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インマヌエル宇都宮基督教会牧師 山田 隆・勢津子
 TEL 028-621-8661 ※24時間対応しております

牧師・礼拝メッセージ(要約)

2014年03月31日 05時57分03秒 | インポート
【先週の礼拝説教回想】 3月23日
・説教者 山田 隆牧師
・引照聖句 雅歌1:1~11節
・説教題 私は黒いけれど美しい
▼雅歌 日本語訳では「雅歌」としている。ヘブル語聖書では、本書を「歌の中の歌」つまり「最上の歌」と呼びます。
 ソロモンとシュネムの女との高雅な愛と肉体の美、魅力を歌ったもの、夫婦間の愛を歌っていると言えるでしょう。巷間でそれと言われるようなものとは全く異なるものを秘めています。日本の明治時代に宣教師として来日し、素晴らしい足跡を残した英国人B・F・バックストンは、キリストと進んだ信仰者との間にある深き愛の交わりとしています(有馬の修養会で「雅歌」の連続講義を米田豊師が筆記した本から)
 その他、著名な方々の賛辞があります。
 ソロモンに愛された、会話するこのシュネムの女は、1:4に「私はあなたによって楽しみ喜び、あなたの愛をぶどう酒にまさってほめたたえ、真心からあなたを愛しています。そして5節「私は・・・黒いけれども美しい。」(単数)と恥じらいながら明快に告白してます。
▼私たちの信仰は、キリストによって愛されていることを知っていることに基づいてなされます。ダビデが荒野にいたときの賛歌、詩篇63篇の1節に「私のたましいは、あなたに渇き、私の身も、あなたを慕って気を失うばかりです。」と叙述されています。それは心も霊も体も主の愛に渇いていることを意味しましょう。
▼確かで、確実に答てくださるキリストの愛から、主との深い交わりに進みましょう。
人と人との間は、だれを問わず、不確か、不確実要因があることが多いのです。ご夫婦の間でも、熱愛の間にある恋愛中の方々でも、不確定要因にしばしば悩まされているのではないでしょうか。ところが主は「回転の陰のない」方ですから、ご安心なさいませ。山は動いても神の愛と真実は変わらないばかりか、ますます、確かになりましょう。まず、神の愛をいただくことから始まります。これが基本条件です。人と人とがもしそうであるならば、主イエスは人と人との間にあって、人が求めて止まなかった至福が自分たちのものになるとは明らかです。
私たちは確かに神に愛されていることは確かです。でも忘れてはならないことは、罪を赦された痕跡を残していて「黒い」のです。それでも「美しい」というのは、主の方からの語りかけと関係によります。主も、私たちの霊も、聖霊とともに、神の子として愛されていることを知っていますね。したがって、主はそう告白されるように私たちに願っていることも確かになります。そうでなければ、物足りない愛された者になりやしまいか。
▼しかし、主にあれば「黒いけれど美しい」と確信しましょう。


牧師・エッセイ

2014年03月30日 15時52分51秒 | インポート
『 わたしを愛する者をわたしも愛する。私を熱心に探す者は、わたしを見つける。』(箴言8章17節)

祈り
☆4月4日のO姉のBTC入学式 。
☆4月3日のS・K姉の東京女子大の入学式。
☆S家の送別会を4月 イースターの聖日(4月20日)に兼ねて行う予定となりました。色紙を用意しますので寄せ書きに参加しましょう。
☆H・Hさんは、中学生になられるとのお知らせを受けております。他に入学や進級などのあるご家庭がありましたらお知らせください。
☆病める方々の健康と救いのために。一同の家族、関係者の救いのために。
☆H医師の実父の手術は24日、成功したとのことです。

♪今週半ばの集会♪
4月 1日(火)聖書に学ぶ会     10:30~
4月 5日 (土) 公園CS        15:00~ ニュー富士見ヶ丘2号児童公園
教会028(621)8661

教会学校金言? 『互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい』(コロサイ人への手紙3章13節) イエスを信じる者は、赦し受け入れ合う神の家族であることを学びました。

ガーデンスポット
梅  椿  サンシュユ(山茱萸)  土佐水木  椎茸

次聖日の礼拝説教 ヨシュア記14章6節~14節「カレブの壮健な信仰」


永遠の言葉

2014年03月29日 05時48分07秒 | インポート
あなたの明日のために
未公刊講演記録を中心まとめた三浦綾子の珠玉の言葉『永遠の言葉』
―人生について― P104、105
 自分のほうに非を認めることができる人間になったときに、ほんとうに自立しているといえるんじゃないかと思うんですね。で、そういうときにはですね、力まないですね。

 わたしたちはともすれば、砂の上とか海の上とかに立っているところがあるような気が
します。船の上のグラグラするところとか。しょっちゅうぐらぐらする。ほんとうに自分
の足で立つということには、限界がありますから、立つ場所ということは、まず大事なん
です。その立つ場所は、皆さんでさがしていただければいいと思うわけですけれども。自
分の立つ地盤を自分で選ぶということ。それが自立の始めであり、終りであるというふう
に私は思います。

三浦綾子著「永遠の言葉」(主婦の友社)より引用しました。A.O


教会員証「無限の感謝」

2014年03月28日 05時42分48秒 | インポート
―家庭での祈りの壇―
 家庭での祈りの壇の営みをおあかししたいと存じます。朝が主ですが、部屋や家族構成の関係で密室は特別ありません。しかし、寝床の上を祈りの壇として「絶えず祈」って参りました。6時半から40分間ほどそのために用います。ます朝起きて祈ります。祈りの内容は、イエス様の御愛と憐れみのゆえにこの朝も強められて迎えることが出来たことを感謝し、今日も一日を、救われ生かされている者にふさわしく過ごせるよう、隣人を愛し、良きあかしができて主に喜ばれるように祈ります。この後、教会のため、先生方の健康と善戦のため、内外の主に在る兄弟姉妹のあかしと恵みのため、知人や隣人のため、それから身内のため、ハンドルを握っている家族や従業員の守りと安全と祝福のために祈ります。
 聖書の通読は旧約1章、新約1章、詩篇1章を拝読します。
 夕べには、今日もここまで守り、強め、平安のうちに一日を送ることができました幸いを感謝し、聖名をあがめます。
 殊に問題、課題、試練に直面した時は、 「事ごとに祈りをなし、願をなし、感謝して、汝らの求めを神に告げよ」、「何にても信じて求めば、ことごとく得べし」 の聖言を信じ祈って参りました。昨年の病の癒しを与えられてからは無意識の内に、祈りに熱が、力が入ります。(故M.N姉証「無限の感謝」より)最終回


牧師・聖書に学ぶ会(要約)

2014年03月27日 04時55分58秒 | インポート
・関係者と新しい来会者のための祈り
・学んだ聖書の個所。ルカ24:41-52
2:41 さて、イエスの両親は、過越の祭りには毎年エルサレムに行った。
2:42 イエスが十二歳になられたときも、両親は祭りの慣習に従って都へ上り、
2:43 祭りの期間を過ごしてから、帰路についたが、少年イエスはエルサレムにとどまっておられた。両親はそれに気づかなかった。
2:44 イエスが一行の中にいるものと思って、一日の道のりを行った。それから、親族や知人の中を捜し回ったが、
2:45 見つからなかったので、イエスを捜しながら、エルサレムまで引き返した。
2:46 そしてようやく三日の後に、イエスが宮で教師たちの真中にすわって、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。
2:47 聞いていた人々はみな、イエスの知恵と答えに驚いていた。
2:48 両親は彼を見て驚き、母は言った。「まあ、あなたはなぜ私たちにこんなことをしたのです。見なさい。父上も私も、心配してあなたを捜し回っていたのです。」
2:49 するとイエスは両親に言われた。「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」
2:50 しかし両親には、イエスの話されたことばの意味がわからなかった。
2:51 それからイエスは、いっしょに下って行かれ、ナザレに帰って、両親に仕えられた。母はこれらのことをみな、心に留めておいた。
2:52 イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された。


<イエスの両親>
設問その1.イエスはだれを自分の父と言っていますか。このことからイエスがすでにご自分についてどのような自覚を持っておられることが分かりますか 。


 牧師・余白余録

2014年03月26日 05時31分26秒 | インポート
D・F・キンロー著 エマオの道で 7/7より   
神に近づく礼拝『み名を知る者はあなたに寄り頼みます。』(詩篇9:10)
だれかに自分の名を教えるということは、その人とこれまでとは違ったより深い関係に入ることを認めているのです。事実、自分の名前を教える行為は相手に自分を幾分かでも支配する力を与えることになります。今や私の名前を知ったその人が私たちの注意や関心を引き寄せる力を持ちます。あるいは名前を教えることによってより親しい関係にその人を招き入れたことになります。この親密な関係を築きたいという願望こそが、旧約聖書の中で「ヤハウェ」という主の御名がきわめて強調して扱われている理由です。また新約聖書でもイエスという御名の中に神の慈愛が明確に語られています。詩篇にあれほど頻繁にヤハウェ(主)という御名が登場する理由もここにあります。詩篇の記者たちは、神ご自身が彼らにとって本当に個人的な関係をもってくださる方だということを語ろうとしているのではないでしょうか。全世界を統治されている神がわたしたちに、「私の名を知って欲しい。わたしのそば近くに歩んで欲しい。私ともっと深い親しい関係を築いて欲しい」と願っておられるのです。


牧師・余白余録

2014年03月25日 05時27分17秒 | インポート
D・F・キンロー著 エマオの道で 7/7より (1)   
『 神に近づく礼拝『み名を知る者はあなたに寄り頼みます。』(詩篇9:10)
 礼拝の本質とは一体なんでしょうか。それは神が測りがたい隔たりを超えて個人的に近づいてくださるとき、顔と顔を合わせるように神ご自身と対面していることを私たちが知ることです。真の礼拝は、神が、ご自身の名を教えてくださり、また私たちをご自分の子と呼ぶほどに心にかけてくださっていると分かったとき、自然に生まれてきます。その事実は人の心を賛美で満たします。私たちが本来あるべき姿を取っているなら、賛美が絶えることは決してないでしょう。  


牧師・礼拝メッセージ(要約)

2014年03月24日 04時41分16秒 | インポート
【先週の礼拝説教回想】 3月 16日
・説教者 山田 隆牧師
・引照聖句 イザヤ35:1~10
・説教題 とこしえの喜びを頂く
▼年会消息 引退する先生方が今年も目立つ中で六九次年会がヌエックで開かれました。全国の同労者、兄弟姉妹も集まり、幸いな聖会のメッセージ、仲間との交流に恵まれました。古川恵子牧師、山田謙嗣牧師とも語らいました。聖宣神学院入学者4名の一人としてA姉の名も公表されました。当教会出身の教職者は次に五名となりましょう。救霊と伝道を主の再臨の時まで励みましょう。
▼会場構内の花木のサンシュユ(山茱萸)の蕾みが目と心を清くし、ほのかに心を燃やしてくれました。毎年、栃木の里でも、羽黒山や教会構内で香る黄金色の花です。草木の多くは寒さの中で休み、春が近づいて新芽を吹き出します。このことは古来から人を喜ばせ、祝ったり躍ったりする宴を誘ってきました。
▼イスラエルは真の神とその戒めからかけ離れて砂漠や荒れ地に象徴されるように荒れ、無毛の地となり、バビロン捕囚を前にしておりました。預言者イザヤは霊的に民の霊的、民族的に荒廃している現今の状況が現実化することを見通して、さらにその向こうにやって来る回復を神によって示され、書中折々に回復と繁栄、慰めの時が備えられてやって来ることを預言したのです。
▼現在が、たとえ辛く貧しくとも耐え忍び、想像をはるかに越えた楽しみと喜びが、サフランの花が周りいっぱい咲くように満ちるでしょう。寒い冬の後、芽ばえる草花は、後に報いのようについてくることを暗示してます。たとえ期間が長くても、善をやり続けましょう。きっと見栄えのする栄達と喜びにつつまれることでしょう。完全なそれは、御子の支配による、御国が地上になされる時ですが。
▼ですと、こうなりましょう。神に生きているならば、全部を良いように変えて益に変えてくださる。そうならばいつも喜び感謝し祈り信じることでしょう。
たまには、野山に出て草花や食べ物を味わう時が礼拝や普段の日にもうけることは良いことです。実際に草花の時にみんなで集う時もあってよいのでは。
みことば:イザヤ35:1、2
「荒野と砂漠は楽しみ、荒れ地は喜び、サフランのように花を咲かせる。盛んに花を咲かせ、喜び喜んで歌う。レバノンの栄光と、カルメルや、シャロンの威光をこれに賜るので、彼らは主の栄光、私たちの神の威光を見る。」
▼10節「その頭にはとこしえの喜びをいただく。」皆様、こうなりましょう。



牧師・エッセイ

2014年03月23日 15時21分04秒 | インポート
『 わたしによって、王たち治め、君主たちは正義を制定する。わたしによって、支配者たちは支配する。高貴な人たちはすべて正義のさばきつかさ。』(箴言8章15、16節)

祈り
☆TH姉は、同伴介護者と買い物に同行する様子を、介護者の必要を訴えるものとして放映されました。先週火曜日午後6時40分、NHK栃木版時に。同姉の通報を前もって受け、牧師たちは視聴し感動し、有意義なことであったと受け止めました。
☆H夫人が19日、教会に来訪されて、牧師夫妻と有意義な語らいの時を持たせてもらいました。 

♪今週半ばの集会♪
3月25日(火)聖書に学ぶ会     10:30~
3月27日(木)ミニチャーチ集会   11:00~
3月29日 (土) 公園CS        15:00~ ニュー富士見ヶ丘2号児童公園
27日の集会の場所については教会にお問い合わせください。
教会028(621)8661

教会学校金言? 『子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛そうではありませんか。』(ヨハネの手紙第一3章18節) だれにでも親切で優しい主に倣うことを学びました。

ガーデンスポット
サンシュユ(山茱萸)  梅   椿

次聖日の礼拝説教  マタイの福音9章35節~38節「羊飼いのいない羊は」


永遠の言葉

2014年03月22日 03時46分25秒 | インポート
あなたの明日のために
未公刊講演記録を中心まとめた三浦綾子の珠玉の言葉『永遠の言葉』
―人生について―
 P99、103
 皆さんのこれからの人生は何年つづくかわかりませんけれども、まだまだ自分の目の前には足跡のついていない白い布がずっと長くつづいていると思ってください。そのまっ白い布の上に、どのような足跡をつけるかは皆さんの自由です。どんなふうに歩まれていくか、わたしは願わくは聖書にふれていただきたい、神を信じていただきたい、と心から祈ります。

 ほんとうの大きな仕事をする人を見ていますとね、周囲に必ず協力者がいます。その人の尊敬する先生がそばにいます。自分の周りに尊敬する人がいない人というのは、協力もしてもらえなければ、導いてももらえませんから、ほんとうの意味の自立ということは、わたしは、できないと思う。ほんとうに自立している人こそ、頭を低くして、どうぞよろしく協力してください。どうぞよろしく導いてください。どうぞわたしに教えてください。と、いろいろな人の力をいただくことができる人だと思います。

三浦綾子著「永遠の言葉」(主婦の友社)より引用しました。A.O