自由とは一体何を意味するのか?
秩序を保つためには自由を捨てるべきなのか?
世界中の全ての人が好き勝手なことをやり始めたらどうなるだろうか?
そうなったら地球はたちまち滅亡してしまう。
そんなことは子供にでも理解出来る。
もしも理解出来なければ人間をやめた方がいい。
フランス人は革命よりも先に秩序を作った。
秩序を作った上で、革命を起こして王制を廃止したのだ。
つまり秩序があって初めて民主主義が誕生したのである。
人間は秩序を作る能力があり、それに従う能力がある。
だからこそ動物とは違う道を歩むことが出来たのである。
秩序を失くしてしまえば動物と同じ生き物になってしまうだろう。
中国にも秩序はあるにはある。
だが国民は自由を捨てることが出来ない。
その上、秩序を乱すものを取り締まる者がいない。
いや、いることはいるのだが、その方法に合理性がなく
取り締まる者に権力はあっても、良心がないため
秩序が正常に保たれていないのだ。
そんな中国ではあるが政治の自由はなく、政治犯は迫害される。
共産党政権を転覆させようと試みる者こそが「秩序を乱す者」と断罪されるのだ。
中国には政治的言論の自由はないが、それ以外の自由は満ち溢れている。
小便をしたければ、どこでもそれをする。
痰を吐きたければ、どこでもそれをする。
大声で叫びたければ、どこでもそれをする。
邪魔者を殴りたければ、どこでもそれをする。
中国人の自由は街に溢れ返っている。
威嚇運転、暴走運転、飲酒運転など秩序を乱す行為などやりたい放題であり、
事大主義が通用する社会だ。
買い物にもルールなどない。
好き勝手に行動する。
商品は手にとって見て、気に入らなければポイと投げ捨てる。
子供が商品を手で握り潰すのを見ても、注意しないし、
カートに子供を乗せ、一緒に店内をグルグル回って遊ぶ。
レジの列に並ぶかどうかも自由だ。
並びたくなければ弱そうな客を見つけて割り込む。
皆が自由を謳歌すると収拾がつかなくなる。
中国のスーパーマーケットは自由市場なのだ。
だから皆が自由に発言すれば中国は方向性を失い、迷路に入ってしまうだろう。
だからこそ言論統制を行うのだ。
中国政府は国民から政治的発言の自由を奪うために
それ以外のすべての自由を与えるのである。
中国人の民度が低いのには理由があるのだ。