としちゃん&VTR250

のんびり、ドキドキ、ブランク10年のリターンライダーの日記

祖母のお葬式 2001年

2018-10-24 11:50:00 | 特別
祖母のお葬式の日記

2001年3月 祖母のお葬式

3月10日 土曜日 晴れ時々曇り

 夜に弟ともぐちゃんから祖母(92歳)が亡くなったとの電話が入る。着信履歴によると、最初に午後7時19分に母から電話が入っている。亡くなったのは午後10時15分だそうだが、7時頃に悪くなったのだろうか。電話で話している時は大丈夫だったが、電話を切った途端に悲しみが込み上げて来て泣いてしまう。

 帰省して聞いた所によると、10日の朝9時過ぎに祖母が部屋から父を呼び、父が行ってみると片手がしびれると言って部屋で転んでいたそうだ。病院に連れていって検査を受けさせた所、どこも異常は無いとのこと。

祖母は両親に「お世話になります。」と言い、手のしびれも良くなって来ていたのだが一応安心のため入院することになる。

両親は帰って大丈夫と言われて夜に一旦家に帰ったのだが、遅くに急に悪くなったと病院から連絡が入り、間に合ったが10時15分にあっけなく亡くなってしまった。
祖母は午後11時前には家に戻って来たので、12~13時間病院に入っただけで、本当にぽっくり亡くなったという感じだ。

 祖母は9日まで元気で、6、7日には庭の草取りをしているし、歩いてひとりで買い物にも出掛けている。宇和島市には9日に大雪が降り、祖母の9日の日記には「銀世界」と書かれている。悪くなったのは突然の寒さのせいだったのかもしれない。
祖母の毎日の日記を読んで、私がずっと日記を書くのは祖母に似ているせいなのかもしれないと思う。

3月11日 日曜日 晴れ

祖母の告別式に出るために全日空の第2便で四国松山空港へ。当日にすぐに降りられる様にと前方席を購入したら、最前列のC席になる。

松山からJRで宇和島市へ。午後2時前に実家に到着する。弟は第1便で先に帰っていて庭の掃除や窓拭きなど色々としてくれていた。朝から親戚の人や母の友人が手伝いに来て下さっていてとても助かっている。

祖母はもうお棺に入っていて、昔の顔に戻ったその顔を見ると涙が溢れて来た。祖母は私と同じく若い頃はつり目だったのだが年を取るにつれて目じりが下がって来ていたのだ。それが亡くなると色が白くなって皺も無くなって目じりがすうっと上がって本当に若い頃に戻った様だ。祖母の死に顔を見ながら「私も死ぬと目じりが上がった昔の顔に戻るのだなあ。」と思う。

 通夜の準備など手伝いをし、午後6時半から通夜が始まる。焼香の後は殆どお茶出し係になっていた私だが、大勢の人に来て頂いて祖母の人生は良いものだったのだなあと思う。

日頃会うことの無い親戚の人たちや近所の人たちとも久し振りに顔を合わせて話をする。

みなさん帰られて両親と私と弟で祖母の話をし、夜は祖母の居る祭壇の前に布団を敷いて寝る。母は昨日は一睡もしていないので祖母に1番近い所に布団を敷いて今日は安心して眠った様だ。

夜中に甥っ子の熱が下がらないと妹から電話が入り心配になるが、それでも眠った様だ。何故なら翌朝弟から、としゴンが現れたことを聞いたから。(爆)(後日甥っ子の熱も下がって安心する。)

3月12日 月曜日 曇り後晴れ

 朝早起きをして喪服を着る。9時出棺。老師の「死に様あっぱれ!」の言葉に「おばあちゃん、褒めて貰ったね。」と母が話す。
棺おけに釘を打ってしまう時は悲しい。
霊柩車には龍が沢山居て、今回風邪で来られなかった龍好きの甥っ子に見せてやりたかったなあと思う。

9時半から11時に祖母は火葬になる。ドアが閉まる瞬間には「ああ、これで本当にお別れだなあ。」と思う。1時間半お茶やお菓子を出して祖母の話をしながら待つ。

11時にお骨になった祖母が出て来る。病気だった所は黒くなると言うが、健康だった祖母の骨には黒い所はひとつも無くて真っ白でとても綺麗だ。

明治生まれで身長が163センチ有った祖母は骨もしっかりしている。すべての骨を拾い、紺地に花模様の美しい骨壷に祖母は入る。小さくなった祖母は私が抱いて車で家まで帰る。母から「おばあちゃん、軽くなったでしょう。」と言われたが、生きている時に祖母を抱いたことが無いので、私には重みが感じられた。

 家で親戚の人や母の友人達と昼食を取る。
もぐちゃんも仙台から到着。道を覚えようと思って宇和島駅からこの家まで歩いて来たもぐちゃんは(間違わなければ徒歩15分位の距離)今回初めて駅やお城と、この家の位置関係や 駅や街の中心部から意外に近いことがよく分かったと言う。車に乗せて貰って来た時には分からなかったそうだ。
しかし初めて歩いたため、道を間違えて少し遠回りをしていた。

 午後2時からお寺で告別式が始まる。家から近い所に有るお寺には近所の人達も沢山来て下さっている。9日に降った雪がまだ日陰には残っていて、祖母の亡くなる前日の9日の日記の「銀世界」という言葉を思い出す。

お膳の後、午後3時58分宇和島発の汽車で弟ともぐちゃんは帰る。
両親と私は最後に祖母の遺骨、遺影、お膳やお酒を持ち帰る。
帰宅後、お膳は父と私で配り、お酒は主に私が横浜に戻るまでに夕食時に頂いた。「姫鶴」という宇和島市のお酒。
夜は祖母の遺骨のある祭壇の置かれた部屋に布団を敷いて寝る。祖母と一緒に寝るのは今日が最後だ。

3月13日 火曜日 晴れ

喪服を着て10時に両親とお寺へ行く。本堂でお経をあげて貰ってからお墓に行き納骨をする。祖母の綺麗な骨壷は祖父の隣に納められる。祖父と祖母が話をする様子を思い浮かべて穏やかな気持ちになる。

帰宅して洋服に着替えて1階の祖母のベッドと2階のソファーを入れ換える作業をする。その他片付けものなど沢山有り、暫くは忙しくなりそうだ。
母からは納骨まで居て欲しいと言われていたのだが、まだまだ大変そうなのでもう暫く残ることにする。

祖母の部屋に掛けてある使っていない柱時計のねじを回してみたらちゃんと使えることが分かる。しかもかなり正確である。私が物心ついた頃から居間で大活躍していた柱時計だ。日本製で「コンパスマーク」と書かれていてコンパスのイラストが描かれている。母の話では祖父母が結婚した頃に買ったものらしい。まだまだ元気な時計を見て嬉しくなる。

 新聞を見て祖母の死を知った弔問客が次々に来られる。12日は新聞の休刊日だったため、葬儀には間に合わなかった人達が結構あった様だ。大正14年にお嫁に来てからずっとここに住んでいた祖母は古い知り合いが市内のあちこちに多く居た様だ。

3月14日 水曜日 晴れ

弔問客は途絶えず。足が悪いのに遠くから来て下さる方も居て、感激する。
私は自転車で買い物に出る。普段自転車に乗ることは無いのでちょっときつい良い運動になる。出掛ける時にうちに弔問に来られる途中の同級生のお母さんに会う。透析をされているそうだが、来て下さって有難い。
帰宅してから着物を畳む。着物は好きだけれど、次に喪服を着る機会が早く訪れないことを祈る。

3月15日 木曜日 曇り時々晴れ

母の買い物のため運転手をつとめる。帰りに電器店に寄って店頭に並ぶファックス電話を見る。母は一目でソニー製品のデザインが気に入り、ほぼそれに決まるが、家で検討して明日のセールに改めて来ることにする。

 帰宅してから母と祖母の墓参りに行く。今日も弔問客が有る。

 夜に1989年12月の旅行のビデオを見る。
祖母、母、私の3人で車で回った旅行で、私の住む横浜から伊豆、石廊崎、箱根、彦根、広島と進む。

当時祖母は81歳だったのだが、浄蓮の滝の石段、箱根神社の石段、彦根城の天守閣の段差のある階段など杖もつかずに歩いて、とてもしっかりしている。
その旅行は私がビデオ(ソニーのパスポートサイズ)を買って間もない頃で、ビデオを触ることがとても嬉しい時だったので、長々と録画していたのだが、祖母との会話など沢山残っているので、今はずっとカメラを回していて良かったなあと思う。

 祖母の箪笥の整理をしていたら、祖父母の若き日の写真と私の小学1年から高校3年までの通知表が出て来る。
祖母と私が、祖父と弟がよく似ている。

通知表は、成績もさることながら、担任の先生の書かれている私に対する一言が面白い。
成績はとても良いものから同じ人のものとは思えない程悪いものまで色々様々だ。(笑)
中学と高校は何名中何位、とはっきりと数字で書かれているので非常に分かり易い。体重の順位が無いのは有難かった。(笑)

3月16日 金曜日 晴れ

 午前中に電器店へ行き、昨日見ておいた実家に置くファックス電話(ソニー)を購入する。在庫が切れていたので持ち帰って設定する所までは行かなかった。電器店は今日から20日まで春のセール中なので、プレゼントの鍋を貰う。昨日とは違って大勢のお客さんで賑わっている。

 外で用事を済ませて帰ると、今日も弔問客があったことを聞く。
午後に葬儀屋さんが祭壇を片付けに来る。祖母の写真を残して貰って、家に有る祭壇を出して祖母の遺影をかざり、新しく祭壇を組み立てる。暖房で少し葉っぱは枯れて来ているが、まだまだ菊の花は綺麗に咲いている。

 部屋の片付けを手伝い、昨日の続きの祖母と母との旅行のビデオを見て、父に宇和島駅まで車で送って貰う。
午後5時11分発松山行きのJRは、出発時には空席も結構有ったが、松山駅に到着するまでにはいっぱいになっていた。

午後6時43分に松山駅に着き、タクシーで松山空港へ。空港へは7時に到着し、7時15分発の東京行き全日空に間に合う。
飛行機の中では全日空寄席を聞いて笑うが、羽田空港からの高速バスではひとり祖母のことを思い出して涙が出て仕方が無かった。

 横浜の家に帰ってから実家に無事着いたよコールをした後に、今年の2月に祖母から来た手紙を出して読むと、また涙が出て来た。孫である私の健康を気遣う内容と「いつあえるか、あえる日を楽しみにして居ります。」そして「自分の体は自分で守ることと思います。」という文章が心に残る。
92歳まで健康に気を配り、亡くなる前日まで歩いてしっかりしていた祖母を「偉いな、見習わなければならないな。」と思う。

 横浜の家に帰るとびっくりすることがあった。テーブルの上にくまちゃんとクッキーの入った可愛い籠が置かれていたのだ。もぐちゃんからのホワイトデーのプレゼントだった。あんまり可愛いので暫く食べないで飾っておくことにする。

3月17日 土曜日 曇り後雨

 今回の日記を書く。1日に何度も涙が出る。時が経てば涙は出なくなるのだろうか。

祖母からの最後の手紙(消印は今年の2月7日)

一筆申し上げます。
長落御無沙汰致して居ります。
御元気に御暮しでしよおか
御伺い致します。
私の方は皆無事に暮して居ります故
御安心下さい。
節分も終わりました。段々暖かくなりますが
まだ寒い日もあると思います。
風邪をひかぬ様気を付けて暮して
下さい。御願い致します。
節分に御守の御札戴いて帰りましたので
御送り致します。自分の体は自分で守る
事と思います。

何とぞ良く気を付けて病気にならぬ様
気を付けて暮して下さい。
御願い致します。
何時あえるか、あえる日をたのしみに
して居ります。忠○さんも
御元気でしよおか、よろしく言って下さい。
何卒体に気を付けて元気に暮して下さい。
御願い致します。
婆ちゃんは、みんなが元気に暮して
戴く事が何よりの御願いです。
何卒御元気で。     さようなら

○○忠○様
○○○志様        キミヨ


札幌スキー旅行 2001年

2018-10-23 21:00:00 | 旅行
札幌スキー旅行の日記

2001年 1月 札幌スキー旅行の日記

1月26日 金曜日 晴れ

 16時羽田発千歳行きの全日空で札幌へ行く。
全国どこへでも片道1万円、というバーゲンチケットと、ワンモアサービスでホテルを利用するため、普段は1泊1万5千円から、というホテルの宿泊代も、朝食付きで1泊7千円になり、貧乏な私にとってはとても有難い旅行になる。飛行機では久し振りに2階席になる。

 札幌駅から徒歩3分のセンチュリーロイヤルホテルへ向かうが、取りあえず駅の南口に出る。駅前通りのイルミネーションが美しい。雪が残る道路を少し歩き、最後に横断歩道を渡る。

とても滑り易いので注意して歩くが、それにも関わらず「あっ!あっ!あっ!!」と3回滑りかけてそのまま尻餅をつく。尻餅をついた直後の感想は「何故全然痛くないんだろう。」だった。濡れたのは右のお尻部分だけなので、右のお尻のクッションの良さで痛くなかったのだと納得する。太っていて良かったのかな。(笑)

慌てて起き上がったので気付かなかったが、後で気付いたことには、横断歩道上に500mlのコーヒーの入ったペットボトルを落として来てしまった。でも、もう取りに帰ることはしなかった。

ホテルにチェックインし(13階の部屋)荷物を置いてすぐに出掛けることにする。もう転びたくないので、駅までの地下道へ続く道を教えて貰う。このホテルは駅からコンコースで繋がっていて便利なのである。(最初から地下道を使えば良かった。)

 地下街の靴屋で両親から頼まれていた靴の裏に貼るタイプの滑り止めを買う。そして金沢の笹寿司を買ってホテルに帰って部屋で食べる。これが今日の晩御飯になる。来る時の飛行機の中でサンドイッチを食べていたので、軽く済ませたかったから。
でも、後で夜中に空腹になり、母親から預かっていたもぐちゃんへのお土産のチョコレートを開けて、3個食べることになる。(爆)

話は戻るが、買い物を終えてホテルに戻る時に靴が壊れているのに気が付く。
この靴は10年前に買ったもので、古いし靴底はつるつる滑るし危ないので、さっき滑り止めを買った店に行き、セールで3千円で売られている雪道用の靴(裏に金属のスパイクが付いているもの)を買う。

お店の若いおにいさんはジャニーズ系のハンサムボーイで、しかもとても感じが良いのですぐにファンになる。
「もう1足、私のサイズの靴が残っているなあ。」と思いながら店を出る。この残っていた靴は28日にまた買うことになる。今年は横浜もよく雪が降るし、スキー旅行用にしてもいいなあ、と思うから。軽くて滑らなくて見た目は普通でとても良い靴である。

 ホテルのお風呂にはテレビがついていて、とても便利だ。今まではお風呂にテレビなんて要らないよ~と思っていたが、有ればとても有難いものだということが分かる。

モーニングコールを午前6時にセットして午後11時前にベッドに入る。しかし、普段の生活と同じで、早い時間にはなかなか眠れず、結局午前3時まで眠ることが出来なかった。でも、明日の天気予報は晴れ後曇り、これは是非朝1番にスキー場に行かなくては!

1月27日 土曜日 晴れ、午後曇り時々雪がちらちら

 睡眠時間3時間でモーニングコールに起こして貰って、6時半からの朝食に19階の和食レストランへ行く。レストランは1番乗り♪ 
夜が明けるのが窓から見られて嬉しい。和食の朝食は何とか全部食べたが、あまり好きではないおかずが有るので、和食の朝食は今日だけにしようと思う。

 札幌駅7時58分発の手稲駅行きのJRに乗り(所要時間15分)手稲駅から8時19分発テイネハイランドスキー場行きの路線バスに乗る。30分弱でスキー場に到着し、宅配便で送っていたスキーやブーツを受け取って準備をする。

土曜日のリフト運行開始の9時半まですこしのんびりして、運行と同時にリフトに乗って山頂へ。山頂からは石狩湾から札幌の街までくっきりとよく見える。最高のスキー日和だ。

 ゲレンデはまだ圧雪車の跡が少し残る位、人が滑っていなくてとても嬉しい。
1本目はダイビングの時と同様にドキドキしていたが、雪が良いおかげで抵抗なく滑ることが出来てほっとする。

お昼前のこと、上級者ゲレンデの合流地点に止まっている人が沢山居るので、私も止まって様子を見ていたら、突然胸のポケットに入れておいた携帯電話が鳴り始める。それはスキーセンターで正午に待ち合わせていたもぐちゃんからのものだった。飛行機の予定到着時刻よりも早い時間の電車に乗ることが出来て、予定より30分早く着いたらしい。その携帯を受けてからすぐにスキーセンターへ下りる。

 カフェテリアでお昼御飯を食べる。私はいくら丼セット1200円を頼む。漬物や白味噌仕立ての私向きの美味しい味噌汁が付いていて、とても満足する。これは最終日のお昼にまた頼むことになる。

休憩の後、午後5時までスキーを楽しむ。
帰りはスキーやブーツをスキー場に預けて、来た時と同じく路線バスとJRでホテルへ帰る。

路線バスでは左側の最前列に席を取る。この日は滅多に無い位の夜景が綺麗に見える日で、前の座席に座って良かったな~と思う。元々私は事情が許す限り、この席に座るのである。28、29日も帰りはこの席に座ることが出来た。夜景が綺麗に見えたのは初日だけだったが。

 今日は夜景がくっきり綺麗に見える日なので、夕食はホテルの最上階23階の展望レストランで取ることにする。このレストランは1時間で丁度360度回転するレストランで、私達はゆっくり食事を楽しんでぴったり1時間で食べ終える。

このホテルでは札幌地ビールを作っていてお酒はその地ビールを頼んだ。
ビールは中ジョッキ1杯しか飲まなかったが、昨日の睡眠時間が3時間と短いことと、スキーで心地よい疲れを感じていたことで、入浴後はすんなりと眠ることが出来た。

1月28日 日曜日 曇り時々雪

 今日も6時に起床して6時半から朝食を取る。今日は2階のレストランでの洋食バイキングである。コーヒーも有るし、やはりこちらの方が良いかな。明日も同じくここで食事を取ることにする。

昨日と同じ時間にホテルを出て、JR、路線バスを使ってスキー場へ行く。路線バスの中は子供達でいっぱいだ。この路線バスは学校が休みの日と日曜日、祝日に関しては、とても便数が多いのだが、平日になるとぐっとその数は減る。昨日も今日も便が多い日なので、ラッキーだ。

 日曜日はリフトが8時半から運行するので、到着して、預けていたスキーを受け取って、9時から滑ることになる。

リフト乗り場で仕事をするハンサムな若者を見つける。黒くて真っ直ぐな長い髪を後ろでひとつに束ねている。髪の長さは腰まで有るだろうか、女性でもあまり居ない位の長さである。名札を見たら、これまた姓も名も珍しいものですぐに覚えてしまった。来年来ても同じ髪形でいてくれるかな。

 このスキー場は私が10年前にスキーを始めた所で、その当時2年間は会員になってよく出掛けていた。1年目は70日、2年目は50日通ったのである。「もう1年居たら、上級者になれたかも。」と札幌を去ることがとても残念だったことを覚えている。

スキー場で働く人達に当時から「毎日よく頑張るね~♪」と声を掛けられていたのだが、今回もひとり覚えていてくれた人が居て、話し掛けて来てくれた。10年前と殆ど変わらないおじさんである。他にも10年前から変わらず働いている人を見かけると何となく嬉しくなる。

 昔は無かったボーダーのためのハーフパイプやジャンプ台が出来ていて、上手にジャンプする姿を楽しく見ることが出来る。ジャンプ台の方はスキーヤーも使っていて、モーグルのジャンプの様に回転したりとそれぞれが楽しんでいる。

スノーボードが出始めの頃はまだまだみんな下手なので事故が起こることも多かったが、今ではスキーヤーと変わらない位レベルアップしていてほっとする。

 しかし、スキー人口が減ったことや、スキー場が増えたことなどが原因だと思うが、テイネハイランドスキー場でもオリンピックハウスや研修センターが閉まっていたりして、少し寂しい。ゲレンデにホテルが無いことも不便に思う。

 お昼御飯はレストランが混んでいて並ぶのが面倒なので、あまり並ばなくても買える「肉まん、あんまん、ホットミルク」を頼む。ホットミルクが甘くて美味しい。もぐちゃんは頑張って並んで味噌ラーメンを食べたが、聞いてみると、とても美味しいラーメンだった様だ。
お昼を食べて、午後4時半まで滑る。

 ホテルへの帰りに札幌駅で明日の新千歳空港行きのJRの指定券付き乗車券を買う。指定券は300円と安い。

そして、また靴屋に寄って同じ靴を買う。あのハンサムな若者は今日は居なくてお店の御主人らしき年配の男の人が居た。
御主人は私の履いている靴が同じものだとすぐに気付いた様だ。
「軽くて滑らなくて気に入ったのでまた買いに来ました。」と言うと、「そして安いからでしょ。」と言われた。(爆)言われてみれば、そうだと思う。(笑)

 夕食は2階のレストランでタラバガニなど食べ放題バイキング3800円を食べる。地ビール3種類セット600円もなかなか良い。ひとつだけ 飲んだ後にくさみが残るものが有った。

タラバガニはそうでも無かったのだが、他の料理が兎に角美味しくて、おかわりして沢山食べる。やっぱり美味しい料理は嬉しい。タラバガニを食べる時にハサミを使っていて、カニのとげで指を少し切ってしまった。なんて不器用なのだろう。

 部屋に戻って「あるある大事典」(テーマはプレッシャー)を見ながらお風呂に入る。私はプレッシャーに特別弱い方なので、かなり真剣に見る。取りあえず「鼻で息をすること。」というのは覚えたので守れそうだ。
今日もぐっすり眠る。

1月29日 月曜日 晴れ

 朝から晴れる。しかし、今日は時折強い風が吹いて、顔が寒いというより痛い。風の強さによって滑るゲレンデを変えながら、午前10時から午後3時まで滑る。

初日でも満足していたのだが、やはり日数を重ねると段々滑り方を思い出して来て、初日より少しうまくなる。札幌に住んでいれば、「毎日午前中だけスキーをして午後から仕事に行く。」というとても健康的な生活が送れるのになあ、と思う。

 今日は平日で、スキー学習の高校生が沢山来ている。札幌の学校ではスキーが学校行事に入っているが、その回数は少なくて、高校生の女の子など見ているとあまり上手では無い子が沢山いる。でもみんな楽しそうで「きゃ~きゃ~!!」と叫びながら滑っている。

ちょっと急な斜面を「きゃ~!!」と言いながらボーゲンで思い切り直滑降していた女の子は、ちょっと左へ向いた拍子に雪の崖をそのまま飛んで落ちて行った。(爆)崖と言っても、その下はまた違うゲレンデだし、丁度木の無い所だったので、怪我をする所ではないのだが、やはりびっくりする。

他の友達もレベルは大体同じ位で、後でこの女の子達を上級者コースで見かけたのだが、こぶの急斜面をこわごわ後傾の姿勢になってボーゲンで下りていた。ちょっと可哀想だった。でも沢山転んだとしても、きっと後では良い思い出になるのだろう。

 スキーを終えて、スキーの雪を落として宅配便で送る手続きをして、午後4時3分発の路線バスで手稲駅へ向かう。
JRは平日ということも有って混んでいたが、指定券を持っているので座ることが出来る。指定席は座席も新しくてゆったりしていて快適である。

 空港に着いてチェックインの手続きをしてから、「もう1度ラーメンが食べたい。」というもぐちゃんのリクエストに応えて「青龍」というラーメン屋さんに入る。

私は味噌ラーメンを食べる。普通の味だった。店はとても混んでいるし、待っているお客さんも居るので、食べ終えるとすぐに店を出る。

もぐちゃんは18時10分の飛行機なので、一足先に出ていた。
私は19時35分発の飛行機なので、出発の時間まで喫茶店に入って生チョコレート4粒とコーヒーのセットで時間を潰す。

ここでコーヒーを2杯、飛行機の中で1杯飲んだため、帰りは飛行機でもバスでも全然眠くならなかった。飛行機の中では全日空寄席の桂文珍さんの「老婆の休日」を声を出さない様に我慢しながら心の中で大笑いをする。帰りの座席は1階席の前から4番目だった。

飛行機は少し遅れるが、羽田からの高速バスにはすんなり乗れたし(23分で横浜駅に到着する)、22時1分の路線バスにも充分間に合って23時前には帰宅することが出来た。

 横浜の夜景はとても綺麗で高速バスで補助席の最前列に座っていた私は、とてもよく見ることが出来た。

驚いたことには、湾岸線の路肩には土曜日に降ったらしい雪がまだ残っている。市内も路肩や歩道などまだまだ雪が残っていて、土曜日の雪がいかに多かったかがよく分かる。自宅近くも道路の脇には所々残っていたが、歩いたり車に乗るには問題が無さそうだったので、少し安心する。

最低1年に1回はしたいスキーだが、まだ1月が終わる所だし、またスキーに行きたいな、と思う。
(翌日の30日に、増えていることを覚悟して体重計に乗るが、減ってもいないが全然増えてもいなかった。あんなに食べたのに、と驚く。運動すれば沢山食べても太らないのだなあ。またスキーに行きたいな♪)

萩・津和野旅行 2000年

2018-10-22 18:00:00 | 旅行
萩・津和野旅行の日記

2000年 12月 萩・津和野旅行の日記

12月01日 金曜日 晴れ

全日空18時15分羽田発20時山口宇部着に乗る。
羽田空港のロビーで隣に座ったカップルの男性の方が「あれ?この航空券には、ミシン目が入ってないね。これで切れるのかなあ。」と言う。私は、つい笑ってしまう。なんだか可愛い ♪
飛んでいる飛行機の窓から三日月が見える。機上で月を見るのは初めて♪嬉しくなる。

山口宇部空港からはバスで小郡へ。駅前のビジネスホテルに泊まる。
夜に居酒屋「陽菜」で呑んでいる梅ちゃんから電話が入る。ご機嫌な様子。私はホテルの自動販売機で買ったビールを気持ち良く飲む。

12月02日 土曜日 晴れ

6時58分に目覚まし時計よりも早く目が覚める。旅行中は早起きになる私である。朝焼けが美しい。

8時25分小郡発の山口線(ディーゼル車)で山口駅へ。小郡駅の店には美味しそうな朝ご飯がいっぱい。急ぐのでそれを横目に見ながら通り過ぎる。

山口駅からタクシーで瑠璃光寺へ。タクシーの中で、おなかが、ぐうと何回も鳴る。瑠璃光寺では、五重塔、鏡を持つ可愛らしい閻魔大王、大きな木魚、巨大なりん、うぐいす張りの石畳、毛利家の墓などを見る。そして極楽への切符、五重塔の絵葉書を買う。
同じ木なのに黄色と赤色の葉をつけたもみじが面白い。

それから隣に 有る洞春寺へ行く。ここには養護施設が有って、お坊さん先生に「いやじゃ~」とおじさん声で甘える坊主頭の小学生位の男の子が居た。何度も「いやじゃ~」と言うので笑ってしまった。
見学の帰りは県庁前から山口駅までバスに乗る。

銀杏並木の商店街は開店前の店が多く寂しい。
新幹線の止まる小郡駅前の賑やかさに比べて山口駅は小さくて賑わいも無い。
「山口市は活気の無い町だなあ。」と思うが、この印象は2日後に修正されることになる。

駅の傍では食べ物屋を見つけられず、自動販売機(ホット・キッチン)のたこ焼きを食べる。意外に美味しい。

山口11時38分発の山口線(1両)で津和野へ向かう。途中の地福(じふく)駅で、後ろから来る特急と対抗する汽車の通過待ちのため19分も停車し、びっくりする。

汽車の中で山口駅で買ったふぐ蒲鉾を食べる。山口線は山の中を走る。津和野もそうだが、どこのでも明るい茶色の屋根の家を沢山見る。ちょっと不自然な色である。

津和野駅前で借りたレンタサイクルで津和野町の散策をすることにする。汽車の窓からでもひときわ目立っていた太鼓谷稲荷神社へは麓に自転車をとめて石段を上る。朱色が派手で趣きが無いので私は嫌いだ。

津和野城跡へは急な上り坂を少し自転車で頑張って上り、パーキングからはシングルリフトで上る。そこから少し歩くと城跡に着く。今は石垣だけが残っている。城跡からは津和野川に沿う細長い町の様子がよく分かる。

山を降りる途中に大きなどんぐりの木を見つけて、どんぐりを沢山拾う。まつぼっくりは二つだけにする。
パーキングの自動販売機にポッカの「おみくじら」というジュースが有り、面白いので買って飲む。「今日はぐっすりおやすみくじら。」と有り、いつも夜更かしの私は、なるほど、と頷く。

山を下りてから、森鴎外記念館(旧宅)、津和野で楽しみにしていた鯉が泳ぐ堀が有り、白壁が美しい殿町通り、葛飾北斎美術館を見る。

通りの短い間に3つの蔵元(古橋酒造、橋本本店、華泉酒造)を見つけて蔵元巡りを始める。それぞれの店で小さいサイズの酒を買う。試飲した中では、華泉の甘口の生酒がとても気に入るが、4合瓶以上のサイズしか無いので買うのは諦める。

レンタサイクルを返却して、ホテルに入る。駅から徒歩圏内だが目の前という程近くは無いので、夕食はホテルで取ることにする。なぜかステーキセット。

和食にしなかったのでホテルの部屋で寝る前に今日買ったお酒を呑む。おつまみは、ホテルの売店で見つけた一見お菓子のような漬物。甘くて美味しい。静かな津和野の夜である。そして静かに眠る。
の、はずだったが、夜中(いつもなら起きている時間)に友達から電話がかかって来て起こされる。(笑)おかげで明日行く萩のガイドブックを熟読することになり、ためになる。(ほんと)

12月3日 日曜日 午前中は雨、萩の観光時より晴れ♪

 6時過ぎに目が覚めたので7時からのバイキングの朝食に1番乗りする。しっかり食べて津和野駅前を8時5分に出るバスに乗る。津和野駅前から防長バスで萩市へ向かう。約2時間の乗車時間の内、最初の1時間は貸し切り状態。徳佐りんご園付近では赤い実がいっぱいで枝が重そうな木を沢山見る。収穫が終わって実の無い木も有る。

バスの最前列から昨日汽車で通った「地福」の町の標識を見る。途中の町で数人がバスに乗り、全部で6人位の乗客を乗せてバスは萩市内に入る。

運転手さんと乗客のおばさんの話を聞くと、平日は萩の病院へバスで通う人が居るので、もっと賑やからしい。国道9号線と県道11、13号線を通るのだが、山の中には道路の端を示すポールが立っていて、この辺りは雪が積もることが分かる。萩に着くと私を含め全員が萩バスセンターで降りる。

午前中から降り始めた雨が本降りになったが、今日の宿泊場所がバスセンターの目の前なのでさっと道路を渡る。しかし荷物を預けてコーヒー1杯飲んで外へ出ると雨は上がっていた。

萩バスセンターで1回100円(東回りバスを「松陰先生」、西回りバスを「晋作くん」と言う。)の市内循環バス(まあ~るバス)の2日券(700円)を買って萩市内の散策に出掛ける。まず歩いて山口県立萩美術館へ。

途中に今は小学校になっている明倫館跡を見る。木造の大きな建物で、校庭ではサッカーの試合が行われていて賑やかである。

萩美術館では特別展(京都の三千院より)が開催されている。ここでは栞と東海道53次のトランプを買う。

美術館から「晋作くん」バスに乗って萩城跡(指月公園)へ。萩城跡は石垣が残っている。全部見ようか、どうしようか、と迷ってガイドブックを広げていたら、250ccのスクーターに乗る神主さんが「どこへ行くの?」と話し掛けて来た。「分からないことは何でもお話しますよ。」というお言葉に甘えて萩のことを色々教えて貰う。

萩城は昔は島だったこと、地名はその土地の特徴を表していること、昔の町の大きさなど。よく泥棒の被害に遭うという自動販売機で30円のおみくじを買い(こちらではおみくじは30円のものが多い)城跡を出て萩焼き資料館へ入る。これを最初に今回の旅行では多くの萩焼きを見ることになる。

旧厚狭毛利家萩屋敷長屋(畳の敷き方が今と違って単純に並べられている)を見学してから近くの「花の江」で昼食を取る。
「萩三昧御膳」に夏みかんのムースを頼む。ふぐのフライや夏みかんの干菓子などが印象に残る。ムースは紫色の萩焼きの器に入っていて持ち帰ることが出来る。

この店では萩焼きの展示販売も有り、三輪休雪の茶碗を見る。白くてごつごつした感じである。私は萩焼きの耳掻きと2300円の茶碗を買う。

次は晋作くんバスに乗って熊谷美術館へ。ここは旧毛利藩御用商人熊谷家住宅である。目的は日本最古のピアノ(シーボルトのピアノ)を見ること。ピアノにはピアノ専用収納箱が有り、引き出しが付いていて可愛らしい。ペダルは1本で鍵盤数は少ないが、現在のピアノと基本的には同じ構造の様だ。

ここは茶道具なども充実していて素晴らしい。了入の黒楽茶碗も沢山見ることが出来る。ひとつひとつの形が違うものだ。こんなに素晴らしい所なのに他の観光客に一人も会わないのは寂しい気持ちがする。

ここからは松陰先生バスに乗って松陰神社へ。吉田松陰歴史館で蝋人形による松陰の一生を勉強する。松陰って狐顔だということがよく分かる。
それから松下村塾へ。これはテレビで見ていたイメージ通りだが、てっきり小高い丘に有ると思っていたのは間違いだった。神社にお参りして甘酒を飲んで、松陰先生バスに乗ってバスセンターへ帰る。

一旦ホテルに入るが、すぐにガイドブックを片手に町へ出る。「百萬石」という老舗の日本料理店を探すが閉まっているので 来る途中に見た新しそうな綺麗なビアレストランに入る。

メニューは和洋中すべて揃っていて、私はビールにサラダや揚げ物を頼む。ふぐのフライやこふぐの唐揚が安くて美味しい。ふぐ自身の味はあっさりしていて、他の白身魚と似ている。

帰りにコンビニでホタテマヨネーズのおにぎり、アイスクリーム、飲み物を買い、ホテルの部屋でのんびり食べる。そしてお風呂に入って今日こそぐっすり眠る。(笑)

12月4日 月曜日 早朝は雨、その後晴れる♪

 目が覚めると雨が降っているのでショックだったが、暫くすると雨は止んで空が明るくなる。それで予定通り8時5分発のバスで越ヶ浜へ。越ヶ浜のバス停から虎が崎まではバスが無いので遊歩道を歩いて行く。

遊歩道に入る前に近くで工事をしている人から親切に「遠いから止めた方がいいよ。1キロも歩くよ。」と言われるが、「1キロならちょっとだな。」と思い、お礼を言って先に進む。所々海を見ながらの快適な道で、行きはのんびり30分かけて歩くが、急いだ帰りは20分位でバス停に着くことが出来た。遊歩道では大きなまつぼっくりを拾う。

虎が崎には、椿の群生林が有る。まだ花が咲くには早いので一部の木に咲いているだけで殆どの木は硬いつぼみが付いている状態だ。2月中旬から始まる椿祭りの頃には、満開の椿が見られるのだろう。

灯台を見て、虎が崎から火山の噴火で出来たと言う点在する小島を見る。そしてつばきの館で遅めの朝食(刺身定食)を食べる。本来は食堂は10時半からの営業なのを、10時にご飯が炊けたからと、すぐに出して貰う。

釣り人や3人のダイバーを見る。この海ではどんな魚が見られるのだろうか。
車の通る道は遊歩道よりも1キロ長く、きつい坂も有ると聞いて帰りも遊歩道を歩いて帰ることにする。バス停に着く前に明神池に寄って風穴を見る。

行きには閉まっていた店ももう開いていて、生のイカ干しが美味しそうだ。擦れ違う人はコートを 着て「寒いわねえ。」と話しているが、早足で歩いて来た私は暑くて堪らない。晴れていることもあって、バスに乗るとすぐに皮の上着を脱いで扇子を出して扇いだ。本当に暑かった。

バスを吉賀大眉(よしがたいび)記念館の前(泉流山前)で降りる。ここでは「暁雲シリーズ」で有名な吉賀大眉の窯や焼き物が沢山見られる。暁の淡い赤色が美しい。

ここで初めて藤原啓の作品を見る。レンガ色のぐいのみで私の好みだ。萩焼きに使われる土も展示されている。種類が多い上に、これらの土を混ぜて使う場合も多いということだから、一口に萩焼きと言っても相当数の種類の色が出ることが理解出来る。

入り口に有る店で茶碗を見て値段の違う理由を教えて貰う。違う種類の土を混ぜると手間がかかるので高くなるそうだ。ここでは淡いピンク色の茶碗を買う。やはり高いものは買えなくて3千円のもの。

そこを出てバス1区間分歩いて松陰先生バスに乗り松陰神社のバス停で降りる。そして小高い丘に有る松陰生誕地、吉田松陰や高杉晋作らの墓、東光寺まで歩く。

山口県のガードレールは黄色(夏みかん色)なのだが、ここ萩では景観を大切にする意味で焦げ茶色のガードレールが使われている。そして松陰生誕地の近くには大きな銀杏の木が有って銀杏の落ち葉の真黄色の絨毯の上を歩くのがとても嬉しい。
松陰の墓はこじんまりした墓で高杉晋作の墓がひとつだけ1段高い所に有るのが面白い。

東光寺は大きな寺でずらっと並んだ石灯籠の有る風景には感動する。お盆の頃にはすべての石灯籠に灯が灯されるそうで、1度見てみたいものだと思う。

帰り道に多くの団体が入って来るのに出会う。ガイドさんが鬼瓦を紹介している所だった。寺を出て夏みかんのソフトクリームを食べる。手に持っただけで夏みかんの甘い香りがプーンと漂いびっくりする。旭川空港で食べたラベンダーソフトに続いてまた食べたいソフトになった。

松影神社のバス停までは近道の川沿いの道を歩く。丁度良い時間のバスには間に合わないのでのんびり歩いていたのだが、バスは少し遅れていたらしく来るのが見えたので走ったら、私を待っていてくれた。30分得をした。循環バスは車体が真っ赤なので分かり易くて良い。

バスセンターから晋作くんバスに乗り換えて城下町で降りて、ギャラリー(茶碗など)や沢山の旧宅、町並みを見る。
ギャラリーでは三輪休雪の茶碗などを見る。ここで、東光寺で会った団体に2回も会う。向こうもこちらを覚えている様だ。若者の多い団体だ。

「椿庵」という店でとても可愛らしいちょうちょのコーヒーカップを見る。結婚祝いに贈りたいなあと思うが、近くに結婚する人が居ないので買うのは止める。店主の女の人の話では、萩には100の窯元が有り、この店では35の窯元の作品を入れているとのこと。綺麗なものが沢山有る。

12月は休館中の茶碗博物館の近代的な建物や車宿の前で無人の人力車を見て、バスセンターまで歩いて帰る。バスセンターの売店で小さい萩のお菓子などを買う。

萩バスセンターから小郡駅へ15時54分発のJRバスで移動。バスは山口市内を通るので思いがけなくまた山口駅へ行くことになる。

平日の夕方のせいか、土曜日の午前中に来た時とは全然違っていて、人通りも多く賑やかだ。JR山口線では田舎の風景しか見られないのだが、バスだと街中を通るので、寂しい町だと感じた山口市内や、鄙びた温泉だと思っていた湯田温泉が、実は結構都会であることに気が付く。

速いけれども安全運転の運転手さんの運転で、ほぼ定刻17時17分に小郡駅に到着する。午後6時32分発の山口宇部空港行きのバスの券を買ってから駅に有る「郷里(ふるさと)」という店で夕食を取る。夕定食が800円で湯豆腐や刺身など盛り沢山で嬉しい。

空港行きのバスは空港まで来た時と同じく日の落ちた自動車専用道路を走る。今回の旅行中、渋滞には1度もあわなかった。

空港では買いそびれていたくり抜いた夏みかんの中に羊羹を詰めた菓子を買う。
この空港を再び利用することが有るのだろうか、としみじみと思いながら機上の人になる。

羽田に着くとすぐにバスに乗り横浜駅へ。
みなとみらいの夜景は今日も美しい。帰宅して買って来た茶碗が割れていないことを確かめて安心してベッドに入る。有意義でとても楽しい旅行になった。

秋の吟醸酒を楽しむ会 2000年

2018-10-20 21:00:00 | オフ会
秋の吟醸酒を楽しむ会の日記

2000年 10月20日 金曜日 曇り後雨

 赤坂プリンスホテルで開催される「秋の吟醸酒を楽しむ会」に参加するため、午後から出掛ける。

午後3時半に赤坂プリンスホテルのロビーで梅ちゃん、スピカちゃんと待ち合わせる。お昼御飯を食べそびれてしまったので、ホテルのロビーに有る喫茶でチーズケーキセットを食べる。

 午後4時から「利き酒について」の講義(無料)が有り、3人並んでお話を聞く。少しうとうとしながら。(笑)吟醸酒は何でも冷やすと決めないで、美味しく呑める適温を色々試して欲しいとのこと。お酒によって適温は違うらしい。個人的には冷えたお酒が好きだけど。

それから面白いと思ったのは、お酒の温度の違いによる呼び方である。温度の低いものから、雪冷え、花冷え、日向燗(ひなたかん)、温燗(ぬるかん)、上燗、熱燗、とびきり燗である。まだ他にも有るのだが忘れてしまった。20度位のお酒の呼び方は無いそうだ。

 午後5時半から7時半までは広い会場へ移動して、利き酒会が始まる。83の蔵元が出品していてとても賑やかだ。
ここでは梅ちゃんの友達のS田ご夫妻と合流する。会場に入る前に梅ちゃんのお土産のかるかんを1個ずつ貰って食べて、いざ利き酒会へ♪

 それぞれの蔵元が力を入れているお酒がずら~っと並んでいる。コンクール出品の酒など最高級のお酒が沢山あり、みんな大喜び。

最初は「香りを楽しみ、少し口をつけては残りは用意されているバケツに空ける。」という風に利き酒をしていたのだが、後半は酔って来て味というよりも「よく冷えていて美味しい♪」という世界に変わって来た。(爆)

それでも途中で仕事の電話が携帯に入ると、酔っていた頭は一時的には正常化した。(笑)
梅ちゃんやスピカちゃんは蔵元の人とかなり長い間おしゃべりをしている。蔵元の人とのおしゃべりはとても有意義で楽しいものだった様だ。

 この2時間の利き酒は参加費4千円で、お土産に大吟醸の4合瓶が貰える。それぞれ違うお酒が入っていて、私が貰ったのは静岡県の蔵元「(株)富士高砂酒造」の「高砂」という酒だった。

 会が終了して外に出る。プリンスホテルの石段で偶然梅ちゃんの友達に出会う。私も横浜メーリングリストで名前だけは知っている人だったので、ちょっと感動。

利き酒の会場では酔っ払っている人は見かけなくて感心していたのだが、実は酔っている人は居た様で、雨の中、石段で転んだ女性は、洋服が汚れるのにもかまわずに笑っていた。幸せそうだった。

 ここでS田ご夫妻と別れる。S田奥様はとても色っぽい人で、スピカちゃんと二人で「見習いたいわね~」と話す。スピカちゃんはS田奥様を酔わせたい♪と連発していた。かなり気に入った様だ。(笑)

私達3人は人形町に有る「山葵」という日本酒の美味しい店に行く。
8時半からの予約で、ここから参加のもぐりんは1分早く到着していた。

ここでは日本酒の話や 薬剤師の資格のあるスピカちゃん専門の薬の話をする。
スピカちゃんと もぐりん、梅ちゃんは初対面なのだが、話がはずんでお酒もはずんだ。(笑)
江戸切子のグラスでそれぞれ3種類のお酒を呑む。(3合では有りません。)

 お店を出る頃にぽぽらちゃんからの電話が入る。熊本オフの後、仕事に復帰した彼女は忙しくてネットに上がって来なくなっていたので、久し振りのおしゃべりになる。べびぽちゃんは歩ける様になったそうだ。次に会う時がとても楽しみだ。

 山葵で今日はお開きにする。電車に揺られると気分が悪くなるのではないかと心配していたが、心地よい眠りに誘われて、あっと言う間に横浜に到着する。もぐりんが起こしてくれなかったら終点の三崎口まで行っていたかもしれない。(笑)

帰宅して冷凍庫の中のアイスクリームを食べて、梅ちゃんとスピカちゃんのページの掲示板に書き込みをしてベッドに入る。

今回の初めての利き酒大会は楽しい経験として残るだろう。1年に2回(春と秋)有るそうなので、興味の有る人は次回は一緒に参加しましょう♪

熊本旅行 2000年

2018-10-20 05:00:00 | オフ会
2000年 熊本旅行の日記

9月23日 土曜日 横浜は曇り、熊本は晴れ、1日の歩数は1万8千歩

 早起きをして羽田空港へ。午前8時にもぐりん、ぽぽら&べびぽと合流する。

ぽぽらちゃんの赤いジャケット姿がかわいい♪8時40分発(実際は9時になる)の日本航空で梅ちゃんの待つ熊本へ。私は機内で羽田空港で買ったサンドイッチを食べる。

飛行機が初めてのべびぽは、高度が上がると耳抜きが出来ないらしくずっと泣いている。後で知ったのだが、これには個人差がかなり有り、赤ちゃんでも大丈夫だったり、大人でも頭痛がしてつらかったりするらしい。高度が或る程度下がると泣き止んで眠り始めたので安心したが、行きのこの状態を見て、帰りはぽぽら&べびぽは新幹線で帰ることになる。

 熊本空港からはリムジンバスで熊本市内へ。このバスは横3列で座席がとても広くて快適である。
空港周辺は一面畑の広がる長閑な所だが、やがて住宅が見え始めて市の中心部に入ると路面電車の走る賑かな景色に変わった。

私達は「味噌天神」(日本で唯一味噌の神様をお祀りしている神社)のバス停で降りる。味噌天神は可愛らしい神社だ。
そこへ梅が真夏の装いで登場!みんなで歩いて梅の家(民宿梅宮と呼んでいる)へ行く。

 民宿梅宮は青い色で統一されていてとても綺麗である。ひとり暮らしとは思えない位大きな冷蔵庫が有り、中には沢山のお酒が入っている。ひとまずお茶で休憩してからバスで水前寺公園へ向かう。

水前寺成趣園は昔と変わらず綺麗に手入れされていて緑が目にしみる。
みんな一緒にプリクラを撮って、公園内の「泉里」という店でお昼にする。私は郷土料理定食と生酒で良い気分♪ 郷土料理定食は、御飯、お吸物、馬刺、水前寺海苔の酢の物、大きな茄子の田楽、からしれんこん、香の物、フルーツなどである。

それから満足満腹状態で散歩をする。池の鯉に餌をやったり、写真を撮ったり。そして庭園内に建つ「古今伝授の間」で庭園を見ながら美味しいお抹茶とお菓子を頂く。お菓子は「望月」という生菓子で白くて可愛らしい。中には黄色い餡が入っていて横には曇に見立てた椿の葉が添えられている。他では買えないお菓子らしい。

 庭園を出てポストペットのおやつで見たことの有る「いきなりだご(団子)」を見つけて1個百円を4人で分けて食べる。あつあつで素朴な味わいの団子だ。昔おばあさんが、突然遊びに来た孫をもてなすために急いで作ったことからこの名前が付いたそうだ。冷めるとかちんこちんになる団子だが電子レンジでチンするとまた美味しく食べられる様だ。

 路面電車に乗って熊本城へ。空車のタクシーをよく見かける熊本だが、その中に「おしろ」というタクシーが有り、屋根の上にはお城の形をしたライトが付いている。それは黄色に屋根は明るい緑色の城で金のしゃちほこが両側に二つ付いている。ぽぽら&べびぽのバックにしっかり写真を撮らせて貰う。

熊本城の武者返しの石垣を見ながら石段を上る。昼間はまだまだ暑い。売店でジュースを買って休憩し、前日一睡もしていないもぐりんとべびぽのお守り役をかって出た梅を残してぽぽらちゃんと二人で天守閣へ上る。

展示物は5月に行った名古屋城と比べると少ない。茶入れを大きくした様な香を入れる容器が印象に残る。

1番上の階では城から見る熊本市内の景色や心地よい風を楽しむ。
降りてからは売店でからしれんこんと おてもやんの耳かきと熊本城のマグネットを買う。城を出ると、見るからに具合の悪そうなもぐりんがホテルで休みたいと言うのでそこで分かれる。

今回の旅行はニュースカイホテル(全日空のホテル)2泊と飛行機往復で3万7千3百円のツアーを利用しているのである。

 梅、ぽぽら&べびぽと一緒に熊本の繁華街へ。旅行会社を探してぽぽら&べびぽの帰りの新幹線を予約しようとしたのだが、生憎今日は祝日で営業していないことを知りタクシーで熊本駅へ向かう。途中にニュースカイホテルを見かけて私はタクシーを降りてもぐりんの様子を見に行く。

電車で移動したもぐりんはまだ到着していなくて結局私が先にチェックインすることになる。もぐりんは電車の中で眠ってしまい、ひとつ先の熊本駅まで行ってしまったのだそうだ。

ホテルは川沿いに建ちすぐ目の前に美しい橋(夜はブルーにライトアップされる)が見える。部屋は8階で街を見渡せて嬉しい。但し城は反対側なので見えない。

もぐりんは少し休んだらさっきまでの疲労しきった顔が嘘の様に元気になる。熊本城では「今日はひとりでホテルで寝てるよ。」と言っていたので心配していたのだが、どうやらみんなと一緒に民宿梅宮で過ごせそうだ。最後にホテルの大きな窓から夕暮れで火が灯り始めた街の景色を楽しんで路面電車で民宿梅宮へ。

 民宿梅宮では、べびぽがシャワーを浴びて出た所で、梅&ぽぽらがてきぱきと食事の用意をしている。私はかなり汗をかいていたので、先にシャワーを借りてじっくり呑める態勢に。(笑)

食事は熊本らしい馬刺しも出して貰う。馬刺しに合うという熊本の甘い醤油も美味しい。家主の手料理や家主お勧めの美味しいおちゃけを頂いて幸せいっぱい♪

テレホタイムにICQでひろと話をしたが、3回発言した所で睡魔に勝てず、そのままパソコンの近くの布団で寝てしまう。次に目が覚めたのは朝だった。

翌朝聞いたのだが、その夜は、夜中にべびぽが泣き出して具合が悪そうだったので病院に連れて行くという騒ぎになっていたらしい。

9月24日 日曜日 晴れ

 朝起きてオリンピックの女子マラソンを終盤から見る。日本選手が見事金メダルを取り私は興奮気味に。そこで昨日の夜の騒ぎを聞く。(爆)

べびぽはにこにこして元気そうだったが、昨日の夜のことが有るので、病院に連れて行くことになり、ぽぽら&梅は病院へ、私ともぐりんは観光へ行くことになる。

10時半に4人でトヨタレンタカーへ行き、1台借りる。下から3番目のクラスを頼んだら「ファンカーゴ」になり、オートマチック車だがシフトレバーがハンドルの所に付いているので、びびった。切り替え方法を免許を持たないもぐりんに教えて貰って(爆)出発。

走り始めは、行き先を見ながらの知らない道の運転で焦っていたが、走っているうちに慣れて来る。病院の近くまで 梅、ぽぽら&べびぽを送ってひとまず分かれる。 

 熊本市内の道路は路面電車が走っているせいか 車線は多いが1車線の幅が狭い。左端にバス用レーンが有り、朝夕が規制時間なのだが、昼間でもその車線は乗用車はあまり走っていない。
一方通行の道路が少ないのは旅行者には有り難い。日曜日の交通量は少ないが平日になるとぐっと多くなる。

平日のバスレーンはバスがまるで電車の車両の様に連なって走っている。運転は荒いというか気が強い人が多い様だ。オートバイの数は少ない。横浜が特に多い所なのだろう。道路標識はしっかりしている。そう言えば、電車専用のオレンジ色の信号を見た記憶が無い。気付かなかっただけかな。

 熊本市内を抜ける時にコンビニでおにぎりなどを買って簡単に昼食を済ませる。時計を見たら正午になっている。どうりで空腹になるはずだ。
阿蘇へは行きは国道57号線を使う。5キロ渋滞する。渋滞箇所に道の駅を見つけるが、食べたばかりなのでそのまま通り過ぎる。阿蘇を目的地にしている車は、そう多くは無い。

 午後1時に草千里に到着。今日の阿蘇山はガスが出ていて煙が見学箇所方向に吹いているので火口には行けないとのこと。ロープウェイも止まっている。阿蘇は何度も来ており火口を覗いたことも有るが、もぐりんは初めてなので上まで行けないのは残念そうだ。また次のお楽しみにね。

地元のおじさんには、「何度も阿蘇に来る位ならロンドンにでも行きなさい。」と言われる。(笑)

草千里の広い駐車場に車を入れて、阿蘇火山博物館とオルゴール響和国を見学する。阿蘇の紹介や空撮の阿蘇の四季折々の映像は素晴らしい。でも梅ちゃんの妹さんはこの映像を見て酔ったそうだ。冬はスキー場になるそうだ。

オルゴール博物館では何台かオルゴールをかけて貰う。とても音色の美しいオルゴールが有る。私は赤い風船がくるくる回るくまのプーさんのオルゴールを買って幸せ気分になる。
3時にここでスモークサーモンサンドイッチを食べる。飲み物は、私ひとりで、ミルク、アイスコーヒー、ファンタメロンを頼む。余程喉が渇いていたらしい。
ここで梅&ぽぽらにお土産を買って外に出る。

 真向かいに有る観光の馬のりばへ行く。16年前にバイクで来た時には、ここで馬に乗ったのだった。その時には1番長いCコースに乗ったのだが、現在もA、B、Cコースと3種類有り、変わっていない様だ。子供連れで短いAコースに乗る人が多い。私達は今日は馬や景色を見るだけにする。

 4時になり、べびぽの様子を聞くために梅ちゃんに電話をする。そう悪い状態では無かった様でひとまず安心する。薬を飲むと眠くなるはずなのに べびぽは絶好調だそうだ。元気なべびぽの様子と少し困っている梅ちゃんを想像してにこにこする私。(笑)

 帰りにロープウェイ乗り場に寄り、「只今規制中」の掲示板と一緒に記念撮影をして山を下りる。
帰りは渋滞を避けるために「グリーンロード」と呼ばれる道を使うことにする。この道路は信号の無い見晴らしの良い快適な道路で地蔵峠を通る。

峠付近からは遠くに阿蘇山が望めて感激する。阿蘇山の煙の勢いは増していて遠くからでも火山の迫力を感じる。山を下り切るまでに放牧されている牛がのんびりと草を食べている景色を見る。「牛に注意」の標識が有る所である。私は気付かなかったのだが「牛が優先」という標識も有るそうだ。

 県道39号線、28号線と走り、路面電車の通りに出る。民宿梅宮付近には6時10分に通っていたのだが、もう使わないホテルをチェックアウトするためにホテルまで行く。結局今回はもぐりんが少し休んだだけで、ホテルも朝食券も使わなかった。(笑)

レンタカーを返してタクシーで民宿梅宮へ。7時に到着したが、丁度家主とぽぽらちゃんは買出し中で、私達は外でおしゃべりをしながら待つ。昼間は阿蘇でも半袖のTシャツだけで良い位の陽気だったが、夜になると涼しくなる。

 今日は宅配のお好み焼きを経験する。ピザの箱に入って来る。ソースは甘めで私向きだ。横浜の家の近所にもお好み焼きの宅配が有れば良いのになあ。

一升瓶と遊ぶべびぽの写真を撮ったりして過ごす。民宿梅宮でのべびぽのお気に入りは、電話のボタン、テレビのリモコン、ボックスティッシュ(1枚1枚どんどん出しちゃう(笑))である。いつまで見ていても飽きない可愛いべびぽは寝ている姿もやっぱり可愛い♪

 今日も美味しいおちゃけを頂いた私は、昨日と同じく、梅ちゃんのパソコンの近くの布団で寝てしまう。梅ちゃんはインターネットで明日ぽぽら&べびぽが乗る福岡行きのバスの時間を調べていたのだが、私は梅ちゃんに何か返事をしながら横になって寝てしまったそうだ。

9月25日 月曜日 晴れ 1日の歩数は約1万歩

 7時に目が覚めて、みんなが寝ている間にそっとシャワーを浴びて昨日の片付けをする。民宿梅宮の食器棚はとても綺麗に整理されている。

10時20分に、ぽぽら&べびぽが出発し、交通センターのバス乗り場まで梅ちゃんがふたりを送って行く。私はもぐりんに留守番をして貰っている間にレンタカーを借りに行く。今日はグレードをひとつ下げてスターレットになる。

ぽぽら&べびぽはなんとかバスに間に合い、梅ちゃんも帰って来る。そして、梅、もぐりんと車で出掛ける。

 まず近くに有る水前寺ユースホステルへ。これは私のリクエストで、16年前に泊まった所をまた見てみたかったからだ。昔の写真を持参して比べてみるとリフォームされてはいるが建物自体は昔のままだ。昔は大勢で記念撮影をしたユースの玄関前で、今日は私ひとりで撮って貰う。

それからその近くにある仙寿荘ホテルで昼食を取る。このホテルの名物の「海鮮ちゃんぽん」800円は海の幸が沢山入っていて量は二人でひとつでいいかな、と思える程多い。私は残したが、殆どを食べてしまった梅ともぐりんはかなり苦しそうだ。

コンビニで飲み物を買って車を置かせて貰った「陽菜(ひな)」という、梅の行きつけのお店の駐車場へ戻ってみると、お店のママがもう来ている。挨拶がてら準備中のお店に入り、私はトイレを借りる。ステンドグラスのランプが素敵なトイレだ。美味しい料理やお酒が出て来そうな(実際美味しいそうだ)雰囲気のお店である。今度熊本に来たら是非寄ってみたい。お店の前で写真を撮って出発する。

 熊本市内から県道1号線を使って西へ走る。まずは宮本武蔵ゆかりの雲巌禅寺へ。この寺は、九州西国33ヶ所霊場、第14番札所である。観光としては「岩戸観音」と「五百羅漢」が有名らしい。

駐車場から寺までの道ではバッタが沢山いて(どの草を見てもバッタが留まっているという感じ)男の子もぐりんは大喜びをしている。他にも蜘蛛や蛙が居たが、私はあまり見ない様にしていた。

 100円の入場料を払って中に入る。「五百羅漢」は岩の山に羅漢像がぽつんぽつんと座っていて、その景色は奇妙で面白い。わざわざ見に来て良かったなあ、と思う。とても高い所に座っている像が有り「一体どうやってあそこに置いたんだろう。」とみんなで話す。

宮本武蔵が篭って五輪書を書いたという洞窟に入ると、そこに宮本武蔵が居るかの様な気がして来る。300円でお守りを買って出る。お守りの中身は「般若心経」だった。

 来た道を戻り、途中で夏目漱石ゆかりの「峠の茶屋」に寄る。峠の茶屋跡には古い井戸が有る。峠の茶屋にはおばあさんが居て、そのおばあさんが書いたという本を1000円で買う。もぐりんは草餅を、梅ちゃんは味噌漬けを買う。

 帰り道でまだ山を走っている時に右手に熊本市内が見えて来る。江戸っ子の梅ちゃんからすると熊本はとても田舎らしいが、山から見る熊本市内はビルが密集する都会の街だった。遠くの山から街を見るのはとても良い気分だ。

市内に下りて来ると、今度は路面電車通りを避けて、県道を走る。丁度民宿梅宮のすぐ近くに出て、梅ちゃんを送りそのまま車を空港へ走らせる。レンタカーも市内で借りて空港で返せるのでとても便利だ。

どこも渋滞すること無く到着し、空港の売店でお菓子を買う。熊本の「馬刺屋パイ」と博多の「鶴の子」にする。「鶴の子」は外側がマシュマロの様で大好きなのだ。博多銘菓の「ひよこ」は、東京でもよく見かけるので今回は買わなかった。「馬刺屋パイ」は、つい「うなぎパイ」を連想して買ったのだが、甘い菓子ではなくて唐辛子味のあっさりしたものだった。
空港のレストランで食事(私はケーキセット)をして飛行機に乗る。

 午後5時55分発の日本エアシステムで羽田へ向かう。疲れていたせいか離陸するのに気付かないほどぐっすり眠っていた。機内にはべびぽに似た赤ちゃんが乗っている。その赤ちゃんは飛行機が大丈夫らしいが、少し泣き声がするとべびぽを思い出す。新幹線で元気に帰ったかな。

羽田に着いて全然待たずに7時41分発横浜駅行きのバスに乗る。横浜でも運良く8時14分発のバスが有り、あまり待たずに済む。自宅近くのコンビニで買い物をして家に着いたのは午後9時少し前だった。

梅ちゃんにお礼の電話をして、シャワーを浴びてメールをチェックして早めにベッドに入る。夜にもぐちゃんから電話があったが、もう寝た後だったので、私は寝ぼけていたらしい。(笑)

後日談とお礼の言葉

 熊本で沢山食べたり呑んだりしたが、いつも歩かない私が沢山歩いたせいか体重が1~2キロ減っていた。北海道旅行もそうだったが、旅行すると気持ちの良いダイエットになって嬉しい。

 べびぽは帰りの新幹線で、絶好調ではしゃぎまわって、ずっとつたえ歩きをして、ぽぽらちゃんは謝って歩いたそうだ。(笑)
「壮絶な12時間の旅でした。(笑)」ということ。でも「(笑)」が付いているので私も笑って話を聞いた。(ICQでの話)
民宿梅宮では片付けをしたり、布団を干したりと色々どうも有難う。

 梅ちゃんは最終日は、布団の片付けをして「陽菜」へ呑みに行ったそうだ。熊本では呑み友達も出来て、楽しそうである。
今回の旅行では民宿梅宮の主人としても色々お世話になりました。どうも有難う。あんこらちゃんのリクエストに応えて漬物でも漬けてみますか?(笑)

 もぐりんは熊本旅行の後、ネット上に上がって来ないので、生きているのか、死んでいるのか・・・(笑)
今回のツアーの手配などお世話になりました。