
去年の年末から読み出して、一ヶ月余り。ようやく読み終えました。こんなに読むのに苦労した小説は初めてだなあ~。というわけで、読了記念記事。簡単な感想です。
今回は集英社文庫全4冊で読んだのですが、一冊あたり450~500ページくらいある本文に、ちょっとした文庫本くらいの分量の注!おまけに、凄まじく読みづらく、中身も面白くな~い! ほんと拷問みたいな読書経験でした!!!
でも、20世紀を代表する小説だし、去年の今頃目を悪くして以来、「本が読めるうちは世界の名作を読もう」と決めているので、意を決しての読書ではあったんですよね~。
ただ、高校生時代に彼の短編集『ダブリン市民』を読んで楽しめてはいたし、大学時代にも、むかしの河出書房版の翻訳(今回読んだ翻訳の原型)や、伊藤整訳(!)の古本を買ったりはしていて、何度かトライはしているんですよ。
でも、再三の挫折で、積読本リスト古参メンバーに・・・。というわけで、かなり頑張って読んだって感じなんですがね。
というわけで、ここからが本題ですが、結論からいうと、わたし、この小説好きではありません。また、文庫版の翻訳もかなり問題ありという印象は拭えなかったですね~。
まず、小説自体からいうと、1904年6月16日のダブリンを舞台にブルームという中年オヤジとディーダラスという青年の一瞬の邂逅に、ブルームの妻モリーの浮気が絡むというくらいのストーリー。で、それを様々文学的実験を駆使しながら描いた、というくらいのものですよね。
でも、わたしの第一印象でいえば、とにかく下品な小説だという感じか・・・。
同様な感想は、同じく「意識の流れ」を描いた女流作家ヴァージニア・ウルフも書いているんですが、最初はかなり抵抗ありました。
といっても、猥雑だからイヤなんじゃなくて、いじましいエロみたいなニュアンスだから、つらいってところですかね~。
たとえば、ヘンリー・ミラーあたりなら、もっと開放的にあけすけに書くわけだけど、ジョイスの場合は自身がインテリのせいか、普通のオヤジのむっつりスケベみたいなニュアンスになるんですよ。これが、なんだかいただけないなあ~と思えてしまう・・・。(たとえば電車の痴漢オヤジみたいな感覚か?ヘンリー・ミラーだと色情狂ナンパ師って感じで、悪気はないし暗くない。)
なので、この本って湿気を帯びた意味の「男性文学」という印象はもちました。
また、本文で言うと、ブルームという中年オヤジがひとのいい癒し系という印象で悪くないのに対し、ディーダラスが出てくるところは理屈っぽくて面白くない!だから、6月16日がダブリンで「ブルームズ・デイ」と呼ばれていて、「ディーダラス・デイ」でないことは、とても納得がいきますね!!
それと、この作品最大の特徴ともいえる「章ごとの文体の変化」ですが、それほど効果を上げているって感じもしないですね。わたしが読んで面白かったのは、わりと古典的なスタイルで書いている部分くらいで、実験しているところはそれほどでも・・・。まあ、日本でも高橋源一郎の小説みたいなものもあったし、音楽でいえば、ビートルズの『サージェント・ペパーズ~』が、リスナーの愛聴度以上に「評価」されているのと近いような気も・・・(まあ、ロック名盤であることは異論がないのに、このアルバムが一番好きだというひとに、わたしは今まで逢ったことがない!)。
さて、ここでひとつ翻訳に苦言を。丸谷才一が翻訳したくだりは、どうもやりすぎですね。
たとえば、古代から現代に至る英語文体史の変遷のパロディになっている章の翻訳。
ここを日本の万葉仮名くらいからの古文で翻訳しているのはいくらなんでもやりすぎ。多くの読者がさっぱりわからないと感想を書いているし、念のために原著を比べてみたのだけど、英語の方がはるかに判りやすいんですよ。というのも、古英語といえども、日本語ほどの変化を被っていないからなんだけど、まあ、『文章読本』出すような人の硯学趣味としか言いようがないですね。
それと、最後の切れ目なくモリーの独白が続く章の翻訳。漢字を極度に減らして読みづらいこと・・・。もちろん、モノローグの取り留めのなさを平仮名まじりで表現しようという創意はわかるんだけど、普通の漢字変換でもいいじゃないですか、原著の英語ではピリオドがないだけなんだから。
というわけで、わたしが面白かったのは、序盤のダブリンを彷徨するブルームのくだりと、第13章ナウシカアの足の悪い女の子のくだり、第16章のエウマイオスのブルームとディーダラスのちぐはぐな会話、そして最終章ペネロペイアのYESで始まりYESで終わるモリーの独白の最後の3行!!!
特に、最後のYESを読んだときは、「やられた~」という感動が襲ってきて、この難解で長大な小説を読んだ苦労が吹き飛ばされる感動がありましたね~(そういえば、晩年のヴァージニア・ウルフもこの本のラストは感動的だと日記に書いていましたね!)。といっても、当分読み返す気は起きないけど!
というわけで、余ほど暇な人、余ほどの文学好きのみにオススメします。で、できたら、原著も用意した方が翻訳の難解さを和らげることができます。(因みにわたしは500円で原著を買いました!いま洋書は安いね!)
ま、「そこまでして!」と思う人が大半でしょうけどね~。
PS:この本が出版されたのって1922年で、日本でいえば関東大震災の前年。谷崎潤一郎の『痴人の愛』は震災後の文化を描いているので、ちょっとあと。芥川龍之介の『藪の中』(映画『羅生門』の原作)の発表が1922年であることを考えると、大正デモクラシー~モダニズムの時期だってことですよね。
映画だと、フリッツ・ラングの『ドクトル・マブセ』、ムルナウの『吸血鬼ノスフェラトゥ』、チャップリンの『給料日』など。リリアン・ギッシュ、D・W・グリフィス監督コンビの最後の作品『嵐の孤児』は前年の1921年12月公開。
今回は集英社文庫全4冊で読んだのですが、一冊あたり450~500ページくらいある本文に、ちょっとした文庫本くらいの分量の注!おまけに、凄まじく読みづらく、中身も面白くな~い! ほんと拷問みたいな読書経験でした!!!
でも、20世紀を代表する小説だし、去年の今頃目を悪くして以来、「本が読めるうちは世界の名作を読もう」と決めているので、意を決しての読書ではあったんですよね~。
ただ、高校生時代に彼の短編集『ダブリン市民』を読んで楽しめてはいたし、大学時代にも、むかしの河出書房版の翻訳(今回読んだ翻訳の原型)や、伊藤整訳(!)の古本を買ったりはしていて、何度かトライはしているんですよ。
でも、再三の挫折で、積読本リスト古参メンバーに・・・。というわけで、かなり頑張って読んだって感じなんですがね。
というわけで、ここからが本題ですが、結論からいうと、わたし、この小説好きではありません。また、文庫版の翻訳もかなり問題ありという印象は拭えなかったですね~。
まず、小説自体からいうと、1904年6月16日のダブリンを舞台にブルームという中年オヤジとディーダラスという青年の一瞬の邂逅に、ブルームの妻モリーの浮気が絡むというくらいのストーリー。で、それを様々文学的実験を駆使しながら描いた、というくらいのものですよね。
でも、わたしの第一印象でいえば、とにかく下品な小説だという感じか・・・。
同様な感想は、同じく「意識の流れ」を描いた女流作家ヴァージニア・ウルフも書いているんですが、最初はかなり抵抗ありました。
といっても、猥雑だからイヤなんじゃなくて、いじましいエロみたいなニュアンスだから、つらいってところですかね~。
たとえば、ヘンリー・ミラーあたりなら、もっと開放的にあけすけに書くわけだけど、ジョイスの場合は自身がインテリのせいか、普通のオヤジのむっつりスケベみたいなニュアンスになるんですよ。これが、なんだかいただけないなあ~と思えてしまう・・・。(たとえば電車の痴漢オヤジみたいな感覚か?ヘンリー・ミラーだと色情狂ナンパ師って感じで、悪気はないし暗くない。)
なので、この本って湿気を帯びた意味の「男性文学」という印象はもちました。
また、本文で言うと、ブルームという中年オヤジがひとのいい癒し系という印象で悪くないのに対し、ディーダラスが出てくるところは理屈っぽくて面白くない!だから、6月16日がダブリンで「ブルームズ・デイ」と呼ばれていて、「ディーダラス・デイ」でないことは、とても納得がいきますね!!
それと、この作品最大の特徴ともいえる「章ごとの文体の変化」ですが、それほど効果を上げているって感じもしないですね。わたしが読んで面白かったのは、わりと古典的なスタイルで書いている部分くらいで、実験しているところはそれほどでも・・・。まあ、日本でも高橋源一郎の小説みたいなものもあったし、音楽でいえば、ビートルズの『サージェント・ペパーズ~』が、リスナーの愛聴度以上に「評価」されているのと近いような気も・・・(まあ、ロック名盤であることは異論がないのに、このアルバムが一番好きだというひとに、わたしは今まで逢ったことがない!)。
さて、ここでひとつ翻訳に苦言を。丸谷才一が翻訳したくだりは、どうもやりすぎですね。
たとえば、古代から現代に至る英語文体史の変遷のパロディになっている章の翻訳。
ここを日本の万葉仮名くらいからの古文で翻訳しているのはいくらなんでもやりすぎ。多くの読者がさっぱりわからないと感想を書いているし、念のために原著を比べてみたのだけど、英語の方がはるかに判りやすいんですよ。というのも、古英語といえども、日本語ほどの変化を被っていないからなんだけど、まあ、『文章読本』出すような人の硯学趣味としか言いようがないですね。
それと、最後の切れ目なくモリーの独白が続く章の翻訳。漢字を極度に減らして読みづらいこと・・・。もちろん、モノローグの取り留めのなさを平仮名まじりで表現しようという創意はわかるんだけど、普通の漢字変換でもいいじゃないですか、原著の英語ではピリオドがないだけなんだから。
というわけで、わたしが面白かったのは、序盤のダブリンを彷徨するブルームのくだりと、第13章ナウシカアの足の悪い女の子のくだり、第16章のエウマイオスのブルームとディーダラスのちぐはぐな会話、そして最終章ペネロペイアのYESで始まりYESで終わるモリーの独白の最後の3行!!!
特に、最後のYESを読んだときは、「やられた~」という感動が襲ってきて、この難解で長大な小説を読んだ苦労が吹き飛ばされる感動がありましたね~(そういえば、晩年のヴァージニア・ウルフもこの本のラストは感動的だと日記に書いていましたね!)。といっても、当分読み返す気は起きないけど!
というわけで、余ほど暇な人、余ほどの文学好きのみにオススメします。で、できたら、原著も用意した方が翻訳の難解さを和らげることができます。(因みにわたしは500円で原著を買いました!いま洋書は安いね!)
ま、「そこまでして!」と思う人が大半でしょうけどね~。
PS:この本が出版されたのって1922年で、日本でいえば関東大震災の前年。谷崎潤一郎の『痴人の愛』は震災後の文化を描いているので、ちょっとあと。芥川龍之介の『藪の中』(映画『羅生門』の原作)の発表が1922年であることを考えると、大正デモクラシー~モダニズムの時期だってことですよね。
映画だと、フリッツ・ラングの『ドクトル・マブセ』、ムルナウの『吸血鬼ノスフェラトゥ』、チャップリンの『給料日』など。リリアン・ギッシュ、D・W・グリフィス監督コンビの最後の作品『嵐の孤児』は前年の1921年12月公開。
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