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夜の蝶々の遠吠え

2013-10-02 20:57:51 | インドネシア事情

イスラム教徒と結婚するにはイスラム教に改宗しなければならない。 
イスラム教の国家において政教分離はあり得ない。 
イスラム教の教えを基礎に法が成立するからだ。 
生活の規範がイスラム教なのだから、 
戒律を厳守しなければならない。 

豚肉(味の素など豚肉の成分が含まれるものも含む)を食べることは勿論、飲酒も厳禁だ。 
断食は義務である。 
女性の場合、生理中なら免除される。 
男性の場合、旅行中なら話は別だ。 

ちなみにデビ婦人もイスラム教徒でなければいけない。 
彼女はインドネシア初代大統領・スカルノと結婚したから、イスラム教に改宗したはずである。 
インドネシアで結婚する場合、 
最初に「スナット」と呼ばれる割礼を行い、医師の「割礼証明書」を持参して 
「カントール・アガマ」と呼ばれるイスラム教の公証人役場に届けないと認められない。 
市役所に婚姻届を提出しても「カントール・アガマ」に行くことを勧められるだけだ。 
しかもイスラム教徒の改宗はご法度である。 
改宗したら地獄に堕ちるからだ。 
改宗はイスラム教徒にとって最大の罪なのだ。 
つまりデビ婦人はまだイスラム教徒なのである。 
しかしどうも見ても戒律を守っているようには見えない。 
20年前にはヌード写真集まで出版、販売している。 
日本に宗教警察はないが、 
インドネシアであれば間違いなく有罪で、軽くても禁固刑だ。 
重い場合、死刑だろう。 

もし彼女がイスラム教を否定したいのなら、パキスタンで「説教」するべきだ。 
日本という安全な国で吠えている姿はみっともないだけだ。 
インドネシアで娼婦のことを「クプクプ・マラム」という。 
意味は夜の蝶々だ。 
インドネシア人なら誰でも彼女の正体を知っている。 


生贄女の哀しみ

2013-03-01 01:03:36 | インドネシア事情

1993年、ホテルオークラでデヴィ夫人は自身が開催した「国連環境計画支援」の為のチャリティパーティーで寄付金を横領している。 
パーティー参加者の一人が国連に確認したところ、 
寄付が届いていなかったことが発覚し、それを週刊新潮が報道、 
デヴィ夫人が新潮社を訴えたのだったが 最高裁は上告を棄却している。 
つまり「記事の内容は真実である」と認められたのである。 
デヴィ夫人はただのババーではなくて、ネコババーなのである。 

デヴィ夫人はインドネシアに対する戦後賠償を、 
日本にとって好条件で決着させる為に利用された生贄である。 
インドネシア初代大統領スカルノの第三婦人になった後、 
彼女は日本からの政府開発援助の窓口となる。 
彼女がインドネシアに渡った1960年代は 
ベトナム戦争の時代で、共産主義が勢力を伸ばし、 
東南アジア各国ではソ連の援助を受けた共産主義者たちが革命を起こそうと策略していた。 
スカルノもまた共産主義に傾倒していたのだ。 
国内の共産党を支援し「共産党政権樹立を目論んでいた」といわれる。 
だが、それをアメリカ政府が黙認するはずはなく、 
スカルノを失脚させるために自作自演の「クーデター事件」を捏造して、 
スハルト将軍を利用して共産党を解体させることに成功する。 
以後、アメリカ政府の後ろ盾を得たスハルトが、政権を奪い、スカルノは大統領の座から追われる。 
そしてスカルノの4人の夫人のうち3人は国外に脱出した。 
デヴィ夫人は既に日本国籍を失っていたので、フランスに亡命する。 
その際に相当な額(20億円といわれている)のスカルノの隠し財産を持ち去っている。
彼女は金に対して物凄い執着心があるのだ。 
何しろ金のためなら進んで生贄になるくらいだ。 
彼女の頭の中にあるのは哲学ではなくて利権だけである。 
北朝鮮擁護も利権が絡んでいて、 
自分のコネクションを利用しているに過ぎない。 

デヴィ夫人の人生は女の生き方のひとつのサンプルである。 
貧しいが美しく生まれ、頭の良い女がどうすればサクセス出来るのか? 
ひとつの方法論を提示しているのだ。
美貌とコネを使えば、いくらでも金が転がり込んで来る。 
そういう生き方も是なのかも知れない。 
だが、本当の愛を知らないまま、この世を去る虚しさからは逃れられないだろう。 


愚かな夢

2012-12-01 20:13:11 | インドネシア事情

1997年インドネシアで通貨危機が起きた時
現地にいた私は家を買う千載一遇のチャンスだと思った。
通貨はあっという間に下落し、4分の1にまで落ち込んだ。
当時バリ島に住むことが夢であったので
その時は真剣に土地を買おうと考えた。
私にとってバリは「夢の島」だったのだ。

土地を買う場合、インドネシア人の名義を借りなければならないが
私には信用できる友人がいたのでそれは問題がなかった。
その友人とは彼が名古屋の南山大学に留学中知り合った。
南山大学のある先生がバリで「日本文化学院」という日本語学校を設立し
彼はそこで優秀な成績を収めて南山大学に留学することが出来たのだった。
あるインドネシア人留学生から彼を紹介してもらい交流が始まった。
彼は大学を卒業し「日本文化学院」の運営に携わったが、現在はある日系企業で働いている。

私たちはバリで再会し、「将来の夢」を語り合った。
彼に「こんなビジネスやったらいいじゃない?」といくつか提案した。
今、彼は実際にその提案のひとつを仕事にしている。
その後、経済危機が発生し、インドネシアの政治は不安定になり何が起きるか全く予測できない状況が生まれる。
噂では軍が二分して内戦に発展する、といわれていた。
私はデノミが起きて通貨の価値が著しく減少するだろう、と考えた。
ある日本人の友人は激安になった土地を買ったが、私は買わない決断をした。
私の読みは外れ、その後インドネシアの政治は改革され、恐れていた内戦などは起きなかった。
そして通貨の下落は止まりインフレが起きた。
ある日本人の友人は通貨が最安値になりインフレが始まるまでの絶好の機会に土地を買った。
完全に私の負けだった。

そんなことがあって私はバリに住むという夢を捨ててしまった。
夢は実現しないものだ。
実現しないから夢なのである。
私はバリでそんな人をたくさん見た。
安易に名義を借り土地を購入したけれども
日本に帰っている間に家を名義人に盗られてしまう日本人のことである。
私はバリで夢が実現しなくて良かったと思っている。
夢から覚めてしまえば夢を見ていた頃の自分がとても愚かに思えてくる。
私はまだ幸福である。
自分が愚かであったことに気が付くことが出来たのだから。






アメリカ嫌いと日本好き

2012-11-24 00:14:55 | インドネシア事情

インドネシア社会にはアメリカを嫌う空気があり
現在のイスラム復興主義は反米主義が背景にある。
1965年のクーデターによって国民にカリスマ的人気のあったスカルノ大統領が失脚した。
「インドネシアの共産化を目論んだ共産党がクーデターを計画した」という情報を
スハルトが察知しクーデターを食い止めた事件のことだ。
しかしそれはスハルトとアメリカCIAによる「自作自演」とインドネシアでは信じられている。
スカルノが共産党とあまりに密接になってしまい
インドネシアの共産化を目論んでいるとアメリカ政府は判断したのだった。
アメリカの後ろ盾を得たスハルトによってスカルノを退陣させ
アメリカの「策略」でスハルトが新大統領に就任するというのが筋書きだ。
だから東ティモールにインドネシア軍が侵攻した時、
アメリカ政府はそれを黙認した。
というかそれもアメリカ政府の「策略」と見るのが自然だろう。
だがその東ティモールで独立運動が起きると
アメリカはもはや共産主義の脅威は無くなったとして、今度は独立を支持する。
今でもインドネシア人の多くが
独立運動はアメリカの「策略」だと信じて疑わない。
このようにしてインドネシアという国はアメリカに振り回されて来たのである。
少なくともインドネシア人はそう考えている。
そしてアメリカ陣営に属するオーストラリアを大変嫌悪し対立して来た。
しばしばインドネシア政府がオーストラリア人観光客に嫌がらせしたりするのはそのせいだ。

日本人は「インドネシア人の対日感情がとても良く日本人を尊重してくれる」と喜んでばかりはいられない。
対日感情がいい背景には反米主義があるからで
相対的なものであることを認識しないといけない。
日本好きといってみたところで実はアメリカ嫌いの裏返しであったりする。

現在国際情勢は複雑になっていて
アメリカと中国が対立しつつある。
アメリカは再びインドネシアに接近して中国包囲網を構築しようと目論んでいるが
それはまたしてもインドネシアがアメリカに振り回される事態を招くことになるだろう。
一体いつまでインドネシアという国はアメリカに振り回され続けるのだろう?




隣の人は誰?

2012-11-24 00:11:26 | インドネシア事情

戦前、日本には「隣組」という制度があった。
目的は主に思想統制と配給効率化であった。
それは太平洋戦争に突入する直前、内務省によって制度化された組織だった。
私はインドネシアでこの「トナリグミ」という言葉を聞いたことがある
日本がインドネシアを統治していた時代に「隣組」の制度を流用したからで
インドネシアでは「ロームシャ(労務者)」と並んで有名な日本語である。
現在、農村部のインドネシアでは「トナリグミ」がなくとも近所の住民同士の絆は強い。
アイロンやポット、懐中電灯などの生活用品の貸し借りは日常茶飯事で
テレビがなければ隣で見るのも当たり前である。
近所の家の子供についてもよく知っていて学校での成績のことなども把握している。

私が幼い時には町内に「子ども会」という組織があった。
30くらいの家族が集まり親睦会を開いたり旅行に行ったりしたものだ。
今のインドネシア同様住民は近所の子供についてもよく知っていた。
しかし現在の日本社会は様変わりしている。
隣の住民の名前を知らないというのはよくある話で
名前だけは知っていてもその住民の情報をほとんど持っていない場合も多い。
隣の住民から関心を持たれていないということは存在がないに等しい。
隣の住民にとってみたら全く価値のない人間なのだ。

最近、近所の住民同士の絆を強くする運動が起きているが
気の合う者同士の交流会となってはいないか?
それでは意味がない。
お節介が必要なのである。
参加を拒む人を無理にでも引っ張り出さないと意味がない。
「一日中パソコンなんか見てないでこっちに来なさい」と言える人が
いなくなってしまったことが今の状況を作っているのである。

かつての隣組の目的は思想統制であった。
いま再び日本人を思想統制しないといけないのだろうか?