親愛なる日記

僕が 日々見つめていたいもの。詩・感情の機微等。言葉は装い。音楽遊泳。時よ、止まれ!

牛河とコロンボ

2010年05月08日 | うたかたの日々
『1Q84 book3 』読み終わりました。

book1.2では前のめりで語ったけれど、book3に関してはわりあい落ち着いて語れる。

親切でわかりやすい内容になっている、といった書評が多かったし、僕も読んでいてそう思った。1.2の内容を牛河の推理をもとに振り返っている。1.2を忘れてしまった読者にもこれなら思い出しながら読める。(多少まどろっこしい感もあるけれど)


僕が最近思うことには、この牛河という人物が、

どうにも刑事コロンボに思えて仕方がない。ということ。


ここのところBSでコロンボが初期のものから立て続けに再放送されている。僕の両親は、それをせっせと録画し、暇あらば観ている。

僕もそれをなんともなしに観ている。

が、観ているうちに僕はコロンボがとても気味悪く思えてきてしょうがなくなる。


勘と仮説をもとに犯人を特定したのち、蛇のようにつきまとい心理的にゆさぶりをかけ尻尾を出すのをじっとりと待ち続ける。

へらへらとした笑いと無駄口。ヘボ刑事の演技(しかもその演技は演技であることが相手にわかるように計算されている)

とてもサディスティックである。


とてもサディスティックであるのに、僕らはそれを嬉々として眺めていられるのはなぜか?

といえば、番組の最初に、僕らは犯人が誰かを知っているからだ。

間違いなく黒である犯人をサディスティックに追いつめるからこその快楽というわけだ。



でも現実はそうではない。

犯人は予め与えられない。


現実のコロンボはとてもじめじめとしていて、牛河のように地べたに這いつくばって、微かな可能性の糸をたぐりながら暗く狭い部屋でアンパンを齧りながらミノルタのレンズを覗き続けるのだと思う。

自分のあさましさに辟易としながら、それでも他に生きようもないことを知りながら。


テレビのコロンボシリーズに牛河を重ねながら観ると、このドラマの行間になんともいえない物悲しさがにじみ、味わいがでてよい。



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2 コメント

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Unknown (190)
2010-05-12 19:27:44
僕もつい先日読み終わりました。なんとなくbook1、2の慣性にそって読まされたような気がして、印象としては1、2の方が印象が強い感じ。某モンちゃんは3が最も良かったと述べていて、それはやはり消化しやすいからなのかしらん、と思ったり。牛河は気になる人よね。結構、気になる。
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おつかれい (boyah)
2010-05-12 22:46:46
うん、気になる。そして口から出てきたやつはどうなるのかも解決してないし、やっぱり気になる。

モンちゃんは3が良かったのか。それについてはまた問い詰めないといかんね。

開けた扉をきちんと閉じたはずなのに、まだ隙間が残ってるような終わり方だから、

なんだかまだ続きそうな気がするなあ、僕は。


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