uubの小屋

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ただ今、冒険中。

成長。

2006年09月05日 11時09分13秒 | 日記
「成長」という言葉について考えています。

いろんなところで、いろんな人の口から、聞きます。自分もよく使っていた時期があったような気がします。大学を卒業する前くらいかな、一番使っていたのは。「もっと成長したい」って。そればっかりバカみたいに思っていた時期がありました。そのときのわたしがどういうことを「成長」だと考えていたのかよく覚えていないけれど、たぶん「もっと勉強したい」ってことだったんだろうな。

でも最近は成長という言葉を嫌っている自分がいます。

「そんなことを言っていたら、いつまでたっても成長しない」と言われたとします。そうすると、じゃあどういうことが「成長」なのですか、と言いたくなります。「成長」という単語の中にはいろんな具体的な要素があるはずだと思うのです。なにができるようになることが「成長」なのか。そのひとつひとつを言葉にしないままに全部端折って「成長」というもっともらしい一言で簡単に済ませているんじゃないかって。もちろんそのひとつひとつの具体的な要素を自分の頭で考えるのは大切なことだと思います。その考えることが「成長」と結びつくこともたくさんあると思います。だからわたしが疑問に思うのは、どうして「成長」という一言で済ますのかということではなくて、「成長しろ」という側がその成長の具体的要素をもし聞かれたら、きちんと説明できるのかどうかということです。

逆に「成長したな」と言われたとします。わたしは素直に喜べません。喜べるときもあるけれど、そうじゃないときのほうが多い。
褒め言葉なのだと思います。でも、よく考えると褒められているわけではないような気がするんです。「成長したな」って言われるときって、何かを我慢できたときが多いから。何かを捨てることができたときが多いから。今までどうしても許せなかったことが許せるようになったとき、もっというと全体のために自分の主張を諦めたり、折ったりすることができたときに「成長した」といわれることが多い。だからね、「成長したな」って言われると、その人にとって(あるいは所属している全体にとって)「害のない存在になった」っていわれているような気がすることがあります。言い過ぎかな。考えすぎなのかもしれない。でも、思います。

成長するのは大切なことだと思っています。もっと成長したいとも思っています。

でもね、その「成長」の具体的要素のひとつひとつを、わたしはまだ自分で明確にすることができないんだ。それを明確にできたら、人から言われた「成長」の意味も変わってくるかもしれない。

だからわたしの成長はまずそこから。