普段テレビを見ない私が欠かさず見る数少ない番組「BSマンガ夜話」のアシスタント笹峯あいさんの作演出の芝居『猪突するココロ』を観に行った。
場所は世田谷線松蔭神社前駅、徒歩1分のスタジオAR。世田谷線は下高井戸-三軒茶屋間を走るちんちん電車で、久々に乗ったなあ・・・。私が観たのは1月23日(日)のPM6:00からの回で、雪のちらつく寒い日の観劇となりました。
会場のスタジオARは、おそらくスチール撮影用のスタジオなのでしょう(?)、小さなスタジオで手前までせまった舞台に3~4列ぐらいの並びの席でだいたい5~60人くらいのキャパなのかな?学生時代なんかにたまに付き合わされた芝居を思い出した。一応、笹峯ファンの私としては、この臨場感で生の笹峯嬢を目にすることができるとわかり、とても感激。
話は、別れを告げるメールで男の部屋に集まった5人の女。そこではじめて知った五股の事実。女5人それぞれの男の対する「猪突するココロ」を描いたもの。
不在の男を巡る女たちの芝居といえば、三島由紀夫の『サド公爵夫人』という古典があって、女たちの会話から<怪物サド公爵>の人物像が浮かび上がるという構成を取るのだけど、今回のこの芝居ははっきり狙いが別のところにあるなと思った。
この芝居の<不在の男>あつし(なんかロンブーの淳を連想したのは私だけ?)は、あえて言うなら、女たちが自分を写す鏡のような存在。それ故にもうひとつキャラが薄い気もしなくはないのだけど・・・。
因みに、たまに女性監督の自主映画上映会(最近そういうの行かなくなったな・・・。)なんかに行くと、ヒロインの付き合っている男は大抵ろくでもない男ばっかりで、一方、男性監督(こういう言い方ってあったっけ。)の方は主人公が付き合っているのは必ず物分りのいい女の子か年上の女性だったりという傾向はあるな…。
私が感心したのは、マンション?の一室の舞台ひとつの中で、ドアの物音や留守番電話を使って、部屋の外の空気感をうまく出していたことと、舞台の暗転を使って登場人物が次第に増えていく演出がテンポ良かったこと。(暗転の間に流れている曲もカッコ良かった。)
5人の女性のキャラ分けも決まっていて良かったのだけど、皆わりと一途な恋愛観を語っているようで、ルックスの違いほど相違がないような気もした。笹峯さん演じるのはオタクなキャラの女の子で、自分で演じるくらいだから、本人に近いキャラなのかななんて勘繰ってみたりしたのだけど、どうなんだろう?というのも、この役が独り言のように語る自己犠牲的な恋愛観(小説『ライ麦畑でつかまえて』の主人公がライ麦畑で子供達を見守っていたい、と言ってる感じに近いなあと私は思ったのだけど。)が「猪突するココロ」の核心なのかなという気がしたんですよね、私は。
1時間20分位の芝居でテンポのいい掛け合いなので、全然長くは感じなかったのだけど、どんな終わり方するのか気になっていたところ、舞台袖で興信所の資料を読んでいた笹峯さん演じるオタクな女の子(やっぱり、話を展開させる芝居は作者がやりたいよなあ…。)が六人目の女性の姿を資料の中から発見、その彼女と結婚する為に男がいなくなったことが判って、芝居は終局へ…。
男の姿が良い思い出として美化され、5人の女たちが束の間の心地好い同類意識に浸っていたところを、6人目の<不在の女>が突き破るというのはうまいなあと思った。幸せな気分に浸っていた女たちが、一人の女の存在のせいで、一瞬にして負け犬の集団に変わってしまうのだから。ただ同時に、良い奴だった男あつしも一瞬にして、どこにでもいるタダの身勝手な男に変わってしまうだけに、そもそものこの男のキャラがもっとクリアだった方が落差がはっきりして良かったのではという気もしたのは私だけかな…。
何はともあれ、私は結構楽しめたし芝居もテンポあったので、私的には笹峯さんの次回作に期待というところかな。
最後に全然関係ないけど、セットの中の棚に入っていた小道具の本、手塚治虫の『W3』と『メトロポリス』、松浦理英子の『親指Pの修行時代』(上)(下)は笹峯さんの趣味なのかなあなどと考えながら、帰った私でした。
・オフィシャルHP
場所は世田谷線松蔭神社前駅、徒歩1分のスタジオAR。世田谷線は下高井戸-三軒茶屋間を走るちんちん電車で、久々に乗ったなあ・・・。私が観たのは1月23日(日)のPM6:00からの回で、雪のちらつく寒い日の観劇となりました。
会場のスタジオARは、おそらくスチール撮影用のスタジオなのでしょう(?)、小さなスタジオで手前までせまった舞台に3~4列ぐらいの並びの席でだいたい5~60人くらいのキャパなのかな?学生時代なんかにたまに付き合わされた芝居を思い出した。一応、笹峯ファンの私としては、この臨場感で生の笹峯嬢を目にすることができるとわかり、とても感激。
話は、別れを告げるメールで男の部屋に集まった5人の女。そこではじめて知った五股の事実。女5人それぞれの男の対する「猪突するココロ」を描いたもの。
不在の男を巡る女たちの芝居といえば、三島由紀夫の『サド公爵夫人』という古典があって、女たちの会話から<怪物サド公爵>の人物像が浮かび上がるという構成を取るのだけど、今回のこの芝居ははっきり狙いが別のところにあるなと思った。
この芝居の<不在の男>あつし(なんかロンブーの淳を連想したのは私だけ?)は、あえて言うなら、女たちが自分を写す鏡のような存在。それ故にもうひとつキャラが薄い気もしなくはないのだけど・・・。
因みに、たまに女性監督の自主映画上映会(最近そういうの行かなくなったな・・・。)なんかに行くと、ヒロインの付き合っている男は大抵ろくでもない男ばっかりで、一方、男性監督(こういう言い方ってあったっけ。)の方は主人公が付き合っているのは必ず物分りのいい女の子か年上の女性だったりという傾向はあるな…。
私が感心したのは、マンション?の一室の舞台ひとつの中で、ドアの物音や留守番電話を使って、部屋の外の空気感をうまく出していたことと、舞台の暗転を使って登場人物が次第に増えていく演出がテンポ良かったこと。(暗転の間に流れている曲もカッコ良かった。)
5人の女性のキャラ分けも決まっていて良かったのだけど、皆わりと一途な恋愛観を語っているようで、ルックスの違いほど相違がないような気もした。笹峯さん演じるのはオタクなキャラの女の子で、自分で演じるくらいだから、本人に近いキャラなのかななんて勘繰ってみたりしたのだけど、どうなんだろう?というのも、この役が独り言のように語る自己犠牲的な恋愛観(小説『ライ麦畑でつかまえて』の主人公がライ麦畑で子供達を見守っていたい、と言ってる感じに近いなあと私は思ったのだけど。)が「猪突するココロ」の核心なのかなという気がしたんですよね、私は。
1時間20分位の芝居でテンポのいい掛け合いなので、全然長くは感じなかったのだけど、どんな終わり方するのか気になっていたところ、舞台袖で興信所の資料を読んでいた笹峯さん演じるオタクな女の子(やっぱり、話を展開させる芝居は作者がやりたいよなあ…。)が六人目の女性の姿を資料の中から発見、その彼女と結婚する為に男がいなくなったことが判って、芝居は終局へ…。
男の姿が良い思い出として美化され、5人の女たちが束の間の心地好い同類意識に浸っていたところを、6人目の<不在の女>が突き破るというのはうまいなあと思った。幸せな気分に浸っていた女たちが、一人の女の存在のせいで、一瞬にして負け犬の集団に変わってしまうのだから。ただ同時に、良い奴だった男あつしも一瞬にして、どこにでもいるタダの身勝手な男に変わってしまうだけに、そもそものこの男のキャラがもっとクリアだった方が落差がはっきりして良かったのではという気もしたのは私だけかな…。
何はともあれ、私は結構楽しめたし芝居もテンポあったので、私的には笹峯さんの次回作に期待というところかな。
最後に全然関係ないけど、セットの中の棚に入っていた小道具の本、手塚治虫の『W3』と『メトロポリス』、松浦理英子の『親指Pの修行時代』(上)(下)は笹峯さんの趣味なのかなあなどと考えながら、帰った私でした。
・オフィシャルHP
歌舞伎と違って こう言うマイナー(失礼(;O;))な情報をどうやって入手するのでしょう?
また そこへ まめに出かけて行く行動力はホトホト感服有るのみです。恐れ入ります。
それから 懐かしい名前を聞きました。
世田谷の松蔭神社、その近くの世田谷公民館で私達は結婚式をあげました。もう39年も前の事です。