としちゃん&VTR250

のんびり、ドキドキ、ブランク10年のリターンライダーの日記

親子旅行 2001年

2018-10-31 19:40:00 | 旅行
2001年 親子旅行の日記

2001年 10月11~20日 親子旅行日記(伊豆・清水市・日光)

10月11日 木曜日 晴れ

 夜に両親の旅行用の荷物が宅配便で届くはずなのだが、何故だか来ない。午後10時半まで待つが来ないので、諦めてお風呂に入る。以前午後10時に到着したことがあるし、その日に届かず翌朝届いたこともあるので、明日届くのかもしれないと思う。

10月12日 金曜日 晴れ

 宇和島に住む私の両親が来る日。午前中にずっと荷物の到着を待つが来ないので営業所に電話をしてみる。すると今日配達の荷物には入っていないとのこと。伝票番号が分からないので、仕方無く両親の出迎えのために家を出る。

両親は午後2時59分新横浜駅着の新幹線で来るので、桜木町駅で待ち合わせをする。身長165センチ体重48キロの父は今日は体調が悪いそうで、歩くのがとても遅くて心配する。

静かな環境の駅前のワシントンホテルのロビーで愛媛と横浜の宅配便の営業所に連絡を取る。その結果、送る時に到着の日付を1日後に間違えて今日の夜に届く手続きをしていることが分かる。
荷物は置いて帰って貰う様に頼んで一安心。この電話連絡で結構時間を費やした。

 桜木町駅前からバスで山下公園へ行く。ここは初めてではないのだが、母が氷川丸に乗ったことが無くて是非乗りたいと言うので、3人で乗る。来ている人は少ない。

父は昔、船に乗っていたので、説明係になる。氷川丸に乗っていたわけでは無いが、船の構造は同じ様なものなので懐かしそうだ。
私は氷川丸から見る みなとみらい地区の夕暮れの景色が好きだ。氷川丸ってデートの穴場かも。

 山下公園から桜木町駅前まで帰りもバスに乗る。来た時と違って通勤客などでバスは満員だ。
私のお気に入りのランドマークプラザ内のロイヤルフードコートで夜景を見ながら夕食を取る。私はいつもの様にイタリアンでワインを飲む。

レストランを出た後に、もぐちゃんからメールが入っていたのだが、人ごみの中でメールの着信音に気付かず、疲れたという両親と一緒に桜木町駅前からタクシーに乗る。

タクシーに乗って少し経って、もぐちゃんから仕事が終わったと電話が入るが、時既に遅し。タクシー代は家まで2850円。横浜駅や上大岡駅から乗るのとそう変らないかな。やっぱり楽ちん。
 帰宅して明日からの旅行の用意をして、少しおしゃべりをして休む。

10月13日 土曜日 晴れ

 朝9時半に両親、私、もぐちゃんの4人で車で出発。今日は学校がある土曜日なので道路は空いている。距離としては長くて遠回りになるけれど、速いので、東名高速に乗って秦野中井インターでおりて、暫く空いている県道を走り、西湘二宮インターに入る。

しかし、私がうっかりして逆方向へ乗ってしまい、走るはずだった空いている対向車線を見ながら、一区間だけ工事渋滞の中、逆に走ることになる。(爆)下りたらすぐに正しい方向へ入り、今度はちゃんと海を左手に見ながら海岸線の景色を楽しみながら東伊豆へ向かう。

 今回の旅行先は伊豆が初めてという父親のリクエストに応えるものだ。

地名を確認しながら走る。熱海のお宮の松で記念撮影をして、伊東を通り、国道から離れて川奈ホテルを通る県道へ。
葉っぱの少なくなった木々の向こうに時々ちらっと川奈ゴルフコースが見える。両親共にゴルフをするので、私が選んだ道だ。

 昼食は伊豆高原駅のやまもプラザにある日本食の店で海の幸を堪能する。夜には居酒屋になる様だ。日本酒の種類も多い。安くて何でも美味しいので、父は「伊豆のイメージがとても良くなった。」と喜ぶ。ここでお土産も色々買って一碧湖へ向かう。

 一碧湖は可愛らしい。伊豆一碧湖美術館で沢山の絵画を見て、その2階から一碧湖を見る。
そして少し湖畔を走って次に池田20世紀美術館へ。ここには色々なタイプの画家の絵があるので、各々趣味の違う私達だが、各々お気に入りの絵を見つけて喜ぶ。

父はダリが大好きだ。ここのダリの作品はグロテスクな感じだ。ホラー映画好きの父にぴったりかも。私は苦手。私は可愛らしい少女の絵が良かった。
ここの喫茶でコーヒーを飲んで今日の宿に向かう。

 伊東市十足(とうたり)にある国民宿舎「井原の庄」へ。ここは手入れの行き届いた広い庭園の中に離れが沢山建っている。すべて離れなので小さい子供の居る家族連れにもお勧めである。麻雀好きグループにも良いのかな。(笑)父は夕方早速庭園を散歩したそうだ。

10月14日 日曜日 晴れ

 朝食前に少し庭を散歩する。プールがあるので、夏休みには長期滞在するのも良いかもしれない。

 記念撮影をして出発。国道へ出て海岸沿いの道を下田まで走る。

下田市内では、ロープウェイで寝姿山へのぼり、眼下に下田の街や港を見る。海には黒船の形をした遊覧船が出ている。

友達のニシカタさんから「10キロ程沖合に見える灯台は明治の石造りで史跡名勝天然記念物なの。個人的にはロープウェイの中でかかる怪しい演歌がお気に入り。」というメールを貰っていたので、その怪しい演歌をとても楽しみにしていた。

その演歌は下りのロープウェイで聴いたのだが、綺麗な声の女性歌手の歌う下田の歌だった。明るく感じの良い曲で演歌ではないみたい。ニシカタさんの聴いた曲とは違うのかもしれない。

 唐人お吉が葬られている宝福寺、隣接した唐人お吉記念館、豆州下田郷土資料館を見学してから中伊豆へ向けて出発する。下田市内から稲生沢川沿いを走る国道414号線を通ると、上流にお吉が入水した場所であるお吉ヶ淵を見ることになる。

414号線は最初は2車線ある走り易い道だったが、途中から狭くなる。
上原近代美術館、仏教美術館に寄り、沢山の仏像や絵画を見る。仏像も知識を持ってみると面白そうだ。顔も色々だし。私を守ってくれるのは千手観音だそうだ。(干支によって決まっている。)
ここで、遅い昼食に冷やしうどんを食べる。10月とは言え暑い日だ。

 中伊豆では12年前に祖母、母、私の3人で訪れたループ橋、浄蓮の滝、天城の旧道、七滝を見る。
ループ橋は母のお気に入り。ハンドルの角度を変えないで最後まで回れることに感心している。

浄蓮の滝は、石段の上がり下りが結構きつそうだ。初日に元気が無かった父は元気になり、今度は母の方がちょっとしんどそう。
那智の滝と比べたりして滝を鑑賞し、駐車場に戻って母はわさびの辛口のソフトクリームを、私はみかんのソフトクリームを食べる。

 天城の旧道は、トンネル前に車を停めて写真を撮る。いつ来ても旧道を歩く人を見かけるが、今回は10人の青年グループに会う。トンネルは狭くて暗いので気を付けて。

そしてまたループ橋を通り、今日の宿「天城荘」へ。ここは12年前に来た時にも泊まった宿だ。
チェックインを済ませてからみんなで七滝巡りへ出掛ける。夕方なので、滝巡りから帰る人と沢山擦れ違う。どうやら私達が最後の様だ。

下から順番に滝を見て歩く。私は踊り子像がある初景滝だけ覚えていた。母は1番上流にある釜滝が1番印象に残っていた様だ。確かに大きい滝だ。もちろん大滝ほど大きくはないのだろうが、大滝と違って間近で見られるので迫力は大きい。

釜滝から少し登ると路線バスの走る道路に出るのだが、「丁度バスが来るってことはないよね~」と言って素直に来た道を戻る。段差の大きい石段が多いので、両親にはかなりきつそうだ。

薄暗くなって来ているので急ぐが、初景滝のあたりで七滝巡りの途中の若者男女グループに会う。私達が最後ではなかったのだ。でも彼らが帰る頃には真っ暗になっているのでは。若いから大丈夫なのかな。

殆ど店じまいを終えた店で1足300円の藁で編んだスリッパを買う。夏に素足で履くのに最適なのだ。
車の通る道路に出ると、上から路線バスが下りて来る。なんと丁度良いバスがあったのだ。聞いて行けば良かったかな。

12年前は母と二人で朝食前に走りながら七滝巡りをしたものだったが、お互い12歳分、年を取ってしまったなあ。特に母が弱くなったなあと寂しく思う。

 宿に戻って夕食前に天城荘内の露天風呂巡りをする。前に来た時、館内のお風呂で外に出るドアを見つけて「ああ、ここから露天風呂に出られるんだ。」と勘違いし、オートロックのそのドアからタオル1枚で外に出て大変困ったものだった。

露天風呂巡りは出来たのだが、元の女湯に戻る時に 廊下をタオル1枚で隠した裸で走ることになってしまった。しかも男性客ひとりに会ってしまった。
その人は 感じの良い笑顔だったので まだ良かったけれど。(笑)

今度そのドアを見てみると「このドアは非常用です。オートロックになっていまので、ここから外には出ないで下さい。」と大きく書かれていて、しかも頑丈そうなチェーンでドアが開かない様になっている。それを見て「私達の様に勘違いして外に出ちゃった人が沢山居たのだなあ。」と可笑しくなった。

数年前から露天風呂は水着を着用することになっているので、各々水着に着替えて露天風呂へ。
私は大滝を見ながらのんびりと入って居たかったのだが、今回初めての父ともぐちゃんが居るので、全部入ろうということになり、1か所の入る時間はあっという間で次々と入る。

午後6時を過ぎているので他のお客さんは殆ど居ない。話の種にと25Mプールで泳ぐが、到着してふと上を見たら「プールは午後6時まで」と書かれていた。泳ぐのに丁度良い水温になっていた。

 あっという間に夕食の時間になる。お風呂上がりのビールを ぐいぐいっと飲んで 料理は冷酒でゆっくりと味わう。旅行中は毎日美味しい料理とお酒が飲めて幸せ♪

10月15日 月曜日 晴れ

 朝食後、旅館の前で記念撮影をする。12年前には踊り子と学生さんの男女の写真撮影用パネル(顔を出すタイプのもの)があったのだが、今は踊り子のものだけになっている。

下田まで昨日の細い国道を通るのは嫌なので県道で河津へ出る。それから海岸線を南下し、下田駅前でもぐちゃんを降ろす。
彼の休みは今日までなので伊豆急で横浜へ帰るのだ。

後で聞いた話では、車を降りてから3分後に出る電車があり、その電車はガラガラだったが全席指定の便なので指定券を買いに走ったそうだ。「電車内で買えると良いのになあ。」とは、もぐちゃんの言葉。

 下田からは3人で石廊崎へ。一旦遊覧船乗り場へ行き、祖母の思い出話をして、岬の駐車場へ向かう。

車を停めて岬に向かって歩き始めると、向こうからちゅーちゅートレインという電車の形をした車が走って来るのに出会う。
運転手さんに「これは何ですか。」と尋ねると、「片道500円ですが、下り坂の行きは歩いて上り坂の帰りに乗られると良いですよ。」とのこと。これは10年位前に出来たそうだ。

祖母と来た時は祖母が歩けないからと遊覧船に乗ったのだった。今日は風が強く波も荒くて遊覧船に乗るとかなり揺れるだろう。

 ニシカタさんから「石廊崎に行ったら是の居ないジャングルパークへ。」とのメールを貰っていたのだが、父の「それは見なくてもいい。」との言葉で入らないで横目に見ながら歩くことになる。

私は石廊崎はもう何度も来ているのだが、そう言えばジャングルパークには1度も入ったことがない。かなり規模は大きいものだ。これに入ると帰りのちゅーちゅートレインの乗車賃500円が300円になるそうだ。
石廊崎は風が強い。灯台を見て岬の突端まで行き神社にお参りする。

 石廊崎を後にして西伊豆へ向かう。松崎に着くまでに「サル出没注意」の看板が。そしてそれを見た直後に国道(対向車線)でのんびり座っている大きなサルを発見。
12年前に来た時は2匹居て「お見送りしてくれてるね~」と話したのだそうだ。(私はすっかり忘れている。)

 松崎観光は後回しにして堂ヶ島に行き洞窟巡りの遊覧船に乗る。三四郎島は潮が引いて、うっすらとだが陸続きになっているのが分かる。(トンボロ現象と言うそうだ。)
遊覧船は洞窟の中にも入りかなり楽しめる。

それから蘭の里堂ヶ島で沢山の蘭を見て遅い昼食を取り、松崎に戻って伊豆の長八美術館へ行く。

両親は漆喰の作品は四国でも見たことがあるそうだが、入江長八の作品はとても芸術性が高く「これほど素晴らしいものだとは知らなかった。」と感動している。

時間があるからと、ついでの様に行った「岩科学校」(明治13年に建築された伊豆最古の小学校で和洋折衷の造り)もとても喜んだ。

私は両親が見学している間に外に「ご自由に」と置かれている竹馬の練習をする。前回はロングスカートで時間も無かったため乗れなかったのだが、今回は待ち時間が長かったため 勘を取り戻して乗れる様になった。

竹馬に疲れてひとり羽つきもする。独楽回しは元々あまり出来ないのでしなかったが、子供の頃以来だという父親は上手に回していた。
ここで桜葉アイスクリームを食べて出発する。

 今日の宿は旅行前に買ったるるぶで「露天風呂から見る夕日が綺麗」と書かれていた町営のまつざき荘である。
宿に着いたのが午後5時で今日の日の入りは午後5時のため、夕日自体は見られなかったが露天風呂から見る茜色に染まった空はやはりいい。

施設は新しくて広くてとても綺麗だ。父は自分があまり食べられないため、旅館の沢山の豪華な食事は要らないと、こういう施設を利用するのだが、国民宿舎でも今日の様な町営の宿舎でも充分の量で味も良い。美味しいお酒とお料理をゆっくり楽しむ。

10月16日 火曜日 晴れ時々曇り

 長八記念館(浄感寺)へ両親を案内する。入江長八の菩提寺でもあり、本堂が記念館になっている。作品の素晴らしさはもちろんだが、住職の説明がとても分かり易く良かった様で両親は感動している。

車で松崎町内を少し走って明治商家中瀬邸などを車から見て松崎を出発する。
海岸線を走ると左手に薄く富士山が見える。
そして土肥では恋人岬を左手にちらっと見る。折角だから寄ってあげれば良かったかな。

私はこの道は何度目かだが、1度も恋人と来たことは無い。1度ラブコールベルを鳴らしてみたいな♪恋人宣言証明書(無料)も発行してくれるそうだ。

 土肥から海岸線を北上し戸田へ向かう。今日は人も少ないので御浜岬は車で行けるぎりぎりの所まで行く。

戸田の村営の資料館(戸田村立造船郷土資料博物館・駿河湾深海生物館)には大きな高足蟹の標本が沢山有って「これは凄いわ~」と驚く。海水浴シーズンの写真を見ると、江ノ島も真っ青という程の大勢の人で賑わう様だ。

港の真ん前の高徳丸の2階の御食事処かにやで港に浮かぶ船を見ながら高足蟹定食を食べる。
蟹は大味で塩味のまま食べるとあまり美味しいと思わないが、蟹用のつゆにつけて食べると美味しい。

ただ、私達が蟹を注文したのが丁度茹で上がっていた蟹が全部出た後だった様で、次の大きな高足蟹が茹で上がるのを待つことになりかなり待たされることになる。でも料理は美味しい。

 戸田から県道で東へ走り、伊豆国際カントリークラブや虹の郷を通って修善寺温泉街へ入る。
駐車場に車を入れて、修禅寺や指月殿などを見て街を散策する。指月殿では「どうして源頼家の墓はこんなに小さいのだろう。」と話す。

修善寺インターから修善寺道路に乗るが、韮山を通り過ぎていて戻ることになる。国道136号線が2本あるので紛らわしい。横浜市内にも16号線が2本あるのだけれど。

 韮山の反射炉はアメリカやロシアの黒船来航をきっかけに幕府が大砲鋳造のために増築した反射炉だ。駐車場も広くてしっかり観光化されている。

そこから少し北へ行くと蛭ヶ小島(ひるがこじま)がある。流刑となった源頼朝が20年過ごした地で、蛭の多い湿地帯だったそうだ。ここは静かな公園になっていて駐車場も少なく案内板も殆ど無かった。(でも、るるぶには載っている。)

 蛭ヶ小島を後にして、国道136号線を北上し、国道1号線に合流して西へひた走る。まるで自動車専用道路の様な1号線(バイパス)を通って清水市内へ。市内に入る頃には夜になる。

今日の宿は「部屋の窓から富士山が見える」という紹介に惹かれて予約した駅近くのビジネスホテルだ。これは12年前の旅行の時に1度予約したが旅行の予定を変更したためキャンセルしたホテルだ。そのこともあって今回泊まることにした。

しかし実際に行ってみると、安いビジネスマン向きのホテルだった。1泊の料金を聞かないで予約したから仕方が無い。でも駅に近いことは便利で良かった。

チェックインした後に駅前の商店街を散歩して蕎麦屋かづやで夕食を取る。海老の天ぷらの乗った冷た い蕎麦は美味しい。もちろん冷酒付きで。(笑)

地方都市の商店街らしく午後7時にはどんどん店が閉まって行く。母は鞄屋さんで軽くて持ちやすいバッグを見つけて買っていた。私は小樽で便利なサンダルを、札幌では雪道用の靴を見つけたことがあったが、商店街の店先には時々安くて便利なものが並んでいるものだ。

傘は要らないという程度だが、ホテルへの帰り道、雨が少し落ちて来た。

10月17日 水曜日 朝から雨

 雨なのでホテルの窓から富士山は見えない。
清水市へ来ることは旅行に出た後で急に決まったことなので、ガイドブックも地図も無く、ホテルで貰った清水市の観光パンフレットの地図を頼りに走る。

私は前に1度来たことがあるので、その時のことを思い出しながら行く。ただ、前回は徒歩で観光した所も多く少し勝手が違う。

まず次郎長通りという商店街を走る。
雨の中、人通りは殆ど無く車も少ない。次郎長の生家は前を通るだけですぐに分かるほど賑わっていたのだが、今日は車では気付かず、通り過ぎてしまって、人に聞いては戻り、また聞いては戻り・・・それで町内の案内図を見つけてよく見てみると、すぐ目の前にあった。(爆)

実は今日水曜日は商店街がお休みの日で、生家も閉まっていたのだった。奥行きは結構ある家なのだが、間口が狭いので閉まっていると車では気付かない。残念だが、生家の前で記念撮影だけして、すぐ近くにあるはずの次郎長や子分の墓の有る梅蔭寺へ向かう。

またここでも人に聞くことになり、近くに居たおじさんに尋ねるが、この人がとても面白い人で、お笑い芸人の様だった。あんなに明るく歳を取れたら良いなと思う。目指すお寺はすぐ近くだった。

普段ならいっぱいで停められない駐車場も今日は空いていてすんなり停められた。今は少ない駐車場も工事が始まっているので、そのうち沢山の車が停められる様になりそうだ。

お寺は立派で次郎長や子分達の墓も立派である。次郎長のお墓が立派なことに両親は驚いていた。
ヤクザだった次郎長も晩年には社会奉仕活動をして社会に役立つことしたそうだ。人間長生きすると、色々な人生を送ることになるのかもしれない。

 次に美保の松原へ行く。小雨の中、砂浜を少し歩く。富士山は全然見えないけれど松原は立派だ。松の大木の伐採工事をしているのを見かける。クレーンを使ったかなり大掛かりなものだ。観光バスも来ている。

 次に久能山東照宮へ行く。
東照宮は、まずは海岸側の長い石段の入り口へ行き写真を撮る。ロープウェイが出来るまではこの石段を上って行くしか方法は無かったのだろう。石段の道は長そうだけれど、1段1段の段差があまり無いので、ぼちぼち歩けば何ということも無い様な気がする。但し、暑い季節には長くてうんざりするかもしれない。
海岸沿いには苺畑が延々と広がっている。

また元来た道へ戻り、日本平の標識に従って左折する。日本平パークウェイ(有料道路)を通ってロープウェイ乗り場まで行きロープウェイで東照宮のある山へ渡る。雨は大降りになっている。趣きはやはり日光の東照宮とよく似ている。

宝物館では徳川の将軍の作品を見るが、絵や字に関しては慶信がとても上手で家光が特別下手だなあと思う。(私でも書けそう。)

 帰りもパークウェイを通って山を下り、寄り道せずに東名清水インターに入る。
そして富士川サービスエリアに寄って昼食にする。レストランでは雨ながら窓側の席で富士川がゆったりと流れる様子が見えて気持ちが良い。桜海老のかき揚げはとても美味しいので大きいけれど残さず食べる。食べ終わるまでさくさく感が無くならないかき揚げだ。

 横浜に帰ってから東戸塚駅前の西武で夕食の買い物をする。私はここに来ると買う京都の懐石弁当を買う。父親は冷凍さぬきうどんを買い、帰ってから作ってくれたのだが、なかなか美味しいうどんだった。

10月18日 木曜日 雨、日光で夕方から晴れて来る

 日光観光へ。両親は東照宮などは見たことがあるが、いろは坂、華厳の滝、奥日光へは行ったことが無いというので、今回の目的はそれらを見ることである。

渋滞箇所の多い首都高速を通り(今までで1番混んでいた)東北道に乗る。
途中蓮田サービスエリアでトイレ休憩をして、宇都宮インターまで走りそのまま日光宇都宮道路で終点の清滝インターまで走る。首都高速以外は空いていて気持ち良く走れる。

ところがいろは坂に入る頃から霧が出て来る。
母が「としと一緒に来るといつも霧になるわねえ。」と言い(以前、箱根で目の前さえ見えない濃霧になったことあり)私は「霧女」ということに。(爆)そのため明智平には寄らずに進む。

華厳の滝の駐車場は、霧のせいかいつもはいっぱいなのにすんなり入れるので車を停めるが、華厳の滝もやはり霧のため見えず音だけの観光になり、明日また来ようということになる。しかしそのうちに段々晴れて来て明るくなる。

紅葉真っ盛りの中禅寺湖畔で写真を撮り、湯滝を見学する。修学旅行生が沢山来ていて賑やかだ。ここで両親にとっては初体験のプリクラを撮る。私と父、私と母の2種類。

 初めて国民休暇村を利用する。湯の湖畔の森の中に建ち新しくてとても綺麗だ。3階建てで横に長い建物だ。お

風呂は温泉の効能が1番よく生かされるという42度に設定されていて41度が好みの私には少し温度が低くなる露天風呂が、茜色の空が見えて気分も良く丁度良い湯加減だ。
しかし両親、特に父親にとっては低すぎる温度だそうで、お湯に浸かっている間も寒かったとか。温泉に行って風邪を引くなんて・・・父には熱い草津温泉が良さそうだ。

10月19日 金曜日 晴れ

 朝食前に露天風呂に入る。朝の光が眩しい。中のお風呂には沢山の人が入っているが、露天風呂には人が居なくて、ひとりでのんびりと過ごす。やはりこの温度は低いと思う人が多いのかもしれない。

 休暇村を出て高い所から景色を見るために金精峠(こんせいとうげ)へ向かう。
峠を過ぎて菱沼キャンプ場まで行きUターン。峠から湯の湖を見ながら坂を下りて行く。そして湯の湖畔に車を停めて可愛らしい鴨たちを見る。
1羽の鴨が逆立ちして足を水面から真上に出してバタバタさせて魚を食べている様子がとても面白くて笑ってしまう。

 昨日は寄らなかった龍頭の滝へ。
まず滝上に車を停めて滝下まで210メートルの滝沿いの遊歩道を滝を見ながら歩いて下りる。

私は2回目なので、両親が滝下で観光している間に滝上に歩いて戻り車で滝下へ移動する。すると滝下の駐車場は順番待ちの車の長い列が出来ている。「両親が携帯を持っていれば便利なのになあ。」と思いつつ適当な場所に車を停めて二人を呼びに走って3人で出発する。

次は戦場ヶ原で車を停める。この広い湿原の風景も両親はとても気に入った様子だ。私も車を停めてじっくり景色を鑑賞するのは初めてだ。

戦場ヶ原は、栃木県日光市、中禅寺湖の北方にある乾燥湿原。男体山噴火の際、溶岩で川がせき止められてできた湖が土砂に埋められて陸地化したもの。赤沼などに湖の面影が残る。

名前の由来は、昔、男体山の主の大蛇と赤城山の主の大百足(むかで)とが戦い、大蛇が勝利してその戦勝の祝賀をもよおしたところという伝説による。
これは小学館の1988/国語大辞典(新装版)に載っている。

最後に昨日は霧の中だった華厳の滝へ。やはり駐車場へ入るための車の列が出来ているので、適当なレストラン(並木)の駐車場に車を入れて滝観光をしてから食事を取ることにする。

エレベーターで100メートル下りて滝を見る。下から見る方が迫力があるが、上の展望台から見るのも趣きが違って面白い。

内田康夫の推理小説「日光殺人事件」に滝の上から身を投げるというのが出て来るが、なかなか大変ながらも滝の上に行く道はあるらしい。身は投げないけれど、1度行ってみたい。しかし滝の上に人が居たら、観光客は驚くだろうなあ。

昼食は車を停めたレストラン(2階)で湯葉定食を食べる。湯葉が甘く煮てあって美味しい。レストランからは華厳の滝を見に来た人達の様子がよく分かる。

 交通量の多いいろは坂を車の流れに乗ってゆっくり下りて帰りも最初の清滝インターから日光宇都宮道路に入る。

東北道も首都高速も帰りは空いていて快適だ。首都高速を下りてから1号線が少し混んでいたが、家に帰る前に夕食の買い物をするために近所のスーパーに寄る。

母は風邪で熱が出ているらしく車から降りないほど疲れている。12年前に旅行した時には元気いっぱいだったのだが、やはり60歳を過ぎると体力が落ちる様だ。両親が元気でなくなって行くのは寂しい。今回の旅行は、父と母が交代で元気になったり具合が悪くなったりしていた。

10月20日 土曜日 晴れ

 午前中に洗濯をしてから両親の荷物を宅配便で送るために近くのコンビニに持って行く。
帰ってみると母親の姿が無い。「あれ?寝ているのかな?」と思いながら布団を干しに2階に上がると、上から庭の草取りをする母親の姿が見える。あら~風邪で具合が悪いのに~と思って私も庭に出てみる。母は雑草が伸びているのが気になった様だ。

今日は父が具合が悪くて動けないので、私ともぐちゃんも庭に出て庭の草取りをする。両親にはうちに来る度に庭の草取りをして貰っている様な気がする。

父はとても寒いそうでガンガン暖房した部屋の中に居る。今年は両親が来たことがきっかけになって暖房器具(ガスファンヒーター)を出した。(と言っても年中ピアノの下に置いているのだけれど。(笑))

 家を出る前に東京に住む弟に電話をしてから午後1時20分発の新幹線に乗るという両親を新横浜駅まで車で送って行く。(弟の家では8月に生まれた丈が元気いっぱい泣いていた。)

電車を使うと宇和島の家に着くのは午後10時近くになるらしい。乗り換えは1回だけだけど、私はやっぱり飛行機の方が速くて楽でいいなあ。

今回両親と一緒に旅行をして、自分が思っていたより両親が年を取っていることを知ることになった。また元気で一緒に旅行が出来るといいなあ。帰省出来る時には帰る様にしよう。