脈瘤が破れた故の
くも膜下出血 夫れも、最重度の症状
・・らしい
「 助かりますか 」 との問い掛けに
生存率は30% 程度と言う驚愕の応え
唯々、茫然とするのみであった。
手術は医師の登院を待って医局会議後直ちに施すと言う。
そんな悠長なことを
手術するまでに死んでしまおうが
兎にも角にも、
速くして呉れ
一刻も速く ・・・
吾々の、切々なる想いである
四、待つ身は辛い
医師からの説明後
2階エレベーターホールのベンチで妻と二人、再び待つ人となった。
互に話すこともなく、窓外の白けた景色を只茫然とながめている。
そんな景色なぞ、なんで目に入らうか
而し、状況に変化はない
夜が明けて、更に不安が募る
いつまでこんな状況がつづくのであらうか
午前6時頃、ようよう動きがあった。
手術は11時半頃から始まるとの知らせ
「 11時半!? 」
緊急の知らせがあった 1時半から 10時間も経過することになる
これまでの時間は なんだったのだ。
手術するまでに死んでしまうではないか
まさか、後になって 『 手遅れだった 』 ・・と、言うんじないだらうな。
而し、そんな吾々の想いを措いて、事は進んで行くのである。
あくまでも、吾々は待つ身なのだから
我家では安否を気遣っているだろう 娘 ( 妹 ) が孫娘と共に待っている。
本日
午前中 2時間程ではあるが欠かせない仕事がある
さらに午後からは、母親の大事もある (ダイジ)
選りに選って、こんな日に ・・・
此れだけ波乱万丈の巡り合わせが他にあるものか
母親の大事は親父と妹に任せても、仕事を他人に頼ることは出来ない
仕事を済ませて、11時半までには必ず戻ってくるからと
妻を一人残して、一度帰宅する事にしたのである。
偶々の偶々
午前 7時半頃、帰宅の直前
我家のベランダ前の小路で、自転車で出勤する久田氏と遭遇した。
大阪に引越して来た1963年以来、私を弟のように可愛がって呉れている人である。
その久田氏に、偶然の偶々、選りに依って、こんなときに遭おうとは・・・
此も縁と謂うものであらう
久田氏の顔を見た瞬間、これまでの気丈が緩んでしまった。
「 こんな早う、どないしたん 」
・・との、問いかけに、
感極まった私、まともに返答ができなかった。
私は、緩んだ気持ちから逃げるように、2階の我家に駆け上がったのである。
五、手術
予定通り、仕事を済ませ
淀屋橋から法円坂へと急いだ。
病院に戻ると、妻は安堵の表情を浮かべた。
独りぽっちで、さぞや心細かったのであらう ・・さもあらん
主治医はテレビに取上げられたこともある 敏腕のベテラン
偶々、当夜の宿直医だったのだ。
「 ついてますよ 」 ・・と、夜間係員 ( シバタさん) が言う。
こういう・・巡り合わせもある
手術は11時半頃に予定通り始まった。
そして、
塞栓コイル術で、施術時間は2時間から3時間とのこと
・
・・・
予定の時刻を過ぎても手術が終わらない
如何したものか・・・
不安ばかりが募る、
悪い事ばかりを考える
なんとも、待つ身は辛い
・・・
午後4時半、手術は終わった
身に着けていたものとして、
コンタクトレンズと奥歯の欠片、プラスチック製の小ビンケースに入れたものを手渡された。
長引いたのは小さい方も同時に施術したからだとのこと
而し、そんなことより なにより
手術が終って一番に聞きたい事は、
なんといっても
『 手術は成功して生命の危機を脱した 』 ・・である
此は、誰しも同じであらう
「 助かりますか 」
・・・との、問いに
「 判らない 」
・・・との、つれない応え
判らないは、なからう ・・そう想った。
手術したから・・と、謂って、それだけでは命が助かるとは謂えない、
その後の経過を見なければならぬ
殊に、合併症である多発性脳梗塞、水頭症が気がかりだと謂うのである。
一般的には、
術後の最初の二週間は合併症、殊に多発性脳梗塞により死亡する例が多いのだと言う。
さらに、
その後 四週間が一つの目安だと医師は言うのである。
だから
暫らく様子を見ないと判断できない・・と
吾々としては
「 もう、大丈夫ですよ 」
・・と、どれ程言って欲しかったことか
その期の覚悟など、誰がするものか
納得できないものの
入院の準備を済ませ、午後6時頃、妻共々帰宅した。
嗚呼
なんとも
長い一日であった
・
数日後のこと
同僚の彼等から手渡された紙袋から中身を取り出せば
倅が身に着けていた衣服と靴が入っていた
その中に有りし、ズタズタに切り裂かれたるスラックス
なんとも、痛々しかった
つくづく
倅の身に何が起きたかを思い知らされた
・・・のである
・・・後顧の憂い (三)・憂いの中 へ、つづく