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小説家になる方法

2015-01-02 23:22:06 | 日本人と戦争

第二次大戦において枢軸国と連合国には大きな違いがあった。 
連合国というのはその名のとおりアメリカやイギリス、オランダなどの同盟国が連合して 
同じ指揮作戦系統の下に置かれている。 
ただしソ連は他の連合国とは一線を画す。 

対する枢軸国はバラバラで連携はほとんどなかったが、 
ヒトラーは開戦間もないころ、日本軍にこんな提案をしている。 
「ソ連をドイツ軍と日本軍で一緒に攻めて挟み撃ちにしてやろうじゃないか? 
西からドイツ軍、東から日本軍が同時に侵攻すればソ連などひとたまりもないだろう」 
だが日本軍はヒトラーの提案を拒否した。 
「ソ連とは不可侵条約を結んでいるから」というのが理由だった。 

歴史に「イフ」を求めるのはくだらないことだが、敢えて空想をしてみる。 
日本は戦前、北進か南進かの議論の結果、南進政策を選択した。 
北進というのは「ソ連を攻めソ連の領域にある資源を奪う」というもので 
南進とは「イギリス、オランダ領の東南アジア地域を占領しその資源を奪う」というものだった。 
つまり、日本の選択は間違っていたのだ。 
当時「ソ連に資源は少なく満足できる数量ではない」と考えられていたが 
今、その地域には膨大な資源が存在することが判明している。 
日本が北進を選択し、ドイツと同時にソ連を攻めていたら 
歴史は全く違うものになっていただろう。 
アメリカやイギリス、オランダに宣戦布告することもなく 
そしてソ連に日本兵が抑留される事態にはなっていないのである。 

歴史の「イフ」を考えればきりがない。 
それを妄想する者が小説家になるのだ。 


負け犬の歴史観

2014-03-21 00:02:36 | 日本人と戦争

元自衛隊航空幕僚長の田母神氏の書いた論文には 
「日本は侵略国家ではない」と書かれているそうだがそれは正しくない。 
ほんの数十年前の世界では侵略行為は必然だった。 
日本による他国への侵略はあったかどうかについては議論の余地はない。 
ただし、「第三国が侵略していた国を侵略した」ということだ。 

そもそも他国を侵略して植民地にするやり方は西洋列強から学んだことで 
侵略の先生はイギリス、オランダそしてフランスである。 
20世紀まで世界のルールは弱肉強食であったのだから 
強い国が弱い国を侵略することは必然であり、 
善悪を議論すること自体が無意味だ。 
日本はビルマやマレーなどを侵略したが 
それらは最初にイギリスが侵略した国々だ。 
換言すれば盗品をドロボーしたことと同じで 
イギリスが日本を侵略国家というのは全くふざけた話だ。 

朝鮮は清の属国であったので、日本が朝鮮を植民地にしたといっても 
朝鮮から見れば主が代わったに過ぎない。 
その朝鮮だが歴史上一度も他国を侵略したことのない極めて珍しい国である。 
かつてモンゴル軍は日本侵略を試みたが失敗した。 
モンゴル軍の兵士のほとんどは朝鮮兵であったが、 
もし侵略が成功していたら朝鮮も侵略国家になっている。 

朝鮮は周辺を強国に囲まれ、歴史上一度も他国に勝利したことがない。 
朝鮮人はその劣等感を払拭することが未だにできないのである。 
彼らの歴史とは「屈辱の歴史」なのだ。 
もし日本がこれまで一度も他国を侵略したことがなく、「負け犬国家」であれば 
日本人も同じ「屈辱の歴史」を持たなくてはならないだろう。 
日本人の精神が健康なのは日本が侵略国家だからである。 

数十年前の世界の状況を理解すれば 
「侵略しなければ侵略される」という厳しい現実があったことが分かるはずだ。 
理解しなければ韓国人が劣等感から解放される日は永遠にやって来ない。 


戦争を知る方法

2014-03-21 00:00:51 | 日本人と戦争

日本とインドネシアの関わりは長くて深く、そして複雑だ。 
中世の日本に南蛮人が渡来する。 
南蛮人とはオランダ人のことだ。 
彼らはなぜ南から来たのか? 
その理由は東インド会社のオランダ人がインドネシアから長崎にやって来たためだった。 
勿論、その時インドネシアという統一国家はまだない。 
多くの王国が存在する地域をまとめて支配者のオランダ人が勝手にそう呼んでいたのだ。 

1942年の新春、転機が訪れる。 
破竹の勢いで日本軍が英国領シンガポールを陥落させ、 
その直後にあっという間にジャワを制圧してしまう。 
オランダ兵はただ敗走するのみ。 
戦わず敵前逃亡する兵士が多かったのである。 
この光景を見たインドネシア人はすっかり日本人に惚れ込み 
先を争ってぺタと呼ばれる義勇軍に入隊する。 

やがて戦局は悪化。 
義勇軍の指導者スカルノとハッタは幾度も日本軍から独立の承認を求めた挙句、 
終戦間際にやっと独立の確約を受ける。 
しかし日本は連合国に降伏。 
独立はチャラにされてしまう。 
「このままでは永久にオランダ人の奴隷のままだ」と 
奮起した義勇軍は独立のための戦争をすることになる。 
ここでポイントとなるのが残留日本兵だ。 
彼らが戦闘に参加し、義勇軍を率いたためオランダ軍を苦しめることになるのだ。 

私は石井さんという残留日本兵にお会いしたことがある。 
その出会いは偶然からだった。 
ジャカルタからスラバヤまで列車で移動した時、原因不明の病気に罹った。 
「このまま死んでしまうのではないか?」と考えるくらいの激痛に襲われたのだ。 
私の顔色が真っ白だったのを見たある女性が私に声をかけてくれた。 
彼女は愛子さんといい亡父が残留日本兵であったという。 
彼女が紹介してくれたのが石井さんだった。 
彼は当時芋からこんにゃくを作る工場を経営していた。 

彼が語ったことはどんな歴史書よりも価値の高いものだった。 
「残留日本兵のことは逃亡兵といわれています。 
実際、逃亡したのだから軍人恩給はもらえない。 
それは当然だと思っています。 
仲間の中には逃亡兵であったことを否定し、 
軍人恩給をもらおうとする者がいるが、私は同意できない。 
理由は何であれ自分の意思で軍隊から脱走したのだから逃亡兵に間違いない。 
我々逃亡兵は軍人恩給など当てにしないで自分で食っていかなければならないのです」 

彼に会ったのはもう十数年前だからおそらく亡くなっているだろう。 
「こんなに立派な人が日本軍の中にいたことが誇らしい」と思った。 
私は彼から多くのことを学んだ。 
彼との出会いがなければ、 
私は戦争を知らない日本人のままだったはずだ。 


「三丁目の夕日」と右傾化

2013-12-22 23:11:16 | 日本人と戦争

戦後から半世紀、日本の知識人において左翼主義が主流だった。 
「朝まで生テレビ」などの討論番組では左寄りの論客が大勢を占めていた。 
ベトナム戦争中、名高い知識人は北ベトナムを支持し、 
マスコミは外国の通信社から配信される記事を伝える場合 
「ベトナム共産軍」を「解放軍」と勝手に言葉を換えて報道し続けた。 
当時は左翼の方がクールだったのである。 
そして、日教組はコミンテルンの影響下にあり、 
昔の教師はソ連の「密告制度」を教育に取り入れていた。 
生徒同士を監視させる教師は珍しくなかったのだ。 
大学教授の中にも左翼思想に被れた者がいかに多かったことか。 

私の母校の大学も左翼系の大学だった。 
校内には堂々と共産党機関紙「赤旗」が売られていたし、 
その大学で勉強すると会社勤めが嫌になるような教育をしていた。 
私自身も左翼思想に共感したが、社会に出て徐々にその思想の矛盾を痛感する。 
退職してインドネシアの片田舎を旅行した時からやや右寄りの思想を持つに至った。 
何故かというと「日本は太平洋戦争時アジアの国々でひどいことをした」と 
教えられていたのだが 
実際にインドネシア人に会い、全く違う事実を知ることになったからだ。 
そこはジャワ島中部のスラバヤ近郊シドアルジョという町で、 
日本人が訪れることなど滅多にないところだ。 
私はインドネシア人の友人宅に数日間居候させてもらった。 
そしたら日本人がいることを聞きつけた近所の住民が何人かやって来た。 
日本人に会うのは戦争が終わってから初めてだという。 
そして日本兵が教えた日本の軍歌を歌ってくれた。 
本当に懐かしそうで、日本語はほとんど忘れてしまったが 
歌の歌詞だけは憶えていたのだ。 
「日本のおかげでインドネシアは独立することが出来た」。 
彼らは私にはっきりとそう言った。 

しかし、左翼の知識人たちが勢力を失い、右傾化が進むに連れ、 
右翼を毛嫌いするようになった。 
「昔の日本は良かった」と若者たちまでもがそういうようになったのは 
驚くべき時代の変化である。 
映画「三丁目の夕日」はうそ臭くて大嫌いだ。 
昔の日本は今よりももっとひどい世の中だったことは間違いない。 
障害者が世の中で活躍するなんてことはあり得なかったし、 
障害者を持つ親は子供を家の中から外へ出すことを禁じた。 
だから障害者が関係する事件は起きなかったが、ひどい差別があった。 
その他にもありとあらゆる差別が存在するひどい社会であったのだが、 
なぜか皆それを忘れてしまっている。 
「社会福祉」はソ連の社会主義に対抗する目的から始まったものだ。 
最近の福祉切捨ては日本が右傾化していることの表れだろう。 
行き過ぎた右傾化に危惧しているが、 
「杞憂に終わればいい」と願ってやまない。 


自衛隊と文部省

2013-12-21 23:13:07 | 日本人と戦争

自衛官はしばしば不祥事を起こすが、それは必然かも知れない。 
現在はどうか分からないが、以前若い男性が浅草辺りをブラブラしていると 
家出少年と間違われて自衛隊への入隊を勧誘する者に声をかけられたものだ。 
「自衛隊に入ろう」なんて考える若い人はいなかったので 
勧誘員は暇そうな者を見つけては誰彼なしに声をかけていたのだ。 
つまり身元さえハッキリしていたら誰でも自衛官になれた、というか 
就職先のない者の駆け込み寺だったのだ。 
学生時代、成績がビリの学生は就職先が見つからない場合 
自衛隊に入隊するのが常套手段であった。 
現在は事情が変わったのかも知れないが、以前はそうだった。 

その理由は太平洋戦争が終わり、 
日本では軍人は憎悪の対象とされ、 
知識人の本流が左翼主義者で占められて 
いかなる戦争も否定されたため 
自衛隊の存在は憲法違反と考えられてきたからだ。 
戦前は学力優秀の学生の就職先は海軍だった。 
職業軍人はエリートで羨望の的だったのである。 

ところが戦争に負けて価値観がひっくり返ってしまう。 
自衛隊に入る者などクズといわれてきたので仕事にプライドなど持てるはずもない。 
成績のいい学生が自衛隊に入るなんて事は考えられなかったのだ。 
いい人材が集まらなかったのは当然である。 

だから自衛官が不祥事を起こす根本原因をなくさなければならないのだ。 
「戦争は絶対悪」と子供に教える限り、 
絶対、自衛隊に優秀な人材は集まらないだろう。 
自衛官の不祥事をなくす役割を担うのは防衛省ではなく文部省なのである。