十の想ひを一言でのべる

万斛の想い
・・・
語り盡せるものか

後顧の憂い (九) ・ 千里の途5 長身女性・PT

2018年05月31日 | 後顧の憂い・千里の途


午後4時10分
秋の夕暮は早い
見舞からの帰り途に出遭いし斯の光景
「 若い・・て、いいなあ 」
心癒される想いであった

   
一日を通して、ほとんどが ベッドで寝たきりの状態は変らない
麻痺した腕や足は動かない、
筋が硬直し痩せ細って頼りない手足を目の当りにして、
『 筋肉というものは、たった一ケ月で、こうも衰えるものなのか 』 ・・そう想った。
それに、
気管切開して装着されたカフ付カニューレから、痰の吸引はつづいている
経口から食物の摂取はできず、経鼻経管にて、食道まで直接栄養を送っている
依然、瞼は閉じたままである
体は動かない、声は出せない、眼は見えない・・・これで、どうすると謂うのか
そしてもうひとつ、高次腦機能障害
どう理解していいのか分らないこの難解な症状、
その、程度の度合いを、今は誰も把握できていないのである
そんな状態で、
如何に訓練を行うのだらう
・・・8月、転院した頃の吾想いである
転院してから、双月半

リハビリはしんどいらしく、間は殆んど眠っている状態が続いている

・・ものの
車椅子に座ることが平気になってきた。
小声で 「 おとうさん 」 ・・と、声を発する様になった。
どれだけ、嬉しかったことか
食事は、三食経口摂取となった。
入浴は、特浴からシャワー浴になった。
自分の手で歯磨きをしている
毎日のリハビリ、その成果が表れてきたのである
命が助かった理由は、「 若かったから 」 と
脳の半分が壊れてしまった、
 一旦死んだ脳細胞は再生しない
 ダメージを受けた脳はその機能を果さず、後遺症として、体の半分に麻痺が残る
 脳障害の回復は、全く分らない
だからと謂って、リハビリせずんば寝たきり状態の侭となるから
 兎に角も、リハビリで頑張るしかない
リハビリにより残った脳を鍛え麻痺した部分の機能を補って行く、
 これしかない
頑張れば車椅子に坐れるまでには成るだらう
リハビリ 頑張って下さい 

退院時の国立大阪医療センターの脳神経外科医師の言である

『 リハビリを頑張れば、車椅子に坐れるまでにはなるだろう 』 ・・からすると
どれだけ回復してきたか
「 6月14日の出血からの状況からしたら、驚異的な回復です 」
・・と、
リハビリ科医師の言は、
それを物語る
「なおるかも知れない」・・と、惟う
此れ、親心である

千里の途 5
長身女性・PT

第一、歩け歩け
長下肢補装具を着けた歩行訓練 

瞼は開かず
呼びかけの声だけを頼りに
ただひたすら、リハビリをつづけている
只、言われるままに体を動かしているのである。
「 かわいそうに 」 ・・は、禁句であるけれど
切ない吾が想いである。
  14:27
「なんやお前、ふてくされた顔して」
「笑顔でやらんかい」
・・そう言うと
渋々の作り笑いに、スタッフ・PTの顔が緩む

目が開かない
それでも、
立つ練習をしている
歩く練習をしている
頼みは、180cm・長身の女性PT
目は閉じたまま・・なれど
手摺に右手を握らせて、立位の姿勢をとらせている
洋々動くようになった右手、右脚を活用して

倒れぬように、背後から抱きかかえの姿勢で歩かせている
なんと 「 目を閉じたまま、歩かせている 」
そして 「 目を閉じたまま、歩いている 」 
・・のだ
まさに、驚くばかりである
此を吾身に置き替えてみると
それがどれほど、恐ろしいものか、不安なものであらうか
そう簡単に歩けるものではない
指導するPTの奮闘努力
推して知るべし・・である

  
長下肢補装具 ベストポシジョンバー

10月20日、注文していた長下肢補装具が届いた
10月25日、待望の開眼為った
『 さあ、これから 』
・・である。

奮闘努力の甲斐
11月16日(水)
本日は天井と床に固定された棒を持って、棒の周りをかに歩きする練習をしました
重心移動と持久力の点で課題がありました
起き上がりはすこしずつできる動きが多くなっています・・PT

17日(木)
装具をつけて歩行(病棟内や廊下、合計200m)
装具をつけて両手を使い横歩き、トイレでの動作練習・・PT

補装具も、ベストボジションバーの使用は、

麻痺のない片方の脚、腕や手の筋力が回復してきた証拠
さらに、体全体の筋力も少しではあるが、向上してきたのである

 
2011年12月06日(火) 
千里北公園の楓・きれいに紅葉している

   14:56
PT・立位の練習 

 よくぞここまで
「 おとうさん、替わりましょう 」
「 えっ、私で大丈夫ですか?」
「 大丈夫です 」
緊張一入・・の私
PTの様に、後ろから抱えることはできるものか
「 前から介助します 」

私は、倅と対面する構えで以て、ある程度自由の利く右手を私の左肩に架けさせた
倅の背には、PTがホローの姿勢をとっている
歩調を合わせ、脚許を見詰め、
愈々、共に歩く
    15:05
感動の瞬間である。
あきらかに

自分の意志で以て、
麻痺したる脚を動かそうとしている
「 滔々、ここまできたか 」
よくぞここまでに為った。
感慨一入
感極まった私
もう
これ以上
歩いていられない

・・・

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錯覚

2018年05月11日 | 春夏秋冬

錯覚を信じる人がいる
錯覚を信じない人がいる
私は
錯覚を信じ ロマンを求めたい
情緒豊かで 感性に富みたい

時の流れは 人の気持を変えてしまう
気がついてみると 遠い夢となっている
・・・若かりし日の吾想いである


                                                       淀川・水管橋
快晴と謂うに
霞の所為か、黄砂の所為か
いずれにしても
麗らかなる春の ぼやけし空である

水も気も流れず
時さえ流れぬ
そんな空間に
突如現れし 蜃気楼
・・・と、
錯覚しそうな
そんな景色・・哉


心の歌

2018年05月05日 | 想ひ


歌は私の 友だちだから

悲しい時でも 私のみかた
たった 一人で 淋しいけれど
心の歌を みんなの歌を
みんなの歌を 街いっぱいに
いつか広がる 明日を信じよう
いつか広がる 明日を信じよう ♪
・・・
この、フレーズのみ
記憶していたのである

「 この歌、何の歌やったやろ ? 」
遙かな昔
妹等が見ていたTVアニメの中で歌われていたもの
・・・と、微かな記憶
然し
それ以上は、想い出せなかった

ふと、口遊み
亦、同じように呟く
然し、どうしても想い出せない
こうして、いつも同じことの繰り返しであった
謂わば、マボロシの歌である

平成27年 ( 2015年 ) 4月、
偶々、
ケーブルTVで
新番組として、「 さすらいの太陽 」 を紹介するを見た

「 ひょっとしたら 」
・・・と、インターネットで調べてみると
そのものずばり

TVアニメ
『 さすらいの太陽 』
昭和46年 ( 1971年 ) 4月8日 ~ 9月30日  放映
わたしが口遊んでいた曲は
エンディング曲  「 心の歌 」 であることが判った

然し
『 さすらいの太陽 』
・・・と、知っても
当時を、想い出すことは何も無かった

「 マボロシの歌 」
の、侭でいた方が、良かった
・・・
何も、知らない侭
「 ココロの歌 」 ・・・として、口遊みながら
昔の想いをみつけようと
想いを巡らせていたほうが良かった

・・・・そんな気がした