親愛なる日記

僕が 日々見つめていたいもの。詩・感情の機微等。言葉は装い。音楽遊泳。時よ、止まれ!

夕日と4tトラック

2005年03月05日 | 出来事
とりたてた事もない夕日差し込む午後。僕はとりたてたものもない小さな城下町を一望できるマンションのテラスであてもなく雲を見つめている。

ややあって僕は橙に染まった部屋の床に座り込んで本を読みふけった。

気づけば辺りは暗くなり、本の文字はもはや解読不可能になりかけたとき、突然部屋の明かりがともった。

「電気もつけないでどうしたの?」と玄関で靴を脱ぎながら彼女は言った。

うん、まあ本を読んで考え事をしていたら辺りが暗かったっていうだけだよ。とごもごも言い訳をする。

ところで、僕は何を考えていたのだろうか。

1973年のピンボールを読んでみたって、僕に語りかけるものなどありはせず、ただ、どこか一人旅でもしたいなあ、と思っていただけなのだ。

一人旅。

僕は一人旅など、とくにした覚えはない。

バックパッカーのようなものにたいして興味も覚えない。

ただ、僕を知る友人は大抵お前みたいな奴がどこかへふらりと旅するんだ、とか言う。

事実、僕は様々な土地で一人でうろうろした。

それは旅行会社のアルバイトで仕方なく一人だったからだ。とりたてて一人がいいと思っていたわけではない。

僕はよく山梨県富士吉田町、鳴沢町、山中湖周辺でふらふらしていた。

夏だけのアルバイトだったから、僕には夏の記憶しかない。

煙草の匂いの染みついた業務用のバンに乗り込みあてもなく車を走らせ、湖畔でパンを囓り、昼寝をし、夜には手頃な酒場で酒を飲んでぐっすり眠った。

それはとても孤独な日々でありながらも満ち足りた毎日だった。


ただまあ、僕が今回思ってみた一人旅というのはそういったものでもなく、ただ漠然と一人旅情を感じたいなあ、という無邪気なものなのである。

何の名物もなくただ時間だけが降り積もった田舎の旅館に破格の値段で泊まり、湿った布団で日本のわびさびを感じるのもよいだろうなあという、つまりはツゲ的旅思考なのだ。

そしてまあ、なぜ僕がそんなツゲ的旅思考に至るか、というと金が尽きてしまったという一言であり、そんなわけで僕はここから帰る交通費を捻出するために明後日から4tトラックを運転することになったわけなのである。