切られお富!

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『冬の鷹』 吉村昭 著

2016-05-24 00:15:40 | 超読書日記
ここのところ、オジサンの読む時代小説・歴史小説ばかり読んでいるんですが、これは傑作でした。「解体新書」の翻訳者として歴史に名を刻む杉田玄白と前野良沢。対照的なふたりを描いた重厚な一冊です。やはり、吉村昭は文章がよいですね。

蘭書「ターヘルアナトミア」の翻訳作業を追った小説としては、菊池寛の短篇「蘭学事始」が教科書にも載っている名作として有名ですが、菊池寛の方は青年杉田玄白の眼から見た畏敬すべき先輩前野良沢だったのに対し、吉村昭の方は主に前野良沢の視点から描かれていますね。

47歳にしてオランダ語学習を開始し、求道者的に語学を探求していく前野良沢。「解体新書」の実質的な翻訳者はこのひとといっても差し支えがないほどなのに、名前を載せることを拒否して、生前は慎ましい暮らしを続けていく。

一方、語学力というよりは、一種の出版プロデューサー的に「解体新書」の翻訳・出版・普及に貢献した杉田玄白は、富も名誉も手に入れ、多くの弟子たちにも囲まれる名士となる。

このふたりの対称って、今なお続く日本の語学学習者の二類型、語学オタク派と語学=ツール派みたいに思えてわたしには面白かったですね。また、江戸時代の語学事情っていうのが、今にも通じる問題を投げかけている気がしました。幕府公認の通訳「通詞」には会話はできるけど本を読めない者が多く、医者や学者で蘭学を学んでいるものは、本は多少読めても、実際のオランダ人を相手にしてはまったくの語学力不足。

もっとも、まともな辞書や文法書もない時代に、手探りで語学を習得しようという人たちの情熱は凄いものだと思いました。特に、良沢の47歳からのスタートって、寿命の短かかった江戸時代を思えば、なおさら尊敬に値します。一日5個とか10個単語を覚えるなんて、昔も今も一緒なんですよね。

で、この作品を評するときによく出てくる、「作者は玄白ではなく、良沢にシンパシーを感じている」という感想は、わたしはちょっと違うと思いましたね。玄白の大雑把さと行動力政治力、良沢の完全主義と協調性のなさ。どちらに対してもクールに見つめているのが作者のスタンスだと思いました。

良沢タイプのパラノ型の失敗者として、寛政の三奇人の一人、求道的尊王派の高山彦九郎を登場させ、玄白タイプのスキゾ型失敗者に、鬼才平賀源内を配しているのが面白いところです。二人とも非業の死を遂げるってあたり、良沢、玄白の人生と紙一重だって意味なんでしょうけどね。

というようなわけで、読みごたえありました。語学学習者が発奮のために読む本としても、よいかも。

PS:良沢が中津藩出身で、藩主が良沢の語学学習を後押ししたって背景が、のちにこの藩から福沢諭吉を生むことになったんでしょうね。また、享保から寛政期に至る外国文化の受容が、幕末の世相を準備したって気がします。


冬の鷹 (新潮文庫)
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