国境なき記者団(RSF Reporters Sans Frontières )が発表した国々にもミクシィ会員は在住している。
日本に住んでいるとちょっと想像できないだろうが
そういう国にいる人というのはネットを利用する際
細心の注意を払っている。
その事実にも目を向けるべきだと思う。
日本語で書かれている文章は対象外だろうと考えるのは軽率である。
この問題は大変デリケートで全てを公にすることは出来ないが
海外に住むミクシィ会員が当事国政府に不満を抱いていることを忘れてはならないだろう。
それと同時に日本に住む外国人会員の中には政治的なコミュニティの
管理人になっている人がいる事実にも目を向けるべきだと思う。
日本は言論の自由が保障されているし、ネット検閲もほとんどない。
私は是非外国人会員の人たちに日本のネット環境の素晴らしさを
帰国したら伝えて欲しいと思う。
どうやって伝えるかは難しい点もあるかも知れないが。
せっかく日本に来て政治的な言論の自由を享受しているのだから
もっと日本を高く評価してもいいのではないかと思う。
外国人会員の中には日本を悪く言う人もいる。
それは全く問題ない。
ここは日本だから何を言っても許される。
だが「何を言っても許される国」の素晴らしさを噛み締めて欲しい。
そして彼らの祖国に住む日本人には
言論の自由が保障されていないことを思い出して欲しい。
その上でコミュニティを作って
祖国を褒め上げるのなら何も言うことはない。
日本人というのは他人の目を非常に気にする民族である。
つまり見栄っ張りである。
格好悪い事が嫌いなのは羞恥心が強いためであり体裁に神経を注いで日々生きている。
ただ羞恥心の概念というのは民族によって異なるものだ。
東南アジアの人々は店に入って値段を訊いただけで
買わずに店を出る事を恥ずかしい事と感じる。
そして人前で鼻を咬む人を見て嗤うが、人前で鼻を穿る事は何でもない。
何が恥ずかしい事かは民族によって異なるのだ。
中国人にとって恥ずかしい事とは身分が低い事であり
儒教の教えに背く事である。
恥ずかしい事の概念が非常に観念的であり
他の民族とは大きくかけ離れているといえるかも知れない。
その代表例が「ニーハオトイレ」であろう。
用を足している姿を他人に見られても羞恥心を感じない、というのは大変特徴的だ。
ある程度文明が発達した社会では
用を足す姿を見られる事は非常に恥ずかしい事である。
その共通の羞恥心がない、というのはただ単に人口が多くて
トイレの数が足りていなかったからだけなのか?
それとも用を足すという事自体が自然現象で
何ら恥じるべき事でもないという合理性からなのか?
いずれにせよこの多くの国での共通の羞恥心を持ち合わせていない、というのが中国人の最大の特徴である。
中国人を知るにはまず初めに中国人にとっての羞恥心とは何か、を知るべきである。
それを知らなければ他のあらゆる事を知っても
中国人を知る事にはならないだろう。
歴史をねつ造、隠ぺいするという事は
どこの国の政府でも行っていることだ。
ただ嘘がバレた時羞恥心を感じるのかどうか、それは中国人に訊いてみなければ分からないだろう。
多くの日本人にとって成功は努力の賜であろう。
「なせば成る」は日本人が好きな言葉である。
努力すれば必ず自己実現する、と教えられ
成功しなければ 努力が足りない、と更なる努力を強いられる。
他人が成功したら 「きっとあの人は自分より努力したに違いない」と考える。
けれども同じ努力をしても同じ結果を得られないのは何故だろう?
そこで再び考える。
「きっとあの人は運が良かったのだ」と。
だが、そう考えてしまうと嫉妬心が生まれ精神的な苦痛を味わう。
この嫉妬心の炎が燃え上がり頂点に達すると 人は自分を殺すか他人を殺す。
社会主義体制というものは
嫉妬心を人間から取り除く目的で作られたのかも知れない。
努力しようとしまいと報酬は同じ。
能力があろうとなかろうと報酬は同じ。
これなら嫉妬心は生まれない。
命令に従って生きそれに疑問を持たなければ精神的苦痛はない。
究極の運命論で生きることになる。
努力する必要も能力を向上させる必要もない。
ある意味非常に楽な生き方である。
努力すれば必ず成功する、と信じるなら死ぬ瞬間まで努力すればいい。
ただし劣等感を克服しなければいけない。
能力には差異があると考えればそれを受け入れればいい。
他人を見て運が良かったから成功した、と考えるのも自由だ。
だが湧き上がる嫉妬心を抑えなくてはいけない。
天命とは天の命令のことである。
天の意志を命数といい、それを知ることが易である。
孔子は「命数は不可避であり、不変である」と説いた。
だが、「礼を身につけ天を敬えば天は力を貸す」とも説いた。
孔子の言葉をどう捉えるか、それは個人の自由だ。
努力はしないよりした方が良いに決まっている。
努力が報われなければ自分を責め、
失敗を運のせいにして片付けてしまえば
自分を責めなくても済むが嫉妬心に苦しむだろう。
いずれにせよ自分の心と格闘しなければならない。
人生とは苦難の連続である。
カナダは中国共産党幹部の駆け込み寺になっているそうだ。
妻や子供をカナダに移民させておいて汚職が摘発されそうになったら
逃げ出すつもりらしい。
幹部が汚職に手を染める理由は愛人のためである。
複数の愛人を養うのは大変な出費だからだ。
中国人の愛人は1人だけではない。
愛人1人では一人前とは認められないからである。
「愛人は3人までにしておけ」というのが中国政界内での格言だそうである。
日経新聞に騙され中国に進出した日本企業は共産党幹部に賄賂を払い
その金は彼らの愛人の懐に納まっている。
今の中国人の金持ちのほとんどが成り上がりだ。
幼い頃は貧しくて満足に食べられなかったろうし、ろくに勉強もしてない。
中国の金持ちの民度が低いのは当然といえば当然だろう。
外見と中身が不釣合いなのはそのためだ。
きちんとした身なりではあっても態度は卑しい。
文革時代に人間不信になり今も金しか信じられない悲しい習性を持っている。
2007年には共産党中央規律委員会主催「中国愛人コンテスト」の受賞者が発表されている。 それによれば江蘇省建設庁長官の愛人の数は146人だったそうだ。
重慶市宣伝部長は大卒未婚女性17人を超高級ホテルに住まわせていた。
海南省紡織局局長は女性との性交渉を95冊のノートに詳細に記録していたそうだ。
四川省楽山市市長は未成年の女性20人を愛人にしていたらしい。
こういうコンテストをする感性。
受賞者がそれを誇りにする感性。
そしてそれを恥ずかし気もなく発表する感性。
中国人の本質を知るためには中国人の感性を知らなければならない。
日本人にとって格好悪いことが格好良いのだから
価値観が全く違うのである。
見栄を張ることとは愛人を数多く持つことなのだ。
愛人を多く持てば持つほど社会的地位が高いことの証明になる。
愛人を多く持つ中国共産党幹部は
美人女性工作員の利用法を心得ている。
日本の政治家や自衛隊員などが簡単にハニー・トラップに引っかかるのは
至極当然のことかも知れない。
何しろ簡単に日経新聞に騙される日本人なのだから。
中国の報道機関は政府の管理下に置かれていて
報道する内容は政府が認可したものでなければならない。
また積極的に政府の主張を掲載するメディアも多い。
問題なのは中国人がどこまで日本のメディアとの違いについて理解しているかである。
一般の中国人は日本のメディアが伝える内容を日本政府の主張である、と錯覚している。
日本には世論があり人によって主張が異なる。
当然報道機関の政治に関する主張にも温度差がある。
中国の報道機関との一番大きな相違点はここにある。
朝日新聞と産経新聞の政治に関する主張が真っ向から対立することは
ごく普通のことであるが、中国人にはそれが分からない。
けれども中国人の主張にも耳を貸すべきだろう。
この地球上に真の民主主義国家が一体どれだけあるというのか?
非民主的な国家の方が圧倒的多数である。
中国だけ槍玉に挙げるのはフェアーでない。
つまり民主的ではない。
民主主義国家ならばフェアーでなければならない。
一国だけを集中攻撃するのは非民主的である。
アメリカはブッシュ政権時代イラクだけを悪者にしたけれども
アメリカはフェアー精神に欠ける、という批判を免れない。
イラクよりも非民主的国家など決して珍しくはないからだ。
つまりアメリカの民主主義も都合主義なのである。
更にいえば日本には世襲議員が極端に多い。
あまり知られていないが中国には世襲議員の数は日本よりも圧倒的に少ない。
たまには中国の主張にも耳を貸し
フェアー精神を思い起こすべきである。
中国の他にも人権を抑圧する国は多い。
そしてこの地球上から全ての非民主的国家を廃絶させる事が
可能かどうか、よく考えた方がいい。