としちゃん&VTR250

のんびり、ドキドキ、ブランク10年のリターンライダーの日記

2018年10月25日(木) 房総ツーリング No.2/4 トイレと裏庭

2018-10-27 22:26:00 | ツーリング

トイレ。
荷物が多い人には有り難い棚がある。
ここまでしっかりした荷物置き場があるトイレは 珍しい。
ここで買った雑誌「おいしい道の駅」


フックもある!


トイレで


自撮り?


枇杷倶楽部 施設案内図


枇杷の名産とみうら


裏側も広々としていて 対岸には桜並木が見える。
テイクアウトしたものを ここで食べることが出来るね!
桜の季節が待ち遠しい!


飛び石でも対岸に行ける。
ラブラドールのくろるるは 暑い日は 水に飛び込みたいだろうね。(^_^)


でも鯉が居るから 飛び込んじゃ駄目ね。(^_^)


裏庭


可愛い建物






鯉が沢山!
PLフィルター無しでも 大丈夫。(^o^)


芝生の道を ぐるりと回って バイクを停めた場所に戻る。


撮影しなかったけれど この建物以外にも 色々なお店がある道の駅。
道路の向かいにも 観光センターみたいな建物があった。
バイクで走りながら チラッと見ただけだけれど。


2018年10月25日(木) 房総ツーリング No.1/4 とみうら枇杷倶楽部

2018-10-27 17:20:00 | ツーリング

バイク購入後 帰省期間が長くなったりして なかなかバイクに乗れなかった。

それで 1週間に1回は バイクに乗るか 日帰りツーリングに行こうと決めて 
全日晴れ予報の本日 再びアクアラインを通って 房総半島へ。

行きは高速道路で南の終点の富浦まで、帰りは一般道路で 富津岬を経由して 木更津南インターから また高速道路でアクアラインを通って 横浜に帰る。

予定通りに走った。

09:15 横浜の自宅出発
10:35 富浦インター(終点)
10:45~11:50 道の駅 とみうら枇杷倶楽部

海沿いの一般道路で北上する。(ここでカーナビ大活躍!)

12:50~13:15 富津岬

一般道路で木更津南インターまで その後は高速道路を走る。

14:22 ガソリンスタンド 満タンにする。
14:30 横浜の自宅に到着。

本日の走行距離 213.2km    燃費 34.1km/L
ガソリン高くなったね。1L158円もした。

千葉県には道の駅が沢山あるけれど 予定通りに富浦の道の駅に来る。


駐輪場が どこにあるのか分からないので 取り合えず 建物の近くに停めて バイクの記念撮影。


敷地内を バイクで1周してみたけれど オートバイ専用の駐輪場は 見当たらないので 4輪用の場所に停める。


千葉県は 暖かい。
高速道路では 夏用のグローブでは 手が冷たくなっていたのだけれど。
時速70km を超えると 後半は寒かったし。
でも 気温が上がって 帰りは夏用で正解だった。


コンデジ撮影だけれど。




テラス席がある!


ペットと食事が出来るのは 嬉しい。


テイクアウト メニュー


自転車は 駐輪場がある。


表側


鯵飯が 美味しそうだった。


枇杷ジュース 350円。とても甘い!
誰かとお喋りしながら 時間をかけて ゆっくり飲めば 氷がとけて 丁度良い甘さになったのかもしれない。

今日は 我慢して頼まなかったけれど 枇杷ソフトクリームは 400円だった。
このカフェも 他の売り場も おサイフケータイ(電子マネー)が使えるので 便利。


枇杷ジュースの待ち時間に 外に出て 再びテラス席を撮影。
リードフックが付いているテーブルもある。


ポメラニアンが来ていた。(撮影はせず。)


呉&耶馬溪&山陰旅行 2001年 No.3/3 山陰

2018-10-27 14:25:00 | 旅行
7月04日 水曜日 晴れ

 全日空の超割利用の4日間の旅行の第2弾。
7月末に発表会が有るので、ヤマハの仕事は休まず、今日の夜は空港の近くのホテル(黒湯温泉)に泊まる。明日からの旅行には気合いが入っていて早朝便を予約したから。(笑)

7月05日 木曜日 晴れ、夜になって雨

 今回利用する空港は鳥取空港である。行きの飛行機の左の窓からは殆ど雪の無い富士山がよく見える。

空港でレンタカー(マーチ)を借りてまずは鳥取砂丘へ。砂丘では靴に砂が入らない様に注意しながら1番高い所へ上る。後でレンタルの長靴が有ることを知る。靴のせいで思い切り歩けず、亀の歩みの様にのろい歩みになってしまう。
砂丘は想像以上に高さが有り、驚く。

帰りに観光らくだに乗る。らくだは結構気の荒いらくだに当たり ちょっとびびるが、乗ってみると楽しくて笑顔になる。ただ、5~6分のらくだ乗りで一人2千円というのは高いかな。

らくだに乗った後は店に入って梨ソフトクリームを食べる。梨ソフトは酸味と甘味が程よく調和していてとても美味しい。夏みかんソフトと同じく大好きになる。
店では砂丘耳掻きや梨こんにゃく飴(ゼリー)を買う。

 海岸沿いの道を東へ走り、途中の余部鉄橋下の公園に車を停めて鉄橋を見上げる。上り下りとそれぞれ1両、2両編成の電車が通り過ぎる。
昭和61年に回送電車が突風に煽られて落下し、鉄橋の下にあった工場を直撃して、工場で働く人たちと電車の運転手さんが亡くなったのだが、成る程この高さから落ちたらひとたまりも無いだろう。

 山陰海岸の景色を見ながらドライブし城崎温泉へ。そして近くの玄武洞と温泉寺を見学する。
玄武洞は中に入る様な洞窟では無いのだが、磁力による石で出来た模様がとても面白い。

ここでは大理石で出来たりんごを買う。近くの豊岡市は竹で編んだ製品が有名な所で、店にも竹製品が置かれている。いいなと思うものは何万円もするのでびっくり。りんごの形のバッグはとても可愛らしく思わず欲しいなと思ったが、1万円以上するので我慢する。

 川沿いの道を通って城崎温泉へ戻る。この川は満潮なのか水量が多く、道路からすぐそばに水が見えるので面白い。川の反対側にはJRが走っている。

 城崎温泉にある温泉寺行きのロープウェイは木曜日が定休日ということで、450段(帰りに数えた)の石段を上ることになる。あ~暑い。でも、上ったおばあさんが居たから感心する。

温泉寺駅はロープウェイの途中駅で、山頂も歩いて行けるのだが、そこまで行く気力はなくて、お寺でお守りを買って下りる。

城崎温泉は川があり、橋が有り、柳が風になびいて、そぞろ歩きにぴったりの風情の有る町だが、夕方はまだ暑く、夜になると雨が降り出したので、部屋の中でのんびりする。お湯の温度は熱めである。

7月06日 金曜日 曇り一時雨

 出発前にガイドブックで見た変わりソフトクリームの店に行き、黒胡麻ときなこのソフトクリームを食べる。美味しいけれど、梨や夏みかんのソフトの方がもっと好きかな。宿の人に聞いたのだが、季節によっては「かにみそソフト」もあるそうだ。でも、宿の人からは「かにみそは私は駄目でした。(笑)」と聞いた。

城崎温泉から少し西へ走ると「志賀直哉がこのあたりまで散歩に来た。」という目印にもなっている桑の木がある。歩くと少し距離は有るけれど坂ではないので、自然はいっぱいだし、散歩には丁度良いのだろうと思う。

 鳥取砂丘で食べた梨ソフトがまた食べたくなって、また寄ることにする。
今度は高台に有る昨日は寄らなかった砂丘センターの方へ行く。そこには展望台が有って、砂丘全体を見下ろせる様になっているので砂丘の規模がよく分かる。梨ソフトを食べて、紫蘇巻きらっきょうを買う。紫蘇巻きらっきょうは宿の食事に出て気に入ったから。

今日は雨なので屋内観光をすることにする。
ガイドブックで見つけた鳥取市近くの国府町にある「因幡万葉歴史観」に入る。ここには大伴家持など因幡に関する歴史や歌について、とても詳しく勉強出来る様になっている。歴史や文化の紹介ビデオなど全部見てゆったりと過ごす。
広くてとても良い所なのだが、殆どお客さんが居なくて勿体無い。

他にも流しびなの館など二つ程入ろうと思っていた所が有ったのだが、因幡万葉歴史館であまりにも時間を取ったため、見るのはここだけにする。

 羽合温泉(ハワイ温泉)の近くの東郷温泉へ。今日の宿は国民宿舎である。湖畔に建ちとても大きくて立派な施設で料理もとても美味しくて素晴らしい。
湖を見ながらお風呂に入る。お湯は温めでいつまででも入っていられそうだ。
東郷温泉は散歩する様な温泉街では無いので、ただただ部屋でのんびりするのみ。

7月07日 土曜日 晴れ

 海岸沿いの道路を西へ走る。途中「名和神社」へ寄る。殆ど人が来ないのか、トイレには鍵が掛かっていて、神社の人から鍵を借りて入る。何も警戒しないで入ったら、思い切り蜘蛛の巣の歓迎を受けてびっくり。本当に人が来ないのだなあ。

 また国道へ出て西へ、境港市を目指す。港の近くの駐車場に車を入れて、楽しみにしていた水木しげるロードを全部歩いて妖怪のブロンズ像を見て回る。駅前には鬼太郎ポストもある。

あちこちの店で妖怪グッズ(耳掻きやストラップなど)を買う。私が1番好きな妖怪は鬼太郎の目玉おやじで、携帯電話で話中の「ぬりかべ」の上に目玉おやじが足を組んで座っているストラップはとても気に入って早速使っている。妖怪神社にもお参りする。

水木しげるロードにあるお米屋さん家の柴犬を写真に撮っていたら、飼い主であるお店の奥さんが出て来られて、柴犬の話に花が咲く。犬は1歳と7か月でまだ子供なのだそうだ。慣れない私には大人しいのだが、よく知っているおじさんが来ると、しっぽを振って大喜びしている。1日に4回も散歩するそうで、幸せな犬だなあと思う。

 境港市から皆生温泉へ。ここは海の近くで海水浴にはとても良さそうだ。ただ散歩に向いた温泉街の風情は無いので、街の様子は車で走って見ることにする。

ここの温泉もお湯の温度は温めで長湯が出来る。貸切状態でのんびり湯に入り、出て着替えていたら、母親と子供達(女の子と男の子)の3人連れが入って来た。男の子は私の顔を見るとびっくりして「僕は男だから男湯に入る。」と言って出て行った。おかあさんは「○○ちゃんはいいの。」と言って引き止めたのだが彼は嫌だったらしい。小さくても男の子なのね、と感心した私である。でも、もうちょっと早く出ていてあげれば良かったかな。他には誰も居なかったのだから。

7月08日 日曜日 晴れ

 昨日行った境港市へ戻り、境水道大橋を渡って鳥取県から島根県への美保関へ向かう。
美保関では明治31年に建てられた灯台やフランス人が設計した旧官舎(現在はレストラン)を見る。旧官舎はお洒落で暮してみたい家だ。山陰の海は美しい。

橋へ戻るまでに海の中に立っている灯台を見つけ、車を停めて写真を撮る。干潮には陸地と道路で繋がるのかもしれない。ちょっと不思議な景色だ。

晴れているので、大山へ向かう。大山寺を参拝し、寺の鐘をついて、ブロンズの牛の頭をなでて、おみくじ(大吉♪)を引く。またお守りでもあり、ストラップでもある可愛らしいカラス天狗を買う。

大山寺の裏から遊歩道を通って隣の神社へ行く。とても古い建物だ。今日も長い石段を歩くことになる。
参道を下りて、麓の店でNHKの「のど自慢」を見ながら美味しい蕎麦を食べる。

 さて、大山を出発。スキー場などを見ながら山の中を走り、国道9号線へ出て鳥取へ向かう。
道の駅「大栄」は道の駅第1号だと言う。名探偵コナンのブロンズ像が有るのだが、何故だか分からない。
ここではスイカソフトクリームを食べる。淡いピンク色で可愛らしいのだが、特別に変わった味はしないし、スイカだか何だか分からない味だ。やっぱり梨ソフトがいいな。

途中9号線沿いに白兎海岸、白兎神社が有るので車を停めて少し歩く。海岸には海水浴客やサーファーが夏を楽しんでいる。

その近くにある白兎神社は無人の様だが、人が通るとセンサーで神社の解説テープが流れる様になっている。知らなかったので、ちょっとびっくりした。(笑)
神社の休憩所で缶コーヒーを飲みながら休憩する。帰りににょろにょろ蛇を見てびびる。蛇の方こそ怖かった様で、すぐに逃げて行ったが。

9号線は混んでいて「ああ、日曜日は鳥取でも渋滞するんだなあ。」と思っていたが、それは事故渋滞で、渋滞もすぐに解消し、後は快適なドライブに戻る。やはりこの位すいすい走れるのが普通の生活だと思う。横浜は混み過ぎる。

今回は海を見ながらドライブする機会が多い。山陰の海岸は、どこも波が高く泳ぐのはちょっと怖い感じがする。この旅行中に山陰の浦富海岸では高校生2名が行方不明になっている。

 鳥取空港は小さい空港だが今日の18時50分発の羽田行きは満席なので人は多い。レストランのメニューは少ないので美味しいシーフードピラフでビールを飲む。

空港で買った梨羊羹は、食べると口の中に梨の味と食感が広がって珍しいし美味しい。味見のため1本しか買わなかったのが残念だ。

今回の旅行はとても楽しかったのだが 晴れて暑い日が多く かなり日焼けしてしまった。特に腕は軽い火傷状態になっている。運転席側の右腕は特に酷い。早く治ります様に。

呉&耶馬溪&山陰旅行 2001年 No.2/3 耶馬溪

2018-10-25 18:00:00 | 旅行
7月01日 日曜日 広島は雨、山口は曇り、九州は晴れ

 呉市を出発し、山陽道を使い、関門橋を渡って九州へ渡る。広島までは降っていた雨も上がり晴れて暑くなる。

今日の目的地は大分県の耶馬溪である。これは小学生の時に読んだ菊地寛の「恩讐の彼方に」という小説(実話を元に書かれたもの)の舞台になった所である。
禅海和尚が30年の歳月をかけて掘った青の洞門を見ると、その心の強さに感動する。

 ここでは、他には道の駅「耶馬トピア」、耶馬溪橋(オランダ橋)、深耶馬溪の一目八景、裏耶馬溪、羅漢寺橋を見る。

非常に暑い日で、立っているだけで汗が流れ落ちる。宿では2リットル位の水分を取ることになる。

 耶馬トピアでは、蕎麦風味そうめんを食べる。麺は薄い灰色で太さはそうめん位だ。そうめんも美味しいが、付いて来た塩おにぎりがとても美味しくて(ただ塩味だけなのだが)その大きめのおにぎりを二つとも全部食べる。やっぱり旅行ダイエットは無理そうだ。

オランダ橋も羅漢寺橋も車が通れる石橋で(但し、幅は車1台分しかない)誰も来ていないので車で通ってみる。羅漢寺橋は小さくて、石と石との間には沢山の草が伸びている。

 羅漢寺に行くと、リフトの時間がゆっくり見学するとぎりぎりかなあという所だったので、また明日来ることにする。「リフトは8時半から動くよ。」と教えて貰う。

 今日の宿「山国屋」はとても古い建物だ。旅館でもあり、ユースホステルでもある。
私はユースホステルとして泊まったのだが、女性の宿泊客は私ひとりなので、ひとりでのんびりする。

2階のその部屋からは、庭石の上で子猫が母猫のおっぱいを吸っているのが見えて「なんて可愛いんだろう♪」と写真を撮る。

ただ、夜にその部屋でムカデを見つけた時にはびっくり。建て直す前の実家にはよくムカデが出ていたのだが、最近では全然見なくなっていたから。

要らない大きめの紙の上に本を乗せてムカデの上から落として一応謝っておく。
ムカデは1匹見つけると、必ずもう1匹居ると言われるが「もう居ないことにしよう。」と心に言い聞かせて寝ることにする。

7月02日 月曜日 晴れ

今日は母の64歳と港町小学校の122歳の誕生日。おめでとうございます♪

 朝起きてムカデの上に乗せた本を取って恐る恐る見てみると、なんとまだムカデが弱々しいながらも少し動いている。これにはかなり驚く。紙でそっとすくって、2階の屋根の上に落とした。宿の人にはムカデが出たことを言わなかった。古い建物だから、言ってもどうしようもないだろうと思ったから。

 まず羅漢寺に行く。シーズンオフで観光客は殆ど居ない。リフトの運行開始は実は9時だったのだが、私ひとりのために動かしてくれて、私が下りたら、またリフトは止められた。

寺はリフトの途中駅に在り、自然の作った崖を利用して建てられた寺の景色は圧巻である。
山頂駅には展望台が作られていて遠くには阿蘇山も見える。
しかし兎に角暑い。この時期は湿度が高いため8月より暑いそうだ。

リフト乗り場にある「禅海堂」には青の洞門を掘るのに実際に使われたノミと鎚が有るのだが、管理しているお婆さんは時々休むそうで、今日もお休みだったのをリフト乗り場で働く女の子に呼んで貰って開けて貰うことが出来た。こちらの人は皆親切である。

禅海堂は禅海和尚のお墓である。(お墓を建物で被ってある感じ。)ノミと鎚は2種類有るが、どちらも鉄製で大きい方は非常に重そうである。私なら5分も作業をしたら疲れてしまうだろう。

 午後は関門橋を渡る前に門司港で観光をする。展望ビルから見る関門橋と下関(巌流島も見える)の景色は見る人を喜ばせてくれる。

それから、ここにある「オルゴール館」にはオーケストラの様なオルゴールなど私は初めて見るタイプのものが沢山有る。ダービーという競馬ゲーム付きのオルゴール(アメリカ製)も楽しい。

 来た時と同じ道路だが、通る方向が違うと景色も随分違っている。来る時には見えなかった橋の様子や火の山がよく見える。

宇部市まで山陽道が出来ていて宇部市にはとても早く到着する。一旦空港に入って、前の便に変更出来るかどうか聞いてみたら、バーゲンチケットは変更出来ないとのことなので、時間潰しに市内の空港のすぐ近くにある「ときわ公園」に行くことにする。

 ここには野生だがとても人懐っこい白鳥やペリカンが居る。
テレビでも有名になったカッタ君も遊んでいる。最初の何羽かをカルカッタから貰った所から「カッタ」という名前が付けられたそうだ。遊びたがって近づいて来るらしいのだが、目の前に歩いて来られると大きいのでペリカンは怖かった。

園内の石炭歴史館(無料)は閉まる寸前だったのだが、係りのおじさんが親切に入れてくれて見学することが出来る。またここには展望塔が有り、公園や海や宇部の街の景色を見ることが出来て幸運だった。

公園のベンチに腰掛けてジュースを飲んでいたら、ここの管理をしているおじさんと、横浜に長く住んでいたというおじさんとおしゃべりをすることになる。
そして この人たちからさっきのカルカッタの話など色々と教えて貰う。
ときわ公園でも夜になると花火をする若者が来るそうで、鳥たちが驚いて困ると嘆いておられた。

 空港へ戻る前にガソリンを満タンにしようとするが、聞いていたガソリンスタンドが見つからない。レンタカーの窓口に電話で場所を確認すると「空港から信号2つ目で、とても近い。」と言われる。信号の数で分かったが、空港からは1キロ以上離れていて、私の感覚ではちょっと遠かった。

山口宇部空港のレストランで、お寿司と冷やしうどんの入ったセットに蛸わさびをつけて冷酒を飲んで機上の人となる。

 羽田空港から横浜駅までのバスでは左側の最前列になり、湾岸線からの夜景を楽しむ。
25分で横浜に到着し、駅からまたバスで帰る。高速バスでは起きていたが、路線バスではお酒のせいかうとうとしてしまう。

帰宅して思ったこと、それは「ああ、次は山陰の旅行だなあ。」
但し、火曜日、水曜日の2日間、ヤマハの仕事をちゃんとしてから。

7月03日 火曜日 晴れ
 旅行と旅行の間の仕事をする日。午前中には洗濯をする。明日も通常通りの仕事をする日だ。

呉&耶馬溪&山陰旅行 2001年 No.1/3 呉市

2018-10-24 21:40:00 | 旅行
呉&耶馬溪&山陰旅行の日記

2001年 6月29日~7月8日
全日空の超割旅行(呉、耶馬溪、鳥取砂丘など)

6月29日 金曜日 ぱらぱら雨時々曇り

 全日空の超割利用の4日間の旅行第1弾の初日。山口宇部空港にお昼頃に到着し、レンタカー(トヨタのスプリンター)で山陽自動車道を東へ向かう。途中スプリンターのカウンタが666666になってちょっと嬉しい。
中国道はいつもの様に空いていて快適だ。

 岩国インターで降りて錦帯橋へ。河原に有る駐車場は川が増水しているらしく閉鎖されているので別の駐車場へ車を停める。平日のせいか観光客は少ない。

錦帯橋は見た目はとても急なのだが、実際に歩いてみると歩き易い様に場所によって傾斜が変えてあってとても楽だ。設計力にも技術力にも感心する。離れて見る橋はやはり噂通り美しい。

橋から山を見上げると芸予地震で被害を受けたため修復中の岩国城の天守閣が見える。
岩国市は落ち着いた街で趣きが有り私は好きだ。山口県と広島県は隣り合っていても雰囲気はかなり違っている。(山口県の方が広島や呉の雰囲気より私の好みに合っている。)

 岩国から呉市までは海岸沿いの国道を走る。
思っていた程、走りながら海を見ることは出来なかった。
広島呉間も自動車専用道路を使わず国道を走る。
昔通った呉市の港町小学校の円形校舎は道路からもよく見えたが、他には懐かしい場所は見ることが出来なかった。すっかり忘れているのかなあと思ったが、翌日知ったことには、昔住んでいた所は通っていないので、分からなくて当然だった。

 駅前にある呉ステーションホテルにチェックインする。呉駅から1番近いホテルは阪急ホテルだ。それは新しくて立派なのだが、呉ステーションホテルの部屋からは呉駅とその向こうに港が見えるので、とても嬉しい。

夕食は駅ビルの中の和食の店で「安芸御膳」を食べる。安くて入り易くて美味しくて良い店だ。ここでは翌日の夕食も取ることになる。

6月30日 土曜日 曇り時々晴れ

 午前中に歩いて出掛ける。呉駅から一駅先の川原石駅を下りた所に港町小学校がある。
港町小学校は 私が入学から2年生の1学期まで通った小学校。



学校では教頭先生に(帰る時にその人が教頭先生だということを知った)学校内を丁寧に案内して頂く。
円柱形校舎の最上階の4階からは360度景色がよく見える。海と反対側の山側には階段住宅が沢山あり、やはり地震の被害を受けてまだ青いビニールシートが掛けてある屋根を沢山見かける。

私が居た頃(1学年3クラス)とは違って、生徒数が半分以下に減っているので、空き教室を昔の生活展示室にして利用している。おかげで小学1年生の時の教室に入ることが出来た。円柱形校舎は普通廊下になる所がホールになっているので、私は好きだ。

先生からは校歌の楽譜と演奏テープを頂く。校庭の端(幼稚園側)にはプールが出来ている。プールは昭和46年に出来たということだ。25メートルで4コースの可愛らしいプールだ。プールや校庭で楽しむ子供達が可愛い。校庭からも呉の港がよく見える。

 小学校を出てから、その隣にある聖慈幼稚園へ行く。幼稚園児だった当時から狭いと思っていたが、やはり狭い。幼稚園の運動会は小学校の校庭を借りてしていたのだが、1度雨で延期になり、小学校の校庭が借りられず幼稚園の庭で開かれたことがあった。今考えても、この広さでよく出来たものだと思う。

 学校周辺の商店街、通学路、昔住んでいた所、その隣にあって昔よく登った水源地への石段(172段)、防空壕が続く通り(半分位は工事をして壁になっている)など懐かしい所を写真を撮りながら歩く。

 新宮寮が在った所は現在は日立の工場と集合住宅になっている。その裏は昔は大雨が降るとすぐに崖崩れを起こす山だったのだが、現在は一戸建ての集まる住宅地になっている。

隣の水源地へ登る石段はほぼ昔通りに残っている。「関係者以外は立ち入り禁止」と書かれているが、柵は無いので上ってみる。
石段脇の木々が大きくなって石段は日陰になる。

昔はシロツメクサが沢山咲く広っぱだった所は今は柵で囲まれていて入ることは出来ない。
ここにはよく平日の昼間に母、弟と来たものだ。母から聞いた話では、新宮寮でハーモニカを吹くと近所迷惑なので、ここに連れて来て吹かせていたのだということ。私の記憶の中のこの場所は 天国とはこういう所なのだろうと思う夢いっぱいの場所である。

石段を下りていると、高校生のカップルが石段途中に並んで座っておしゃべりをしているのに出会う。誰も来ない場所だからデートには最適なのだろう。後ろ姿を写真に撮らせて貰った。

 次に若葉寮や海上保安大学校が在る所へ向かう。
昔は防空壕がずっと続いていたのだが、現在は半分位は工事が完了して防空壕があったことが分からない様になっている。残り半分は丁度工事中なのだが、塞いであるものの防空壕の入り口がそれと分かるので、昔を懐かしむ旅をしている私としては嬉しい。
もう少し来るのが遅かったら 防空壕があったことさえ分からなくなっているのだろう。

海上保安大学校からジャージを来た学生がタクシーに乗って次々と通る。私は写真を撮りながらふらふら歩いていると、工事のおじさんに「トロトロしていると轢かれるぞ。」と言われた。呉の人のイメージが悪くなった。(爆)

 若葉寮では、いかにも平日の官舎らしく、小さい子供を連れた母親達がおしゃべりをしている。
海では釣り人がひとり。
都会の通勤などとは比べものにならないが、ここは呉中心部に出掛けるには車が無いと不便な所だ。

 川原石駅までゆっくり戻る。
バス停は昔と同じ場所に有るが、バス停の名前は変わっている。
昔は「海岸通り8丁目」だったと思うのだけれど、幼かったので 自信は無い。

7丁目止まりのバスと 8丁目まで行くバスの違いが分からず 運悪く7丁目止まりのバスに乗ってしまうと 子供にしては長い距離を歩かなければならなかった。途中に住宅が無くて 1区間が長かったのかもしれない。
今は家が増えて 何も無い区間は 無くなっている。

小学1~2年だったけれど ひとりでバスで耳鼻科に通って居た。
住宅の風上に亜鉛工場があったそうで 耳鼻科に通う子供が多かった。
愛媛県宇和島市に引っ越してからは 通うことは無くなったので やはり環境のせいだったのだろう。

昔住んでいたもうひとつの官舎を探して歩く。母から「黒瀬鶏卵」の鳥小屋になっていると聞いていたので、それらしい建物を探すが、どこにも無い。そこは官舎として使われる前はダンスホールだった建物だ。

ふと、ブランコのある小さい公園を見つけ、よく見ると隣にトンネルが在る。そうそう、トンネルを通って山に遊びに行ったりしたっけ。
小学生の頃には普通のトンネルだと思っていたのに、今見るととても小さいトンネルで、トンネルを抜けると山だったのに、今は住宅地になっている。しかしトンネルと公園のおかげで住んでいた場所が分かって嬉しい。

あまりの暑さに近くのスーパーに入って、中の喫茶コーナーでアイスコーヒーと梅ゼリーを食べる。

 そのスーパーから実家の母に電話をして情報を仕入れる。母からは、呉中心部に行ったら私がよく好物のうどん屋さんを探した商店街や孔雀が沢山居る小さい動物園に行ってみると良いと言われる。

電話のそばに居たおじいさんに昔の話を聞くと、呉市が人口40万人居て賑わっていた頃の話を沢山して下さった。動物園のことを聞くと、それは今は公園になっていると言う。とても親切な人だった。

 スーパーを出てまた歩き始める。八百屋のおじいさんに「昔、私が小学生だった頃、この道は通学路でした。犬を沢山飼っていた家があって、その前を通るのが楽しみでした。」と言うと、おじいさんはとても懐かしそうな顔をして「ああ、犬を飼っていたのはあのあたりだよ。相当昔の話じゃなあ。」と教えて下さった。そこで色々と昔の話をした。

犬を沢山飼っていた家の辺りは 朝鮮人で 母と弟が結婚式に行き合わせた時に 花嫁さんを見て 幼い弟が
「お母さん、お母さん、おとひめさまが居るよ!」と大喜びで叫んだと 後年母から聞いた。

さっきのスーパーで会ったおじいさんもそうだが、昔の話を懐かしんでしてくれる人は皆、遠い目をしている。

学校の帰り道だけ通った裏道(朝鮮人)、母との思い出の横断歩道、小学校近くの商店街を見て、川原石駅からまた電車に乗り、呉駅へ戻る。

 一旦ホテルへ戻り、車に乗って音戸大橋や昔通った耳鼻科のある吉浦へ行く。吉浦では耳鼻科の在った場所は分からなかったが、町の様子は記憶に近いものだった。ただ、記憶していたより道路の幅は狭かった。
車で走っただけで、ホテルに戻る。

 歩いて街に出る。メイン通りの中通りと本通りを歩く。呉市内の商店街の中通り(れんが通り)は、私の記憶には残っていないのだが、地方都市にある商店街という感じだ。所々閉まった店があるのも、この時代のせいだろう。

母から聞いた「昔は孔雀が沢山居た公園」を探す。商店街のはずれにあると聞いたので、そう思って探すとすぐに見つかった。現在は堺川公園という名前で、整備されて綺麗で沢山の子供達が遊んでいる。

私は動物園のことはあまり覚えていないのだが、弟と一緒に孔雀が羽を広げるのを待って、羽を広げると大喜びしたことだけは、はっきりと覚えている。
たまたま通りかかったおじいさんに「ここは昔、孔雀が沢山居た公園ですか。」と聞くと、
「ああ、孔雀、おったなあ。でもだいぶ昔の話じゃなあ。」と言って、そのまま去って行った。やっぱりここがそうだったんだ。

 商店街を抜けて地図を見ながら、今回の旅行のきっかけになった、インターネットで呉市内の小学校の掲示板を持っている「ささき酒店」へ行く。

この酒店の若主人(私と同年代の人)に掲示板で港町小学校の書き込みをした本人であることを告げると、御主人よりその隣に居た奥さんがぱっと笑顔になって喜んで下さった。「雨後の月」という地元でしか買えない純米吟醸の4合瓶を1本買って、お店を出る。

帰りは川沿いの歩道をのんびり歩く。朝から気温も湿度も高くてとても暑い日だ。
駅ビルの中の店で晩酌セット(生ビール)を食べる。暑い日のビールは最高♪

 今日は1日、とても充実した日だった。私が呉市に住んでいたのは、幼稚園から小学校2年の1学期までの短い間だが、第2の故郷の様でとても懐かしく、今回こちらに来て本当に良かったと思う。