十の想ひを一言でのべる

万斛の想い
・・・
語り盡せるものか

桜の木の下で

2022年03月27日 | 春夏秋冬

こちらを
振り向いて欲しいのは
あなたですよ

メールを見ているのですか ?
それとも
撮った桜を見ているのでしょうか ?

(二人の女性に)
あのう・・・私は、桜を撮っています


勿忘草

2022年03月16日 | 想ひ

佐賀

「 嗚呼 神埼をとおり過ぎてゆく ・・・・ 」

佐賀 も これで見おさめ 
感傷に浸る間も無く 偶々入って来た特急電車に乗った
さらば もう 来ることはない

きみ恋し

死ぬまでに 一度会はむと
言ひやらば
君もかすかに うなづくらむか


時として
君を思へば
安かりし 心にはかに騒ぐかなしさ

わかれ来て 年を重ねて
年ごとに 恋しくなれる
君にしあるかな

忘れな草
 
長き文                                  ながきふみ
三年のうちに三度来ぬ             みとせのうちにみたびきぬ
我の書きしは四度にかあらむ    われのかきしはよたびにかあらむ

・・・ 見果てぬ夢・叶わぬ想ひ

 


定めのなかで

2022年03月05日 | 想ひ

娘が出産した
爺になったのである
一つの役目を果たしたという、安堵の心持である
時は流れ、時代の主役は交代する
累々のこと、仕方のない事ではある・・が
「孫は可愛いい」、そう思う気持ち・・・分る様な気がする
親想ふ 心にまさる 親心
今日の訪れ なんと聞くらん
                                 ・・・吉田松陰
私の胸をつまらせる
孫の誕生で、思ったことは両親のこと
歳をとってゆくという、その淋しさを・・慮る
年老いていく両親のもとへ 再び 子 として帰ってゆく
そうしてあげよう
・・・『 2007年3月5日 』 の、
吾が想いである

                                                                                       淀川に上る朝日

時は
滔々と流るる
而今
吾が娘も、吾が孫娘も
共に、
吾が懐にある
そして、
吾が両親は
共に、
吾が心懐にある


                                                                                        夕陽が伸びる

定めの中で
私の子供が、私にに対して
親との
思い を 持ってくれた時
私の父・母への 思い は 成就する
継続されてきた、祖先の 思い は 継承されていく
役目を果たした・・と、
自分が存した意味があった・・と、そう思う
せめてもの、
私にできる事は
累々と、祖先がしてきた同じ事をする
「吾が子に思いを伝える」
それだけである

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親の祖 おや  またその祖 おや を懐しみ
の子のその子に  清明心越  あかきこころを

清明心とは、人の 「 まごころ 」 をいう
この歌は 「 三代一人 」 と題した筧克彦博士の作である
「 三代一人 」 とは、
 人の命は忽然としてあるものではなく、
 親から与えられ、また子に与えてゆくものである。
 親子のつながりは永遠であり、
 親への責任、子への責任を果してこそ、
 はじめて社会的な人間らしく その人格がつくりあげられるという。
 自分からみれば 孫を含めて、
 つまり 三代一如で漸く 人として一人前というわけである


弥生の空

2022年03月03日 | 春夏秋冬

あかりをつけましょ ぼんぼりに
おはなをあげましょ もものはな
ごにんばやしのふえだいこ
きょうはたのしいひなまつり

桃色の景色
其は真に   (マサニ)
本日に相応しい・・哉


淀川大堰より
長柄橋・十三方面を眺む



春になると
夕陽は新淀川に落ちる
滔々
春がきた
そして
夕陽は
夏にかけて
斯の橋を渡ってゆく