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『宇都宮教会のいろいろ』   ☆ブックマーク欄「宇都宮教会ホームページ」も併せてご覧ください。

インマヌエル宇都宮基督教会牧師 山田 隆・勢津子
 TEL 028-621-8661 ※24時間対応しております

牧師・余白余録

2014年05月14日 05時48分09秒 | インポート
基督教全史 E・ケアンズ著 聖書図書刊行会発行
二世紀の中頃における礼拝の規定についての消息はもっとずっと完全であって、殉教者ユスチノスの『第一の護教論』『ディダケー』との中にある。礼拝は「太陽に日に行われ、まず「時間の許す限り」「使徒たちの回想」や「預言者の著述」が朗読された。それから、この朗読に基づいて訓戒或は説教が「司会者」から与えられた。それから会衆は起立して祈った。主の聖餐のあとでは平安の接吻が行われた。パンと「水とぶどう酒」が、感謝と祈りとで献げられ、これに会衆は「アーメン」をもって応答した。それから執事がこれらのものを人々に分配した。礼拝の後で執事たちは、これらのものを、この集会に参加できなかった人々の家へも届けた。最後に執事たちは、やもめや孤児や、病人や囚人や外国人など扶助するための醵金を集めた。これで集会は閉会し、各自家々に帰った。」



牧師・礼拝メッセージ(要約)

2014年05月13日 05時13分04秒 | インポート
【先週の礼拝説教回想】5月4日
・説教者   山田 隆 牧師
・引照聖句 列王一 3章5~14節
・説教題   ソロモンの求め

▼恵まれ祝されてその生業や行状がうまくいっているとしても、男女関係で試され、失敗して折角のものが台なしになる例は山とあります。これは、聖書からも人に巣くっている難題と言えます。賢人ソロモンがその例となりました。
 申し分のない父と母の間から生まれ、父ダビデに継ぐ正統な王になりました。彼は父ダビデの信仰を継ぐとき、神が彼に語りかけ「あなたに何を与えようか。願え。」と仰せられた。
 ソロモンの返答は、9節「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができましょうか。」と。このことは神の御心にかない、彼は知恵の心と判断する心、求めなかった富と誉をつけてくださるといわれ、事実、そうされました。
 さて、彼の栄華は領土の拡大、外国との通商による人馬、高価な品々、材木などに至りました。人的交流も盛んになりました。10章、シェバの女王の来訪もありました。問題なのは11:1~3にある、外国の偶像礼拝する他の国々の女性たちを愛して離れなかったこと、その女性たちが彼の心を転じさせたことで、彼の栄華は凋落していくのです。
▼3章に戻り、ソロモンが神に求めた祈りは、民をさばく知恵でした。しかし、何かが、もっと大事なものが、なかっただろうか。
 出生の秘密、性の汚れの最大課題を、年若くても、認識に至らなかっただろうか。後に何人もの妻妾に取り囲まれたことは異常だし、いろいろの狂いや問題を起こしかねないのは、異邦人でさえ分別できることのはず。知恵の心と判断する知恵だけでは安全でないことになるということです。彼の求めるべき最も大切な品徳は性とそれに絡まることにきよい事となりましょう。
 父ダビデは、バテシバとの件で預言者に指摘され悔い改めたのが詩篇51:5節「ああ、私は咎あるものとして生まれ、罪ある者として母は私をみごもりました。」
 神は赦しを与えられました。しかし、その汚れと傷の代償を払わされています。こうした教訓をイエス様は受けて、男女間の心の思いまできよくあるべきことを求められたのでは。
▼ソロモンの、この世の栄誉、栄華は、やがて衰えました。
 箴言の中での父母の教えの大切さ、知恵が出てまいります。この世に処す知恵が主体です。伝道者の書では神のない人生や知識やいろいろの経験は一切「空」であること、神を畏れることが人の本分であると告白します。
▼新約聖書の時代に生きる私たちの教訓としなければならない大事なことです。



牧師・余白余録

2014年05月12日 04時51分55秒 | インポート
基督教全史 E・ケアンズ著 聖書図書刊行会発行
「一世紀の週の初めの日に二つの礼拝が行われていた。この日には、キリストが死人の中からよみがえりたもうた日であった理由から、礼拝日とされていた(使徒2:7、Ⅰコリント16:2、黙示録1:10)。朝の礼拝は聖書の朗読(コロサイ3:16)長老の訓示、祈り、讃美歌であったと思われる(エペソ5:19)。愛餐(Ⅰコリント11:20~22)すなわちアガペーは、夕の礼拝中に、聖餐式に先立って行われた。一世紀の末頃には聖餐は一般に行われなくなり、愛餐式は午前の礼拝の間に行われた。プリニウスはキリスト信者のことを トラヤヌス帝に、日の出る前に集まって賛美を歌い、倫理生活をすることを誓う人々である、と述べている。


牧師・エッセイ

2014年05月11日 19時24分34秒 | インポート
『なぜなら、わたしを見いす者は、いのちを見いだし、主から恵みをいただくからだ。わたしを見失うものは、自分自身をそこない、わたしを憎む者はみな、死を愛する。』(箴言8章35、36節)

祈り
☆神学院創立記念礼拝です。
☆インマヌエルリーフ配布地域は駒生町です。

♪今週の集会案内♪
13日(火)聖書に学ぶ会     10:30~
15日〈木〉ミニチャーチ集会    11:00~
17日(土)公園CS         15:00~   ニュー富士見ヶ丘2号児童公園
15日の集会の場所については教会にお問い合わせください。
教会? 028(621)8661

教会学校金言? 『聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。』(テモテへの手紙第二3章16節)  子どものころから神のみことばを心に蓄えることの大切さを学びました。

次聖日の礼拝説教 ローマ人への手紙8章32~36節「御子をさえ惜しまず」


永遠の言葉

2014年05月10日 05時08分59秒 | インポート
あなたの明日のために
未公刊講演記録を中心まとめた三浦綾子の珠玉の言葉『永遠の言葉』
―病との共生―
 P136、140
  あげるに時あり、食べるに時ありで、時を選んでくださる神様を信じているなら、いつになったらもらえるのかというような心配はしなくなるはずです。
 わたしはよく病気をします。病気をするのは精神状態に原因があるとか、いろいろ言われていますけれど、神様は何をお考えかということがわからないのに、人間がわかろうとするのは傲慢だと思うの。人間のあさはかな知恵ぐらいで、神様のなさることがわかったように言うわけにはいかないと思うんです。
 
 でもわたしは、病気というのはマイナスばかりじゃない、いや長い病気であっても病気は病気なりにプラスの生活があるんじゃないか、と思います。病気で失ったものはいったい何だろう、と考えたら健康だけだったんですね。健康は確かに失われたかもしれないけれども、その代わりに得たものは真実の友でした。

三浦綾子著「永遠の言葉」(主婦の友社)より引用しました。A.O


カテキズム(教理問答)

2014年05月09日 04時54分51秒 | インポート
【教会】

問71 バプテスマを受けられるのは、どういう人ですか。
   罪を心から悔い改め、イエス・キリストを信じた人です。
聖書 「 そこでペテロは彼らに答えた。『悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。』」(使徒の働き2章38節)
(使徒の働き16章31~33節)


問72 聖餐式にはどういう意味がありますか。 
   そのパンは、私たちの罪のために裂かれたイエス様のおからだを、そのぶどう液の杯は、私たちの罪のために流されたイエス様の血潮を意味しています。
聖書 「また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。『取って食べなさい。これはわたしのからだです。』また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。『みな、この杯から飲みなさい。これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。」(マタイの福音書26章26~28節)

インマヌエル少年文庫5  カテキズム(教理問答)より引用しました。A.O

聖書、神様について知りたい方は教会の門をたたいてください。
教会は毎週日曜日:10:30~礼拝、火曜日:10:30~聖書に学ぶ会、
木曜日:11:00~ミニチャーチ集会で
聖書からお話をしております。


牧師・聖書に学ぶ会(要約)

2014年05月08日 04時36分39秒 | インポート
・新しい来会者のための祈り
・学んだ聖書の個所。マタイ4:1ー11
4:1 さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。
4:2 そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。
4:3 すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」
4:4 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」
4:5 すると、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて、
4:6 言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる。』と書いてありますから。」
4:7 イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない。』とも書いてある。」
4:8 今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、
4:9 言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」
4:10 イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。』と書いてある。」
4:11 すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。



<イエスと悪魔>
設問その1「あなたは聖書の言う悪魔(「中傷する者」という意味)、またはサタン(反対者、敵)という意味)についてどのように思っていますか。その実在を信じますか。それはどのような時ですか。


牧師・余白余録

2014年05月07日 04時34分43秒 | インポート
基督教全史 E・ケアンズ著 聖書図書刊行会発行PP.119
「一定した厳粛な礼拝形式という問題は、使徒時代、かなり重要な事項であったらしい。パウロはコリント教会に礼拝を整然と厳粛に行うように勧めた(1コリント14:40)。キリストは、神は霊であるから、礼拝する者も霊となること、をもって礼拝すべきであると言明して、まことの礼拝の本質を述べたもうた(ヨハネ4:24)。事実、礼拝とは、人間の霊が宗教的行事によって、その魂を神の御前にはこばれて、上の方に向うことである。
主題の信徒たちは、教会というものを、今日この語が普通に意味しているような場所の意味にはとらなかった。教会とは、神と親しい関係にある人々の団体を意味した。こうした人々の会合は、家庭でも(使徒12:12、ローマ16:5、コロサイ4:15、ピレモン1-4)、宮においても(使徒5:12)学校の講堂などでも(使徒19:9)、そして、また許された間はユダヤ人の会堂でも(使徒14:1、3、17:1、18:4)、行われた。場所が大事なのではなく、互いの交わりのため、そして神を礼拝するために会合するという事柄が大事なのであった。」


インマヌエル教会学校さんびか

2014年05月06日 04時03分37秒 | インポート
山はみどり(12番)

1 山はみどり 谷もみどり
  森も 原も 畑も
  ほめたたえよ ほめたたえよ
  ほめたたえよ みかみを

2 鳥はうたう 虫もうたう
  風も 木々も 流れも
  ほめたたえよ ほめたたえよ
  ほめたたえよ みかみを

3 わたしたちも 心かぎり
  造り主を たたえよう
  ほめたたえよ ほめたたえよ   
  ほめたたえよ みかみを

 「目に青葉、山ほととぎす 初鰹 」新緑の美しい5月になりました。
 みどりの森や野原、鳥のさえずり、流れのせせらぎ、みな造り主を、ほめたたえています。私たちも心かぎり、造り主なる神様をたたえましょう。A.O


牧師・礼拝メッセージ(要約)

2014年05月05日 05時31分08秒 | インポート
【先週の礼拝説教回想】 4月27日
・説教者 山田 隆牧師
・引照聖句 使徒の働き1章3~11節
・説教題 主イエスの再来の約束
▼この章の1:4に 「主イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現れて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。」 とあります。やがて昇天されます、9節 「こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。」 二人の御使いが、11節 「そして、こう言った。 「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に昇って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいで になります。」と。
 このおいでになる時には、1テサロニケ4:16、17 「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」
▼今は天の御父の右に座しておられるのです。聖霊が働いている時代です。イエス・キリストを信じて救われるように働いておられます。皆さん方も信じ救われているのは、聖霊とキリスト者を通してである訳です。 マタイ28:20 「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」 と約束されました。従って、共におられることが可能とされていることを意味します。
▼主イエスの再来は、この世がどうにもならなくなって、滅びることから救うため、主イエスを信じ者を集めるため、神に敵対する悪魔と人々を国々を裁くために来られます。そうして神の国が実現します。
キリストはまたおいでになります。それもそう遠い先ではなく近いのです。目をさまして待ち望み、全く平和な神の国の出現が、御子によってなされるのです。明るい御世の成就を期待しましょう。
▼黙示録22:20 「しかり。わたしはすぐに来る。」 アーメン。主イエスよ。来てください。昇天された神の御子の再来の約束は必ず果たされます。