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戦争を回避する方法

2013-09-30 20:42:23 | 日本人と戦争

インドネシアで太平洋戦争の敗戦を知った日本兵の中には残留する兵隊が少なからずいた。 
日本軍は連合軍に降伏し、武装解除を行い、ジュネーブ協定に基づき武器は連合軍に引渡したが、 
軍の規律を順守せずに脱走する兵隊もいたのだ。 
逃亡は軍法裁判にかけられ死罪になる。 
兵隊の逃亡は軍隊における最大の罪だ。 

では何故、軍隊から離れてインドネシアに残ることを選んだのか? 
一般的にはインドネシアの独立に協力するためだったとか、 
日本中はどこも壊滅状態であるという噂を信じ、 
帰国しても生きる道がないと思ったから、とかいわれている。 
しかしその答えは残留した日本兵たちの出身地を知れば分かるだろう。 

残留日本兵たちの出自はほとんどが東北地方の農家の次男、三男である。 
戦前の東北地方の農家は極めて貧しく、 
農家の子供はろくに学校にも通っていなかったので文盲も少なくなかった。 
その上気候は大変厳しく生活は過酷だった。 

インドネシアで終戦を迎えた東北の農家の次男、三男たちは帰国する道を選ばなかった。 
「帰国しても家族に迷惑がかかるだけだ」と判断したからである。 
農家というのは長男と次男や三男とでは待遇に雲泥の差があったのだ。 
正に天国と地獄くらいの違いがあったのである。 
日本は戦後GHQによって地主制度は廃止されたが、 
戦前の小作農というのは奴隷そのものだった。 
つまり軍隊よりも厳しい生活をしていたのであった。 
軍隊には入ればとりあえず食うに困ることはないからだ。 
インドネシアには冬がない。 
それだけでも東北の人にとっては楽園だったに違いない。 
そして米は1年に2度3度作れる。 
彼らにとって帰国という選択は地獄への逆戻りだったのである。 

脱走という選択をした理由は他にもあるはずだ。 
上官に意味なく殴られ、「軍隊はもうこりごりだ」と思ったはずだ。 
だがその後彼らはインドネシア独立戦争に協力する。 
インドネシア兵を指揮する立場になり、二等兵が上官に格上げされるのだ。 
協力したのには無論理由がある。 
早い話脅されたのである。 
協力しなければインドネシア人に殺されたのだ。 
戦争に参加しないで、日本人が一人で生きていくことなどできるはずもなかった。 

戦争は多くの美談を生む。 
しかし、美談の裏の真実を知れば誰もが「戦争などバカバカしいことだ」と思うだろう。 


慰安婦の子供に国籍を与えたアメリカ政府

2013-08-25 13:06:04 | 日本人と戦争

1972年に発刊された「月刊エコノミスト」に田原総一朗の「私のアメリカ」という記事がある。 
田原のベトナム帰還兵に突撃取材した時のやりとりが記事の内容だ。 
彼は帰還兵たちに次々とマイクを向け矢継ぎ早に質問していく。 
そしてこう尋ねる。 
「何人ぐらい殺した?」 
帰還兵は答える。 
「よく憶えていないし、言いたくもない」 
その後も田原は次々に同じ質問を他の帰還兵たちにしていく。 
中には「べトコンだって殺人をしているじゃないか?」と反論する者もいたが 
田原は帰還兵たちの回答は「言い逃れだ」と断罪する。 
取材の邪魔をしようとする者に対しては 
「われわれが東洋人だからバカにしているのか?」と頓珍漢なことを書いている。 

地上戦を戦う兵士の視界は天気がいい場合で最大300メートル、 
天気が悪ければ最大100メートルといわれているが、 
実際に戦闘が始まると、地面に体を沈めてしまうため 
視界は10メートルしかないのが実情だ。 
つまり帰還兵たちの「何人殺したのか分からない」という回答は 
「言い逃れ」ではなく本当のことなのである。 
当時、日本のジャーナリストというのはほとんどが田原同様、非現実的な空想で、 
ベトナムの状況を報道していたのである。 

私の知り合いでアメリカの市民権欲しさにベトナム戦争に従軍した日本人がいる。 
彼から聞いた話でも「実際に戦闘が始まったら、無暗に銃口を向け 
敵を撃っているのか、味方を撃っているのかほとんど分からなかった」という。 
だから兵士に「何人殺した?」などと訊いて 
正確な数を言える者などいるはずがないし、 
答えられない兵士に対して「言い逃れだ」と決め付ける田原の方が狂っている。 
完全に常軌を逸している。 

日本のジャーナリストたちが書いた当時の記事を今読むと 
悪い冗談としか思えないものばかりでとても読むに耐えられない。 
アメリカなどの通信社が配信した元の記事には「VC(べトナミーズコミュニスト)」とあるのを 
日本のマスコミは勝手に「ベトナム解放軍」と翻訳して記事にしていた。 
知識人(自称)たちも同様「左(?)へ倣え」よろしくVCを「ベトナム解放軍」と呼んでいた。 
そして今もその間違った翻訳を訂正していない出版物が流通しているのだ。 
日本のジャーナリストは独り善がりの世間知らずだったのである。 
そして今もそれは変わらない。 
日本の政治が一向に良くなる気配がしないのは 
国民の意識の低さとジャーナリストの質の低さにあることは間違いない。 

米軍はベトナムで勝てなかったのだから、 
ベトナムで韓国兵がベトナム人女性に産ませた混血児問題から「言い逃れ」はできない。 
そして米兵が「慰安婦」に産ませた子供は今もアメリカ国民として存在する。 
ベトナム人を「慰安婦」にした歴史を消すことなど到底できない。 


米軍の慰安婦

2013-05-30 23:08:29 | 日本人と戦争

1972年に発刊された「月刊エコノミスト」に田原総一朗の「私のアメリカ」という記事がある。 
田原のベトナム帰還兵に突撃取材した時のやりとりが記事の内容だ。 
彼は帰還兵たちに次々とマイクを向け矢継ぎ早に質問していく。 
そしてこう尋ねる。 
「何人ぐらい殺した?」 
帰還兵は答える。 
「よく憶えていないし、言いたくもない」 
その後も田原は次々に同じ質問を他の帰還兵たちにしていく。 
中には「べトコンだって殺人をしているじゃないか?」と反論する者もいたが 
田原は帰還兵たちの回答は「言い逃れだ」と断罪する。 
取材の邪魔をしようとする者に対しては 
「われわれが東洋人だからバカにしているのか?」と頓珍漢なことを書いている。 

地上戦を戦う兵士の視界は天気がいい場合で最大300メートル、 
天気が悪ければ最大100メートルといわれているが、 
実際に戦闘が始まると、地面に体を沈めてしまうため 
視界は10メートルしかないのが実情だ。 
つまり帰還兵たちの「何人殺したのか分からない」という回答は 
「言い逃れ」ではなく本当のことなのである。 
当時、日本のジャーナリストというのはほとんどが田原同様、非現実的な空想で、 
ベトナムの状況を報道していたのである。 

私の知り合いでアメリカの市民権欲しさにベトナム戦争に従軍した日本人がいる。 
彼から聞いた話でも「実際に戦闘が始まったら、無暗に銃口を向け 
敵を撃っているのか、味方を撃っているのかほとんど分からなかった」という。 
だから兵士に「何人殺した?」などと訊いて 
正確な数を言える者などいるはずがないし、 
答えられない兵士に対して「言い逃れだ」と決め付ける田原の方が狂っている。 
完全に常軌を逸している。 

日本のジャーナリストたちが書いた当時の記事を今読むと 
悪い冗談としか思えないものばかりでとても読むに耐えられない。 
アメリカなどの通信社が配信した元の記事には「VC(べトナミーズコミュニスト)」とあるのを 
日本のマスコミは勝手に「ベトナム解放軍」と翻訳して記事にしていた。 
知識人(自称)たちも同様「左(?)へ倣え」よろしくVCを「ベトナム解放軍」と呼んでいた。 
そして今もその間違った翻訳を訂正していない出版物が流通しているのだ。 
日本のジャーナリストは独り善がりの世間知らずだったのである。 
そして今もそれは変わらない。 
日本の政治が一向に良くなる気配がしないのは 
国民の意識の低さとジャーナリストの質の低さにあることは間違いない。 

米軍はベトナムで勝てなかったのだから、 
ベトナムで韓国兵がベトナム人女性に産ませた混血児問題から「言い逃れ」はできないし、 
ベトナム人を「慰安婦」にした歴史を消すこともできない。 


戦争の天才

2013-05-30 23:04:27 | 日本人と戦争

ベトナム戦争が終わって40年近く経つが、一人当たりGDPの水準はタイの4分の1程度のままだ。 
ベトナムの近代史は戦争の歴史といってもよく、 
戦争に勝つことしかできなかったため経済発展は遅れている。 
理由はテクノロジーの蓄積がないからだ。 

外国人は日本の戦後の発展を「奇跡」だという。 
原因を知らず「奇跡」と考えてしまうからだ。 
日本人の中にもその疑問に答えられない人もいる。 
作家・沢木耕太郎は「深夜特急」の中で 
マレーシア人に「何故、日本は発展できたのか?」と訊かれ、 
「ただ運がよかっただけ」と答えている。 
もっとマシな答えがないものか? 
答えは戦争にある。 
戦争をすると飛躍的にテクノロジーが発達するのだ。 
例えば、ニコンのレンズ。 
それは魚雷を発射させる時、命中率を上げるために開発された高性能レンズだ。 
軍部が人と金をかき集めて「最高のものを作ろう」とした結果、 
優秀な兵器を作ることに成功したのである。 
つまり自前の兵器を使用して戦争をしたからこそ、 
戦争が終わっても、その技術を応用して、高品質の民生用工業製品を作ることが出来たのだ。 
現在世界中の人々が使っている物の中には、 
戦時中に日本やドイツ、アメリカなどが開発した兵器技術を応用した製品が非常に多い。 
サランラップはその代表例である。 

ベトナムはどうだったか? 
北ベトナムはソ連からただで兵器をもらい、 
南ベトナムもまたただでアメリカから兵器をもらっていた。 
ソ連、アメリカどちらも援助合戦を繰り広げてありったけの支援をした。 
そしてアメリカは「自由主義の国がどれほど豊かであるか」を東側にアピールするために、 
サイゴン市を豊かな消費社会のモデル都市にした結果、サイゴン市には物が溢れていた。 
当時のことを知ってるベトナム人は「1975年までサイゴン市は東京よりも豊かだった」と思っている。 
こんなこともあった。 
ある僧侶が南ベトナム政府に対する抗議の焼身自殺をしたが、 
当時の大統領夫人は痛烈な皮肉を言った。 
「彼は、アメリカからの援助でもらったガソリンをかぶって自殺したのよ」と。 
アメリカにおんぶにだっこの国を象徴する逸話話である。 
1975年、戦争は終わった。 
そしてベトナムは統一された。 
しかし、発展しない。 
それどころか後退している。 
日本とは事情が違う。 
テクノロジーの蓄積がないからである。 
自前の兵器を作らずにただでもらった戦車や戦闘機で戦っていたからだ。 
しかし兵器を作らないということは相手からすると目標を定めることが出来ない。 
アメリカは「どこを爆撃したら一番効果的か?」その答えを見つけることが出来なかったのだ。 
日本が相手の場合それは容易い。 
兵器を作る工場を爆撃していき、全部の工場を壊滅させた時がゴールだ。 
けれども、ソ連が兵器を運ぶ船舶が停泊する港を爆撃したら、今度はソ連との全面戦争になってしまう。
そんなことは出来ない。 
アメリカは軍事目標を見つけることが出来なかったのだ。 
そして、アメリカは自信を喪失し、厭戦ムードが国中を覆い尽くす。 
あまり指摘されることはないが、ソ連も北ベトナムに支援を行ったために財政が極端に悪化している。 
北ベトナムへの援助額がいかに大きかったかを象徴している。 
ロシア人の中には「ソ連が消滅した理由は北ベトナムに多大な援助をしたからだ」と思っている人が少なくない。

この戦争の勝者は韓国かも知れない。 
1960年代までは北朝鮮の方が発展していたのだ。 
日本の植民地時代、北部を優先的に開発したため、重工業が盛んだったからだ。 
しかし韓国はベトナム戦争に参戦し、アメリカから莫大な援助を受け、北を凌ぐことになる。 
それ以降、順調に発展し続けた。 
もしもベトナム戦争がなければ、韓国の今の発展はないだろう。 
戦争するには金がかかるものだ。 
貧乏国は決して戦争など出来ないのである。 
また外国の戦争で貧しくなる国、豊かになる国があるのも事実だ。 
そして国を発展させるにはテクノロジーが不可欠である。 

ベトナム人がアメリカに軍事目標を与えないために、 
あえて兵器を作らなかったとしたら、 「戦争の天才」かも知れない。 


フランス外人部隊の秘密

2013-05-30 22:55:45 | 日本人と戦争

ベトナム生活をしていた頃、テレビのクイズ番組の司会者とアシスタント、出演者のフランス人と番組の打ち合わせをしたことがある。 
そこで話題になったのがベトナムで今も使われているフランス語。 
いうまでもないがベトナムはフランスの植民地だったので、 
現在も多くのフランス語が使われてる。 
代表的なのがシクロ。 
DNAはフランス同様ADN(Acide désoxyribonucléique)だ。 
ベトナム人にDNAといっても通じない。 
そしてエイズもやはりフランス同様シダ(Sida)である。 
古着のことをアオシダという。 
アオはベトナム語で服のこと。 
「エイズの服」が古着とは一体どういうことなのだろうか? 
アオシダは日本語の「吉田」に近いため、 
ベトナム人に名前を訊かれて「吉田」と答えたら大笑いされる。 

言葉以外にも、フランスは大きな影響を残した。 
ベトナムの家屋は「うなぎの寝床」になっている。 
それは税金対策のためだった。 
家屋の横幅の長さだけで税金の額を決めたためだ。 
昔、ベトナムでは事実婚が多かった。 
婚姻届を出すと税金を取られたからだ。 
今、フランスの方が、事実婚が多くなったのは皮肉な話だ。 

ベトナムとフランスの関係で欠かせないことがある。 
それはフランス外人部隊である。 
第二次大戦が終わった後ベトナムが独立しようとすると 
フランスはアルジェリア人が主体の外人部隊を投入した。 
しかしこれがまた弱かった。 
フランスの外人部隊のことを、強い部隊と思ってる日本人は多いが、 
実はインドシナでは惨敗している。 
金目当ての部隊と命がけで大儀の為に戦う部隊とどっちが強いか明白だ。 
外人部隊などやばいと思ったらすぐに投降するはずだ。 
何故なら命を落としたら、もう二度と金儲けなどできないからだ。