道後をあとに墓参りをするために漁港の賑わいをみせる三津浜へとむかう。松山といえば三津浜、三津浜といえば松山というほど松山とのつながりが深く、三津浜で漁獲された魚は道後の客へと運ばれていた。
車で向かうこと数十分、潮の香りがぷんとしてきたころ、三津浜商店街の入り口へとさしかかる。しかし、そこには昔の面影はなく、高い天井で熱気のこもっていたアーケードは取り払われ、祖父と歩いた広く美しい街路はくたびれたように朽ち果てていた。
人の活力がみなぎっていたはずの店構えは、みなそれぞれシャッターをとじ、「貸店舗」の紙切れが張りつけてある。何軒かひらいた店のなかに目をやると、軒先に昆布や駄菓子が並んだガラスケースはまったく姿をみせず、奥まった商品棚の影に年老いた店主がブラウン管の明かりを受けたまま首をたらしている。
聞くところによると、この十数年の間に何度も火災にあったことや、若年層が次々と地元を離れていくことなどから人手が不足し、地場産業が衰退してしまったようだ。
「栄枯盛衰」
形あるものはいずれなくなってしまう。時間の流れの中で常に変わっていくものだ。しかし、昔の栄華が記憶に染み付いているほど、人はその記憶に縛られてしまう。
商店街を抜けたところで、三津浜駅に突き当たる。
もちろん、この古ぼけた姿も記憶にはない。
車で向かうこと数十分、潮の香りがぷんとしてきたころ、三津浜商店街の入り口へとさしかかる。しかし、そこには昔の面影はなく、高い天井で熱気のこもっていたアーケードは取り払われ、祖父と歩いた広く美しい街路はくたびれたように朽ち果てていた。
人の活力がみなぎっていたはずの店構えは、みなそれぞれシャッターをとじ、「貸店舗」の紙切れが張りつけてある。何軒かひらいた店のなかに目をやると、軒先に昆布や駄菓子が並んだガラスケースはまったく姿をみせず、奥まった商品棚の影に年老いた店主がブラウン管の明かりを受けたまま首をたらしている。
聞くところによると、この十数年の間に何度も火災にあったことや、若年層が次々と地元を離れていくことなどから人手が不足し、地場産業が衰退してしまったようだ。
「栄枯盛衰」
形あるものはいずれなくなってしまう。時間の流れの中で常に変わっていくものだ。しかし、昔の栄華が記憶に染み付いているほど、人はその記憶に縛られてしまう。
商店街を抜けたところで、三津浜駅に突き当たる。
もちろん、この古ぼけた姿も記憶にはない。