私は一人でぶらりと東南アジアの国の名もない様な小さな海沿いの町に行って
本を読むことが好きだった。
特に何もしないで海が見える場所で一日中本を読む。
ただそれだけのためにバスに何時間も揺られることもあった。
十数年前のことになるがマレー半島の東海岸のクアンタンという小さな町に行ったことがある。
そこを選んだのにははっきりとした理由があった。
日本は1941年12月8日英米に宣戦布告した。
宣戦布告発令は愛知県刈谷市の依佐美にあった日本軍の通信基地から発せられた。
暗号は「新高山登れ」である。
新高山とは台湾にある山の名前だ。
日本海軍はその指令を受けてハワイのパールハーバーを攻撃した。
日本人の多くがこの攻撃が太平洋戦争の戦端を切ったと思っているが
実はそれよりも先に英領マレーシアを攻撃しマレー半島での上陸作戦を遂行している。
その後戦史に残る決定的な海戦が起きる。
英国が誇る不沈空母「プリンス・オブ・ウェールズ」が
たった3機の戦闘機によって撃沈されてしまったのだ。
それまでは戦闘といえば偵察が主な役割で
戦闘機が戦闘の中心になるなどとは考えられなかった。
やられたほうの英国がもはや戦艦の時代は終焉を迎えたことを悟ったのである。
当然のこと米国もそれを悟り一機の無傷のゼロ戦を回収し
徹底的にゼロ戦の軽量化の秘密を研究したのである。
B29などの米国の戦闘機はゼロ戦をモデルにしている。
その戦史に残る海戦が行われたのがクアンタンという町であった。
日本海軍は尚も戦艦にこだわり続け大和を建造する。
しかし完成したときには全く時代遅れの遺物になっていたのだ。
「勝って兜の緒を締めよ」とは勝っても謙遜し自己を戒める諺であるが
成功体験を活かさなければ何の意味もない。
海軍はクアンタンでの勝利を単に運が良かっただけとかたずけてしまった。
どうやら兜の緒を締めすぎてしまい自分の首も絞めてしまったらしい。
山本五十六は戦闘機を効果的に使って優位に戦局を進め
機を狙ってソ連に仲介を依頼し米国と講和するつもりであった。
だが何故か海軍は暴走してしまい
破滅への道をまっしぐらに突き進んだ。
日本海軍の愚かさの象徴が戦艦大和であることは間違いない。