今日、柏のさわやかちば県民プラザで「千葉県市議会議長会第4ブロック議員合同研修会」に参加しました。
研修会は毎年この時期に行われており、今回の講師は前高知県知事の橋本大二郎氏でした。
お題は「地方議会の役割~地方から国を変える」です。
橋本氏は冒頭、現在の地方政治が基礎とする「二元代表制」(※)について触れ、その重要性を語りました。
(※)「二元代表制」とは、首長も議会も市民から直接選挙選ばれる制度のことで、首長と議会はその意味において対等の関係であると言えます。
国政では衆参で与野党が逆転する「ねじれ国会」であり、当時の福田元首相が「参議院にいじめられている」と嘆いていたが、地方議会ではねじれは常日頃から存在している。
いま一部の地方政治の場において、二元代表制を否定し、首長が主導した「地域政党」を組織して首長の言うことを聞く議会をつくり、地方政治を事実上の「一元代表制」にしようとする動きが進められている。
これが進むと確かに首長にとっては仕事がやりやすくなるが、本来の議会が果たすべき行政の監視機能などが不全に陥る。同時に、カリスマ性を有した首長がポピュリズム選挙(いわば人気投票)によって誕生した場合、その首長が必ずしもすべての分野に長けた人物でない場合、その政策に盲目的に従うだけの議会では歯止めがかからなくなってしまう恐れがある・・・その点において、地方議会において民主主義のためには「二元代表制」がよいと考えている。
大阪府や名古屋市がまさにその例であり、松戸でも市長選挙後その危険性が指摘されていましたが、とりあえずは大丈夫そうです。(直後の市議選では、市長は自分を支持する候補者をだいぶ集めたようですが)
考えれば単純なことです。先の松戸市議選でも「本郷谷市長を全面的に支持します」などと宣伝カーを走らせる候補者(当選)がいましたが、「行政の監視機能という議員の役割を放棄します」といって立候補するようなものです。
同時に橋本氏はこう続けました。
議員も、自分の選挙区や支援業界、支持者だけに目を向けた活動ばかりしていてはいけない。そうした政治に対して市民のフラストレーションが溜まり、それが爆発することが名古屋や大阪のような結果をうみ、民主主義そのものがおかしくなってしまう。
狭い視野だけの議員活動ではなく、地域全体、日本全体ひいては国際社会の中での地域政治を考えられる議員になるべき。
確かに、大阪や名古屋でおきていることは必ずしも「正常な民主主義」とはいえない事態です。
しかしそうした事態を引き起こした根底には、一人のカリスマ性をもった首長が誕生したというだけにとどまらず、議員が広く市民ではなく、自分の周りにしか目を向けない活動を続け、それが市民から見限られつつあるという深刻な課題が横たわっていることを直視しなければなりません。
橋本氏は、日本はいま幕末、第2次大戦後に続く「第3の開国」が迫られており、その中で地方政治が果たすべき役割として、国が地方を縛る中央集権ではなく、地方がそれぞれの実情にあった創意工夫をこらす「地域自立の社会、イノベーション(革新・刷新)の気風を高めること」が必要であると述べました。
2000年の地方分権一括法の施行以来、地方自治体の自主性が求められるようになりましたが、依然として国の縛りはきつく、これにより何か大きな変化が地方にもたらされた、というものではありませんでした。(松戸市では、議会基本条例づくりなどの影響がありましたが)
確かに橋本氏の言うとおり、地方の自主性を重んじることは大切です。私も議会の中で、自主財源の確保としての法定外税の導入(09年9月議会/06:50~)や、上乗せ条例の検討(08年12月議会/03:45~)など、地方の自主性発揮を求める質問を展開しています。(↑クリックすると、議会質問中継が再生されます)
しかし現在の民主党政権が進める「地域主権改革」は、必ずしも地方の自主性を尊重することが目的ではないことに注意する必要があります。
小泉首相の「三位一体改革」では、国が果たすべき責任をどんどん地方に押しつけ、国民の社会保障に対する国の責任は後退しました。民主党が進める「地域主権改革」は、地方自治体が果たすべき責任を今度は「地域」へ押しつけようとするもので、小泉改革の延長上にある改革です。
実際、「地域のことは地域で決める」としていち早く「地域主権改革」を取り入れた自治体では、「これまで行政が担ってきた福祉サービスなどは、地域がボランティアを組織して担い、主な財源は寄付で」などとワケの分からない改革が進められています。
少し前から「自己責任」という言葉が使われ始めましたが、「福祉も自己責任」「地域の福祉が悪いのは地域の責任」という発想が「地域主権改革」の根底に流れています。
「地域主権改革」は、積極面をとれば「地域の創意工夫をいかした政治」と言えますが、反面では「国や自治体の社会保障責任の後退」という危険を孕んでいることに目を向ける必要があります。
「自己責任論」とは、日本国憲法第25条に定められた「生存権」を国が保障して初めて、その上に成り立つ論であり、国が社会保障を放棄して「すべて自己責任だ」という理論は、日本国憲法の上では認められていません。
その点では橋本氏も、「子どもの医療費無料化など、地方間で格差が生じるべきではないものは国が一元的に管理すべきである」と述べていましたので、大きな意見の隔たりははないと思います。
あらためて地方議会の役割・・・とくに「今後の役割」について、現実課題を突きつけられた感じの研修会でした。
橋本大二郎先生、ありがとうございました。
研修会は毎年この時期に行われており、今回の講師は前高知県知事の橋本大二郎氏でした。
お題は「地方議会の役割~地方から国を変える」です。
橋本氏は冒頭、現在の地方政治が基礎とする「二元代表制」(※)について触れ、その重要性を語りました。
(※)「二元代表制」とは、首長も議会も市民から直接選挙選ばれる制度のことで、首長と議会はその意味において対等の関係であると言えます。
***以下、要約***
国政では衆参で与野党が逆転する「ねじれ国会」であり、当時の福田元首相が「参議院にいじめられている」と嘆いていたが、地方議会ではねじれは常日頃から存在している。
いま一部の地方政治の場において、二元代表制を否定し、首長が主導した「地域政党」を組織して首長の言うことを聞く議会をつくり、地方政治を事実上の「一元代表制」にしようとする動きが進められている。
これが進むと確かに首長にとっては仕事がやりやすくなるが、本来の議会が果たすべき行政の監視機能などが不全に陥る。同時に、カリスマ性を有した首長がポピュリズム選挙(いわば人気投票)によって誕生した場合、その首長が必ずしもすべての分野に長けた人物でない場合、その政策に盲目的に従うだけの議会では歯止めがかからなくなってしまう恐れがある・・・その点において、地方議会において民主主義のためには「二元代表制」がよいと考えている。
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大阪府や名古屋市がまさにその例であり、松戸でも市長選挙後その危険性が指摘されていましたが、とりあえずは大丈夫そうです。(直後の市議選では、市長は自分を支持する候補者をだいぶ集めたようですが)
考えれば単純なことです。先の松戸市議選でも「本郷谷市長を全面的に支持します」などと宣伝カーを走らせる候補者(当選)がいましたが、「行政の監視機能という議員の役割を放棄します」といって立候補するようなものです。
同時に橋本氏はこう続けました。
***以下、要約***
議員も、自分の選挙区や支援業界、支持者だけに目を向けた活動ばかりしていてはいけない。そうした政治に対して市民のフラストレーションが溜まり、それが爆発することが名古屋や大阪のような結果をうみ、民主主義そのものがおかしくなってしまう。
狭い視野だけの議員活動ではなく、地域全体、日本全体ひいては国際社会の中での地域政治を考えられる議員になるべき。
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確かに、大阪や名古屋でおきていることは必ずしも「正常な民主主義」とはいえない事態です。
しかしそうした事態を引き起こした根底には、一人のカリスマ性をもった首長が誕生したというだけにとどまらず、議員が広く市民ではなく、自分の周りにしか目を向けない活動を続け、それが市民から見限られつつあるという深刻な課題が横たわっていることを直視しなければなりません。
橋本氏は、日本はいま幕末、第2次大戦後に続く「第3の開国」が迫られており、その中で地方政治が果たすべき役割として、国が地方を縛る中央集権ではなく、地方がそれぞれの実情にあった創意工夫をこらす「地域自立の社会、イノベーション(革新・刷新)の気風を高めること」が必要であると述べました。
2000年の地方分権一括法の施行以来、地方自治体の自主性が求められるようになりましたが、依然として国の縛りはきつく、これにより何か大きな変化が地方にもたらされた、というものではありませんでした。(松戸市では、議会基本条例づくりなどの影響がありましたが)
確かに橋本氏の言うとおり、地方の自主性を重んじることは大切です。私も議会の中で、自主財源の確保としての法定外税の導入(09年9月議会/06:50~)や、上乗せ条例の検討(08年12月議会/03:45~)など、地方の自主性発揮を求める質問を展開しています。(↑クリックすると、議会質問中継が再生されます)
しかし現在の民主党政権が進める「地域主権改革」は、必ずしも地方の自主性を尊重することが目的ではないことに注意する必要があります。
小泉首相の「三位一体改革」では、国が果たすべき責任をどんどん地方に押しつけ、国民の社会保障に対する国の責任は後退しました。民主党が進める「地域主権改革」は、地方自治体が果たすべき責任を今度は「地域」へ押しつけようとするもので、小泉改革の延長上にある改革です。
実際、「地域のことは地域で決める」としていち早く「地域主権改革」を取り入れた自治体では、「これまで行政が担ってきた福祉サービスなどは、地域がボランティアを組織して担い、主な財源は寄付で」などとワケの分からない改革が進められています。
少し前から「自己責任」という言葉が使われ始めましたが、「福祉も自己責任」「地域の福祉が悪いのは地域の責任」という発想が「地域主権改革」の根底に流れています。
「地域主権改革」は、積極面をとれば「地域の創意工夫をいかした政治」と言えますが、反面では「国や自治体の社会保障責任の後退」という危険を孕んでいることに目を向ける必要があります。
「自己責任論」とは、日本国憲法第25条に定められた「生存権」を国が保障して初めて、その上に成り立つ論であり、国が社会保障を放棄して「すべて自己責任だ」という理論は、日本国憲法の上では認められていません。
その点では橋本氏も、「子どもの医療費無料化など、地方間で格差が生じるべきではないものは国が一元的に管理すべきである」と述べていましたので、大きな意見の隔たりははないと思います。
あらためて地方議会の役割・・・とくに「今後の役割」について、現実課題を突きつけられた感じの研修会でした。
橋本大二郎先生、ありがとうございました。