うぞきあ の湯

映画情報は、ネタバレしていますので、これからご覧になる方は読まないほうがよいです。
コメントにはURL願います。

三軒茶屋①

2005年06月17日 | プロフィール
三軒茶屋①
世田谷区。
渋谷から新玉川線で2駅。

大学1年の冬から大学卒業まで居住。
徒歩15分。若林1丁目。
三茶よりは、世田谷線の若林・西太子堂が最寄。
1Kで、家賃65000円(高!)。
退去のとき、敷金を大家に全額取られた(!)。

大学が高田馬場なのに、住んだ。
理由は、バイトが渋谷、遊び場が外苑・六本木等だったから。
新玉線~営団で九段下乗換え早稲田。
途中で地下鉄のトンネルに飽きて、山手線に切り替えた。

当時、アプリコットタワーはなかった。
世田谷線が茶沢通り付近まで延びていた。
電車も、緑色の古いの。床が木製。
調布のバイトへは、若林~下高井戸経由で調布まで。
通学時は、三茶まで徒歩。

餃子の王将で、当時の店長の作る中華飯がうまかった。
世田谷通り沿いの中華屋もうまかったが、こないだ通ったら、なかった。
三茶のミスドで、プロレスのチケット当たった。北尾のデビュー戦。

駅で、ピンクの電話のみやちゃんをよく見かけた。
最近、出てこんなぁ・・・。




大都市のサブ・センターの変容と再生の可能性―21世紀と世田谷区・三軒茶屋の新しい胎動

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私と長野県

2005年06月16日 | プロフィール
長野について

1996年(平成8年)に、今の業界に入る。
担当は、長野県。
以来、2002年12月まで、長野県の担当になる。
ホテル住まい。週末のみ、家(一宮)に帰る。
年間150泊になった年もあった。
おかげで、クレジットカードのポイントが無茶無茶貯まった。
2003年4月、今の会社に移る。同業種だ。
担当は、長野県(南信以外)。
約120泊した。またもや、週末のみ帰宅。
都合、8年程、長野県に通った。

宿泊地。
松本・塩尻・長野・飯田・伊那・岡谷・諏訪・豊科・上田・小諸・佐久・中野・軽井沢・・・・。
もしかしたら、長野県民より地理に詳しくなったかもしれない。
でも、“信濃の国”はまだ歌えない・・・・。

友人。
大学の友人・先輩に、長野県人が多かった。
松本深志高校、長野高校、上田高校等等・・・・。

食べ物。
諏訪のうなぎ。
ありきたりだが、蕎麦。野沢菜。おやき。
ざざむし、蜂の子は少々苦手。

ロケ地。
“白線流し”“いま、会いにゆきます”“青い鳥”“ロックよ、静かに流れよ(爆)”
“さよなら、ポチ”“冤罪”

~~まち。
○○町を“ちょう”ではなく、“まち”と読む。
唯一、“ちょう”と呼ぶのは、阿南町(あなんちょう)だけ。

ことば。
○○やっただよ。○○しただよ。
“だ”が入る(多分、松本近辺)。
私も、最近まで、こう喋っていた。
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ミスド②

2005年06月10日 | プロフィール

さっき知った。渋谷公園通りショップが閉店していた・・・・。

 ヽ(`Д´)ノ ウワァァァン!

 ショックダァァァァァァァ!最後に行っときゃ良かった・・・・。

 てか、何で今まで知らなかったんだろう?

 ( ゜д゜)ポカーン

コメント (3)
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ミスド①

2005年06月09日 | プロフィール
いいことあるぞ、ミスタードーナツ①

学生時代にバイトした。

●渋谷公園通りショップ(88年春~89年夏・90年秋~91年秋)
   ・芸能人の客が多かった。
     見た・接客した芸能人
山下真司・渡辺満里奈・中山美穂
植草克英・グレート義太夫
          菅井きん・つみきみほ・柳ゆうれい
   ・店長がウッチャンにそっくりだった。
        

・六本木ショップ(今はない)(89年秋~90年春)
   ・芸能人少し
     見た・接客した芸能人・・・・・石橋保・渡辺梓
   ・BGMが当時の店長の自作で、シャレていた。

・調布パルコショップ(90年秋~91年秋)
   ・芸能人
     見栄晴・・・・店のバイトの女子にしきりに話しかけていた。


当時、時給が650円(深夜813円)と高価(!)だった。
最初、セールスしていたが、飽き足らず、製造にチャレンジ。
毎晩、油まみれになりながら、ひたすらドーナツを作った。
深夜のほうが時給が良いので、夜勤にまわった。
空手好きの社員が2人(うち1人は元ジャパンアクションクラブだった)。
昼間の華やかなイメージとは違い、体育会系。
でも、それなりに出会いがあったのだろうか???

なんとなく、店をかわった。
六本木は狭い店だった。当時、ロアビルの隣にあった。
渋谷と違って、客層もオトナ。
半年で飽きた。
アパート(三茶)からだと、新玉線とバスで乗換えが面倒なのと、
昼間のバイトがしたくて辞めた。

調布パルコ店。
渋谷とオーナーが同じフランチャイズ(現在、渋谷は直営)。
郊外型店舗にて、親子連れの客が多かった。
ここでは、接客しなかった。昼間だけ働いた。
渋谷の1.5倍の量のドーナツを裁いた。
店主は、渋谷でお世話になったMさん(ウッチャン)。
地元のバイトの男女が多く、サークルみたいな雰囲気。

再び渋谷に戻った。
時給は1000円くらいにあがっていた。
ここでも昼間だけ(てか、就職活動の合間だけ)働いた。
就職が決まって、他のバイトと掛け持ちで、シフト減らした。
当時の社員と仲が悪くて(まぁ、水と油みたいな関係だったが)、
フェードアウトした。




ミスタードーナツ 公式HP
コメント (6)
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『そもそも、何故戦闘機が好きなのか?』

2005年06月06日 | プロフィール
たまには、自分の話でもしましょう。

『そもそも、何故戦闘機が好きなのか?』

何故だろう?
子供の頃からである。
自宅(一宮市)の近くに空自の基地(岐阜基地)があるからだろうか?
人から聞かれて初めて考えた。
名古屋空港(小牧)から飛び立つ旅客機にはキョーミがなかった。
飛行機だから好きなのではない。
では、戦争をする道具だから?
いや、少なくとも、私自身はどちらかといえば平穏を好む人である。
営業の仕事をしているので、時には交戦的になるけど。
では、何故?
最近気づいた。
音だ。
私はあの爆音が好きなのだ。
特にアフターバーナーをたいて通過するF-15の爆音が好きである。

今日は、朝からずっと訓練をやっていた。
F-15・F-2・F-4・T-4が、各務原上空を行き交う。
いつしか、音を聞いただけで機種が特定できるようになっていた。
はっきり言って私は変態である。

高校生のとき、エレキギターをやっていた。
コピーもオリジナルもやった。
メタル系が中心だった。
あの、ディストーションの効いた、マーシャルアンプの歪んだ音が好きだった。
ある意味、それにも通じるものがあるのだろうか?


コメント (1)
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