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としちゃん&VTR250

のんびり、ドキドキ、ブランク10年のリターンライダーの日記

サイパンの日記 1998年

2018-10-03 22:52:12 | 旅行
サイパンの日記 1998年


6月10日 水曜日 日本の朝は雨

 早朝4時50分にタクシーを予約しているので、4時過ぎにモーニングコールで起きる。(笑)
かなり強い雨の中、おしゃべりの大好きな運転手さんの  貴乃花を乗せた時の話などを聞きながら、横浜駅へ。
余裕を見て、30分の計算をしていたのだが、10分で着いた。 横浜シティエアターミナルの始発5時15分発で成田空港へ。 乗客は5人だけ。

 空港に、6時40分に到着し、辺りを見回すと、お客さんらしき人は、うさぎの他には 外国人の男性がひとりだけ。後は警備員さんが数人。あんなに静かな成田空港ロビーを見たのは 初めて。待ち合わせは7時55分だったので、1時間位はダイビングのテキストを 読んで復習した。なんと言っても、うさぎはダイビングは今回が2度目だから。

 8時過ぎに一緒に行くみさちゃんが予定通りの時間に到着して、合流する。 早く来ていたことを言うと、「もう両替した?」と聞かれた。 両替って空港でするのね、忘れてた。

 8時半頃、トイレに行くと トイレの中で携帯が鳴った。(笑) 電話参加(オフ会みたい)の うめちゃんから。あたふたしているうちに 切ってしまい、出てからかけ直す。みさちゃんにも交代して、行って来ますの 挨拶をする。
ところで、成田空港のトイレのトイレットペーパーって巨大なのね、びっくりした。

 うさぎはインスタントカメラを、みさちゃんは、バナナを3本買う。 うさぎも1本貰った。バナナをそのまま食べるのって久し振り。 成田では、大きなお買い物はしないで、出国手続きをする。

空いていたので、すんなり通れる所を(みさちゃんは、すんなり通った。)
うさぎは旅行会社から貰っていた出国カードを書くのを忘れていて、慌てて記入する。(爆)
その間に 電話参加のもぐりんから みさちゃんの携帯にかかって来たが、うさぎは記入して いたため話せず、後でかけ直した。やっぱり行って来ますの御挨拶。

 ノースウエスト航空サイパン行きの飛行機(9時45分発)は、空いていた。窓側の席になりラッキー! 機内食は、ビーフテリヤキ、ご飯、鶏とクラゲのバンバンジーサラダ、冷やしうどん、 フレッシュフルーツカクテル。冷やしうどんからスタートして、全部食べる。国際線に乗ると、 食事が楽しみなうさぎ。おつまみの甘いピーナッツも美味しい。

 約3時間でサイパンへ着く。1時間の時差があるので、到着時刻は14時5分。 やっぱり熱帯だ、暑い、じりじりじりじり・・・
バスで第一ホテルへ。部屋は、街も海も見える781号室で、高い所の好きな うさぎは喜ぶ。

 明日からのダイビングの申込をするために、街で出る。
サイパンが2度目のみさちゃんは、前に使った店がいいと、ふたりで行くが、 ボードは予約でいっぱいなので、ビーチダイビングしか出来ないとのこと。 その時は、うさぎはビーチでもいいかな、と思っていたが、(後でボートを経験して 良かったと思う)みさちゃんが1日はボートダイビングしたい、と言って、他の店を探す。 後で知ったことには、ダイビングの店は色々あったのだが、気がつかなくて、今回利用した店になる。 (悪い店じゃないのだけれど、料金が前の店よりも高い。)

 店のオーナーは坂野さんという男の人で、やせていて、物悲しい表情をしていて、 彼の飼っているおとなしい犬に似ていた。その犬の種類は知らないが、他でも見かけた種類なので、 みさちゃんが「サイパン犬」と名付けて、ふたりで、そう呼んだ。で、坂野さんのことも「サイパン犬」と こっそり呼んで喜んだ。(笑)坂野さんの飼い犬の名前は「ゴン」だった。

 ダイビングに関しては、みさちゃんはベテランだから問題無いけれども、うさぎはライセンスを取ってから 初めてのダイビングだったので、1日目の様子を見て、出来そうだったら、2日目は、ボートダイビングをすることに しよう、と決まる。うさぎも無理はしたくないので、それで納得した。

ビーチダイビングは2ダイブで80ドル。ボートダイビングは2ダイブで100ドル。 レンタル料金が10ドル。今は、円安だから ちょっときついかな。

 夕食は、「金八」という店でチャモロ料理とかき氷を食べる。チャモロ料理は 28、5ドル。かき氷は3、5ドル。こちらに来て、サイパンの物価が高いことを知る。 円のレートのせいもあるけれども、それが無くても、やっぱり高い。

チャモロ料理は魚や海老のココナッツ煮で、ほんのり甘くて美味しい。醤油で煮るより、 うさぎは好き。ご飯はタイ米と日本の米の中間位の形をしていたが、なかなかうまく炊けていた。 残さず食べた。

 帰りにスーパーでお買い物。うさぎは赤と青のパレオを買う。色が一色なので、 みさちゃんには止められたが、うさぎの好きな色だったので、買っちゃった。 まあ、日本からパジャマもビーチで着るスカートも持って来るのを忘れていたので、 丁度良かったかな。日本円で1000円位でお手軽。ログブックの7ドルは高かったけど。 

 観光客は少ないし、歩いていると、客引きの「若くて綺麗なおねえさん」や 「怪しいおじさん」に声をかけられる。特に韓国料理のお店の人が熱心だった。 これは滞在中ずっと続いた。

 さっきのスーパーで色々食べ物も買い、ホテルのビーチで夕焼けを見ながら、 ポテトチップを食べながら、ビールを飲む。南の島~♪って感じ。 等間隔をあけて、カップルもいる。こちらは、うさぎ&みさちゃんのカップル♪ でも女同士だから、キスは しなかったよ。(笑)

 明日のことを考えながら、ぐっすり眠る。なんと言っても、今日は、普段の うさぎには考えられない位の早起きだったんだから。

6月11日 木曜日 晴れ

 ダイビングの用意をしてホテルを出る。お店に行く約束の時間が8時45分だったので、 8時過ぎになる。うさぎはちょっともたもたしちゃった。
 朝ご飯は、ホットドッグと冷たい紅茶(スパイス入)。正式名は忘れた。(笑)みさちゃんに、 スパイス苦手な人はやめた方がいいよ、と言われたが、飲んだことが無いものなので、チャレンジ! 冷たくて美味しいけど、やっぱりスパイスが入っていない方がいいかな。(笑) サイパンに来てから、初めての英語だけの所だった。

入国する時も、ホテルも今まで入ったすべての店も みんな日本語で大丈夫だったから。外国語の苦手なうさぎには嬉しいサイパン。みさちゃんは 語学が堪能だからいい。うさぎも心丈夫。

 ダイビングショップに着いて、器材の準備をして、サイパン犬さんのとても年季の入った車で オブジャンビーチへ。来た時には気が付かなかったけど、空港は小高い所にあったのだった。 オブジャンビーチは、空港の近くのビーチで水は澄んでいて美しい。

 久し振りのダイビングだったので、最初、サイパン犬さんが講習をしてくれた。 どきどきしていたうさぎも、沖縄の講習の時とは違って案外早く落ち着いた。 沖縄の講習の時は、自分の意思に反して浮き上がってしまったりしたけれど、 今回は自分の思う様に潜れたので、とても安心した。ただ、足ひれの使い方が まだまだだそうだ。うさぎの足は自転車漕ぎをしているらしい。(笑)これは早く直さなきゃ。

 オブジャンビーチは、砂浜で遠浅で、流れも無く、気持ちの良いダイビングが出来る。 ガーデンイールという生き物が海の底にいて、(かなり広い範囲)ゆらゆら揺れている。 白いかわいい蛇を砂に植えたみたい、首(?)を曲げて揺れている。恥ずかしがり屋なのか、 人が近づくと砂の中に体を隠すが、隠れたのは少なかった。目がキラキラ光るのもかわいい。 こんな変てこりんな生き物がいるのか~と 感心する。まだまだ海には、うさぎの知らない生き物がいるんだろうなあ。 

 ダイビングの終わりの方に、洞窟みたいな所をくぐった。 暗い所へ入るのは初めてなので、どきどきしたが、入ってみると楽しい。 友達のうめちゃんが沈没船に潜るのが面白いと言うことが、少し理解出来る様な気がする。 でも、今回は洞窟の中にはかわいいお魚たちがいて嬉しい気持ちになったけど、 ガイコツがいっぱいあったら、やっぱり怖いかな。(笑)

暗い所から明るい所に出る感覚も好き。 このビーチはとても気に入った。結局今回4ダイブして、1番気に入ったのが、ここだった。

 近いので、1度街に戻る。今、サイパンの街はフレームツリー(南洋桜)が赤く美しい。 満開になるのは、7月だそうだ。桜と品種は違うと思う。昔この季節に咲くこの花を見た日本人が 南洋桜と名付けたそうだ。満開の花を見ながら故郷を懐かしんだのだろう。散り方がまた、 日本の桜と似ているそうだ。

 昼食は、おにぎり2個とメロン乳飲料(何でも試してみるうさぎ(笑))を 買って、またホテルのビーチで食べる。景色もいいし、安上がりでいい。 おにぎりも普通の鮭やおかかのおにぎりが1個1、25ドルだから。175円だもんね。 みさちゃんと「サイパンに来る時には、炊飯器と米と海苔と塩を持って来よう!」と、 笑って話した。

サイパン犬さんは、のんびりだから、とアイスクリームを買って食べながら、 5分遅れでショップへ。丁度良かった。(笑)

 午後行った所は、グロットという所で、みさちゃんは前に潜ったことがある所だった。 エントリー(海に入る)所まで、長い石段があって、(行きは下り、帰りが上り) それがちょっとしんどいかな。まあみんなちゃんと到着。岩の上から飛び込むのは初めてだけど、 水は怖くないので、えいやっ!って感じで飛び込む。すぐに深くなっていて、大きな岩をくぐる様な感じで 外海へ出て行く。

 沢山の魚がいて、特に「かすみちょうちょう」という黄色と白と黒の魚は、 いっぱい、いっぱいいて、まるで散る花びらの中を泳いでいる様な感じだ。 また、1匹ずっとうさぎたちについて来る魚がいて、とても嬉しい。みさちゃんいわく、 「抱きしめたい程かわいい」魚。名前は「かすみあじ」。ちょっと大きめの魚だ。

海って陸から見ると色が違う位で、あまり変わらないけれど、中に入ると、こんなにも 沢山の世界があるんだなあと 改めて思う。

 岩によいしょ!と上がって、石段を上り、車に戻る。写真を撮って、街へ戻る。 今日のうさぎのダイビングは1~2本目としては上出来だそうだ。(サイパン犬にも、みさちゃんにも 本当に言われた。)とても嬉しいうさぎ。図に乗ってしまいそう。(笑)

フィンの使い方は、やっぱりまだまだって言われたけどね。 大丈夫そうだということで、明日はボードダイビングをすることになる。 うさぎにとっては初めてのボードダイビング。楽しみ!

 今日使ったものを水洗いして、明日の準備をして解散。
 夕食は、みさちゃんの「ラーメンが食べたいっ!」の一言で、ラーメン屋さんへ。
回転寿司もしている店だったが、なんせお客さんが、うさぎたちふたりだけなので、回って いなかった。うさぎはソーメンを頼む。家で食べるのと同じソーメン。 メニューも日本語が先に書かれてあるし、やっぱり日本にいるみたいだ。

 ホテルのプールサイドで休憩する。陽が当たる所は暑いけれど、日陰は気持ちいい。 ふと見ると顔や足は普通の人なのに、異常におなかの大きなおじさんが通る。 こちらに来て思うのは太った男の人が多いということ。痩せているのは、サイパン犬さん位。(笑) みんな何を食べているのかなあ。

 ワンピースの水着だと、トイレに行くとき面倒なので、セパレートの水着を探す。 うさぎの大好きな青い水着をウインドウに見つけて、お店に入る。それは値段が100ドル近くもしたので、 断念して店を出るが、ふと端に飾ってあるやっぱり青い水着を見て、また入る。 それは70ドルだったので、買うことにする。みさちゃんも「かわいい!」と 言ってくれたし。サイズを見ると「スモール」となっていたので、おしりの大きいうさぎは駄目かなあ、と思ったけど、 試着してみたら、良かった。にこにこ。外国の人って大きいのね。

 夜、ホテルでは野外でショーをやっている。軽快な音楽と踊り。(火のついた棒を バトンの様に自由自在に使って踊る。)
少しホテルのロビーから見て、部屋に上がる。 部屋にいても、そのショーの音楽が聴こえるので、テレビを消して、それを聴く。

みさちゃんは8時過ぎには、すやすや気持ち良さそうに眠ってしまった。 うさぎは音楽を聴きながら、結局1時頃まで起きていた。だって、いつもテレホタイムで 起きている時間だもんね。

パジャマの代わりに昨日着て寝た、パレオは朝になるとなくなるので(爆) 今日は日本から持って来た服を着て寝る。青いパレオは、上にTシャツを着て、その下にスカート代わりに 巻いて使っているが、とてもいい。日本でも海に行ったら使おう。

パジャマ代わりに着た、赤い方は、 パレオだけで、ワンピースの様にして着た。肩が出るので涼しいし、気持ちいい。 でも、やっぱり起きている時だけにしよう。(笑)

6月12日 金曜日 晴れ

 朝、スコールが降ったが、出かける時には上がっていた。
朝ご飯は、ホテルの部屋で、昨日買っておいたパンとジュースで済ませる。 ボードの乗り場の集合時間が9時なので、店には8時半に行く。(5分前に着く。)

 同じボートには、サイパンのボートの人(3人だったかな)と、若者グループ6人と、 おじさんふたり組と、うさぎたち3人が乗る。全員が乗るとぎっしり。(器材やタンクもあるからね。) うさぎは本来乗り物には酔い易い方なのだけど、鼻炎の薬を飲んでいるので、酔い止めの薬は飲まなかった。 それで心配していたのだけど、楽しいので全然酔わなかった。長いサイパン島を左に 見ながら、ボートは進む。

 1本目の場所は、ナフタン。
うさぎにとっては初めてのボートからのエントリー。 やってみたら、これは簡単だった。 サイパン犬さん、うさぎ、みさちゃん、の順でエントリーしたのだが、 うさぎは、入る前にサイパン犬さんが、 「何事も無ければ、ロープを持ったまま、潜行して待っている様に。」と 説明した『ロープを持ったまま』という所を忘れていて、ロープを離してしまった。

元々はサイパン犬さんだと思っていた人が別の人だったので、探そうと思ったのだが、 流れがとてもきつくて流されてしまった。他のグループの人たちが船のロープにつかまっているのが すぐ近くに見えるので、距離にしたら、わずかなのだが、泳いでも泳いでも進まない。と、いうか、 じりじりと後退している様だ。

みさちゃんたちを探しているうちに見上げていたため水面に出ていた。 高校生の水泳大会以来だった、本気で泳いだのは。

船の上にいた、サイパンのたくましい青年が、 あざやかなクロールで助けに来てくれて、ボートまで戻れたが、その青年でもなかなか前に進まない位 速い流れだった。

 やっとみんなと合流出来て、ほっとしたが、相当空気を使ってしまった。
海の底も流れが緩い所と、ほんのわずかの差できつい所とあって、きつい所は、珊瑚をつかみながら 前に進む。珊瑚は固い種類だったので、楽につかめる。

みさちゃんはバリ島で、もっと流れのきつい所を 何もつかまないで泳いだことがあるらしいのが、とても大変そう。
千葉沖でダイバーがグループで流されて、 そのうち女の子ひとりが亡くなったことがあったが、潮の流れは怖いものだなあ。

 潜った所は、珊瑚が素晴しく沢山ある所で、崖の様になっている所もある。 珊瑚に集まるかわいい魚たちも沢山いて嬉しい。海の中も地上と同じく色々違っているんだなあ。 うさぎの空気が無くなるのが速かったので、うさぎたちが最初にボートに上がる。 久し振りに、はあはあ、言ったうさぎ。

 2番目のポイントに行く前に、シュガードックという所に休憩のために行く。 綺麗な砂浜の海岸で、ウエットスーツのまま、シュノーケル、マスクをつけて、海にうつぶせになって ぷかぷか。とっても楽ちん。ダイビングを覚えると水泳は、きついので したく無くなる。浮かんでいるだけって、 気持ちいい。みさちゃんは平泳ぎで、お魚みたいに、泳いでいた。

 次のポイントは、アイスクリームという所。前日「明日は、ナフタンアイスクリームです。」 と言われた時には、アイスクリームを食べるのかと思ったっけ。
ここも珊瑚が沢山あって、綺麗な海で、魚も沢山いる。 でも、さっきのダイビングの影響からか、呼吸が速くて、今回も空気の減り方が速い。

昨日のビーチダイブでは、うさぎとみさちゃんの空気の減り方は同じ位だったのだが、 今日は全然違う。うさぎは普段もあがり症で、すぐにどきどきするタイプなんだけど、 やっぱり陸上でもどきどきしている時は、空気を沢山使っているんだろうなあ。

 港に戻って、記念写真を撮って、街に戻る。
サイパン犬さんと、3人でダイビングショップの隣のカントリーハウスへ昼食を食べに行く。 表の値段表が出ていないので、気が付かなかったが、安くてボリュームがあって、いいお店。
魚のあんかけ、スープ、サラダ、ライスのランチで5ドル。うさぎは他に、コロナライトビール (メキシコのビール)を頼む。ビールの口に檸檬が刺さっていて、それを押し込んで、飲むらしい。 本当はライムだそうだ。うさぎは初めてだったのだが、檸檬の酸味でビールが美味しい。こんな 飲み方もあるんだね。最後の方は甘く感じた。ビールは3、5ドルだった。

 サイパン犬さんに、フィンの使い方を直すことと、重い時は、BCDに空気を 入れて、調節することを注意された。重り(2キロ)がちょっと重いことは分かったんだけど、 つい空気を入れるのをさぼって、水底で休んでいたのが悪かったみたい。今度からちゃんとしよう。 フィンの使い方は、意識しているつもりだけど、やっぱり駄目らしい。 みさちゃんの足を見ると、ちゃんと膝が曲がらない綺麗なフィン捌きをしてた。 これは、次のダイビングの機会の宿題かな。

 サイパン犬さんに、車でホテルまで送って貰って(ちょっとの距離なんだけど、外を歩くのは暑いので、 楽)ホテルで入浴し、片付けをして、ビール、コーラ、ポテトチップを持って、ホテルの庭へ。

木陰を見つけて、ビール、コーラを飲む。すぐそばにハンモックがあるので、みさちゃんはそっちへ。 気が付くとすやすや。今日は早く上がったから、3~4時間は眠っていた様な気がする。 夜に眠れなくなるんじゃないかと心配していたが、夜もすぐに眠っていた。

うさぎのことを『眠り姫』って呼ぶ友達がいるが、今回で、この名前は、みさちゃんに 譲ることにした。
後で、聞いた所によると、みさちゃんは普段の生活で睡眠不足なんだそうだ。 その分を一気に取り返した、って感じ。
うさぎの方は、普段の生活の方が睡眠時間は長い。大体旅行に出ると 睡眠時間は短くなる。いつも、眠りたいだけ眠っているからかな。(笑)

 約束の夜7時にダイビングショップへ。預けていた、ウエットスーツとブーツを受け取って お金を払う。スーツやブーツは乾き易い所に置いていて貰ったので、殆ど乾いている。 料金190ドルは、カードで払う。お土産にお店のステッカーを大小1枚ずつ貰う。 これは、後でスーツケースに貼った。サイパン犬さんと本物の犬のゴンちゃんに挨拶をして、出る。

 例のカントリーハウスで、ふたりで、ちょっと種類の違うステーキを食べる。 かなり大きいけど、ふたり共結構食べた。スープ、サラダ、ライスの付いたセットで24ドル。 

 店を出て、ちょっとお土産を買いに行く。うさぎは昨日みさちゃんがハンモックでお昼寝している時に お土産リストを作っていたので、それを見ながら買う。
母の日にも、父の日にも、おばあちゃんの誕生日にも 何もしていなかったので、結構沢山になった。でも高いものじゃないけどね。

帰りにソフトクリームとジュースを買って、ふたりで食べながら、ホテルまで歩く。 気温が高いので、すぐに解けてしまうので、必死で食べる。それを買った店で、みさちゃんはかわいい 女の子のブローチ(違うかな)を買っていた。綺麗なろうそくの店だった。前を通って見るだけでも 楽しいお店。

 サイパン旅行もあと1日になった。テレビをちょっと見てから眠る。 ここでは、日本のNHKの放送が見られる。

6月13日 土曜日 晴れ

 朝、みさちゃんは、ご飯を食べに出かけた。
うさぎは、お風呂にゆっくりつかって、髪を洗って、ビールを飲みながら 残っていたポテトチップを食べて、NHKの放送を見る。朝の連続ドラマ『天うらら』で、 主人公の女の子が、大好きな男の子に、うっかり告白をしてしまうシーンだった。 続きは日本に帰ってから見ようっと。主人公が大工になる話で、興味があるので、うさぎが毎日見ているドラマ。

 みさちゃんは思ったより早く帰って来た。外を歩くのは暑かったそうだ。 熱帯気候では、お散歩は夜がいいみたい。
パンが安くて美味しい店を見つけたと言っていた。 初日に一生懸命探しても見つからなかったダイビングショップも見つけたそうだ。 もうちょっと歩いていたら、見つかったのに、っていうことだった。雑誌の地図は 間違っていたらしい。

 今度は、うさぎの食べたいものを言って、と言われて、またまたカントリーハウスで昼食。(笑) だって安くて美味しいんだもん。ランチも昨日のとは、違っていて、チキンカツ。これはボリュームがあったので、 少し残した。物価が高いので、ご飯を残すことが、とても勿体ない様な気がする。 今度から旅行する時には、タッパーと海苔と塩を持って来なくちゃ。

 歩いて免税店へ行き、街での最後のお買い物。おばあちゃんにとてもかわいい花瓶を買う。 みさちゃんも偶然同じ花瓶を買っていた。やっぱりかわいいものって、みんな好きなのね。

 ホテルのロビーには午後2時20分集合なので、それまでホテル内の喫茶室でお茶を飲む。 うさぎはパパイヤジュース。3、5ドル。(どうしてもいちいち書いてしまうなあ。(笑))
時間になって、バスに乗り込む。来た時にバスで一緒だった人たちはいなかった。 今回は、子供連れの家族も多い。そう言えば、昨日のプールは家族連れが多かったな。 人間観察は面白いので、うさぎはプールで遊ぶ人たちを見ていたから。

 空港で、チョコレートを買う。財布の中に残っているのは、2ドル6セント。 使い切らなくてもいいのだけれど、2ドルでフルーツゼリーを買う。日本では50円位じゃないかっていう話。(爆) でも、ちょっと変わった味で面白い。これがサイパンでの最後の買い物になった。

 帰りも窓際の席になる。来る時は、早起きのため、眠っていて、離陸したのに気が付かない程だったが、 帰りはしっかりと窓の外を見る。おしゃべりの途中、みさちゃんが、「あっ!虹だっ!」と言うので、窓の外を見ると、 ほんと、大きな虹!うさぎたちを見送ってくれている様だ。自然な虹を見たのって、子供の頃以来かもしれない。 とても幸せな気分になった。
 サイパン!また来るかな、もう来ないかな。分からないけど、しっかり覚えておこう、長い海がいっぱいの島。

 飛行機の中では、ネットの友達の話に花が咲いた。来年海外オフしようか、 沖縄オフしたら、来る人いるかな、などなど。中でも、うさぎのよく行くチャットルームの火元責任者のあきらくんの 話は、つきない。楽しい!

 機内食は、チキンカレー、ポテトサラダなど。チキンカレーは緑色をしていて、 珍しい。味はちゃんとカレーでうさぎ好み。みさちゃんには辛さが足りなかった様だ。 ポテトサラダも変わった味で、こっちは、うさぎはあまり好きじゃなかった。

 近くの席にかわいい子供がいて(幼稚園児かな)「ノースウエスト、ノースウエスト!」 と、はしゃいでいる。綺麗に日焼けして、元気いっぱい。降りる時も、 「また来るね!」と何度も言っていた。子供って、やっぱりかわいいな。

 サイパン発16時50分の飛行機だったので、成田には19時15分に着く。 みさちゃんは、荷物をコンパクトにまとめていて、機内に持ち込めたので、手荷物受け取りの所で別れる。

うさぎは自分の荷物が出てくるまで待って、19時45分発横浜駅行きのリムジンバスのチケットを買う。
何人かに着いたよコールをして、バスへ。外は雨だし、何もすることがないので、眠りたかったが、眠れなかった。 それで旅行中のことや、これからのことなど考えながら、乗っていた。

 とても荷物が重いので、横浜駅からはタクシーで自宅へ。日本はずっと天気が悪かった様だ。 明日も雨らしい。
 10時ちょっと前に家に着いて、片付けをして、いつもの様にチャットルームに行く。(笑)
みさちゃんも来て、ふたりで旅行中の話をして楽しむ。
他のみんなも段々集まってきて、楽しいおしゃべり。 また元の生活に戻るのね。

 流されたりしたけれど、実は今回のダイビング旅行で、うさぎはちょっと自信がついた。
沖縄で講習を受けた時よりは、ずっと思う様に出来たから。流れのきつくない所では、思い通りに 潜ることが出来ると思う。
ただ、これからもっと色々なことに出会うと思うので、経験を積んで、 焦らない様になりたいと思う。(性格自体は直せないもんね。)

うさぎの生まれた愛媛や、お隣の高知にもダイビングポイントがあるから、 夏に行ってみようかな、と思う。でも、それなら5ミリのウエットスーツを作らないといけないなあ。あと、一緒に潜る友達も。 帰宅してから、母親に電話して誘ってみたけど、一言で断わられた。(爆)みさちゃんいわく、「おかあさんは、大人だね。」だって。(笑) 

 今回の旅行は、沢山の人に感謝。それから、ダイビングを勧めてくれた、みさちゃんや、うめちゃんにも感謝。
それから、こんな長い日記を最後まで読んでくれた、あなたにも感謝。
怖いのは、サイパンで使ったカードの引き落としだなあ。(爆)


コスタリカ旅行の日記 後半

2018-10-03 22:39:33 | 旅行
コスタリカ旅行の日記 後半(1990年)

1990年
1月1日 晴れ後曇り一時小雨

 早寝のせいか5時には目が覚めて、サンホセの地図の確認などをして過ごす。8時にもぐちゃんが起きてクラッカーとジュースで朝食を取る。アラヤさんから電話が掛かることになっているので部屋で待つことにする。
いつも賑やかな外が 異常に静かだ。

ホテルのレストランで朝食を取り、午後3時前にアラヤさんが車で迎えに来てくれたのでホテルを出る。
車には、奥さんと2歳の女の子と10歳の男の子が乗っている。男の子は親類の子で、イワン・レンドルに似ている。女の子は可愛くてミスターアラヤにそっくりだ。

みんなでお祭りに行く。遊園地の乗り物は危険な物が多く驚く。日本の場合は万が一に備えてシートベルトが有るが、それが無いものが多い。私は1つだけ乗ることにする。

人出は多く下は砂(土だけれども埃が立つ)なので砂埃が立っている。男の子は車に、女の子はメリーゴーランドに乗り写真を撮った。夕食は屋台のコスタリカ料理、サラダと焼き豚で日本にも有るものとビールで済ませる。

私はトロス(闘牛)を見たかったのだけれども、遊園地で遊んだ後はもう終わっていた。アラヤさんは日本のお祭りを見たことが無いらしい。やはり日本の方が進んでいるので何となく物足りない。

帰り道、女の子はもう眠っていた。ホテルに着くまでにヤマハの音楽教室を見かける。ひとりで歩く日に行ってみよう。
ホテルに着くと、ビールのせいか大して歩いてもいないのにすぐに眠れた。 

後になったが、トロスに参加する人たちは逞しくていかにもそれらしい男の人ばかりだった。

1月2日 火曜日 曇り 風が強い日

 今朝は教会の鐘も聞こえずぐっすり眠れてすっきり起きた。もぐちゃんはお土産を持って午前8時に仕事に行き、その後私は洗濯してシャワーを浴びて洗髪する。朝食はスーパーで買ったオレンジジュースとクラッカーで済ませる。

午前10時にもぐちゃんから電話があり昼食は一緒にすることになる。髪がなかなか乾かず出掛けたのは11時半。

ラクサに行ったが順番が来る前に待ち合わせ15分前になったので、番号札を隣のおばさんにあげて急ぎ足で事務所へ向かう。途中偶然にオスカルさんと久美子さんに会う。今事務所に行って来た所だと言うこと。この間のお礼を言って別れる。

事務所で色々な人、同室のフレディさんにも挨拶をしてビゲスさんと3人でカサドを食べに行ったのだが、どこもいっぱいだったので、もう1度戻ってアラヤさんも一緒に中華料理を食べに行く。おなかも空いていたし、味もまあまあだったので全部食べる。

その後はひとりで町を歩く。土産物屋と本屋とレコード店、最後にスーパーで買い物をする。
お土産は特に欲しい物が見つからず、タオルにしようかと思う。レコード店はEP、LP、カセットテープが主で、CDはCBSソニーが出しているクラシックものだ。1~2枚買おうかな。

町を歩いていると時々「チノ」と呼ばれる。中国人だと思っている様だ。ホテルに着いたのは3時半。買って来た小さな林檎と牛乳をおなかに入れて休む。

4時半にもぐちゃんが帰って来て、6時半にレストランに食べに行く。今日はビールとライスと魚(白身のシーバス)で美味しかった。
ところで、私は27日にヘアーマニキュアをしたばかりなので、シャンプーすると少し色が落ちて(1か月位で取れてしまうそうだ)タオルなどにつくのだが、そのおかげでホテルがタオルを取り替えていないことに気が付いた。

もぐちゃんは気持ち悪がってタオルにサインペンで印を付けている。シーツを取り替えないことは知っていたが、タオルまでとはひどい。でもこちらの感覚では普通なのかもしれない。

1月3日 水曜日 曇り後晴れ 風が強い日

 快晴なら火山を見に行く予定だったのだが雲が多かったので中止になる。もぐちゃんはいつもの様に仕事へ。私は朝11時までホテルに居る。その時に部屋の掃除の人が来たのだが、何も言わなくても今日の人はタオルと石鹸を取り替えてくれた。

近くの店でレコードを見てから事務所に行く。約束の10分前に着いたので斜め前にある公園で10何年、殆ど20年振りにブランコに乗ってみる。ブランコを漕ぐのに足の力が要ることを思い出した。

今日は同室のフレディさんとカサドを食べに行く。すると偶然ホルヘさんが居て4人で食べることになる。肉が焼き過ぎて固かったこと以外は美味しかった。牛肉、ご飯、豆、キャベツの千切り、ジャガイモ料理(これが1番良かった)で日本食と似ている。カスというマンゴーに似ている果物のジュースも美味しい。

食事の後、トイレを借りて帰る。
帰り道に町を歩いて買い物をする。林檎の形をした小物入れ2個(1個275コロン)と絵葉書10枚(1枚25コロン)、バスタオル(1800コロン)、LPレコード3枚(約2000コロン=1979,5)、バスタオルの1800円が高いなあと思ったが、ホテルに持って帰って広げてみると、とても大きくてタオルケットとしても使えそうだ。

今日は昨日と違ってひとりで歩いていても精神的に疲れるということは無かった。2時間半歩いたが、前に見たヤマハの店を見つけることは出来なかった。まるでわざわざ避けて歩いている様だ。

見えにくい信号にも慣れたし、所々にある教会や公園も綺麗で道も直線で分かり易い。
外に居る時間よりホテルの中に居る時間の方が長いのが勿体無い。

テレビも番組を覚えた。「みつばちハッチ」が懐かしい。こちらではハッチの名前がホセに変わっている。
フイルムが裏返しなのだろう。みつばちハッチのタイトルが逆になっている。
他にも日本のアニメをやっている。

もぐちゃんは今日はかなり仕事で疲れたらしく帰るとすぐにベッドで眠っていた。

夜、アラヤさん御夫妻と夕食に行く。サンホセが一望出来る山の上にある店でレストランが閉まっていたので屋外の店でビールとトルティーリャを食べる。とうもろこしの粉で作った皮に肉や野菜を包んで食べるもので美味しい。夜景も綺麗に見える。
もぐちゃんがはっきり知らない華道や茶道のことを説明するのが面白い。
ホテルに帰ったのは午後10時半で疲れていたのですぐに寝た。

1月4日 木曜日 曇り時々雨後晴れ

 午前8時にもぐちゃんと一緒にホテルを出て事務所へ。コーヒーを頂いて9時に出発。アラヤさんとサンチェスさん(マリオに似た人)と4人でドライブに出掛ける。

まずカルタゴへ行って教会を見る。元首都だけあってサンラモンよりは大きかった。悪い所が良くなるという水が有ったので手を洗うことにする。少し肌寒いのだが、みんな子供の服を脱がせて水を掛けていた。
町を見下ろせる公園や田舎町オロシの教会へも行く。

途中、コーヒーを収穫している人が居たので、写真を撮ってコーヒー豆を取った。皮を剥くとみずみずしいけれど、あのコーヒー豆の形をしていて面白い。またチヤヨテという瓜の様な野菜園(ブドウの様に実がなっている)に入ってチヤヨテをおじさんから貰った。茹でて味付けして食べる様だ。マイアミに送っているそうで1ドルするそうだ。どこの人も皆親切だ。

昼食は大きな公園の中にあるレストランでチキンライスを食べる。ここは休日には一杯になるそうでボートに乗って居る人、プールで遊んでいる子供を見る。長袖でも寒い位だが晴れると暑くなる。

イラス火山はサンホセから54キロの所(標識では)に在り、富士山位高いのでとても寒い。火口が見下ろせて少しだけ下りて見た。雲が無ければサンホセ市街も太平洋も見えるそうだが、あいにく雲が多くて駄目だ。

山頂近くにレストランが有って、アグア(水)ドルセ(甘い)コン(英語のウイズ)レチェ(牛乳)とトルティーア コン チーズを食べる。
壁中にここへ来た人達の残して行った名刺が貼ってあって日本人のものを3枚見つける。私達も紙に名前など書いて貼って貰った。火山の絵と地図を買う。(どちらも50コロン)

今日は1日中車に乗っている時は眠かったが、帰りは山が寒かったせいか大丈夫だった。ホテルに戻ってレストランでビーフステーキ、ライス、サラダ、コカコーラ、パンを2人共残さず食べる。とても美味しいし、なぜか値段表より安かった。
今日も疲れていたので、私はシャワーを浴びないですぐに眠った。

1月5日 金曜日 晴れ

 午前6時に起きてシャワーを浴び、昨日の分の洗濯をして、もぐちゃんより少し遅れて8時35分にホテルを出る。そして事務所で待っていて10時過ぎに部長さんとアラヤさんともぐちゃんと4人でココに向かう。

部長さんはかなりスピードを出す人で、高速で所謂ネズミ捕りに捕まったが、同じ運輸省の人なので身分証明書を見せて許して貰っていた。2時間ちょっとで到着する。

ホテルにチェックインして昼食は運輸省の人の親戚の家でカサド(魚)とホームメイドチーズを食べる。臭く無いし美味しいチーズだ。ただ後でふたり共このチーズ(多分これが原因だろうということ)にあたって皮膚が赤くなり頭が痛くなった。もぐちゃんは症状が酷くて下痢してしまってずっと具合が悪かった。

順序は逆になるが、ビーチへ行く前に海水パンツやビーチサンダル、日焼け止めクリーム(全部で1000コロンちょっと)を買った。もう午後3時を過ぎていて日差しはきつく無かったし寒い位だった。
少し海に入って休み、近くのココビーチ、そしてオコタルビーチに行ってサンセットを見る。
ソーダを注文したら、ミネラルウォーターが出て来た。

もぐちゃんは、この頃は最悪な状態だった。私もビーチでビールを飲んで皮膚がチーズにあたってせいで赤くなっていて頭痛がしていた。

車で45分走り、ホテルに入ってシャワーだけは浴びようと思ったが、お湯は出ないし巨大な蟻やコオロギが沢山居て気持ち悪いのでそのまま寝ることにする。

ベッドカバーをめくったらまた蟻が沢山居たので、ベッドカバーの上から寝て、バスタオルをタオルケット代わりにして朝までずっと眠った。夜中に2匹の蚊に悩まされタオルをかぶる。ただ、クーラーが付いていることはいい。ビーチのそばにあるホテルはとても値段が高いそうなので、仕方無い。(大きなゴキブリも居た。)

1月6日 土曜日 晴れ 夕方サンホセに入った時に小雨がぱらつく

 午前8時にいつもの店に朝食を食べに行く。私は、卵、パン、コーヒー、ジュース、もぐちゃんも少し食べたかった様だが、部長さんに「No food!」と強い口調で言われて胃の薬(牛乳の様な色だが味は苦かったそうだ)と紅茶とパン1切れだけ食べる。

その後ビーチに行って(パナマビーチ)今日は沢山泳ぐ。波も無くて砂浜で泳ぎ易い。しかし時々チクチクと体を刺すものが居る。目で見ることは出来ないがクラゲでは無く小さな蛇の様なものらしい。
蛇で思い出したが、車でビーチに行く途中、道に大きな蛇が居て(死んでいたのだが)かなり迷った末、もぐちゃんは片手で持ち上げて(それでも地面に着く程長い)写真を撮った。彼は蛇を触るのは生まれて初めてで、とても気持ち悪かったとか。

その少し後、道に大きなイグアナが居て、アラヤさんが写真を撮ろうとしたら機敏に逃げて行った。私達はイグアナを見るのは初めてだし、逃げて行く様子がコミカルで面白いので大喜びする。植物も動物も日本のものとはだいぶ違う。

パナマビーチの海の色は日本と同じ青色で、今日はもぐちゃんは泳ぎの練習をした。15メートル位ずつだが、段々慣れた様だ。私も久し振りに泳げて嬉しい。

ビーチでピパという実を売っていて、割って貰って飲んだのだが、自然な甘さで美味しい。ピパを売っているおじさんは、ギターの伴奏で歌を歌ってくれた。

タマリンドウの木を見る。大きな木で実はサヤエンドウの様な形をしている。ジュースにするのだそうだ。
ビーチの近くに住んでいる人達と話をして、私達はオレンジを貰う。とても美味しい。
このあたりは、サンホセとはアクセントが違うそうだが、言葉としては同じで十分通じるそうだ。

休みを利用して家族で車で来てキャンプをしている人が多い。
ビーチでのんびり過ごした後、ホテルに戻って水のシャワーを浴び、髪を洗う。

こちらのホテルは皆チェックアウトは午後2時だそうだが、2時15分にホテルを出て(ホテル代は2人で1500コロン)またあのお店に行ってみんなで昼食を取る。いつも2人で350コロン。今度はチキンのカサドとオレンジジュースにする。もちろんチーズは食べなかった。

お店を出たのは3時15分で、今度はアラヤさんの運転でサンホセへ。3時間ちょっとでホテルに到着。

ホテルで洗濯をして、午後8時にホテルの前で待ち合わせ。その前に隣のスーパーで牛乳10個、ジュース4個、ビスケット2個、お土産用チョコレート7袋の全部で1000コロン弱の買い物をする。

順序は逆になるが、今日食事をした店には三毛猫が居て、日本に居るのと同じだったのだが、それを見てもぐちゃんが「猫はどこの猫も同じ顔をしているのにねえ・・・」と言ったのは可笑しかった。コスタリカの猫は目が大きくて、日本のが小さかったら自然なのかな。

今、ホテルのロビーで待ちながらこれを書いているのだが、8時の約束なのにまだ来ない。(現在8時50分)こちらの人は時間の感覚が日本人と違う様だ。いつも30分以上待たされている様な気がする。結局9時10分にアラヤさんと奥さんが迎えに来て、パーティー会場の家へ向かう。

今日集まったのは、部長さん夫妻と息子さん、アラヤさん夫妻、サンチェスさん、もうひとりと家主の御夫妻と私達だ。

部長さんの息子さんは部長そっくりで8歳。今、ヤマハ音楽教室に通っていて、古いジュニア科アンサンブルコースの1の本をしている。ソルフェージュ曲は日本の教材と同じで、後はワークブックとテキストを足してある。(全体の曲数は少ない。)

持っている楽器は、4オクターブで小さい鍵盤だった。
息子さんは、幼児科のテキストにあった「こいぬ」と「ひとつぼし」を弾いてくれた。「ひとつぼし」の和音付けは間違っていたけれども。

私は「子供の世界」とリクエストに応えて「上を向いて歩こう」と、こちらで流行っているパブロ・ルイスの曲(ラジオで覚えたもの)を弾いた。サンバのリズムがこの時分かりにくくてうまく弾けなかった。

奥さん達は皆おしゃれをしていて、この家の奥さんはとても公務員の奥さんとは思えない程色っぽい人だ。アラヤさんはなんと松田聖子の大ファンでカセットテープを1本持っていた。演歌のテープを持っている人も居る。
部屋には奥さんの描いた絵が沢山掛けてあって買わないかと言われるが、日本の家は狭いからと断った。

おつまみとジンジャーエールでまあまあお腹が膨れた所に、カサドとコーンとパンで出来たケーキの様なものと最後にプディングが出てびっくり。コーンのお菓子は嫌いだったが我慢して半分食べる。奥さん達はスマートなのに、みんな食べてしまったので驚く。

写真やビデオもアラヤさんが沢山撮ってくれた。みんな陽気でやはり声が大きくておしゃべり好きな部長さんはどこに居ても目立つ。
午前1時15分に、他の人達はまだ残っていたが、私達はアラヤさんにホテルまで送って貰う。ホテルに着いて、すぐに寝た。

1月7日 日曜日 晴れ、雲は多い

 ホテルのレストランで、ここでの最後の朝食(アメリカーノ)を食べる。
昼過ぎに町へ出て国立劇場や国会議事堂などの写真を撮る。

ヤマハのお店があり、休みだったので外から覗いて見る。HS-8は置いていなかったけれどもHS-5、6、7は売り場に置かれている。他は、ドラムとかキーボードなど。但しピアノは無い。

隣に音楽教室があるが休みなので1階の受付だけ覗いて見る。それによると、レッスン時間は、 午前8時から12時までと、午後2時から6時までの間で、クラスは4~5歳、6~10歳、11歳以上とあり、日本と大体同じ様だ。しかし、楽器の面でも他の面でも日本の子供の方がずっと恵まれている様な気がする。

こちらは日曜日は殆どの店が休みで、もぐちゃんとゆっくりお土産物を見て、買い足りないと思うものは買うつもりだったが、出来なくなる。結局1時間歩いただけで帰る。

最後の夕食はレストランで取るつもりだったが、レストランも閉まっていたので、前に昼食を食べた栄興という中華料理屋さんで、もぐちゃんは焼飯、私は焼きそばを食べる。細いそばで美味しいのだが、上にどろっとした野菜が掛かっているのがあまり好きではない。

帰りに2つの教会の前を通ったのだが、どちらもミサをやっていた。考えてみると、コスタリカに来て、夜歩くのは私は初めてだ。昼間とは違う賑やかさがある。
ホテルに戻り、夜9時半には寝た。

1月8日 月曜日 晴れ 雲は多い

 もぐちゃんはホテル代を払うといつもの様に8時に仕事に行った。
私は9時にホテルを出て土産物屋に行ってみたが、まだ閉まっていたので近くのスーパー(デパート?)の土産物コーナーで1個177コロンの牛車の小さいのを買う。ホテルの受付では名刺入れとして使っているものだ。

9時半に事務所に行き、みんなに挨拶してから10時にそこを出る。アラヤさんは土曜日のパーティで約束してくれた通り、LPレコードを1枚下さった。

事務所の人に車で送って貰って空港まで行く。
ツーリスト以外は入れない所までもぐちゃんは付いて来て貰う。
カウンターで手続きをする時、丁度私の番から係の人が、スペイン語しか話さない人に替わったので少し困るが、なんとか通れた。

TAX(空港使用料)は517コロン。4種類あってトランジットは1番安い。TAXのチケットには色々記入することがある。もぐちゃんと別れてからは難しい所は無くて良かった。もぐちゃんからは、1月15日のラグビーとマラソンをビデオに録画することを頼まれる。家に着いたら電話することも。

午後1時15分に出るはずの飛行機が50分遅れて2時5分に離陸した。ゲートに居る人は英語は話せないし、飛行機に乗るまで不安だった。
離陸後すぐ(2時20分)機内食が出る。デザートのチョコレートパイはとても美味しくて全部食べる。この飛行機に乗っている東洋人は私ひとりの様だ。

BIENVENUEに、午後3時15分着陸、4時4分離陸。(小さな空港で、降りたのはひとり、乗ったのは70人位)
雲が最高に美しい。まるで森の様だ。行きも帰りも窓側の席でラッキーだ。
午後4時25分 オレンジジュースとお菓子が出る。お菓子は断った。ずっともこもこした雲が見える。

時刻表ではメキシコシティーに着くまでにグァテマラにも着くことになっているが、どうもこのままメキシコに行く様だ。

ヤマハの長谷川先生はメキシコに登山に行くと言っていたが、なるほど高い山並が続いている。途中1か所止まらなかったので、午後5時50分着陸。予定通り午後6時に飛行機を降りることが出来る。

殆どの人は終着のロスまで行く様で、メキシコで降りたのは私を含めて3人だけだ。
入国審査、税関(手荷物チェック)を終えて50ドルをペソに変える。50ドル=133,900ペソ、1ドル=2678ペソだ。
セッタ乗り場に行き、4番(10,500ペソ)のチケットを買う。

偶然日本人2人(若い男性)と相乗りすることになる。話はしなかったが、2人の話から、どうやらレストランで働いている人達の様だ。今回は下見の様だった。彼らはスペイン語を話せる様だ。ホテルは違っていて彼らが先に降りた。

セッタの運転手は優しいおじいさんで「どこから来たのか。」とか「ホテルは予約しているのか。」(スペイン語で)聞かれた。着いてお礼を言って手を振ったらにこにこしていた。

マリア・イサベル・シェラトンホテルは1流ホテルで(1泊15,200円)とても立派だし、英語を話せる人も居た。荷物はあまりに少ないので自分で持って上がったためチップは要らなかった。

部屋も広くて置いてある調度品も立派だ。バスタブは私の身長(158センチ)でぴったり寝られる位。お風呂に入ってコスタリカから持って来たジュースと牛乳を飲む。空港の税関のおじさんは、この牛乳とジュースに気が付いて笑ったのだと分かった。

メキシコでは高級ホテルでも水道水は飲むなと聞いて来たが、ここは日本人観光客の多いホテルらしく、スペイン語の下に「飲料水」と漢字で書いてあったので、試しにコップ1杯飲んでみたら大丈夫だった。

1月9日 火曜日 晴れ

 午前6時起床。外はまだ暗いので散歩をするのは止める。7時に下に降りて行ってチェックアウトし、ホテル前のタクシーに乗る。大型タクシーだ。料金はTwentyとだけ言われたのでドルのことかと思い、5万ペソ渡したら「サンキュー!」と嬉しそうに言われたので、ひょっとして2万ペソだったのかなと思う。コスタリカで20ドルまでと言われていたので高くはないはずだが。(20ドル=53,560ペソ)この運転手さんも親切な人で「JALはあっち。」と教えてくれた。

JALカウンターで手続きをして(TAX=10ドル=26,500ペソ)まだ7時50分なので、空港内のお店を覗いて回る。残りのペソを使おうと見ていたら、コスタリカの国旗が入っているエプロンを見つけたので1枚買う。

8時半に搭乗手続をする。久し振りに沢山の日本人を見た。コスタリカとは違ってメキシコは朝6時にテレビをつけた時、どの局も放送をしていた。ニュース中心で、パリ・ダカールラリーのバイクが走っている所も映していた。

午前10時44分 離陸。10時5分離陸予定だったのだが、日本人客でパスポートなどを入れたバッグを失くした人が居て、それを探していて遅くなったそうだ。見つかったのかどうかは分からない。
飛行機内は日本人も居るが、5時間後にバンクーバーに到着するため、カナダ人も多い。全体としては日本人以外の人の方が多い。

午前11時10分 飲み物とおつまみ。
午前12時00分 昼食。昨日の夕食と今日の朝食を取っていなかったので、嬉しい。でも全部は食べられなかった。昨日からずっと窓側の席になったのはいいのだけれど、景色は見えてもトイレに立ちにくいので飲み過ぎない様に注意している。
イヤホンを3ドルで借りて名人会とシューベルトの即興曲を聴く。出来るだけ聴いて帰ろう。映画音楽も全部聴く。「ある愛の詩」は懐かしかった。

午後03時48分 バンクーバー着陸。今回は降りなかった人もまあまあ居る。(70人位)バンクーバー時間で午後1時48分、気温7度、小雨、緑の多い綺麗な所の様だ。

今回はバンクーバーはもちろん、1泊したメキシコも通過しただけという感じ。ただメキシコの街の感じや運転マナー、道路事情はなんとなく分かった。中心部の道は6車線(一方通行)位あって、混む夕方は車線は6でも車は7列になったりする。またクラクションはそう鳴らさないが、すぐに車線変更する。(信号が青に変わって、前の車がすぐに発進しないとすぐ横に出て追い越そうとする。)交通標識はしっかりしている。高いビルも結構あるが、とても古いビルも残っている。

もし、今度メキシコに来ることが有れば、メキシコの歴史とスペイン語を勉強して来よう。
多少文法が間違っていても、単語(発音も含めて)がしっかりしていれば、かなり分かって貰える様だ。

ここから先はバンクーバー時間

午後03時46分 離陸。回りは皆日本人になる。(私の座席は42A)30分して飲み物とおつまみが出た。前のスクリーンで1989年のスポーツハイライトを見る。

午後05時15分 機内食。和食も少し有って3分の2位食べる。食事の後に免税品の販売が有り、もぐちゃんに頼まれたお酒を3本買う。帰りは荷物が多くなる。

今日の映画は「ティニー・ウイニーズ」で、パパの発明した物質縮小機に偶然かかって小さくなってしまった子供達が裏庭から家に帰るまでの冒険と愛の物語だ。面白かった。
映画が終わってからもずっと音楽は聴いていたが、1時間位は眠っていた様だ。

午後12時00分 軽食。半分位食べる。日本時間では午後5時で、みんな仕事をしている頃だ。早く家に帰りたいという気持ちと旅行が終わってしまうのが寂しい気持ちと両方だ。
前のスクリーンで東京の名所案内と日本食の紹介をしている。
私もテレビでしか見たことが無いものが幾つも有る(歌舞伎座で見る歌舞伎など)。

午後06時45分 成田空港着陸。手荷物だけなので待つこと無く税関もすんなり通ることが出来る。7時20分発のリムジンバスで横浜シティエアターミナルへ。
午後08時45分 横浜着。バスの中では流石に眠かった。(リムジンバス3,100円)すぐにタクシーで自宅へ。
午後09時20分 自宅着。(タクシー3500円)

タクシーの運転手さんの話に寄ると、霧のため、今朝着いた便は成田にすぐ着陸出来ず、羽田に着陸して霧が晴れるのを待っていて、4時間も遅れたそうだ。その点、私はラッキーだった。

バンクーバーも寒かったが、こちらに着いても驚く程ではないが雨も降っていてやはり寒い。コスタリカの様に1年中春の様な気候の方が過ごし易い様だ。けれども、四季が有るというのも良いものだと思う。

紛争中のパナマの隣国ということもあって、みんなに心配をかけてしまったけれども(実は私も心配だった)結果としては、楽しい旅行になった。


コスタリカ旅行の日記 前半 1989年

2018-10-03 22:29:25 | 旅行
コスタリカ旅行の日記 前半(1989年)

1989年12月28日~1990年1月9日

ここに載せるのは、2002年 2月16日。
コスタリカ旅行の時は、これを書いている現在より、体重は10キロ少なく、12年分若かった。(当然ね。(笑))

 この旅行は、仕事で2か月間コスタリカに滞在中のもぐちゃんと冬休みを一緒に過ごすために出掛けた時のものである。当時ノートに書いた日記の内容を、このページに残すことにする。(但し、少し解説を括弧書きで加えた部分有り。)

当時は彼のことをもぐちゃんとは呼んでいなかったが、日記には本名で書いているので、「もぐちゃん」に直して書くことにする。

この旅行時は、丁度隣国のパナマが紛争中で大変だったため、旅行会社の人、家族など、みんなに行くことを反対されたが、コスタリカに滞在中のもぐちゃんが「こちらは何事も無く平和だよ。」というので、行くことにした。

しかし、日本での紛争のニュース映像が、かなり激しい戦争という感じだったので、その言葉も半信半疑で、私は真面目に遺書を書いて出掛けた。

その遺書は旅行から帰って来てすぐに捨てたため、詳しい内容は覚えていないが、本気で遺書を書くことで、その時の正直な自分の気持ちがよく分かるということが分かって、良い経験になった。

海外旅行にもかかわらず、洗剤を持って1~2泊旅行用のバッグひとつで出掛けた。ジーパンははいて行く1本のみ。盗まれたり無くなったりしても困らないものしか持たず、アクセサリーは一切身に着けて行かなかった。

12月28日 木曜日 晴れ

午前10時00分 自宅(当時は、横浜市金沢区)を出る。タクシー代 3940円。
午前11時00分 横浜シティエアターミナル発。3100円。バスはかなり空いていた。事故渋滞も2回あったが、思っていた程では無かった。

午後01時15分 成田北ウイング着。空港使用料2000円。焼うどんセット824円。
午後4時集合なのに、あまりに早く着いたので、空港ロビー内をうろうろしたり、見学者デッキ、屋上デッキに出て飛行機の離発着を見る。綺麗だけれども太陽の光が眩しい。

午後04時00分 航空券を受け取って後は手続き。日本語なので分らないことも聞けて楽だ。トマトジュース 205円。

午後05時25分 離陸。37Gシート。スクリーンの真ん前。周りは皆、外国人。夕食前に飲み物(オレンジジュース)とおつまみ(あられ)が出る。

午後08時00分 夕食。ざるそば、パン、ステーキ、野菜サラダ、デザート(プリン)、飲み物。美味しいので太ると思いながらもパン以外は食べてしまう。

「007消されたライセンス」を観る。(イヤホーン400円)迫力のあるシーンがいっぱい。
午後11時30分 オレンジジュースを飲む。

午前01時00分 朝食。パン2個、ヨーグルト、コーヒー。クロワッサンは美味しい。

午前02時25分 バンクーバー着。バンクーバー時間では午前9時25分ということを知る。スチュワーデスもあくびをする。外は明るくてもいつもなら熟睡している時間なので、みんな疲れている様だ。
動かずに居て食べるせいかジーパンが張って痛い。機内食は控え目にしよう。

これから先はバンクーバー時間で記入する。

12月28日 バンクーバー 晴れ 気温12度

待ち時間に藤沢からメキシコの親類の家に行くご家族(奥様)とお話をする。私の荷物があまりに少なく、身軽な格好をしているせいか、海外旅行にかなり慣れているの人だと勘違いされる。否定はしておいたが。

午前10時30分 同じ飛行機にまた搭乗した。殆どの人がバンクーバーで降りてしまったので、飛行機内の雰囲気がガラっと変わる。

金髪、栗毛の白人が殆どで、私の後ろと隣の女性がよくしゃべる。時間のせいかもしれないが、全体的によくしゃべる。

スチュワーデスも前は日本人と中国人で、今度も日本人と中国人という説明だったが、金髪白人のスチュワーデスも居る。(JAL)
赤いハートの沢山付いた派手なストッキングをはいている人が居て、最初はこの人はスチュワーデスだと思っていたのだが、彼女はお客さんだった。

午前11時30分 離陸。
午前12時00分 飲み物(私はミルク)とおつまみのサービス。
午前12時30分 昼食 メインディッシュがチキンに変わるが(食べてないが多分そうだと思う。)豪華だ。ただ、おなかが張って食べられなくなったので、野菜と飲み物以外は味見程度にする。

ずっとお化粧を落としていないので、顔がきたなくなっている。コスタリカの人達へのお土産用マイルドセブン1カートン(1200円)を買う。ジュースのサービスがあったが、断った。

午後04時03分 メキシコシティー着。現地時間6時3分 気温15度。時計を2時間進めた。

到着ロビーには日本語の分かる人が2人(女の人)居た。1度出国手続きをとってからまた入るとのこと。うろうろしながらも何とかクリア。税関は拍子抜けする位何もしなかった。

時間は十分にあるので、空港の1階ロビーと外を端から端まで歩く。真っ直ぐなので分り易い。Setta(乗合タクシー)乗り場も分った。(帰りに使うので確認する。)

Settaの案内をしていた芝一雅君に似た若い男の子も、ラクサのカウンターのおじさんも異常に親切だ。上に上がってからゲートを聞いたおじさんも親切。ただ、みんな英語は殆ど駄目な様で、スペイン語でペラペラしゃべられて、分ったのは「スペイン語を話しますか。」の一言だけだった。

荷物とボディチェックの係の若い女の子達は態度が悪かった。(日本を基準にすると。)

待っていたら、15(スペイン語でキンセ)番ゲートだと教えてくれる人が居て、同じコスタリカに行くおばあさんと一緒に行った。その人は英語もスペイン語もOKで、息子さんがコスタリカに住んでいるのだそうだ。
昔は日本語も話せたそうだが、今は忘れたそうだ。「荷物を見ていて下さい。」と言われて、彼女がトイレに行っている間、そうしてあげたら「どうもありがとう。」と日本語で言われた。ラクサの飛行機は全日空の国内線と大きさ、色、雰囲気共似ていて綺麗だ。

午前9時45分 予定通りにメキシコシティー発。離陸して30分程して夕食になる。トイレには行っていないのだが、なぜかおなかが空いて沢山食べる。
チキンに付け合わせの野菜、それにピラフ、但し粒の大きな米で、のり状になっているわけでは無いのに、口の中に入れるとさっと溶ける様な感じだ。パンにつけるバターはとても懐かしい味がした。後、野菜サラダ、フルーツ、コーヒー、ジュースはみんな食べて、クラッカーとデザートのケーキは半分残した。 フルーツは、緑色のメロンと黄色のメロン、そして赤いスイカだ。みんなとても美味しい。12月に甘いスイカが食べられるなんて感激!

午後12時15分 コスタリカ着陸。夜中なので閑散としている。税関ではバッグの蓋を開けただけで何ということも無かった。

5分ひとりで待ったが、恐ろしい感じは全然無い。もぐちゃんとアラヤさん(コスタリカ人)御夫妻が車で迎えに来てくれていた。12時10分には来ていたそうだが、違う場所で待っていて気付かなかったそうだ。

アラヤさんにホテルまで送って貰う。奥さんは純粋な白人だ。ホテルの部屋は広くてダブルベッドが2台(枕4個)置いてあり、テレビは日立の白黒だ。お風呂はシャワーだけだが広い。ここはサンホセ(コスタリカの首都)の中心だそうだ。
もぐちゃんは変わらず元気そうだった。

12月29日 金曜日 晴れ

 ホテルのレストランで朝食を取る。メニューを指して頼むだけかと思ったが、頼んだ後も係の人が来て色々言われる。内容は全然分からない。

異常に喉が渇いてミルク2杯、コーヒー1杯、オレンジジュース1杯に、トースト、ハムエッグ、もぐちゃんは、コスタリカ料理の米とあずきの混ぜてあるものを食べる。ひとり250コロンで安い。

 食事の後、街に出る。休日のせいか人が多く賑やかだ。公園、小さいが趣きのある国立劇場、1日1往復しか無いという駅などを見る。また、もぐちゃんの職場の前も通る。
まだどこもクリスマスの飾り付けがしてある。2月頃までそのままにしておくそうだ。

1番驚いたことは交通環境で、信号はワイヤーにぶら下がっているだけで交差点なのに2つしか無く(つまり4方向のうち2方向の車からは見えない)歩行者のための横断歩道も無く、危険極まりない。また道を歩いていると、エンジンオイルの臭いがして綺麗とは言い難い。街角では果物売り、宝くじ売りなど沢山居て大声で商売をしている。

もぐちゃんがこちらに来てから今日が1番暑い日だそうだが、日本の真夏の感じでTシャツ、ランニング姿の人が多い。サバナ公園まで歩くが、夏バテしてしまう。
高速道路の様な6車線の道で車がビュンビュン走る所を横断しなければならないのだが、あまりに危険なので遠回りして数少ない歩道橋を渡る。しかし地元の女の人が、小さい子供3人を連れて平気で渡っていて感心した。こちらは車優先らしい。

 お店に入って飲み物を頼んだのだが、ここも後からまたウエイトレス(まぶたにビーズを着けた派手な化粧の人)が何が言いに来て困っている所を、近くに居た米国人が通訳してくれた。

フルーツジュースの中に入れるフルーツはカットしますか、しませんか、ということだったらしい。全然分らないスペイン語を聞いていると、英語の駄目な私でも英語はまだ分かる言葉なんだなあと思う。

 広い公園に行き散歩していると、急にトイレに行きたくなり探したが見つからない。男性用はあったが女性用は無く、おばさんに聞くがスペイン語の返事が理解出来なくて諦める。

美術館は閉まっている。
サンホセで1番大きいスーパー(並木、富岡のローゼンより小さい)に行って、洗濯桶やジュースなど買う。
そこにトイレが有り、日本人の感覚からすると汚かったが使う。隣は便座の部分が無くなっていたが、使った人が居た。

そこでもジュースを飲む。そこからホテルまで歩いて帰るが、暑さのため疲れ切ってしまう。まだ午後2時だが、もう外に出る気がしなくてベッドで寝る。外は暑いが部屋の中は涼しい。湿度が低いので快適だ。

夕食はホテルでフルーツサラダとグリーンサラダを頼んだのだが、また何か沢山言われて困った。ライス付きということと飲み物は何にしますかということだったらしい。
コカコーラを頼む。バターライスは固めで私は好きだ。

夜、隣のスーパーで買ったワインで乾杯する。
テレビでは、トロスという闘牛(牛をけしかけておいて追いかけられたら逃げ回るもの)をやっていて、くだらないのだが面白い。ワインと疲れのせいでぐっすり眠れた。

12月30日 土曜日 晴れ

 昨日もそうだが、朝は近くの教会の鐘の音で目が覚める。こちらに来てから早寝早起きになった。朝は部屋でクラッカーとジュースで済ませ、11時から11時半まで散歩した。Lacsaは休みでリコンファームは出来なかった。

部屋履きのスリッパを398コロンで買う。サイズは37。後でガイドブックで調べると、私のサイズは38で少し小さめだった。
変にスペイン語で話すより、日本語で動作をつけて言った方が通じるということが分かる。

ホテルに戻って12時過ぎてレストランに行くが、まだ朝食メニュータイムだった。何時からメニューが変わるのか聞けないのが情けない。
サンドイッチ、私は生まれて初めてチキン(薄味)のサンドイッチを食べたのだが、美味しかった。

午後2時15分にアラヤさんが車で迎えに来てくれて、車でサン・ラモンに行く。高速道路からは、コーヒー、さとうきび、ヒッチハイカーなどが見える。そして標高の高い所だということがよく分かる。サンラモンまで約1時間のドライブ。

コスタリカ大学の先生と奥さん(日本人)の家へお邪魔する。オスカルさん32歳、久美子さん38歳で、5年前に東京で知り合い、1年前に結婚されたそうだ。7月からこちらに住んでいるとのこと。天井が高く、中庭があって古くて趣きのある家だ。

お二人の案内で近くを散歩する。鳥居のある教会は丁度葬式の前だった。棺の上に花束が置いてあり、参列している人たちは普段着だ。インディオの不思議の石を庭に飾っている家も見る。車も人もサンホセに比べるとずっと少ない。

コスタリカ大学や小学校も見る。コスタリカには大学が3つ位しか無いそうだ。コスタリカ大学は、サンホセ、サンラモン、プンタレナスにあり、オスカルさんはプンタレナスで教えているそうだ。

夕食に鯛の刺身、煮魚、海老と卵の炒め物、ワカメの味噌汁、ご飯、パパイヤ、甘いレモンを頂く。美味しくて私達2人共沢山食べる。久美子さんはいい人でオスカルさんも優しく、お皿を片付けたり拭いたりよく手伝っている。

テレビでトロスを見るが、カラーテレビだととても分かり易い。
夕方帰るつもりだったのだが、泊めて貰うことにした。本棚にはおふたりの写真や日本の本も沢山有る。奥さんの名前は○和久美子さんで、家は東京の○○だということが分かる。
この日、私はぐっすり眠ったが、蚊が1匹いたそうで、もぐちゃんは眠りにくかったそうだ。

(教会にある鳥居は、珍しくコスタリカ人で太平洋戦争に行って米国側で戦い、日本人を沢山殺した人が、その供養の意味で作ったそうだ。)

12月31日 日曜日 晴れ

 朝5時に起きて4人で久美子さんの作ってくれた朝食を食べる。1個5円のパンと日本には無いバター、卵焼きに燻製の牛肉、バナナの焼いたもの、ミルクで、どれも皆美味しい。こちらのバナナはそのままで食べると甘くないそうだ。

6時半にSUZUKIのジープの様な小さい車で出発。隣に住むおじさんの運転で私は助手席に座らせて貰う。後ろの3人は天井に頭がつかえていた。でも、前に9人この車に乗ったことがあったそうで、信じられなかった。

サンラモンからプンタレナスに近付くにつれて空気が暖かくなり私は段々眠くなった。
7時半にプンタレナスに到着。
エンジンを切ってキイを抜いた直後、車が1メートル程前進したので驚く。
運転のおじさんはクレイジー!と言っていた。

車を降りてから新しくて綺麗な漁船に乗り海に出る。ずっと海水浴場になっていて、道路と鉄道のレールの分だけの細い幅の土地だ。海は綺麗だ。遊びで出して貰った船ではないため、途中エンジンを切って止まっていたので少し気分が悪くなったが、半分眠っていたので大丈夫だった。久美子さんは完全に気分が悪くなってベッドで寝ていた。

白鳥の様に海に浮かんでいる鳥が居て、口を開けるとペリカンに似ていて、名前を聞いたら本当にペリカンだった。動物園でしか見たことが無いので嬉しい。

2羽、他と違って茶色のが居る。可愛らしい。みんなじっとしている。時々飛んで船を追いかけて来るのが居る。日差しは真夏と同じで痛い位だ。
午後1時位まで船に乗っていた。海水浴場では沢山の人が泳いでいる。

船長さんと握手をして船を下りて暫く歩いてからお昼を食べに入る。「ふたりでひとつ。」と注文したら、それぞれふたつ出て来てお皿が沢山テーブルに並ぶ。
コスタリカ人のオスカルさんが注文しても違うのだから私達が困るのも当然だ。

ポテトフライとチキンと飲み物、もぐちゃんは魚のカサドを食べる。バナナが付いていて1切れ貰う。少し酸っぱい。食事代はオスカルさんに出して貰った。

この町にも中華料理のお店がある。クーラーの付いている家は殆ど無い。ここも人通りは少ない。バス停(ターミナル)を教えて貰い写真を撮って別れる。

バス停には海水浴帰りの人が並んでいる。2時過ぎではじめは海辺を散歩しようと思っていたが、これから帰る人が多そうなので止めて並ぶことにする。いっぱいになると発車するバスで良いバスだった。サンホセまで直行で132コロン。バスの窓からは景色がよく見える。牛、馬、鶏も居て、家には支持する政党の旗が揚げてある。来年選挙なのでみんな旗を揚げてお祭り騒ぎだそうだ。

サンホセに着くまでにこちらに来て初めての雨が降ったが、一時的なものだった。サンホセには午後5時頃着く。(乗車時間約2時間)ホテルまでは歩く。町は相変わらず賑やかだ。

帰って隣でジュースやお菓子、入浴用のヘチマなどを買い、ホテルですぐに洗濯をする。

夕食は年越そばの代わりにスパゲティとサラダとコカコーラを頼んむ。前に来た時には、スパゲティにはパンが2~3個、サラダにはバターライスとドレッシングが付いていたが、今日は何も付いていなくて、盛り付け方も違うのだが、値段は同じだ。作る人によって違うらしい。日本だと有り得ないことだ。でも味は良かったし、スペイン語は駄目なので、そのまま食べて出る。

部屋に帰ってワインとポテトチップスを食べて、テレビドラマを見たり、ニュースを見たりして過ごす。ニュースは今年を振り返っていた。

こちらの人は、12時になる前から「A Happy New Year!」と言う様だ。(エレベーターの中で陽気にそう声を掛けられた。)
シャワーを浴びてベッドに入るとすぐに眠れた。鉄砲の様な音が何回も聞こえて目を覚ますと丁度12時で1990年になった所だった。煙だけの花火が打ち上げられている。今日は一晩中街は賑やからしい。

ここからはネオンが綺麗によく見える。しかし、ドーンドーンが新年の合図とは面白い。初めはパナマの戦争がついにここまで来たかと思った。
ドーンドーンが終わるとまた眠ってしまった。


初めての富士登山の日記 1989年

2018-10-03 22:23:14 | 旅行
初めての富士登山の日記

初めての富士登山
1989年 8月11日 金曜日 晴れ~12日 晴れ

1989年の手帳の1ページにぎっしり書き込まれていたものです。
当日はとしちゃんが昼間に4級船舶試験を受けてから登山に出掛けました。(合格しました。)

もぐちゃんが高山病に掛かりやすいタイプだったので、彼にとってはかなり苦しい登山になりました。
頂上で御来光を拝むと、としちゃんだけが奥宮まで行ってお参りし、その後は 高所に居ることがしんどいもぐちゃんのために 登って来たのと同じ道を走る様に下山しました。

登る時には懐中電灯で足元を照らしながらゆっくり登ったので感じなかったのですが、日が昇り明るい中の下山では、 こんなに長距離登って来たのかと驚く程、下山道は長く感じました。

1分1秒でもはやく下山したいもぐちゃんに合わせたため、火口道路を歩く「お鉢巡り」はしませんでした。
それがちょっと心残りのとしちゃんです。  

2003年 4月10日 記

行程

午後
0407 新杉田→大船 1420円×2、バス170円×2
0436→0550 大船→三島
0638→0815 三島→新五合目 2270円×2
0900 新五合目出発 杖900円、懐中電灯1300円、缶コーヒー300円
0917~0950 新六合目で休憩 お茶
1037~1045 新七合目で休憩(途中20+10分休憩)
1133~1145 表口七合目で休憩(途中12分休憩)流れ星 晴れ
1202~1215 休憩 おにぎり
1228~1245 表口八合目 としおにぎり、セーターを着込む
午前
0133~0245 表口九合目(途中4+4分休憩)厚手のジャケットなど全て着込んで外で座って仮眠(眠れない)
雪も有り寒さに震える
0315~0330 九合五勺で休憩(途中5分休憩)甘酒&お汁粉900円
0430~0550 頂上 測候所 富士奥宮 ハンコ200円
0605~0613 九合五勺で休憩 ハンコ200円
0630~0635 九合目で休憩 ハンコ200円
0655~0715 八合目で休憩 ハンコ200円
0737~0750 本七合目で休憩 ハンコ200円、飲み物650円
0815 新七合目通過 ハンコ200円
0837 六合目通過 ハンコ200円
0853~0910 新六合目で休憩 ハンコ200円
0925 新五合目到着 もぐちゃんお土産1000円
1030→1220 新五合目→新富士駅 バス2710円×2
1225→■■■ 新富士→新横浜 4220円×2(新幹線)、新横浜→新杉田 290+160円
午後
0210 自宅到着 タクシー810円

登山の時間( )内は休憩時間 単位は分

新五合目→17新六合目(33)→47新七合目(8)→48表口七合目(12)→17途中(13)→13表口八合目(17)→ 48表口九合目(72)→30九合五勺(15)→60頂上(80)
登山時間の合計は、225分=3時間45分、休憩時間の合計は、225分=3時間45分、頂上に居た時間は1時間20分

下山の時間

頂上→15九合五勺(8)→17九合目(5)→20八合目(20)→22本七合目(13)→25新七合目→22六合目→ 16新六合目(17)→15新五合目
下山時間の合計は、152分=2時間32分、休憩時間の合計は、63分=1時間3分

感想

★もぐちゃん
 頂上に近付くに連れ登山道周辺には死人(?)がごろごろと転がる様になった。私もついに富士で死ぬのかと思うほど頭痛、胸痛、 吐き気と高山病に苦しみました。
死んでも悔いは無いと思うものの、しかし苦しい。33才で登ったことに感謝しました。 34才なら駄目だったのではと。
けれども、ついに最高点に達したのだ。次は相当体を鍛えておくことが必要だ。

★としちゃん
 流れ星も初めて見ることが出来たし、楽しい登山だった。次に登る時はお鉢巡りをしたい。
この日、宇和島東が甲子園で1回戦勝ちました。(3対0)