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送信者と受信者

2015-01-02 23:51:15 | 日本人と幸福

NHKに対する最も大きな不満は受信料の支払いが不公平であることだろう。 
例えば韓国や台湾でも衛星放送を受信することが可能で 
現実的に多くの外国人が無料で視聴しているのだ。 
そしてNHKは地上波と衛星で重複した放送を行っている。 
別料金なのだから衛星で放送した番組を地上波で放送する前に視聴者の許可を得るべきだ。 
全く衛星放送の視聴者をバカにしている。 
同じ番組を放送するのなら追加料金を徴収するべきではない。 

再放送が非常に多く無駄が多いことも見逃せない。 
節電を訴えるなら再放送は中止するべきだ。 
再放送するなら一度に限定するべきで 
同じ番組を繰り返し何度も放送するのは全く電力の無駄である。 
そして視聴率の低い番組は淘汰されても仕方がない。 
制作者の自己満足を見せられたのではたまったものではない。 

2008年の4月、NHKワールドの放送が突然、英語の放送になった。 
政治家が圧力をかけて「外国人にNHKを見てもらおう」という方針からだったが 
海外在住の日本人から猛反発を受けてすぐに日本語の放送に戻った。 
NHKの制作費を誰が出しているのか全く理解せず 
バカな政治家に従って無意味な放送をしただけだった。 
外国人はNHKなど見ない。 
国際放送はとても多く、わざわざNHKを選ぶ外国人など滅多にいないからだ。 
ケーブルテレビで視聴できる場合もあるがチャンネル設定で不利だ。 
100チャンネルあればNHKは90前後に設定されていて探すのに時間がかかる。 
しかも放送する番組の選択が偏重している。 
日本の伝統を紹介する番組が多く、 
今ではもうほとんど消滅してしまったような職業に関するものが放送されている。 
もし外国人がそれを見たら完全に日本のことを誤解するはずだ。 
若者の文化を紹介する番組もあるが、それも偏っている。 
両極端の日本人が登場するので外国人には日本が「摩訶不思議の国」にしか見えないだろう。 

職員はNHKに入局する前、一般人だったはずだ。 
その時NHKをどう見ていたか、それを思い出せば視聴者の考えが分かるはずだ。 


白い部屋の黒い欲望

2015-01-02 23:11:21 | 日本人と幸福

2008年に一ヶ月100時間を越える残業を強いられた会社員の男性がうつ病に罹って自殺し、 
彼の妻が会社を訴えた裁判で勝訴している。 
会社が悪いのはいうまでもないが、 
「どうして残業を拒否できなかったのか?」と残念でならない。 
自分の健康管理は自分でないと不可能であるし、自分を守るのは自分である。 
しかも人生は一度きりで自分の人生を仕事に捧げるという生き方は美しい生き方ではない。 
だがうつ病に罹ってしまうと自分を見失ってしまうものだ。 
うつ病に罹るまでは自己責任かも知れないが、病後のことは家族の責任だろう。 

こういうニュースを聞くとある疑問が脳裏をかすめる。 
妻はなぜ夫を会社に行かせたのか? 
給料が欲しかったからか? 
夫の健康よりも金が欲しかったのだろうか? 
妻は一ヶ月100時間以上も残業をさせる会社で夫が働くことを何故容認できたのか? 
「そんな会社で働くのはやめて」と言えなかったのだろうか? 

人間は一日に10時間以上も仕事に集中できる精神と肉体を持っていない。 
一日だけなら可能だが、毎日過労に耐える力はない。 
常識で考えれば分かる。 
本人は過重労働をやる気があったとしても 
体を張って止めるのが妻の役割ではないだろうか? 
職を失うことくらい何でもない。 
貧乏くらい克服できる。 
しかし人生は一度きりだ。 

私は自殺した会社員の妻に対しては同情しない。 
裁判に勝って金を手にして嬉しいのかどうか、それを知りたいだけだ。 


手打ち蕎麦とカップ麺

2013-12-22 23:03:05 | 日本人と幸福

発展途上国では中流の家庭にも家政婦がいる。 
もしいなければ食事は惣菜を買って来て家で食べる。 
主婦がすることは米を炊いて買って来た惣菜を皿に盛るだけである。 
共稼ぎが普通で、夫がろくに仕事しない家庭も多い。 

日本ではコンビ二の弁当を子供に食べさせてばかりいると 
「なんてひどい親だ」といわれるが共働きでは仕方がないだろう。 
何を子供に食べさせるかは個人の問題である。 
そして味覚は個性そのもので、何がおいしいか、それは人によって違う。 
手間暇かけて作ったものがおいしいとは限らない。 
「少なくとも作った人にとってはおいしい」ということだけだ。 

「おいしい料理を作れる女がいい女だ」。 
そう思っている日本の男は少なくない。 
もし日本に外国人の家政婦がやって来ても日本人は満足しないだろう。 
日本人の味覚は世界一繊細である。 
外国人が作る料理など食べられるわけがない。 
日本では誰もが高等教育を受けられるので、家政婦になろうとする人はいない。 
外国人では役に立たない。 
けれども「難しい料理を作るのはやめにしよう」と主婦は言えない。 
企業が一生懸命にインスタント食品を売ろうとしても 
料理にかける時間は減っていないのが現実だ。 
パソコンや携帯電話などの通信機器を大量販に販売しても 
労働者の負担が減っていないのと同じだ。 

日本の男は一生懸命働いて昼休みには評判の手打ち蕎麦屋の前で行列し、 
夜遅く帰宅して女房においしい料理を作らせることが幸福なことだ、と信じているのかも知れない。 
彼女がよくできた家政婦であることを自慢するのが好きなのだろうか? 
そして本当に手打ち蕎麦がカップ麺よりもおいしいと信じているのだろうか? 


終着駅の転がる石

2013-09-30 20:45:02 | 日本人と幸福

旅が人に影響を与える大きな要因であることは間違いない。 
そしてストレスを解消しようとすれば、旅に出かけることが最大の効果をもたらす。 
生活環境を変えると考え方も変わるものだ。 
現状とは違う場所に行くことが新しい発想を生み出すからだ。 

行き先が海外であれば日本人の常識が通じない。 
それは自分が日本人であることを認識させることであり、 
「日本人とは一体何者なのか?」と考えさせられることになるのだ。 
海外へ旅に出る、ということは自分探しではなくて「日本人探し」なのだ。 
少なくとも私は長く海外で暮らして「日本人探し」をした。 
「日本人とは何者なのか?」が私にとって人生のテーマだからだ。 

日本人が分かれば、自ずと自分自身の姿も見えてくるはずだ。 
価値観は日本人の血から伝承されたものであり、 
それがどんなに不合理でも享受しなければならない。 
日本人を降りることは出来ない。 
終着駅まで途中下車は出来ないのである。 

だが日本人の価値観を押し通すことは無理だ。 
そして「どこで踏み止まるのか?」格闘が始まるのだ。 
いくら現地に順応したつもりでも、実は大きく価値観は変わってはいない。 
どこまで行っても日本人であることに何ら変わりはないのである。 

カネで現地の人の歓心を買い、評価を高めることも出来るが、 
相手を見くびると後で「しっぺ返し」が待っている。 
日本にいる時よりも、カネの存在感が大きくなり 
自分自身の存在感まで大きくなったと誤解すると足元を踏み外す。 
「転がる石」になって初めて自分の間抜けさに気が付くだろう。 
だがそうやって「転がる石」になるのもいい。 
少なくとも動く石にさえなることが出来れば。 

化石のように眠り続ける石になったら人生の終着駅は近い。 
奈落の底に落ちていく石を見て思う。 
一度、天国を見てから地獄に落ちて行く方が 
転がらずに生きたまま化石になるよりも遥かにマシだ。 


政治と自由

2013-09-30 20:40:00 | 日本人と幸福

日本で治安維持法が制定されたのは、 
ロシア革命よる共産主義拡大阻止が目的であった。 
数年前に小林多喜二の本が売れ、 
小林は治安維持法の犠牲者として脚光を浴びている。 
今は共産主義アレルギーなどないが、 
戦前日本の政治家、軍人には強い共産主義アレルギーがあったことを忘れてはならない。 
日本が太平洋戦争でなかなか降伏を決断出来なかったのは 
「敗戦したら国民は貧困に陥り、共産国に転じて、天皇は処刑されてしまう」という強い懸念があったからである。 

ASEAN東南アジア諸国連合の結成目的は共産主義に対峙するためであった。 
アメリカ政府の説くドミノ理論に怯えていたからである。 
当時マレーシアでも共産主義運動が起き、 
政府はそれを弾圧するため治安維持法を制定する。 
だがドミノは共産国で起きる。 
ソ連の崩壊は東欧の共産国のドミノ倒しを招いたのである。 
もはや共産主義の脅威は消えてなくなった。 
隣国インドネシアからは大量の出稼ぎ労働者が来るようになった。 
マレーシア人は彼らを軽蔑するが、 
マレーシアは民主化の達成度から見たらインドネシアより20年遅れているのである。 
経済的にはより多くの成功を収めてはいるが、 
デモの自由はなく国民の政治的な発言は大きく制限されている。 
同じ反共国家として同じ道を歩んで来た両国だが 
政治と経済の両面で大きな格差が生まれているのだ。 

マレーシアではやっと治安維持法の是非について論議され始めた。 
まだその声は小さいが何といっても今は情報化社会である。 
政府は体制維持こそが治安維持だというが 
やがてその矛盾が爆発するだろう。 
力で国民を抑えようとしても情報の力を侮るとしっぺ返しが待っているはずだ。 
自由のない体制の維持には限界がある。 
21世紀の今、これだけ情報が溢れていては 
人間を家畜にすることなど鎖国しない限り不可能だ。 

治安が乱れるということは政治が悪いということだ。 
法律を作って治安を維持しようとしても政治が悪ければ治安を維持することは不可能である。 
政治家は悪夢を忘れてはいけない。