インドネシアで太平洋戦争の敗戦を知った日本兵の中には残留する兵隊が少なからずいた。
日本軍は連合軍に降伏し、武装解除を行い、ジュネーブ協定に基づき武器は連合軍に引渡したが、
軍の規律を順守せずに脱走する兵隊もいたのだ。
逃亡は軍法裁判にかけられ死罪になる。
兵隊の逃亡は軍隊における最大の罪だ。
では何故、軍隊から離れてインドネシアに残ることを選んだのか?
一般的にはインドネシアの独立に協力するためだったとか、
日本中はどこも壊滅状態であるという噂を信じ、
帰国しても生きる道がないと思ったから、とかいわれている。
しかしその答えは残留した日本兵たちの出身地を知れば分かるだろう。
残留日本兵たちの出自はほとんどが東北地方の農家の次男、三男である。
戦前の東北地方の農家は極めて貧しく、
農家の子供はろくに学校にも通っていなかったので文盲も少なくなかった。
その上気候は大変厳しく生活は過酷だった。
インドネシアで終戦を迎えた東北の農家の次男、三男たちは帰国する道を選ばなかった。
「帰国しても家族に迷惑がかかるだけだ」と判断したからである。
農家というのは長男と次男や三男とでは待遇に雲泥の差があったのだ。
正に天国と地獄くらいの違いがあったのである。
日本は戦後GHQによって地主制度は廃止されたが、
戦前の小作農というのは奴隷そのものだった。
つまり軍隊よりも厳しい生活をしていたのであった。
軍隊には入ればとりあえず食うに困ることはないからだ。
インドネシアには冬がない。
それだけでも東北の人にとっては楽園だったに違いない。
そして米は1年に2度3度作れる。
彼らにとって帰国という選択は地獄への逆戻りだったのである。
脱走という選択をした理由は他にもあるはずだ。
上官に意味なく殴られ、「軍隊はもうこりごりだ」と思ったはずだ。
だがその後彼らはインドネシア独立戦争に協力する。
インドネシア兵を指揮する立場になり、二等兵が上官に格上げされるのだ。
協力したのには無論理由がある。
早い話脅されたのである。
協力しなければインドネシア人に殺されたのだ。
戦争に参加しないで、日本人が一人で生きていくことなどできるはずもなかった。
戦争は多くの美談を生む。
しかし、美談の裏の真実を知れば誰もが「戦争などバカバカしいことだ」と思うだろう。