uubの小屋

I also miss your small but peaceful room.
ただ今、冒険中。

present

2010年05月15日 01時22分38秒 | Letters
森のレストランからレストラン・ヴィーノへやってきて、もうすぐ3年。今は本社勤務のわたしですが、スタートはレストラン・ヴィーノの入口でした。


そりゃもちろん、丸2年レストランの入口に立っていたら、そこがレストランの中で一番動きの少ないポジションだとしても、それなりにいろいろあります。いろいろある中でその多くは(うれしいことも、おもしろいことも、腹の立つことも、悲しいことも)忘れていったのでしょうけれど、忘れられないことだってもちろんあります。


わたし、本当に本当に本当に辛かったんです。その辛さは「忘れていった多くのこと」の中に入るけれど(どんな辛さだったかを今思い出すことはできません)、ただただ辛かったということは覚えています。ただただひとりでぎゅっと我慢していたのです。その我慢が正しかったのか、あるいは実際に我慢できていたのかは別の問題としてあるけれど、でもわたし自身は誰にも何も言えずにぎゅっと我慢していたのです。
言えないというのは語弊があるかもしれません。言ったところで伝えられる種類のことではなかったのです。いや、それがそもそも間違いなのだ、言わなきゃ伝わらないじゃないか。と言われたら、まあ、そのアドバイスが役に立たないことを証明する術はないのだけど。


当然ですが、我慢というものには楽しさや悲しみと同じで限界があります。限界を迎えたとき「怒る」という方向に気持ちがスイッチすればまだ本人にとっては救いがありそうなものですが(周りにとっては迷惑)、わたしはあまり怒れませんでした。ぎゅっと我慢。


限界というのは突然押し寄せてくるもので、いや、本当は日に日に積もっていくストレスを感じてはいるものの、「ああ、ここがわたしの限界だったんだ」というのは、限界が訪れてからわかるみたいで、わたし自身はもうちょっと大丈夫と思ってその日も出勤したのだけれど、全然だめでした。何が起きたかというと、制服に着替えてる最中にトイレで泣き崩れてそこから出ていけなくなってしまいました。信じられない事態です。怒りだす人より迷惑です。ああだめだ、なんとかしなくちゃ。これから仕事するのに。みっともない、なんとかなんとか。って必死に感情をコントロールしようとするけれど、全然だめでしたね。コントロール機能、動かず。


トイレの扉がノックされたのは、たぶんそれから30分後くらいでしょうか。ちっとも姿を見せないわたしを気にかけて名前を呼んでくれたのはロゼちゃん。


扉の向うとこっちとでどんな会話を交わしたかあまり覚えていないのですが、ロゼちゃんが扉を開けてと言ったので、わたしは扉を開けました。それで泣きながらたぶん何か言ったのです。「わたし、電話に出るの怖いです」とかなんとか、そんなこと言ったような気がします。


ロゼちゃんはわたしのことをぎゅっと抱きしめてくれました。それからこう言いました。「わかった、電話なんか出なくていい。」と。「電話出るの怖いなら、電話なんか出なくていい、そのかわりに私たちが全力でフォローする。uubさんが入口に立って笑顔でお客様をお出迎えしてくれたら、それだけでお客様は安心してくれる。uubさんが笑顔でお見送りしてくれたら、それだけでお客様は喜んで帰ってくれる。ねえ、だから笑って」と。


泣いてるわたしの目をまっすぐに見て、なんの迷いもなく、ロゼちゃんはそう言ってくれました。本当になんの迷いもなくそう言ってくれたのです。わたしは今でも信じられないくらいです。誰かを救えるあんなにも強い言葉があることを、わたしは今でも奇跡みたいに思っています。



それから最後に付け足すみたいにして、ロゼちゃんは言いました。「今日わたし、誕生日なの。だからuubさん、笑ってお祝いして」と。
ロゼちゃんはとびっきりの笑顔でした。



それからずっと後になって、わたしはロゼちゃんからCDをプレゼントしてもらいました。BUMP OF CHICKEN の アルバム。『present from you』
家にあるCD全部売り払ったとしても、これから先何度も引っ越しても、わたし、これだけは絶対、ずっと死ぬまで持ってる。