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三河一向一揆の真実

2023-02-28 23:58:28 | 日本人と歴史観

イエズス会士のルイス・フロイスが日本にやって来たのは、文禄6年だった。
その年の暮に一向一揆が起きるが、
因果関係については研究の必要がある。
一向宗は阿弥陀仏のみを信じるもので、一神教に近い。
イエズス会が一向宗を殊更敵視した理由がそれである。
キリスト以外のものを信じる宗教は邪教になるからだ。
織田信長と徳川家康は弾薬をイエズス会傘下の商人から買っていた。
当時、尾張藩も三河藩も国力は小さく、弾薬を買う経済力はなかったはずだ。。
どのようにして弾薬を入手したのか、それが大きな問題で誰もその点に触れない。
イエズス会が日本に来た理由は奴隷貿易だ。
日本人(特に子供を産む女性)を奴隷として輸出すれば、
やがて人口は減り、国力は小さくなる。
最後には植民地にする策略だ。
信長と家康は弾丸と奴隷の物々交換をしていたのである。
女性が奴隷として取引される状況を憂いた家康の家臣は次々と反旗を翻した。
それが一向一揆なのだ。
浄土真宗の僧侶は性交し、飲酒もしていた。
イエズス会に唆された家康は
「堕落した空誓を懲罰する」という大義名分で本證寺を攻撃するのである。

三河一向一揆の史実に関する書物はない。
堕落した僧侶と奴隷貿易という負の遺産は歴史の汚点だから、
消去しなければならない。
信長公記や三河物語など、
いってみれば司馬遼太郎の小説と同じで主観によって書かれている。
当然、恥部は隠蔽されている。
僧侶が書いた書物は当時の漢字(中国語と同じ意味)で書かれているが、
現在の漢字と意味は違う。
中国語に造詣が深い人でなければ本来の意味は分からないのだ。

三河一向一揆に関する研究は
ポルトガルやスペイン、オランダ等の資料から読み解くしかない。
それが不可能なら金の流れから考察するしか他に方法はない。
事件を解明するには金の流れを探ることだ。
信長と家康はどうやって高価な弾薬を手に入れることができたのか、
それが最も重要な点なのである。


三河一向一揆の本質

2023-01-09 21:51:59 | 日本人と歴史観

三河一向一揆が起きたのは文禄6年だが、
同年、宣教師のルイス・フロイスが日本に来たことは偶然ではない。
イエズス会は、日本人をキリスト教に改宗させ、
日本を占領するために宣教師を派遣する。
信長はフロイスに布教をさせることに同意するが、
それに激しく抵抗したのが仏教徒である。
信長は弾薬を入手するため、布教を許すが、当然家康も同じ考えであった。
布教に反対する家康の家臣は多く、仏教徒と共に家康と戦うことを選択する。
それが三河一向一揆なのだ。
家康が一揆を鎮圧した後、反旗を翻した家臣を無罪放免にしたのには理由がある。
動機が正しかったからだ。
イエズス会は信長を改宗させるため、アフリカ人の弥助を送り込む。
彼はスパイだった。
本能寺の変が起きた時、現場にいたのにも関わらず、
無傷でイエズス会に戻っている。
本能寺の変はイエズス会の謀略だ。
信長が改宗しないため、暗殺したのである。
その前に起きた延暦寺焼き討ちもイエズス会が信長に仕向けたことだ。
イエズス会が、仏教徒を敵視していたために起きた事件である。
三河一向一揆はイエズス会と仏教徒との対立の結果なのだ。
日本史を見る場合、世界史から見なければ本質は分からない。
日本史を研究する場合、スペインやポルトガル、オランダ等の外国の資料を分析しなければならない。
日本の歴史学者は「木を見て森を見ず」で、
日本の中から見ているため、本質を知る機会を見逃す。
家康の家臣が反旗を翻した理由は他にもある。
イエズス会が奴隷貿易を行っていたからだ。
実際に、数万人の日本人が奴隷として取引されている。
商品なのだから、当然帳簿があり、スペインにそれが保管されている。
家康はその後、イエズス会と決別する。
日本が支配されることに危機感を抱くようになったからである。
スペインに限らず欧州の国は、外国を支配しようと画策した場合、
その国に内戦を起こさせ、国力が低下した隙を狙って侵攻する。
それが常套手段だ。
関ヶ原合戦も当然イエズス会の謀略である。
秀吉の朝鮮出兵も日本の国力低下を狙ったものだ。
世界史から見れば一目瞭然である。
三河一向一揆に関しては世界史の観点で考察する必要がある。
それが理解できなければ歴史学者の資格はない。


藪睨みの歴史観

2017-08-02 07:30:37 | 日本人と歴史観

二・二六事件を語る上で外せないことがある。 
それは陰謀だ。 

日露戦争で日本軍が勝ったのは陰謀のおかげである。 
それは日本軍が認めている。 
ロシアの共産主義者を支援し、 
ロシアで革命を起こすように仕向けて体制崩壊を促したためロシア軍は自滅した。 
日本軍が勝った、のではなくロシア軍が勝手にこけたというわけだ。 
日露戦争のように軍が認めていることは稀である。 
国家権力は非情で、目的達成のためならどんな汚い方法も拒まない。 

戦前の陸軍中野学校は仮想敵国で陰謀を起こすためのスパイを養成する機関だった。 
それは関係者が認めている。 
北朝鮮の金日成や北ベトナムのホー・チ・ミンは偽物である。 
本物は殺されている。 
当時はテレビなどなかったため民衆は金やホーの顔など知らない。 
偽物が登場しても一部の親族や知人しか分からないのだ。 
偽物はソ連が送り込んでいる。 
そして関係者は粛清されている。 
陰謀は世界中で実行されていたのだ。 
現在、マスコミが発達し、情報が氾濫しているため 
陰謀を実行することは困難である。 
しかし、数十年前まで陰謀は世界中で実行されていた。 

真実に向き合う姿勢があるか、ないか、 
歴史を知るためには覚悟が必要なのである。 


西暦と勝者の歴史

2017-08-02 07:21:56 | 日本人と歴史観

天皇誕生日は「西暦」の12月23日だが、 
日本の皇室の歴史は長く、キリストが誕生する前から存在する。 
日本古来の暦は「西暦」とは異なる。 
では、何故「西暦」で天皇の誕生日を祝うのか? 
それは現在の「新天皇制」が明治天皇即位の時に発足したもので、 
江戸時代までの「旧天皇制」とは全く違うものだからだ。 
伝統を継承するのなら、江戸時代までの「旧天皇制」に戻さないといけないだろう。 
もちろん側室制度も含めてのことだ。 

何故、制度が変わったかといえば 
長州藩が徳川幕府を打倒し、新政権を樹立したからで、 
皇室を英国の王室に倣うために改造してしまったのである。 
そして政治体制の基礎も長州藩が作っている。 
政治家の世襲制は長州藩が元凶だ。 
司馬遼太郎のおかげで長州藩士は英雄扱いされているが 
果たしてそうだろうか? 
今の政治家たちのルーツを辿っていくと長州藩に行き着く。 
長州出身の政治家が「勝者の歴史」を作ったため 
国民は「長州藩は正義」と錯覚しているが、それは正しくない。 
もし長州藩士がそんなに立派だったら 
日本は一流の民主国家になっているはずだ。 

政治家は国民を「仕事こそが生きがいだ」と洗脳して 
休みもろくに与えず働かせるだけ働かせている。 
経済では一流国家でも、政治では二流国家のままだ。 
安倍首相の祖父・岸信介は満州国でのアヘン生産によって戦費を捻出している。 
日本が連合国相手に戦争を遂行できる根拠がアヘン貿易による戦費獲得だったのだ。 
明治維新以降、国民は長州出身の政治家に翻弄され続けてきたのである。 

何故、天皇誕生日を「西暦」で祝うのか、 
その理由について日本人はよく考えなくてはならないだろう。 


西暦と勝者の歴史

2015-01-02 01:38:29 | 日本人と歴史観

天皇誕生日は「西暦」の12月23日だが、 
日本の皇室の歴史は長く、キリストが誕生する前から存在する。 
日本古来の暦は「西暦」とは異なる。 
本日は12月23日ではなく11月2日のはずである。 

何故「西暦」で天皇の誕生日を祝うのか? 
それは現在の「新天皇制」が明治天皇即位の時に発足したもので、 
江戸時代までの「旧天皇制」とは全く違うものだからだ。 
伝統を継承するのなら、江戸時代までの「旧天皇制」に戻さないといけないだろう。 
もちろん側室制度も含めてのことだ。 

何故制度が変わったかといえば 
長州藩が徳川幕府を打倒し、新政権を樹立したからで、 
皇室を英国の王室に倣うために改造してしまったのである。 
そして政治体制の基礎も長州藩が作っている。 
政治家の世襲制は長州藩が元凶だ。 
司馬遼太郎のおかげで長州藩士は英雄扱いされているが 
果たしてそうだろうか? 
今の政治家たちのルーツを辿っていくと長州藩に行き着く。 
長州出身の政治家が「勝者の歴史」を作ったため 
国民は「長州藩は正義」と錯覚しているが、それは正しくない。 
もし長州藩士がそんなに立派だったら 
日本は一流の民主国家になっているはずだ。 

政治家は国民を「仕事こそが生きがいだ」と洗脳して 
休みもろくに与えず働かせるだけ働かせている。 
経済では一流国家でも、政治では二流国家のままだ。 
安倍首相の祖父・岸信介は満州国でのアヘン生産によって戦費を捻出している。 
日本が連合国相手に戦争を遂行できる根拠がアヘン貿易による戦費獲得だったのだ。 
明治維新以降、国民は長州出身の政治家に翻弄され続けてきたのである。 

なぜ天皇誕生日を「西暦」で祝うのか、 
その理由について考えなくてはならないだろう。