★滅茶苦茶時間がたってしまいましたが、ついに後編です。
群馬交響楽団 定期演奏会 バルシャイ指揮マーラー第10交響曲
(群馬音楽センター)に行った報告(11月27日)のつづきです。
人気のない高崎線の列車から高崎駅で降り、もうすっかり暗くなった高崎の街を駅から歩くこと15分くらい、群馬音楽センターに到着。古いけどガラス張りで大きな建物だなというのが第一印象。中に入ると、トイレなど中の設備は東映系の古い映画館の設備みたいだなと思いながら、ホール内へ。
私の席は割りと前の方でしたが、隣には体操用ジャージみたいなやつを着たローカルな感じのおじさん、後ろにはスーツを着た地方の土建屋のおじさんみたいな人がいて、「んん、地域に愛されているんですね」って感想を持った。
しばらくすると、ステージ上にちょっと年齢不肖な感じの貧相っぽい男の人が登場して、クラシックにおける未完成作あれこれを解説したあと、今回のマーラー⑩の話へ。この曲の作曲当時マーラーが妻のアルマの不倫に苦しんでいたことや、第一楽章と第五楽章に出てくるAの音はアルマのAだという説があることなんかを説明。ふ~ん、勉強になるなあ、なんて思いながらプログラムを見ると渡辺和彦の名が!確かこの人、ケーゲルにインタビューした人だったよな?(近所の図書館で『クラシック辛口ノート』を立ち読みしたことがあった。)なんか案外狭い世界なんだ!と妙な納得をして、いよいよ演奏タイム!
つまんないことに感心したのは、女性奏者の方々がなんだか艶っぽくて素敵に見えるってこと。(但し、男性の方は対照的に全然セクシーに感じないんだな、不思議と。)女と楽器っていう組み合わせには何かあるのかななんて考えているうちに、バルシャイさん登場。写真なんかから想像するより随分お爺さんな印象でヨタヨタっぽく指揮台に登った気がした。
いよいよ、演奏の始まる寸前の微妙な息遣いが、ジェットコースターが動き出す寸前みたいな感じで結構心地よいなあと思いながら、第一楽章のビオラから演奏が始まった。ここで思ったのは、オーケストラって案外見飽きないということ。だんだん演奏する楽器が増えてく感じや同じ楽器でも人によって演奏する姿勢や仕草が微妙に違う。クラシックの演奏会は目をつぶって聴くものかなぐらいに思っていた私は、これはビジュアル的にも面白いと思った。
さて、肝心の曲の方。なんだかんだで、一番聞きなれている第一楽章。正直なところ、この曲ってマーラーっぽいのは第一楽章くらいで、後はマーラーっぽくないなと以前は思っていた。(じゃあ、どういうのがマーラーらしいんだと聞かれれば、ウッと詰まってしまうけど。)渡辺和彦さんが前説で、「バルシャイ版はショスタコっぽい。」と発言していたのを聞いてナルホドって気がしてしまったほど。でも、今回物珍しいオーケストラというもののビジュアルの面白さに見とれて、第一楽章はおとなしい感じがしてしまった。むしろ元気一杯な気がしてきたのは、第二楽章以降。(といっても、私の印象では、CDで聴いたバルシャイ盤より、今回の演奏会の方がドラマチックでなく、密やかな感じだったんだけど。)特に、CDでは地味な感じがしていた、第三楽章「プルガトリオ(煉獄)」が実演で聴くとこんなに楽しい音楽だったとは!しかし、こんな彩り豊かな楽章がなんで天国と地獄の中間にあるという「煉獄」なんだろう?終盤に差し掛かり、そもそも悲鳴そのものみたいなこの曲の「悲鳴」度があがり、有名な第五楽章初めの大太鼓の音。CDで聴くより随分おとなしめの太鼓で、遠くで鳴ってるみたいだなという印象のあと、前述のAの音と第一楽章初めの部分の再登場の後はいよいよ佳境へ、「悲鳴」が「悲痛」に変わり、ホント最後の最後は「あっ」とため息が漏れた。
演奏が終わり、演奏者が足踏みするところなどの風習?を物珍しく見たあと、ホールを出ると、一階ロビーで<群響ふれあいトーク>というのが行われていた。
実は、演奏も良かったけど、この<ふれあいトーク>も面白かったんですよね、個人的には。コンサートマスターの長田さんとロシア人チェロ奏者のグルチンさんのお話だったのですが、バルシャイさんは相当な毒舌家なんだそう。以前の客演のときはあまりの毒舌で長田さんも辟易したそうですが、今回はグルチンさんが良いところだけうまく通訳したのだとか。(因みにグルチンさんの日本語はとても流暢です。)グルチンさんによると、チェリビダッケなど(他の指揮者の名前も出ていたんだけど聞き漏らしてしまった。)のリハーサルのやり方に日本のオケは慣れていないことと、バルシャイさん自身が奏者として接してきた旧ソ連の指揮者たちのやり方が本人に染み付いているのではということ。質疑応答もアットホームな感じで、「マーラーはなぜオペラを書かなかったのか?」という質問には渡辺さんも加わるなど、随分楽しめたし、勉強になったし、群馬県を見直しましたよ!
初クラシック演奏会体験としては、随分遠かったし、珍しい曲だったけどホント満足して帰りました。実演を聴くと曲に対する愛着も増すもので、今やマラ⑩はマラ⑨と並んで、マーラーの曲の中のフェイバリットになりました。でも、最近はマラ⑥とマラ⑦も結構好きなんだけど…。
<後記>
去年の11月27日に演奏会に行って帰ってすぐ書き始めたのに、妙に時間がかかってしまいました。要は、音楽って私にとってはうまく言葉にしにくいんですよね。芝居の場合は台詞や役者のアクションなど具体的な取っ掛かりがあるのに、楽器や楽譜に詳しくない私としては言いたい事がうまく言えない感じが付きまとって、結局長らく途中中断状態になってしまった。でも何か形に残しておかないと「体験」って消えてしまうように思えて、言いたいことの半分も言ってない感じながら、一応完成。でも作曲家にとっても完成した曲って伝え足りない感じが残るから次の曲を作るんでしょうから、すべての曲は未完成なのかもしれないな、などと偉そうなことも考てみたりして…。
・バルシャイ指揮マーラー交響曲10番を聴きに行った!前編
群馬交響楽団 定期演奏会 バルシャイ指揮マーラー第10交響曲
(群馬音楽センター)に行った報告(11月27日)のつづきです。
人気のない高崎線の列車から高崎駅で降り、もうすっかり暗くなった高崎の街を駅から歩くこと15分くらい、群馬音楽センターに到着。古いけどガラス張りで大きな建物だなというのが第一印象。中に入ると、トイレなど中の設備は東映系の古い映画館の設備みたいだなと思いながら、ホール内へ。
私の席は割りと前の方でしたが、隣には体操用ジャージみたいなやつを着たローカルな感じのおじさん、後ろにはスーツを着た地方の土建屋のおじさんみたいな人がいて、「んん、地域に愛されているんですね」って感想を持った。
しばらくすると、ステージ上にちょっと年齢不肖な感じの貧相っぽい男の人が登場して、クラシックにおける未完成作あれこれを解説したあと、今回のマーラー⑩の話へ。この曲の作曲当時マーラーが妻のアルマの不倫に苦しんでいたことや、第一楽章と第五楽章に出てくるAの音はアルマのAだという説があることなんかを説明。ふ~ん、勉強になるなあ、なんて思いながらプログラムを見ると渡辺和彦の名が!確かこの人、ケーゲルにインタビューした人だったよな?(近所の図書館で『クラシック辛口ノート』を立ち読みしたことがあった。)なんか案外狭い世界なんだ!と妙な納得をして、いよいよ演奏タイム!
つまんないことに感心したのは、女性奏者の方々がなんだか艶っぽくて素敵に見えるってこと。(但し、男性の方は対照的に全然セクシーに感じないんだな、不思議と。)女と楽器っていう組み合わせには何かあるのかななんて考えているうちに、バルシャイさん登場。写真なんかから想像するより随分お爺さんな印象でヨタヨタっぽく指揮台に登った気がした。
いよいよ、演奏の始まる寸前の微妙な息遣いが、ジェットコースターが動き出す寸前みたいな感じで結構心地よいなあと思いながら、第一楽章のビオラから演奏が始まった。ここで思ったのは、オーケストラって案外見飽きないということ。だんだん演奏する楽器が増えてく感じや同じ楽器でも人によって演奏する姿勢や仕草が微妙に違う。クラシックの演奏会は目をつぶって聴くものかなぐらいに思っていた私は、これはビジュアル的にも面白いと思った。
さて、肝心の曲の方。なんだかんだで、一番聞きなれている第一楽章。正直なところ、この曲ってマーラーっぽいのは第一楽章くらいで、後はマーラーっぽくないなと以前は思っていた。(じゃあ、どういうのがマーラーらしいんだと聞かれれば、ウッと詰まってしまうけど。)渡辺和彦さんが前説で、「バルシャイ版はショスタコっぽい。」と発言していたのを聞いてナルホドって気がしてしまったほど。でも、今回物珍しいオーケストラというもののビジュアルの面白さに見とれて、第一楽章はおとなしい感じがしてしまった。むしろ元気一杯な気がしてきたのは、第二楽章以降。(といっても、私の印象では、CDで聴いたバルシャイ盤より、今回の演奏会の方がドラマチックでなく、密やかな感じだったんだけど。)特に、CDでは地味な感じがしていた、第三楽章「プルガトリオ(煉獄)」が実演で聴くとこんなに楽しい音楽だったとは!しかし、こんな彩り豊かな楽章がなんで天国と地獄の中間にあるという「煉獄」なんだろう?終盤に差し掛かり、そもそも悲鳴そのものみたいなこの曲の「悲鳴」度があがり、有名な第五楽章初めの大太鼓の音。CDで聴くより随分おとなしめの太鼓で、遠くで鳴ってるみたいだなという印象のあと、前述のAの音と第一楽章初めの部分の再登場の後はいよいよ佳境へ、「悲鳴」が「悲痛」に変わり、ホント最後の最後は「あっ」とため息が漏れた。
演奏が終わり、演奏者が足踏みするところなどの風習?を物珍しく見たあと、ホールを出ると、一階ロビーで<群響ふれあいトーク>というのが行われていた。
実は、演奏も良かったけど、この<ふれあいトーク>も面白かったんですよね、個人的には。コンサートマスターの長田さんとロシア人チェロ奏者のグルチンさんのお話だったのですが、バルシャイさんは相当な毒舌家なんだそう。以前の客演のときはあまりの毒舌で長田さんも辟易したそうですが、今回はグルチンさんが良いところだけうまく通訳したのだとか。(因みにグルチンさんの日本語はとても流暢です。)グルチンさんによると、チェリビダッケなど(他の指揮者の名前も出ていたんだけど聞き漏らしてしまった。)のリハーサルのやり方に日本のオケは慣れていないことと、バルシャイさん自身が奏者として接してきた旧ソ連の指揮者たちのやり方が本人に染み付いているのではということ。質疑応答もアットホームな感じで、「マーラーはなぜオペラを書かなかったのか?」という質問には渡辺さんも加わるなど、随分楽しめたし、勉強になったし、群馬県を見直しましたよ!
初クラシック演奏会体験としては、随分遠かったし、珍しい曲だったけどホント満足して帰りました。実演を聴くと曲に対する愛着も増すもので、今やマラ⑩はマラ⑨と並んで、マーラーの曲の中のフェイバリットになりました。でも、最近はマラ⑥とマラ⑦も結構好きなんだけど…。
<後記>
去年の11月27日に演奏会に行って帰ってすぐ書き始めたのに、妙に時間がかかってしまいました。要は、音楽って私にとってはうまく言葉にしにくいんですよね。芝居の場合は台詞や役者のアクションなど具体的な取っ掛かりがあるのに、楽器や楽譜に詳しくない私としては言いたい事がうまく言えない感じが付きまとって、結局長らく途中中断状態になってしまった。でも何か形に残しておかないと「体験」って消えてしまうように思えて、言いたいことの半分も言ってない感じながら、一応完成。でも作曲家にとっても完成した曲って伝え足りない感じが残るから次の曲を作るんでしょうから、すべての曲は未完成なのかもしれないな、などと偉そうなことも考てみたりして…。
・バルシャイ指揮マーラー交響曲10番を聴きに行った!前編
たしかに音楽のことって文章にするのは難しいですよね。たとえ楽譜のこと多少わかっていたとしても、それをどういうふうに文章にしたらいいのかということはいつも悩みますよ。
わかる人にだけわかればそれでいい…というならともかく、できるだけたくさんの人にこの感動を伝えたい…と思うと、楽譜のことなんて書いたってしょうがないと思うんですよね。よくレコ芸なんかで延々と楽譜をアナリーゼしてる音楽学者などがいますが、ああいうの、「これってもしかしたら誰も読んでくれないんじゃないだろうか」とか不安にならないのでしょうか?
でもだからといって、スゴイ!ガツンときた!泣けた!とかそんなことばかり書いてもまたしょうがないですしね(笑)交響曲などの器楽クラシックは、ポップスみたいに歌詞の取っ掛かりもないし、難しいですよね。
七之助君の件、ぼくもかれは酔っぱらって問題を起こすようなタイプには見えないんですけどね。たちの悪い雲助タクシーに捕まっちゃったかな?(これはあくまでも憶測ですが)もしそうだったとしたら俺でもケンカしちゃったたかもしれないけど、でもはずみとはいえ警官を殴っちゃったのはまずかったですね。まあ、背負っていることへの自覚がたりなかったというのはその通りでしょう。
(じつはいつも拝読させて頂いてます。)
音楽について書くのって難しいですね。楽譜を引用したり、CDの秒数を記入したり評論家の方の苦労がしのばれます。でも、言葉では言い表せないと言ってしまってはお終いですからね…。まあ今後もトライしてみようかと。
あと七之助くんの件。私も真相はしんいちろうさんのご意見のようなことだと思っているのですが、たまたま見た幾つかのブログやコメントがあんまりひどかったんで、あえて擁護したくなってしまったんですよね、歌舞伎ファンとしては。普段は中村屋贔屓でもないのに。