うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

大震災のあとに、この頃、ドタバタ思うこと。

2011年04月10日 08時33分40秒 | 東日本大震災のこと

 今度の11日で東日本大震災が起きて一カ月。どうやらわたしは、頻発する余震でやはり「地震酔い」の症状の体たらくで我ながらまことに情けない。余所見では骨太で見かけは頑丈そうな体格の60男だが、なんだかメンタル面が弱くトラウマ、PTSDなんでもありだが、頼らず自分でなおすつもりだ。
 わたしはこれでも、18歳で上京以来いろいろなことはひとりでやってきたのだ。田舎の実家からは手助けをしてもらっていないし、内実は断っている。若い時分から身過ぎ世過ぎの世渡りの面でお仕着せと要領の良さを蛇蝎のように嫌うのは、わたしの性分であった。まあ、変人の部類に入るだろう。
 今まで自前のお金でまかなってきたのは大学、結婚、一戸建住宅の購入、業務的には仕事関連の現地踏査費用、専門学校への授業料、池坊流生け花の月謝、造園の学会などの会費負担、専門図書購入などなど、である。他人への迷惑と援助を最小限に、物心ともに身銭を切り、自己責任と身近な人たちとの幸せを第一に考えて来たのだ。しかし、この年齢になっても住宅ローンなどの借金だけはのこっている。わたしにとって、未だこの人生は、自己完結していないのだ。

 現在の収入の道であり、今かかわっている仕事も、わたしのせいばかりではないけれど遅れていて、この間以来、受注した配水本管工事はあまり進捗せずにいたが、数日前にやっと着工の目鼻がつきそうになった。

 11日の金曜日に地震があった次の日ぐらいに、わたしは思いだして、階段下の納戸から 「非常持出し袋」 をとり出した。漂白したズック地の大きなリュックサックである。中を見ると、丸いトイレットペーパー、スーパーのビニール袋、マニラロープ、レジャーシート、ライター、太い蝋燭に、妻とわたしの白い下着、タオル、手袋、乾電池の液漏れ懐中電灯があり、包帯、カットバン、オキシフル、軟膏の医薬品、またそれに、黄ばんだ古い新聞もありその日付は昭和55年10月22日の‘讀賣新聞’と‘千葉日報’とが入っていた。なお、乾パンやビスケットは、ある日、一度取り出して食べてしまったものらしい。
 いずれにしても、わたしたちは前年(1979年)の4月に結婚、その年の11月に実父がホジキン病で死去しており、この年は昭和56年8月に長男が産まれる前年にあたる。これを用意したのは公団住宅に住みはじめてから、まだ、二人だけの新婚気分の生活であったらしい。
ということは、31年前のことになる訳で、みずからの身を守るには、東日本大震災この際、今、気づくのには何が必要になるだろうか。
 わたしには、新聞紙、ビニール袋、特にレジ袋に、木綿の布地、ゴムホース5m分、荷造り用テープ、ロープ、肥後ナイフ、ラジオ、が最低限は必要かとおもう。それに、寝袋もあるといい。被災したり、避難所生活に際しては食料も自前調達が理想ではあるけれど、被災レベルと季節と場所によって異なることになる。飲み水は、この場合は近くの河川や沢、沼を利用することになるが、いざとなれば濁水でも飲む勇気が要りようだ。何よりも人間には、金銭欲や出世欲や性欲と色んな欲望があるが、わたしには都会の若い頃の貧乏暮らしで分かったことだが、食欲が第一であり食料の確保だ。
  ほかに本当に重要なのは、今回テレビとか、新聞の報道で触れていないが便所の問題である。人間は食べれば排泄するのは当然なことで、オマル、仮設トイレがあればいい方でなければ露天の地面にトレンチ状に穴を掘り使用することになる。多人数で利用すれば量が溜まるので、本来は救援活動でも第一に汲みとり用のバキュームカーが被災地へ出動すべきことだろう。
 そして、捜索活動とともに、緊急施策で、一番大事なのはワンポイントでもいいから日銭の入る仕事をつくることである。現金収入の道だ。それも、被災者が日に日に増してくる不安感を少なくするためにも、即、実施することだ。恒久的な仕事も大事だが、とりあえず政府や自治体が代理的に費用負担をおこない、後片付けや復旧作業に男たちを駆り出しておくことが肝要である。えてしてこんな場合、女性よりも男性が心身ともに弱いのはよく知られた事実だから、目に見えて実際に効果のある行動の契機をつくらねばならないだろう。
 この、非日常的な異常事態に身の周りの物を整理し清潔にするのも精神的には重要なことである。仮設住宅づくりもそうだが、共同の避難所生活では家族や親族間の気持ちの潤いや憩いの場を設定するために軽い間仕切りも重要である。いかに、かすかであっても被災者の心境面に希望を持って生きていけるかが、どんなに大事であることか。

 今回の大震災に際して、テレビ、新聞、雑誌などのマスコミで色々報じられているが、そのなかで、一番良かった記事は、記者などの記事よりも、小説家・伊集院静の書いた「週刊現代」の記事 ‘被災地・宮城から見たこの国’ が一番良かった。被災者心理や被害内容がよくわかる。
 現在の民主党は政治家とはうまい演説と相手を追求するだけだと勘違いしていて、客観的な事実認識といまだに行動に即時必要な大まかな復興ビジョンが出来ずにいる。指導者の立場に不慣れで、危機管理とは何かそもそも分かっていない幼稚な政府、職を賭すべくもない官僚の‘無必の故意’的な卑しい行動、ごく普通の物事を知らない職種・職域バカや専門バカ丸出しの原子力エネルギー関連の人種、だから言ったんじゃないかという間抜けな長年の原発反対運動家がいる。それっ、出番だと臆面もなく顔を出す軽薄な半可通の科学コメンター連中。みんな一緒の世間の舟に乗らなければ、仕事がなくなってしまうと危惧するテレビタレントや映画俳優がいる。広告主ありきの民間放送のテレビも同様だが、物が売れなくなり不景気になってしまう、と恐れる企業がある。
 わたしには、なんだか漠然とだが、こんな時には小説を書く文学者の著作の方が状況や時代をつかまえているような気がする。際限もなく広がる視野で人間というものを総体としてとらえられるのは、やはり、こういう人たちだ。行動するに際して、ほかの人たちには人前で発言や表現するには日常的な地に着いた想像力が悲しいほどに欠けている。

 話変わって、わたしには日本の社会の良くも悪くも時代の趨勢を意味していること、つまりパラダイム、エポックメーキングなことを収集し保存する癖がある。今までも、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、ニューヨーク9.11、サッカーワールドカップしかりである。今回のことはわたしなりに、いつも愛読している‘週刊文春’に加えて、‘週刊新潮’‘週刊現代’を二週分、新聞は長年購読の‘讀賣新聞’店売りの‘毎日新聞’、‘サンデー毎日’の2回のグラフ誌特別号、それに‘You tube’の動画、地元新聞の‘河北新報’、‘岩手日報’、またわたしの甥が記者をしている‘岩手日日’のホームページによって情報を集めたのだ。

 なお、このサイトの左側のカテゴリー“東日本大震災のこと”をクリックすると、また、今までのこと、これからの記事が読むことができます。
                
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